四聖諦

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去年に続いてオレガノ・ケント・ビューティが咲きました。地味な色だと思うんだけど、現代人には受けがいいのかなあ。

現代人に受けているのは、一つには切り花にして花瓶に飾っても、まるでドライフラワーのように水が必要ないところかもしれません。水があってもなくても、枯れずにそのまんま薄いピンクの花で、ほとんど変わらない。そうなんだけど、それでもこころなしか色あせてくるのです。

なんか、えらくビミョーです。。

さて、さて、変わらぬ輝きを誇るわれらがおしゃかさま。たまたま四聖諦のことを考えていたのよ。四聖諦は、

如来所説経(https://manikana.net/canon/tathagata.html)と箭喩経(https://manikana.net/canon/malunkya.html)にもちょっとあります。箭喩経には、一向論として登場していると思います。

「ひとむき」と『阿含経典』の中で増谷先生は訳されていたかもしれないけど、これは「一切」に関わる議論として出てくるところがミソなのです。

そうか!分かったぞ!「四聖諦」というのは「聖なる真理(アリヤ・サッチャ)」と言われます。ブッダ自身がそのように述べているのです。「なんで聖なる真理なんだろ」とずっと前から不思議に思ってたのです。

これは!ブッダがそのようにきめたことだからなのですね。だからもちろん「苦しみじゃない」という人もいるでしょう。それはそれでいいのです。

でも、ブッダは、生き物たちがみな苦しみにあえぐのを見て「なんとかしなくちゃ」っておもって、四聖諦を作ったと思います。なんでやねん?

なぜなら、ブッダは悟りを開いたので、わざわざ四聖諦作らんでも、苦しみなんかないからです。わざわざ出来の悪いわたしたちのために、四聖諦を作って示してくれタンよ。

仏教がすごいのは、自分で自分を変革していけるところです。自分で苦しみをなくすのが、一番苦しみのない状態だ、って、ブッダは気づいているんですね。だから、自分でやるんだよ、ってブッダは言うのです。

でも、苦しみって、人によって種々様々でしょ、他人には気にもならないことが自分にはものすごくくるしいって、よくあること。。それはどうなるの?

だから、一向論なのです。ひと向きに苦しみをあげていくのです。

<これ>が、苦しみなる、聖なる真理である。

言い換えれば、「<これ>が苦しみである」という聖なる真理である、ということになります。<これ>には、自分で苦しみだと思うものを入れてください、ってことです。言い換えれば、「一切は苦である」ということになりますが、個人の苦しみを癒やすので、個々に苦しみを入れていく論理学の変項として、<これ>を使っているのです。

なるほどなあ。。こうしてみると自分にとっては「聖なる真理」だよね。誰にとっても、嫌なものをあげるとたぶん「死」ということになるので、十二支縁起の最後の方には「死」が来るのです。でも、それだけじゃなくて、十二支縁起のどこからでも苦しみが噴き出すのです。

苦しみがなくなる、っていうのがいいよね。神様もいいけど、仏様もいい。

しかも、わたしが仏教を好きなのは、自分でなんとか出来るからなんです。

そして、四聖諦を使えば、

自分で今の苦しみをなんとか出来るって、すごくよくない? 

やり方を教えてくれたブッダに感謝!

コメント

  1.  春間 則廣  より:

    *

     あなたは  「 真理 」 を 知っていますか ?

       それを知る者 を ブッダ と呼ぶ 習わしです

       何を知っているか  を  知る者  を
     ブッダ(完成者) と  言います

           ブッダ は
        知っていること (知っているということはどういうことか)
        を   知っています ( 知る 対象 を 知っている )
          ブッダ は ( 対象・自ら が・も ) ブッダである と 知っている

        向きあい 前にするもの  を  対象 と 呼びます
      向きあいもせず に 対象を観察するモノ  をも 対象とします

        対象に     ブッディ が あるのではなく
       向きあい方に   ブッディ が ある

       ブッディ を 持つもの  は(が)  ブッダ と なります
      (  「 法華経 」 には そのように説かれています )
        ただし    物事 の     “ 読み方” で 
               物事に対する     表現が変わり
       表現の一つ が ( 各自 の )  生き様となります

      「悉有仏性」  とは  すべてのモノ事 は
               成就  “する”  という意味です
     すべてのモノ事  に   あなたの生き様  (が)は 入ります
     成就 “した”        あなたの生き様  は(が) 入ります

     縋目 の あなた “でも”  真っ直ぐに  成就をとらえています
      ( 真っ直ぐ ということは  歪んだ 「 認識 」 には  歪んで見えます )

        こころのひずみ  が  生のひずみ を 対象としている

       ブッダ は そのひずみ  が  真っ直ぐである と  説いています

      ( 真っ直ぐ  とは  歪み でしょうか  真っ直ぐ  でしょうか ? )

        ただし 認識を構成する    “基盤” に おいては

        真っ直ぐではないモノ  を  “ 曲がっている ” と 認識します

       認識 とは  曲がる性質をもっていて
              曲がってはいないという認識 も その一つです

               曲げずに読めれば  ひずみにある

    • ぎんた より:

      春間さんがゆってること、本当にわかんないんだよう~!

      話違うけど、、、

       2000年代に(←これで、2000年から2009年までになるんだよね?)表参道の岡本太郎記念館に
      行ったのです。「午後の日」かわい~~!みたいにしていたら、近くに若者がいて、ものすごく
      真剣な表情で作品に見入っていて。美大生なんじゃないかという雰囲気。私は心の中で
      (テレビで「芸術は爆発だ!!」を見たことない人なのに、真剣に見入ってるな~)と感心して
      いたのです。

      その時、はっっ!!として、「その人の心は、もっとも遠くの人にこそ近く伝わる」と強く感じました。

      だからー、ブッダの言葉はーー、今大人の人より子どもの人の方がよく伝わるしーーー
      今生きてる人より未来に生まれる人のが簡単に理解できんの。で、

      その頃は「すべての人が神でほとけ」に至っていませんが、その美大生ぽい彼の祈りに近い
      とも言える真剣さを、自分も倣ってずっと岡本太郎を気にし続けています。

      今月はタローマンの映画やる!太陽の塔は重文指定されるみたいだし!東急田園都市線には
      タローマン電車も走るの、乗れるかなぁ。楽しみ。彼はその後どんな人生を歩んでいるのだろう。
      今幸せだといいな。

    • mani(管理人) より:

      春間さま おはよう

      >あなたは  「 真理 」 を 知っていますか ?

      ブッダが何を言っているかは分かります。

      >縋目 の あなた “でも”  真っ直ぐに  成就をとらえています
      >  ( 真っ直ぐ ということは  歪んだ 「 認識 」 には  歪んで見えます )

      ‘縋目 の あなた’かどうかはしらんけど、ブッダの言っていることには嘘はありません。
      それによれば、変項を使えば「すべての~」(一向論)は表せる、とブッダは言ってます。
      そうなら、歪んだ「認識」には歪んで見えることは分かります。

      ブッダは「(ブッダの説くとおりに)歪んで見なさい」と教えています。
      それは、稀な見方だから、って。誰も見たことがない見方かも。

      •  春間 則廣  より:

          < 縋目で見る と言う事 を “直視する” と 分別する >

        > ブッダは「(ブッダの説くとおりに)歪んで見なさい」と教えています。

           教えの通り 見れば  歪みが 観 得る

           歪んでみる という “ 語 ” 

             歪んでいるか 歪んでいないか  を  歪みを通して  知る

          “歪んではいない”  という   歪み  
                         を   歪んで 見る

          “誰でも”   “真っ直ぐに”     歪みに 対処しているから
                    歪んで見る       ということは
                                      ↓   
        > それは、稀な見方だから、って。
                  稀にある事  でも    稀な人には 日常の事

        > 誰も見たことがない見方かも。

            誰かが  見ているから
                  “誰も見たことがない見方” が 存在できる
           誰もいない と 思って いても
          (  ♪ ダーレモイナイト オモーッテイテモ ♪
            ♪  ドコカデ ドコカデ  エンジェルガ ♪♪  )
           “エンジウル 劇”  は   世間という舞台の上で “演じぇる”
          演じることが出来る故 に  演じられる  という事実 が 起きる  

             ミルクキャラメル のように  甘い 縁  である 、、、、

           この “見物” が 存在する故    に  「縁」 が起き
                      あらゆる出来事  が  起きる

            誰も見たことがない  稀な見方
              とは         存在があるか否か

           あるかも知れない  し
           ないかも知れない  が
              存在 が   あるかどうか   に かかわらず
              存在 と   イウコト   は  言に表わされ得る

           言がある  ということは
                  言に表わす仕組み が  事実としてある
          言があるという“言”  と  “事”  とは 事実として離反している

           「 存在 」 ということを “正しく知る者” を ブッダ と呼ぶ
             が
          その存在  は   「 唯仏与仏 乃能究尽 」
                  “共にある 故” ・ 与   に   存在する 

           共にある  ということを   ( 友と ) 共に考えたい
            ( 余分なこと  でも  マットキがあるゆえに マットウ に
                           真当な人  には 歪みとして観得る )

               考えるまでもなく   あるという事実 は “ ある ”
           (  “ ある ” という “故”   に  事実 は “起きる”  )

            故 が あろうとなかろうと    “衆人”  は 
                 あるという事実   に  根拠をおいている
            ( そのような “囚人”    に  罪があるや否や ! )
                有無を言わさず   「 有 」 に 根拠を 起こす

             (  「 有 」 ということ を   「 瑜伽行 」 で 知る )

          言っていること  には  (最低限)  言っているという言葉 が
            言う事  という  ( 言われた )  事実として  起きている

          ( 事実 に  本質はないけれど ) 
                実 に 際して       人は歪んだ見方を起こす

          この「分」の塊りである“文”  を  それぞれの分 で 量る・分ける 
         (  量られた 「 分別 」  では
                   量り方を 量ること は  できない  )

            「 無量 」 という 意味  は   量り知ることではない
                                      ↓
          アミターユス と アミターバー   とは  同一のことを表している
                                      ↓
         (  何と同一 か   は  )      分けて知ることではない

          「 無量 」 と言う事 は  ( 分別の領分において )
                   リョウ を   離れる

            そのような “良”  は 善き人に起き  善き「行」 に 出でる
                                               
            これは 量る事(量行)  ではなく    「 禅行 」 を 起こすこと

            以上   歪んだ   「 認識 」 の一端    から
                               ↓       自分に返り受取る
               モノ申す ( “言” に “現じる” )  ・ 言う事とする

        • ぎんた より:

          春間さん!!こんにちは!

          今朝、家族と話してて、春間さんに質問しないといけないことが発生した!!

          家族「野田が、国籍の壁を無くすとか言ってたけど、そんなことしたらあっという間に日本
           無くなんだぜ?14億と1億ちょっとじゃ比べものになんないだろ?」
          ぎんた「そうだねーー、そういえば!!!仏教だと、【日本】とか【日本人】なんて【ない】ん
           だってーw」
          家族「は~~?それ誰が言ってんの?」
          ぎんた「(マニカナの)春間さん!!」
          家族「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
             、、、、、、、、、、、、(しばし無言で歩く)、、、、、、、、、、、、、、、、、、
             それって、ブッダが言った言葉なの?」
          ぎんた「え?、、、、わかんない。ブッダより後のひとかな?中国の人~鎌倉の人かな?
              (あんま賛同できないからスルーしてて確認してなかった)春間さんにきいてみる!」
          家族「大体、ブッダの時代、グローバリズムとかあったのかよ?中国とかの存在をブッダは
           知ってたの?そもそもブッダって何年前よ?」
          ぎんた「2600年前。」
          家族「隣の王国はあっても、他の民族は知ってるのか?」
          ぎんた「えーーー、どうだろう?兎に角、「都市」というものが出来始めて、人がいっぱい
           密集し始めくらいの頃だったと思うケド、、」

          こんな感じの会話をしました。なので、春間さん「「日本人はない」の出典をおせーてください。
          ぎんたにわかるように教えてくれないと、春間さんとマニカナの信用が地に落ちて、また
          マニカナ禁止令が出るかもなんで、どうかよろしくお願いします。

      •  春間 則廣  より:

        *

        >  誰も見たことがない見方かも。
          
           誰も見たことがない こと(見方) を ( あなたの )
             ミカタ(味方) に する    のは 良いけれど
          あなた以外 の 誰も見てはいない 見方  ゆえに
            あなたは “その見方” を 自ら 援軍とせざるを得ない
        ( 自分で 自分を 支えることはできない   構造
          その故 に 自立する と 孤立する  必然性が生まれ出る )
           自力で立つ と       共建して立つ
                   との間 に  矛盾が生まれる(余地がある)

          共に支え合って 立ち上がる  人の認識 ( 「 縁起 」 )
              自力で立っている  のでしょうか ?

         「 ダーレモイナイ 」  と 主張する   “居る”人 の 認識

            人 が  主張しているのではなく
          認識 が  主張させている ( 背後で自立して支えている )

            人 と 認識   とは      ブッダ が  立つまでは
            独立していて それぞれは   分離していた

           言っている事 が 分かりにくいのは  認識が自立しているから
                         ↓
           「 認識 」  は 人を飲み込む ( 人は認識に支配される )

           飲み込まれている人 は  「 認識 」 から 自立できない

            あなたの認識  で    “これ” を 読むから
          ( 認識を通して で は )
            認識外 からの 言葉 の 出所   に 触れられない

            「 認識 」 は  歪んでいるモノ でも 曲がっているモノ でも
           “ 真っ直ぐに ”   認識する ( 一つの認識に執われる )

                『中論頌』  は
          認識外から       認識の外に  起きる「 理 」
          ( 実践・禅行 を 通して↓       体得するしかない  )
              如実智 なる 「  理  」 を  扱う・認識に働きかける 
                       “  道具  ”    なのです

           道具を用いる  扱い方を知る  智者 ・ 善知識

           わたし は   見たことのない見方 を 見る人 
                が   存在していない人  だと 知っている

           私が見る見方  を   観る人を (止観の妙門に入る人を)
           “フツ・不図”  ( “常”態を変えることができた人 ) と 呼ぶ

        その  慈悲 に よって ( 縁って ・ 拠り所を得て )
             学び  習い重ね て
           わたしは  モノの見方  を  知る( 知悉する )

          悉く知る者  は  何処に 悉く が “ある” か を知る

          わたしは  「 仏 」  ではない

         (わたしが) 「 仏 」 である と 言おうと

            言っている事 を 認識して 決定事項とする  

             あなた が     絶対認識者 である 故   に

        *   わたしは正しい  ということは  誤謬である
               しからば   
          ( わたしには認識上の)  誤謬が ある・有りうる  ということは
          ( いかなる構造に於いて )   誤謬となるのであろうか

            誤っている ゆえ  に   御免蒙る

      •  春間 則廣  より:

        > ‘縋目 の あなた’かどうかはしらんけど、ブッダの言っていることには嘘はありません。

           “ あなた ”  とは
                これを読む
           わたし以外 の( アナタ・カナタ に ある )人
         ( わたしは 書き込んで よく咀嚼して 再確認する )

         彼方  にあろうと

             ヨク咀嚼する人 は
             それを飲み込もう  と  吐き出そう  と

         ( そういう過程を踏んでいる ) “わたし” である 

      •  春間 則廣  より:

        > ‘縋目 の あなた’かどうかはしらんけど、ブッダの言っていることには嘘はありません。

           “ あなた ”  とは
                これを読む
           わたし以外 の( アナタ・カナタ に ある )人
         ( わたしは 書き込んで よく咀嚼して 再確認する )

         彼方  にあろうと

             ヨク咀嚼する人   は
             それを飲み込もう  と  吐き出そう  と

         ( そういう過程を踏んでいる )  “わたし” である 
             よく 咀嚼しようとする
          “わたし” は その道を歩んでいる ( 古城へと続く道 )

           釈迦牟尼 が 「 わたし 」 という時 
            それは   あなたに対して の わたしではあるが
          ( 必ず )  縁起を踏まえて の わたし である

        二つの物事の見方 が 一人の人の認識に 起きる
          一人 ということは  必ず    「 他 」 を 孕む
           孕んでいる個  生み出した  「 己 」 も
              “わたし” と 認識される
          これは  「 己 」 ・ 「 個 」 の問題  ではあるが
            問題としなければ    「 縁起 」 とは
         「 世間 」 におきる  自己には 「縁」のない理 でしかない
          
           ( 話しがずれたのか 認識がずれたのか はたまた 読取のずれか )

           いずれかの ズレ  は  重複しているけれど
           “ 何れわかる事 ” と   タカヲクウ と 消化不良となる

          いくら 咀嚼しようと  それは 他人事 ( と 自他を識別する )

           自分が 気づき(認識し) 築き上げている 自己の世界
          ( それが 自己の内に止まるのを  「 世間 」 的解釈 と 呼ぶ )

          他己 に 及ばせる   ことができれば
           広がっていく 意識  となる
         ( “閉じた世界” に 釈迦牟尼 は 住するのかな ? )

          開け放たれた 扉を閉める   のは  “わたし” であろうか ?

           わたしでありあなたである    「 自己 」  か ?

             「 他 」 を 正しく認識する  牟尼    か ?

           「 縋目 」 について 言及すると
            そうかどうかは 知らん事 ( そうではなく直視している )
             と ノタマウ  アタマ の ウタ  が 聞こえる

         
           “わたし” は ブッダ  ではないから
             ここに  嘘 もある  ( かもしれない )

           知れる か 知れないか  は  “ 直視のしかた ” で 決まる

            真っ直ぐに 真正面に 捉えている と 思おうと

             歪んだレンズ を 通す世界 ( 眼球での直視 )

          ( だーれもいない ♪  筈なのに  舌の上に位置する 眼球 )

                 味わい方  で  評価は決定される

           ブッダ に 嘘があるかないか は
                   個の認識     とは 起きる 階梯に違いがある

            「 縁起 」 の 階梯 を  踏み外しているかどうかで
                  本当の事  が    嘘ともなる

          中国に ( 仮に ) 5千年 の 歴史があろうと
                 “ その歴史 ” を  どのように受け継いでいるか

         ブッダ である 釈迦牟尼 が 成道して 二千数百年

           ブッダ のことを どうこう言わない

            わたくしごと   で ある( として起こす )
            わたしの仕事  を みずから問う

           あなた  に 問うているのではなく

           真摯に読んでいるかどうか  を  わたくしごと  とする

  2.  春間 則廣  より:

    > ************

    「そうだねーー、そういえば!!!
        仏教だと、【日本】とか【日本人】なんて【ない】ん だってーw」
    家族「は~~?それ誰が言ってんの?」
    ぎんた「(マニカナの)春間さん!!」

    > ************

       わたしは そのようには言ってはいないけれど
        どこで、どのような文体の中で言っているかを
      知らせてくれれば ( TIME・PLACE・OCCASION は 大体でもよい )
      ( 何時のことだかわかれば、 残してある記録で 分かる から )

             ********
       ではあるけれど
          釈迦牟尼 の 記録( 伝承 ) として、残っている
        「 仏教 」 では 日本 ということについて 語られてはいない

     ゆえに、 伝承上は 日本も日本人もない
        しかし  中国において  悟りを得た人の 言葉 は  「 仏教 」 です
     大宋国 の  叢林において  悟りを得た 道元 の言葉は
              大宋国 でも 日本 でも  「 仏教 」 です

      道元 が 日本人について 語っている事 は 寡聞にして 知らない
       しかし 教え説く(聞く)  修行者 が 日本人 であれば、
            そこに( 「 仏教 」 に )   日本人 は “ある”
       大宋国 が ある限りにおいて、 日本 は ある(存在の理由がある)

       人は  「 平等 」 に 起きるゆえに
            「 平等 」 に  外れる  囲い込み は 
         存在の特異性にのみ 存在できる

        ただし 何でもあり  という事が成り立つのが
             「 世間 」 の 特異性である

     Su.883・884・885 ( 中村元 訳 岩波文庫 「 ブッダのことば 」 )

    883 或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の<道の人>は同一の事をを語らないのであろうか?
    884 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。
    885 みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異なった真理を説くのであろうか? かれは多くの種々異なった真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?

    886 世の中には、多くの異なった真理が永久に存在しているのではない。ただ永久のものだと想像しているだけである。かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考研を行って、「(わが説は)真理である」「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。

      わたしが パスポート を 持って 外国に入国すれば
         わたしは 日本人としてある
      其処に 於いて、 彼の地の人と 語り合う時
         わたしは  「 平等 」 の 見地から 話しをする
      そこにおいて  “わたし” は 存在せず
          ( わたしと言う ) 日本人も存在しない

        しかし  「 平等 」 を 離れることが出来てしまう人には
         “わたし” も “日本人” も 存在させることが出来る

      わたしが  日本人 という時  には
      わたしは   日本人 から 離れている

        ただし 差別(シャベツ) の 尺度   を  語る時
            そこに 日本人 という 差別語 が 使われる

        分からないように 綴る 、、、、

        一番大事なこと を   「 秘密 」 ・ 「 真言 」 ・
         「密教 」  と 言う

    • ぎんた より:

      ああああやっぱりだめだーーー、うっすらとしかわかんにゃいぃぃぃぃ~、
      文章読んで、ふむふむなるほどそうでしょうねぇ、、とは思えるけど、それを要約して家族に
      伝えるができない。ニュアンスが変わっちゃっても良くないし、、、、、家族に直接読んでもらお
      (初めてのパターンだな、、)

      ~~~~~~読んで貰った~~~~~~

      家族「あのさー、仏教(または宗教)というのは、すべての人々を(まだ字が読めないような人も)
       幸せにするもんでしょ? だから、言ってる意味がみんなにわからなきゃ駄目じゃん、
       難しいこと言って悦に入ってたら、学者の遊びと一緒だろ!!!俺は関わり合いたくないね。
       勝手にやってろ!!」
      ぎんた「あ、春間さんは別に悦に入ってはないと思うけど、それは心の中のことだから証明はできないし
       春間さんが悦に入っているという世界を自分で作り出してるというか選び取っているわけで、、、」
      家族「はぁ~~~~~~~~、そうじゃねーよ、絶対自慢してんだよ!あと、それを【ヘリクツ】って
       言うんだよ!大多数の人がそう思ったならそっちが真実だろ?言葉ってそーゆーもんじゃん」
      ぎんた「、、、あー、ちょ、ちょっとメモ取らせて(春間さんに返事しないと)」

      ~~~独りでメモを取るぎんたの心の中~~~

      なんだ?あれは?純陀きゅんか?ぎんたの想像の純陀きゅんより、圧倒的に不快だが、実際はこんなキツいの?それかこれは誰かの気持ち?えと、、、今回は春間さんがブッダ役で純陀きゅんが家族で、
      第三者の誰か?ストレスが半端ない、やだなあ、、対峙するふたりを見てるのが厭すぎる。
      、、、、、胃が痛たいよう、、、、、いくら全部決まってると思ってもむり、、、、

      ふたりを見てるの、ねこ、テレビでテニスの試合を観戦する猫、みたいに左右交互に見てればいいと
      思ってたのに。全然違った。てか【ヘリクツ】が辛すぎて瀕死過ぎる。なにか助けが、、、えと、
      こ、こんな厭な気分に合う曲は、、、

      ……ったらめったらMADなメンタル…..ぎゃーーーまちがえたーーーーーー
      俺お前のドッペルゲンガー!! 「のびしろ」に変更!遅ーいぃぃぃ

      びえーーんと泣いてるバナナの猫ミームがぴったり過ぎる。作ってくれた人が神の仕事すぎ。

       

  3.  春間 則廣  より:

    俺が (正しいとすること)理解できること が  真実  だ

        それが 本当に大切なこと なら

      俺に分かるように 言ってみろ ( 分からせてみろ )

      俺が理解できなければ 真実であろうと なかろうと

       そんなことは どうでもよいことだ

              ・・・・・・・・・・・・

    > 大多数の人がそう思ったならそっちが真実だろ?言葉ってそーゆーもんじゃん

          言葉 だけなら   そう 言う こと     でもよい
        ( 行ない となると  そう 言う 具合には  行かない )

        大多数の人 が  “戦・争い” に 異議を唱えなければ
          それは 正しいこと ?
     
      人殺しは 大多数の人 が 悪いことだと   思っている(認めている)

      死刑 で 人殺しをすることを ( 日本の ) 大多数の人 は
     
         “許容して、正しいこと”  と している

         理由さえ あれば( 納得できれば ) 人殺しは 正当なことである

       ( 日本の ) 大多数 は それが
       “ 本当なこと ・ 正当なこと ” だとしている

            理由なく 人を殺す 人殺しはいない

         あなたが認める理由    が・さえ  あれば
         人殺しは 正しいこと

      人によって 人殺しは 正しかったり  誤っていた 「 理 」

         “理”由 の 正当性  は  あなたにかかっている

              ・・・・・・・・・・・・

       つべこべ 言う前 に 分からせてみろ

          ( そうしたら  わかってやる )

    • ぎんた より:

      あー、「俺は関わり合いたくないね」といって直接話さないのが、俺流「争わない」のかたち
      みたいです。。。

      人間が殺し合うのは、動物だったときにそうだからです。
      戦争になるのは、前世で戦争してたからです。

      「頭のいい人」が自分の好きなように戦争を起こしている訳ではないです。
      今回の地球でその役を振られているから、真面目にやってるだけです。それを知ってるから
      堂々とやってるだけです。

  4.  春間 則廣  より:

    *

    > 人間が殺し合うのは、動物だったときにそうだからです。

     「 殺す 」 ということは 人(人間)間 の 概念です

      人 以外の
      「 有情 」 は 殺す という概念 に 生きてはいません

      ただし 動き続けようとする“ 行い ” は

          必ず 動きを伴って います

        ( 静止 を 否定しています )

      「 命 」 が 止まる時 生・死 が 起きるわけです

    > 戦争になるのは、前世で戦争してたからです。

      あなたは どのようにして “前世” を 知る・知った のですか ?

      “ 前世の行い ”  で    戦争して・戦いの中 で
      “ 殺し合った ” という  事実  は 確かな事 ですか ?

       もう一つ お聞きします

       「 死 」 とは どのような概念ですか ?

    人(釈迦牟尼) は  “ 永遠の 「 生 」” について 語ります

       その “ 「 永遠 」 ”  が  死ぬ時 とは 
           どういうことですか  ?

         ( 概念 が 死ぬ  のみ です )

      牟尼 が 生きていようと  あなた には 関係がない ??

        生きている者  にしか 生きている者  には 出会うことが出来ない

        「 永遠 」 の  「 生 」  に  出会うには
        「 永遠 」 の  「 生 」  を  知らなければ
         その 「 生 」  に      出会おうと 認識できない

       あなたが 認識できないこと    は
           ( あなたにとっては )  “死んでいる”

       あなたが 自らの 「 生 」 を 実感するとき

          その“ 実 感 ” のみが  あなたの生  です

       何に  “感” “動” して 心を動かしていますか ?

        おいしいモノを 食して( 殺した結果として )  
        感動する  ( 命を止めたこと に 感動する )

    あなたの命 が
     止めた命  は あなたの中で どのように “ 動きますか ? ”

    “どのように 動かすか”  が “ 認識上のこと ” であり
                         ↓
         “ それ ” は  “動きの 認識上の一つ” に 過ぎない

       動かしている  のではなく   動かされている

       殺し合っている のは   あなたの認識に過ぎない
      ( あなたの認識  は  “ 死んでいるがごとし ” )

    • ぎんた より:

      くぅ、、、、長い、、、、

      >あなたは どのようにして “前世” を 知る・知った のですか ?

      でしゅから~、2016年に「君の名は。」ちゅうアニメ映画が公開されたんでしゅけど~、その
      主題歌の「前前前世」てのがすごくヒットして、このヒットはなんというか、ものすごく日本人の
      「的を射た」のではないかとおもって、(やっぱそ~ゆ~ことだったのかぁああああ)と
      ひっそりと納得して「採用~~!!!!」してみた!のが一つ。
      大衆の中に常に真実があるとおもって。

      で、もうひとつは、時期は「前前前世」の前か後か忘れたけど、(あの危険な団体のWeb集会の
      コメ欄読んだらわかるんだけど、もう目が疲れて探せない)あの危険な団体の開祖の妻の「摂受院」
      (現:摂受心院)の伝記?『かっぽうぎの法母』を読んだ時に、猫に「来世人間に生まれたら、
      精進するんだよ」と話しかけてたから、やっぱそういうシステムなんよねと?おもって。

      あと、これはもっとずーーーーーーっと全然昔なんだけれど、宮本輝の『春の夢』だったかな?
      読んだ時に、これは登場人物というより作者の思想かなとおもうけれど、前世がないとおかしい、
      だか、人間に差が付いていることに説明がつかない、だか言ってるシーンがあって、
      (そうだよね~)と思って、主人公が友達に「お前法華経とか言ってるけどそれ唱えてんの?
      やってない?じゃ、だめじゃん」みたいなこと言ってて、(ふふ~~ん、私ちゃんと読経してるもん!)
      と嬉しくって、それをずーーーーーーーーーーーーっと抱えたまま生きてるので、やっぱり
      前世あるね!!て感じでやっていこうと決めているから、です。

      いっこずつ書きます。

      • ぎんた より:

        てか、こーゆーこんまいのをちくむく拾い集め続けて、強化していったわけだけれど、上の3個は
        簡単に書ける上位3個で、他のヤツは複雑ではないけど、長くなるから面倒なんよ。。。

        あ、一個簡単めなの思い出した!

        「上野千鶴子がどっかの新聞の学生とのやりとりの中で言ってたから、東大を束ねる人が
         言ってんなら、いよいよありじゃね?」と思ったからーーーーーー

        新聞切り抜いたけど、どの辺りにあるか探すのが、、、、無理すぎなのです。。。
        年代的には、東大の新入生への挨拶がバズったよりあとの、朝日?かな?たぶん。

    •  春間 則廣  より:

        あなた 宛て(返答)  ではありますが

         至極当然 のこと   として

         これらを読む、  管理人エム 様
         「 他 」     に あてているのでもあります

        まあ

         その 内 に 考える人 は  “  ひとりふたり ”

         
         内(心の中)のことではなく、 関心外の事

        真理に至る道 を  誰でも歩んではいるが

           それは 「 勝義 」 における  解釈

         異義 さえ持たぬ  自己に律儀な  「 他 」

        誰でも 涅槃に入ることが出来るのであれば

          “ ええじゃない かっ  ええじゃないか ”

      • ぎんた より:

        >その 内 に 考える人 は  “  ひとりふたり ”

        どうして、ひとりふたりと思うのですか?根拠はありましか?

        あ、そうそう「前世がないと証明されてないから」と思ったこともあった!

        あと、朝一で家族が、東洋経済オンラインの、小幡績慶應義塾大学大学院教授の
         参政党の「日本人ファースト」よりもすべての有権者に響く、「まともな政党」が次の選挙で導入すべき  「政策キャッチコピー」と「経済政策」を提言する
        ていう記事をお勧めしてきて、読んでて、ぎんたには手に負えなくて、途中で???がいっぱいに
        なってきて、でも、神でほとけだし、さ、最期の競馬のとこがもしかぎんたに重要かもしれず、
        とにかく文章が難しくって、、、、

        びぇーーーーーんとバナナ被って泣く猫ミームに、、、、

        ギガがたりないよーーぅ

        • o より:

          ぎんた様、小幡論、ざっと読みました。

          かなり単純化した話ですね。例えば、

          > 参政党なら、神谷宗幣代表が群衆の前で「日本人ファースト!」「1、2、参政党!」と叫べばそれでいいのである。

          そうではないでしょう。結構、よく分析してて矛盾した民意に沿った主張しているように思われます。主張は矛盾してて実現く可能でもそれぞれの主張に賛同してもらえば、投票してもらえるというかんじに思えます。トランプの選挙戦略と同じですね。

          しかし、小幡のこの部分はキャッチコピーが重要だと言いたいための前フリですね。なので、その姑息な単純化は目をつぶるとして、ではどのようなキャッチコピーがいいかというと「物価を下げる」「賃金を上げる」を意味するよりコピーとして洗練されたものがいいと小幡は言ってます。

          私はコピーだけで勝てるなんてとても無理だと思いますが、それも措いて、ではどのような政策を小幡が提言されているかというと、要はアベノミクス停止ですね。物価を下げる、賃金を上げる、円安を止める,「物価と賃金の好循環」という間違いを捨てるということです。

          この小幡の主張もコピー、スローガンみたいなものだから何でもいいのかもしれないのですが、本当にそれなら無理でしょう。

          アベノミクスは物価を上げ、賃金を据え置き、円安を招くことで、労働コストを下げて経済競争に勝つことと、円安によって国の借金をへらすこと目指していたと思います。

          それで企業はある程度回復した、証券も高騰だけど、賃金を据え置きなので民衆は苦しいという政策のように思います。

          それを反転するかんじなので、今度はまたデフレになり、民衆はまあまあですが、企業は厳しく雇用もより減ると思われます。

          > 20世紀はケインズ経済学に象徴されるように、需要不足の経済であった。その中で、需要をどうやって生み出し、失業を減らすか、ということであった。21世紀は、供給不足の経済である。どのようにして、効率よく必需品を生産し、生活コストを引き下げ、余裕をもってそのほかの経済生活を送るか、に変わっているのである。
          という小幡論は結構妥当だと思います。しかし、もう一歩進めて来るべきで、AI・自動化時代に持続可能で包摂的な経済社会を実現するため、国際協調・ベーシックインカム・環境保護を結合した制度設計を提示する政策、つまり「経済競争力回復」ではなく、「ポスト資本主義社会のモデル」を先取りする政策の提示が現実的だと思います。
          なので、私的にはちょっと古いかんじです。
          トランプ、参政党などの現象を説明するにはアンジェラ・ネイグル『普通の奴らは皆殺し インターネット文化戦争』を読んで腑に落ちました、要はもてない男の反動で、それがフェミやグローバリズム、DEI などへの反体制的姿勢が人種差別や陰謀論であっても「刺激的でクール」と評価されていることが大きいと思います。
          昔バンド・カステラが歌ってた「頭の悪いヤツが政治の歌ばかり歌ってる」ってかんじですね。
          政治的反体制的姿勢がよく思えるらしいのがダメっすねと。
          これとネイグルが指摘していたトランパーなどオルト・ライトの本質はもてない不満というのが、全く同じようなかんじに思えるですよね。もてなくて不満なのが根本だけど、そのままじゃカッコつかないから政治的ポーズとるかんじだと思います。もちろん、食えないとかも重要ですが。

          これに加えてぎんた様が前にあげていた『チ』の原作者魚豊の『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』が結構参考になるんじゃないかと思います。

           ちなみに『チ』でヨレンタの言う

          「確かに真理を盾に暴力は加速し得る。もしかしたら私は地動説という権威を盲信し部下は思考停止で従っているだけかも。さらに悲しいことにある種それは必然で、つまり何かを前提にしないと論理を立てられない人間理性の本質的限界として、思考すると常に何らかの前提が成り立ち、それはいつしか権威となる。誰もその枠組みからは出られないのかもしれない。そういう状況下で駆動した情熱が暴走ともいえる軌跡を経て時には美しい偉業を、時には醜い悲劇を生む」

          というこれはセム思想の限界を示していると思われます。

          やはり、縁起・空性・仮設に基づく仏教はそこらへん、ずっと分かってて素晴らしいです。この点、巧く説明したいと思っていたのですが、巧くできず、ここは mani 先生に解説していただくのがいいかなと思います。

          • o より:

            ツメツメで読みにくくて失礼しました。

          • ぎんた より:

            oさん、ありがとうございます!!
            小幡績慶應義塾大学大学院教授の文章読んで下さって、新たな情報も頂きました!!!!

            家族がこの文章を勧めて来た理由は、もちろん「反参政党」だからだと思います。
            「こーゆーやり口なんだよ」みたいないつもの感じです。でも、ぎんたにとっては
            「神でほとけ」なので、頑張って読みましたが難しかったです。

            我が家は、低学歴カップルでして、最初にトランプが当選したとき、とてもびっくりしました。
            新聞を読んでいる限りでは、ぜったい当選しなそうだったからです。でもでもでもですね、
            ぎんた、BSかなんかのニュースを選挙当日の2.3日前に見たとき、トランプ支持者が映っていて、
            その場の熱量が半端ないのと、みんな、兎に角真剣そのもので。(はっ!!!)としました。
            (あ、もしかしてこれ優勢?勝つでしょ)て思いました。ぎりぎり2.3日前になって。
            でも、その後も、びくびくしてました。トランプが大統領になったら世界がたいへんなことに!
            と、よく新聞とテレビのニュースをチェックしました。
            でも、実際心配するようなことは、なぁあああああああああんにも起きなかったです。で、
            ふたりで「もしかしてトランプって戦争嫌いなんじゃないかな?」「ホテル経営とかだと、
            戦争してるより平和なほうがいいんじゃない?」とか言い合っていました。で、バイデンに
            変わったら、一気に紛争やら起きてきて、やっぱそうだったんだねーーー。と思いました。

            途中コロナになった時に、ぎんた、カイロプラクティックの先生のとこで結構前に読んだ、
            『精神科は今日も、やりたい放題』 内海聡著(2012年の本)を思い出しました。冒頭から
            センセーショナルな本で、実際薬を抜くとこらへんは難しかったけど、わかるとこだけ
            楽しく読んでて。彼が24年に都知事選に立候補したとき、テレビと新聞て、ものすごく
            「自然な感じで」内海聡・安野貴博候補の名前と画像を出しませんでした。少なくとも
            ぎんたにはそう思えました。小池百合子、石丸伸二、蓮舫、清水国明他てな感じで、
            まあ、政治未経験なタレント候補の一部として省略されまくっていました。
            そうこうしているうちに、トランプが再選されましたが、今回は「新聞を見て」彼が勝つだろう
            と最初から思っていました。

            ぎんた、新聞面白くって大好きです!色々な大学教授や作家が寄稿してます。もちろん
            文章の感じの相性はあると思います。今は東京新聞なんですが本音のコラムに注目してます。
            あと、最近では、8月10日の4面、時代を読む「悪に惹かれる」内田樹神戸女学院大学名誉教授・
            凱風館館長の文章が楽しかったです。
            家族は「東京人権カルト新聞」「東京ホラー新聞」なんていうけど、ぎんたはそれに、
            「これは東京新聞だ!!!!!」言って対立しています。で、なんで今日こんなこと書いたかと
            いうと、oさんの長文に報いたいのが一番。あとはぎんたはいつも新聞やxで大学教授の文章
            読むのに、向こうはぎんたの文章・現状を知らないとなると、なんか、ぎんたがズルしてる
            みたいな気がしてよくないな、と思ったからです。自分がスパイみたいになるから。

            あと、やっと春間さんがいってることわかった!!あのね、日本人は今は日本列島で
            日本人やってますが、中身は中国人なんです。紫式部は中身が中国人男性だったから、
            あんなに漢詩が得意だったのよーーーぅ!!なんで「光る君へ」みてて気付かないかな
            自分!!だからね、そこを意識した場合には今日本に来ている「外国人」の人種が一個
            お隣へズレていくわけで。。。
            でも、神でほとけの国だから、「騙す」「不正」はダメ、ゼッタイ!!だって、
            アメリカのどっかの州みたく、「万引きしても、何ドル以下なら罪に問わない」とかしたら
            一気に治安悪くなるから、不正はダメでしょ?

            なので、今我々がやることは~~~、中国の国家総動員法が発令された気分になって、
            それぞれがそれぞれの場所で一番いいかな、ということをやって、あの、何?ネットで、
            というかx民?というかが大好きなあれよ、キングダムの大沢たかおにご満足いただけるように
            頑張ると。

            すると、次回の地球で「今度自分達側はこんなふうに動くのね?」というのを
            見せてあげることができると。。。相手の為に。自利利他円満てやつ?

            もう、、なにがなにやら!

            あ、で、ここが東京S区第二支部てことになるん?

          • o より:

            ぎんた様、

             なんと言えばいいか分かりません。

            『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』を読めば、トランプ、参政党支持者の気持ちが分かると思います。

            これだけ言えばよかったかなと、反省。

            ではでは。

          • ぎんた より:

            oさん!小幡教授のコラムは、色々考えて、やはり「競馬」の部分を使うことにしました。

            読み返してないのでうろ覚えですが、欧州の競馬は「駆け引き」がメインで全力疾走
            している時間が短い、アメリカの競馬はほぼ全力疾走、、みたいなの読んで、ぎんたは
            「駆け引き」苦手だから、ろばさんに乗って、マイペースにぽくぽく歩くのが正解だな。
            「自分の気持ち」しか確かなモノがなくて、相手の気持ちや行動なんてとても計算に入れられ
            ないや、ということです。

            あと、ヨレンタさんのセリフをあげてもらったので、付け足すと、美しい偉業と見る人が
            いる時、同じモノを見て、醜い悲劇と見る人もゼッタイに発生する。ぎんたはそこに
            喜劇なのに悲しいとかもあり得ると思い、どれがくるかわからないけど、わからないから
            面白いと思います。
            で、実はぎんたギャンブルは嫌いじゃないです。人生なんてギャンブルさ、という感じです。
            猫だけど。

            あと、思ったのは、競馬って、馬主さん(←大金持ちの神でほとけ)は儲かるけど、
            馬本人はまあ、ご飯とブラッシングぐらいしか受け取れないですねぇ。でも、楽しく走れれば
            きっと楽しいよ。すると、ぎんたの想定する「勝つ」とは馬主さんを大喜びさせること?
            馬主さんは来世馬かもだし、輝かしい来世をプレゼント~

          • ぎんた より:

            あ、なぜ馬主さんが来世馬かというと、「馬主」という言霊が影響するからです。
            「言霊」というのはなかなか強力です。
            競走馬を大切にすることは、来世の自分を大切にすることだとおもいます。

          • o より:

            ぎんた様、

             ヨレンタの言葉で、何が伝えたかったかというと、何か正しいと思って突き進むと暴力的になり最終的に悪役だったと気づくこともある、ノヴァクのようにということです。

            ではでは

          • ぎんた より:

            あ!ありがとうございます~~~

            そこはですね、かなり前から意識していて!!昔アニメで見ていた
            「海のトリトン」の原作小説?をどこかのタイミングで読んだ時に、
            結局、トリトン側のほうが元凶だったことを知ってショックを受けた
            という経験がありまして、ぎんたはそれがすっごい恐怖として心に
            刻まれてて。今回もたぶんそういう構図なんでしょうねぇ、、、としながらも
            まあ、「平等」ですからそっちが自分でもいいわけですよ。
            なににも執着しないならば、、、、。先生もどこかのタイミングで
            仏教はそこが弱いところで的なニュアンスのことを仰っていたと思います。

            ノヴァク見たときは、「それな!」と思いました。たしか、アニメ観た
            海外の人が「悪役なのに、悪く思えないのはどうしたことだ!!」
            (うろ覚え)みたいな感想を言ってたかと思うのですが、そこんとこを
            掘り下げた小説→アニメ観たらもっと理解出来ると思います。
            あ、それが『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』なのかな?

            漫画、最近は目が疲れちゃうから読んでなくて、まあ、ヒットすれば
            いずれネトフリに来るから、その時見ればいいか、と思ってます。
            すると、なんというのかな、「人に先んじよう」とするならば、
            最新の小説や専門書とか、広範囲でチェックするのが正解だと思うけれど、
            ぎんた「最弱」「最遅」「最愚」「最鈍」でやるので、てか
            猫だから見てるだけなんで(見せてもらったからには、次回の地球で
            頑張る)今やることが特に浮かばないです。

            あ、昔観た「一休さん」てアニメ、「屏風の虎を捕まえることを
            お望みでしたら先ず、屏風から追い出してください」を急に思い出しました。
            昔は夜7時台の番組はみんな子ども向けでしたね。。。

            あのー、イエスの前世がお釈迦様で、オッケーですよね?
            で、お釈迦様を食事に招いた遊女が純陀→空海でおけですか?

            あ、最新刊の『聖☆おにいさん』に「奥の院」を恐れるブッダが描かれて
            いたのを、xかなんかでちらっと見たのですが、もっかい探したけど
            見つけられなかった。

        •  春間 則廣  より:

          >  >その 内 に 考える人 は  “  ひとりふたり ”

          > どうして、ひとりふたりと思うのですか?根拠はありましか?

            あなたが一人  あなたと認める (わたし が 一人)

             これを読む “あなた” とは  あなたとわたし

               あなた以外が読んでも      あなたの “外” のこと
            ( あなたの “内” の 問題です )

             わたしは これを読む( 読み返す )  
           わたし以外が 読んでも
            わたしが 読まなければ( 読み返さなければ )
            わたしには  意味がない( ことを ここに 記している )

             あなたが読んだように  わたしが読むとき
               あなたには わたしの読み方が伝わっている

            ( そのように読むことを わたしは わたしに 望んでいる )

              「 無我 」 に関して 併せ読むことができるのは
                 わたしであるけれど
             もう一人 それをしる人がいない限り
                 わたしには 意味が起きない
            意味 というモノは 伝え合うことにより 起きる

              あなたに 伝わらないからと言って
             読む “あなた”  とは 読むすべての人 一人( 一人一人 )

            “ ひとりひとり ” とは      一人が重なっていて
              ( 二人 であるとも言える )

             ひとりでに 分かってくることを 期すが
               記すことによって 読むあなたの 読み方 は 固定できない

             たとえ 分かったことでも 分かったことを 実行しなければ 
               分からない のと  “ 寸分違わない ”

               行っていること  とは     “ 分かり切ったこと ” で
            “ 今更 分かる要がないこと”

           行ないに移さざるを得ない と 分かると  行う
           行う必要がない  と 分かると   行わない
              必要があるけれど 行えない      のではなく
             する必要がないとき 不必要ないことは  行われない

             やっていることの意味を知らずとも
              行ないは ( 必ず )  「 果 」 を 生む
            やらない という 行い   を  選択しているとき  
             しない から 無 「 果 」  が  生れる
              ( 無果 の 果実の味は ム カ な ? )  

             何が 記されているかを 考える時
               ( 必ず ) 期されている 果実を受け取ることが適う
           あなたとわたし が 一体となれば   「 果 」 は 消え去る

             ワカル カ  ナ ?
               ( カハ ナラナイカナ ?  カワラナイ カナ ? )

             中国語( 漢文 )  は  このような読み方 が 出来るように作られている

              漢訳経典 は  この点に注意して 読み進めなければならない

            そこには  行ないに移す必要がないこと  が 満載 である

            しかし  ( たとえ読んだ 「 果 」 であろうと )

                  味わい深い 「 善果 」   である

              味わう という 行ないの  「 果 」   とも言える

    • ぎんた より:

      “ 前世の行い ”  で    戦争して・戦いの中 で
        “ 殺し合った ” という  事実  は 確かな事 ですか ?

      取り敢えず、これは今現在、戦地で戦ってる人がいるわけで。
      現在、現代?この地球は、過去に、一個前の地球でなにが起こったのかを、みんなで手分けして
      再現している最中なんだから、今あることは過去にもあったと思う!

      >「 死 」 とは どのような概念ですか ?

      これも、ムズすぎて泣く、。
      え~~~一匹の猫がいますね、老師に首根っこ掴まれて「痛ってーーーー」てなりました、
      その時に、子猫の身体から魂?意識?心?が抜けますね、で地球の重力から離れてニャントロ星に
      帰還しますね、で、また地球に子猫として降臨してくるんですが、その時には前回子猫だった時の
      ことは忘れて「ママーーーミルクーーぴーーーーーーー」となるので、死は意識されないですね。

      でも、人間のほうは冷たくなった魂の入れ物だった子猫の身体を見るので、「死んだ」てなると
      思います。

      • ぎんた より:

        あーー、わかりましたわかりました。

        あのでしゅね、なぜ春間さんの質問に答えないといけないのに、文章が作れないか。
        春間さんがもうすでに自分の中に答えを持っているのに、それに合わせて答えるてのが
        猫にはもう絶対的に不可能なんでしゅね、自分がやりたいようにしか行動出来ないっていうかー

        で、兎に角!!「人間はその存在が神でほとけで、身体は幽霊と宇宙人の入れ物だ!!」

        いまのところ、こんな感じでよろしくです。

        安部公房の『人間そっくり』読み始めたら、火星人の話でした。

  5. カエル より:

    「これ」は苦である
    「これ」は苦の原因である

    「もろもろの法は原因から生じる。如来はそれらの原因を説きたもうた。」

    苦の原因に到達するのは輪廻を遡る智慧が必要で容易ではない。
    こっから先は人それぞれでいいのではないかな

    • ぎんた より:

      >こっから先は人それぞれでいいのではないかな

      カエルさん!そうなんですそうなんです!
      地球始まってから、いままでみんなでこんな感じでやってきたよね?というのを総括して、
      こんな感じで展開してきたけど、これからはどうする?自分で考えて選び取っていってね。
      みたいな。それを、地球、国家、組織(宗教)、家族、個人でもやってみてねと。

      • カエル より:

        ぎんた様、こんにちは

        個人個人で考えるのがいいですね。
        宗教でもどんな集団でも思想を統一すると
        内外で暴力が発生する

        その点、釈尊のサンガはダイバダッタが別の道を行こうと殺し合うわけではない。

        とても良いですね。

    • ぎんた より:

      だからね、アヘン戦争のアヘンの被害者が、今アメリカでフェンタニル被害者で(中身が清の人)、
      本当はイギリス行かないとなんだけど、国土の広さが違いすぎるので物理的に自然なアメリカに行って。

      だから、日本の原爆被害者の人はアメリカに行かないとなんだけれど、やはり国土の違いがあるので
      一番自然なイギリスに行くの。島だし、王室あるし。あ、イギリスが出てきたのは、ネトフリで
      「28日後」のシリーズを観たからです。

      と、止めたい。。。

  6.  春間 則廣  より:

    > ************

    アヘン戦争のアヘンの被害者が、今アメリカでフェンタニル被害者で(中身が清の人)、
    本当はイギリス行かないとなんだけど、国土の広さが違いすぎるので物理的に自然なアメリカに行って。

    だから、日本の原爆被害者の人はアメリカに行かないとなんだけれど、やはり国土の違いがあるので
    一番自然なイギリスに行くの。

    > ************

      阿片の被害者 は 清の人  ではないですよ
        ( あなた・あなたの認識 が 加害者である )

        加害者 は   主 に 英国在住 の ユダヤ人
      ( 英国東インド会社・ジャーディン・マセソン・ホールディングス )
         「 香港上海銀行(HSBC) 」

       香港一 の 大通り の名 は ネイザンロード(ロスチャイルド通り)

    百万ドルの夜景 を 支える 電力会社 の 株主 は 中国政府 と
    ロスチャイルド の 代理人 だった 李嘉誠   「香港電燈」
    https://ja.wikipedia.org/wiki/CLP%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9
       ネイザンロードの角に 彼の経営のホテル ペニンシュラ
         その迎の角に シェラトンホテル  ちょっと西に YMCA(ホテル)

       今 トランプ が (表立って)戦う ユダヤ資本 が ロスチャイルド系列

            ことは (相互に入り組んで) 複雑なのです !!

       ちなみに、 わたしの(たった一人の)友達 は
     英国ロスチャイルドの本家 ・ 李嘉誠  それぞれの息子とその後継者   
     その他 東南アジアの8名の財閥の当主と息子 と 共に
       ECの 10日間 旅行を共にしています
     ( 彼らが 東南アジア経済を支えています )

       すべて(100%) ロンドンロスチャイルド家 の 招待旅行

       それらのことから 何をくみ取るか  は  あなたの認識上の問題

        ことは ( 仏教 解釈! と 同じように ) 複雑なのです !!

          (  「 真理 」 さえ知れれば ことは 明快  )

       あなたにとって      明快で明確なこと は わたしには 
            不明確 !!  なことである (これは明確である)

     
       「 縁起 」 を  知るとき
         物事   は  隠されていた  姿を露わにする

    • ぎんた より:

      わーーーーん、複雑すぎてなんにもくみ取れないーーーー全然頭に入っていかないよう(T-T)
      ねこ、人間会ったことがある、ないくらいしかわからないんだよぅ

      バナナ猫ミームで泣くしかない。

      あの危険な団体って「悲しき涙は汚らわしき涙と心得るべきうんぬん」(←うろ覚え)
      とか教書に書いてあって、よく泣くすぐ泣くぎんたはすごく嫌だったんですけど、ある時
      「涙を流すとその後1週間のストレスを軽減する」だかの情報を平成のどこかで入手しまして。
      ぎんたの目がギラッとした瞬間です。

      あ、家族がですね、ぎんたが泣くと「涙でごまかそうとしている。」と言っていて。
      ぎんた涙全然コントロール出来なくて、泣きたくなくて反論したいときに出てきて、喋れなくなるから
      悔しいのと、「涙がコントロール出来ない」を信じて貰えないのが悔しい。

      早く京極夏彦が書いたあの危険な団体の顛末本で、心臓止まるほどのショックを与えたい!
      「鈍器本」とかいうんでしょ?凶器なんだよね?中身は真言だか民俗学だか経典だか論文だか
      社会学とか歴史、哲学、科学、イヤミスてんこ盛りでとってもお得!!一家に一冊!!
      『窓ぎわのトットちゃん』を上回って欲しい。
         ↑
      この展開を希望するので、あの団体は潰れてください。そうじゃないと書いて貰えないでしょ?

      それによって、開祖が言ってた「立教100年続いたら永遠に残る」になるわけで。。。
      鈍器本の中でみんな永遠に生きていく、と。忘れないように読み継がないと、まーた脳天気な人が
      いつか新しい仏教教団とか始めちゃうんで、ほんと、頼むよ。地中に隠没とかならないように。
      (あれ?経典て日本で書かれたやつってあるのかな?)

      あ、最近は家族と議論してもさっぱり涙はでません。なぜだろう?でも、聴くといつも涙ぐむ曲はある。
      ラストソングに決めてる曲。

      椎名林檎の「NIPPON」

      もちろん日本が他の民族よりも特別に優れている、ということではないですよ。
      どの国も等しく尊いという信念を持ち続ける。

      あ、あとさ、お釈迦様ってもう仏教界隈にはいなくない?留まってるとは思えない。
      優秀なユダヤ人とかだと思います。自分で気付いてないかもしれないぬん。

    • ショーシャンク より:

      >>だからね、アヘン戦争のアヘンの被害者が、今アメリカでフェンタニル被害者で(中身が清の人)

      >阿片の被害者 は 清の人  ではないですよ
          ( あなた・あなたの認識 が 加害者である )

      何を言ってるんでしょうね。
      阿片の被害者は清の人ですよ。
      阿片の被害者も阿片戦争の被害者も清という国であり清の民衆です。
      この点において、ぎんたさんの言うことに間違いはないですね。

      『阿片の被害者 は 清の人  ではないですよ』と断言し、
      ぎんたさんに対して『あなた・あなたの認識 が 加害者である 』とまで言うのであれば
      歴史的根拠を示して、阿片の被害者が清の人ではなく本当は誰だと思っているのか、自分の意見をはっきりと言うべきでしょうね。

      • ぎんた より:

        ショーシャンクさん!!!ああありがとうございます!!!

        ぎんたは春間さんの文章がとにかくわからなくて、わからないところはスルーするしかないので
        ほっといたんですが、(猫と老師だと言葉通じないの)やっとわかりました!!!!

        えーーーっとですね、フェンタニルの被害者の「中身」が「アヘン中毒の清の民衆」だとすると、
        その清の人の中身はまた別の国の人ってことになるので、表現が足りないということだと思います。

        あと、それを延々と辿っていくともうなんだか、すごい大変で、ヤバそうでもあるし、
        歴史学者じゃないとなのです。でも「私な仏教」だったら、中の人はなにかの動物で、
        人間の犠牲になって死んだんだから、ご褒美として人間になって幸せに生きていく価値があるし
        絶対にそうなる!!!と決めさえすれば神でほとけなんだから大丈夫!もしなにか理不尽なことが
        あっても冷静に倫理的・道徳的・理知的に神業レベルに対応していける。ということ
        なんです。もちろん他の人(←神でほとけ)の助けも借りて。

        ところで、ショーシャンクさん!!あの危険な団体の危険さをお話ししていて、まだ途中
        だったんです!前話してた場所に行かないとだから探さなきゃなーと思っていたので
        大変に助かりました!!お話させてください!!あ、これからお昼ご飯用意しないと
        なので午後に。

        タイトルだけ先に、、、

        「山○証券と鑑定接心」です!!

        • ショーシャンク より:

          ぎんたさん、こんにちは。

          「山○証券と鑑定接心」ですか。面白そうですね。是非、聞かせてください。

          今回、横レスしてしまったのは、
          春間さんの『あなた・あなたの認識 が 加害者である』というような根拠もなくわけのわからない言葉をぶつけられると、メンタル的に嫌な感じを受ける人もいるのではないかと思ったからです。

          ぎんたさんの家族の人が春間さんの文章から受けた感想は当たっていると思いますよ。
          気がついていないのが本人だけということですね。

          • ぎんた より:

            お待たせしました。

             私があの危険な団体に行きだしたのは1995年です。「法要」の日に「帰苑」すると、
            法要の後に一般信徒の(事務局員と区別した意味)プルーフという体験談の発表がありました。
            持ち時間は決まっているのでしょうが、人生の全部くらいの苦労話を語る人もいますし、
            ピンポイントな体験を語る人もいて面白く聴きました。話す人が涙ぐめば、私も泣いていたと
            思います。

            で、問題のプルーフは、若い社会人の男性のものです。
            彼は、就職活動の末、二つの証券会社から内定を頂いたそうです。ひとつは聞けばだれもが
            知る証券会社、もうひとつが、人に言ってもそんなに知っている人がいないかもな、
            という会社。
            普通ならそこで迷わず大会社に行くわけで、自分もそうしようと思っていたのですけれど、
            なんとな~く、(まあ、念のため、一生のことだし)と鑑定接心を頂いたそうです。
            (接心に対する信頼がめちゃ高いんだな~、、、ということはいつも接心に助けられている
            という実感があるんでしょうねぇ、、、と思いながら聞いていました)
            そうしたら、ご霊言は

            「、、、A社ですと、、ちょっと、、先が見えません、、、、(道がついていないというか)
             B社にされてはいかがでしょう?」という内容で、ちょっと自分もびっくりしたんですけれど、
             それならばとB社に決めました。そうしたら、入社前にA社は破綻してしまったんです。

            (どよめくご法前、、そこにいるみんなが山○だってわかったわけですよ)

             ね、ヤバすぎるでしょ?私もまだその頃は、接心て不思議だな~~~~とか思った
            酷い人間だったんですよ。それが段々と月日を重ねていくうちに、(あれはちょっとどうなの?)
            と思い。

            なるべく短く書くと、これが教団の「仕込み」なら悪質だし、もし、事実ならその
            一億倍やばいんですよ。どっちにしても最悪です。

            これは、私が実際に体験したことなんです。ここは信じて欲しいです。

            あと!真如苑を潰そうと努力されてる同胞の皆様にお願いがあります!!

            「あること、ないこと」ではなく、「あること、あること、あること、あること」で
            お願いします。「ありそうなこと」でもダメです。神でほとけの人々に嘘をついては
            いけません。

            誤字脱字にも注意してください。真如教徒は「筋」親制度ではなく「経」(すじ)親制度です。
            これ間違えちゃうと、もうガセだなと思って、(こいつ真如教徒じゃないな)と判断されます。
            「嫌々通ってる」宗教2世の高校生だからって間違えてはダメです。
            双親様○ 総親様×です。
            また、あそこにある程度の回数通ってる人は、自らを「真如教徒」と言います。けっして
            自分を「信者」とは言いません。これは、開祖の言葉で
            「御利益が欲しいだけの信者ではなくて、しっかり修行して大衆に奉仕する教徒に」という
            (すでにうろ覚え)願いが込められていて、キリスト教徒の奉仕の精神がいいなーと思って
            決めたみたいな感じなのです。
            だから、そこハズしちゃうと文章の真剣さからそこだけ浮いちゃうみたいになるので。。。

            あ、ショーシャンクさん宛なのに最期違う人に語りかけてしまった!
            期待したような凄い話じゃなかったかもしれないのに、タイトルで予告してゴメンナサイ
            いつも助けていただいてありがとうございます。

      •  春間 則廣  より:

        > 歴史的根拠を示して、阿片の被害者が清の人ではなく本当は誰だと思っているのか、自分の意見をはっきりと言うべきでしょうねというも

        歴史 というものは  “ 勝者 ”の “ 為の ” 記録 です

           どのようなこと に おいての   いかなる  “ 価値・勝  ”
               かは
            あなた が 勝者として        決めること

           あなたの認識上 の 被害者  とは  
               何の難 に対しての 被害ですか ?

           「 阿片 」 には      悪はないけれど
             その使用 に対して    悪が起きる
          ( 何故 使用させるか  ・ 何故 使用するか )
                         ↓
           それ に 対する  認識上   の “ 悪が起きる ”

        薬物の害  とは  社会通念上 どのようにして 評価されるのか

           ほとんど すべての  近代までの“麻薬” とは
           ほとんどすべて    宗教上の必須のモノだった

           悪を為す人  に  悪が起き 
           起きた悪  は   起こした人に “ 帰属している ”

            “ 善いこと ” と言う事は  心に悪が なければ
                        「 縁起 」  しない

           心にある悪  が  その心の所有者・支配者  の 悪です

           あなたの心の悪  以外に あなたが対処できることはない

           加害者 とは 被害者  でもある

               カネ に  執着・「 愛 」  する  害
               カネ を 使う  その使い道 の  悪・害(害悪)

         被害を受けている   のは     あなたの心    です
        ( “収受” と言う 事・善悪 が  一つの心の中で  「 縁起 」 する )
                                    ↓          
             授・受  という          心の中 での やりとり

         いくらはっきり言おうと  はっきりした頭 で 聞く限りにおいて

            “そのはっきりさ”  が  事の善悪 を 判断するのみ

           (  はっきりせいや !   セイト聖也 !  )

        • ぎんた より:

          >あなた・あなたの認識 が 加害者である
          これはね、グサッときますが、一瞬だし、摂受心院が「咎は自らにある」とよく言っているし、
          あの危険な団体で鍛えられているし、なにより猫だから平気なんですが!!!!

           >(  はっきりせいや !   セイト聖也 !  )


          これがねー、、、、なんなのーーーーー聖闘士星矢なのかな?  モヤッと。
          グサッとより地味に堪えるの

          • ショーシャンク より:

            ぎんたさん。
            教えていただきありがとうございます。

            就職が大企業に決まっていたのに、鑑定接心でそこより小さな会社にいくことを勧められた人がいたと言うことですね。
            その2年後、その大企業は倒産したので、みんな驚いたということですね。

            私はこの世に霊能力がある人がいるのは認めています。
            当たる占い師がいることも知っています。
            霊能力自体、ある人はあると思っています。
            ごまかしやまやかしの場合がとんでもなく多いことも知っていますが。

            その真如苑の霊能者も本当に霊能がある人なのかもしれません。
            もちろん、A社とB社の二者択一ですから、この場合の確率は50%でたまたまの可能性もありますので、その人の他の鑑定接心の結果も知りたいところですが。

          • ぎんた より:

            あー、書き方が悪くすみません!

            95年からプルーフは聞き始め、彼が何年にプルーフしたかは不明ですが、
            自分がA社を蹴ったその年に破綻したのです。

            その、鑑定の霊能者はわからないんです。

          • ぎんた より:

            唐突ですが、気になってるニュース

            8月15日にトランプとプーチンが「アラスカ」で!!?
            のこたんも1年前にアラスカに漂着してヘラジカになったが???

            ではなくて、、、聖母マリアの被昇天の祭日だって。。。
            マリアさまっっっっっっ!!!!

          • mani より:

            ぎんたさま 面白いお話ありがとう。

            春間さまのことば、わたしは、もしかしてショーシャンクさまよりはわかるかも。

            自分で認識して、そこから意見を持つんだけど、”摂受心院が「咎は自らにある」とよく言ってる”ということなので、認識はよく間違う、ということを思っておくといいですよ、と春間さまのことばを受け取っています。

            たぶん、イギリスが清の国にアヘンを売って戦争が起きたことを言っていると思います。歴史的な事実として習ったことに基づいて語るんだけど、そこにある理解は歴史で習ったことなので基本的に疑わないです。。だけど、疑いが出てくることもあります。。

            ウクライナとロシアが戦争やってて、停戦するかどうか、ロシアとアメリカ(トランプ)が8月のお盆に話をするそうだけど、「え?」みたいに思うのはわたしだけかな。。

            ロシア(プー)とアメリカ(プ)には違う認識の座標軸があるんだな、という感じです。で、

            たとえ、間違っても、「自分の見たもんで語れ、というのが仏教なのです」、と、わたしはそう理解してます。わたしは大乗だからね、どっちかっていうと。
            で、「咎は自らにある」ので、テーラワーダの人は「捨・無関心(ウペッカー)」を選ぶんかな、って思ってます。
            で、大乗だと、すべてを救うから、善いことと思ったことを菩薩はあれこれするんだろう、って思います。

            ロスチャイルドについてはわからんです。

        • ショーシャンク より:

          春間さん。
          くだらない戯れ言はもういいですから、
          『阿片の被害者は清の人ではないですよ』という言葉の歴史的根拠を示してください。

          阿片は清国においても違法であり、特に清国内に持ち込むことや販売は重罪でした。
          イギリスは違法であることを認識していながら、貿易赤字の解消のために、阿片を多量に製造し、清国に持ち込み大量に売りまくりました。
          阿片を清国内に蔓延させたのです。
          その結果、清の民衆の多くの人が経済的破綻や健康面での破綻をきたしました。
          清国が阿片の蔓延を止めようと実力行使した途端、イギリスは戦争を仕掛けました。

          つまり、イギリスという強大な国が、絶大な軍事的圧力を使いながら、違法な阿片を清国の民衆に売りさばき蔓延させたのです。

          あなたが言う『阿片の被害者は清の人ではないですよ』という言葉の歴史的根拠を示してください。

          •  春間 則廣  より:

            >    阿片の被害者 は 清の人  ではないですよ
            >    ( あなた・あなたの認識 が 加害者である )

              ここは  「 仏教 」 の サイト です

                「 仏教 」 に則って 考えることができれば
                  こたえは “ 自ずから ” 出てきます

                「 仏教 」 に    拠らなければ
                 いくら答え を   聞いても 納得できません

               「 仏教 」 に 拠る   ということは、
                 世間の尺度  から
                 ( 自己解釈  から ) 離れるということです

            > > くだらない戯れ言はもういい

               のであれば くだらない戯れ言  から 離れなさい
             ( くだらない戯れ言   とは  誰の世界に起きていることですか ?  )

                あなたの世界 の 中の    わたしという 存在

               あなたの認識  が       わたしの世界 を 生んでいる
               あなたの認識  が       あなたの被害を生んでいる

                自己から離れる  という意味 を 考えなさい

          •  春間 則廣  より:

            あなたは あなたが勝者 であることから 離れられない

          • ショーシャンク より:

            春間さん。
            ぎんたさんの家族の人が言われた『「あのさー、仏教(または宗教)というのは、すべての人々を(まだ字が読めないような人も)幸せにするもんでしょ? だから、言ってる意味がみんなにわからなきゃ駄目じゃん、難しいこと言って悦に入ってたら、学者の遊びと一緒だろ!!!俺は関わり合いたくないね。勝手にやってろ!! はぁ~~~~~~~~、そうじゃねーよ、絶対自慢してんだよ!あと、それを【ヘリクツ】って言うんだよ!』という感想は当たってると思いますよ。

            春間さんの文章からは自慢や自己満足、わけのわからないことを言って勝手に自分が仏教だと思い込んで悦に入っている嫌な感じしか受けない。

            今回の阿片のことも、ただ、ロスチャイルド家から招待されるほどの人物が自分の知人にいるということを自慢したいだけですよね。
            そのような承認欲求や自慢は、最も仏教から遠いものです。

            宗教や哲学の知識を自慢して承認欲求を満たそうとするのは一番おぞましいことです。

          •  春間 則廣  より:

                 四聖諦   対 する 姿勢   精進

            >  **********

            >阿片の被害者 は 清の人  ではないですよ
                ( あなた・あなたの認識 が 加害者である )

            何を言ってるんでしょうね。
            阿片の被害者は清の人ですよ。

            >  **********

            > 何を言ってるんでしょうね

               でたらめを言っている と  確信することに
                     疑いを持てない

              もし “ 阿片 の 被害者 ” は
                何故 被害者 となったか を “穿つとき”
              阿片 に “逃げる” ・ “逃げざるを得ない” 
                  社会 を
               構成している のは  その社会の構成者 であり

             その社会 は 清 と 清を取り巻く社会(各国) であり
               その各国  の 構成者 に 有識者  も   入るわけです
                           ↓       ↓          
               「 仏教 」 は “その者 の 「 識 」” を 問います

              その問いかけ に 耳を傾けなければ( 聞くことを捨てれば )
              “その者 の 「 識 」” は
                “その者にとって    動かし難きこと” であり
                 “ そのこと ” が 仮の者の盤石な自信 を 構成しています

              盤石の  自信  は 岩盤上 で 揺らぐことは ない
                  ( 岩盤 さえも 揺らぐこと を 地震 と 呼びます )

                揺らぐ まで  は   彼は・仮は     盤石である
               ( 揺らさなければ  自信 を 変えること は できない )
                   「 仮 」 が  “変化しない” から 盤石の自信にある

               ただし 人の認識 は “盤石の自信” から 起さざるを得ない
              ( そのありさま を 牟尼 は 「 無明に起きる 」 と 説く )

               “ わたしの認識 には 誤りが あった・ある ”  という 
                認識 は
                “ 誤っている のか 誤ってはいない のか ?? ”

               それを疑う  から   “ それから 離れることが適う ”

            “ 適う ”  ということから 離れなければ そこに膠着する

              常に 盤石の上  で  自身・自信 を たもつ・保持する
                     ゆえに       認識は変わらない

               変える必要性 がないとき  変ること は 起きない

               変わるのは 認識 であり 認識の対象が変わるわけではない

               必要・不必要   とは    認識上 の 問題である
             ( 問題 を 起こさなければ  認識下 に 問題はない ?? )

               問題  とは
              “ 問題を起こさない認識 ”  に 起きている問題

              そこに 問題があるゆえに 問題はない

                  ここが  『中論頌』 においての 問題提起 である

                  “ あるように見えて ない ”   「 仏教 」
               (  「 仏教 」 は そこにない 「 空 」  を  説く  )

               ないこと  を    “ まなぶ ” こと  はできない
             ( 真 を 名 ぶ  ・   名付けて 認識に載せる    )
                                     ↓
               習い(重ね合わせて)   確かな認識とする

               被害者  は   何故被害者であるか
             ( 被害を知るまで は 加害者 に 留まる )
               被害を知るゆえ に  故が起きている( 被害の故 )
                 被害が起き 被害者が起き  加害者が起こされる

              害を加える  という意味 を 知らなければ
                 加えている害 を 知ることはできない
             害のない人 ( 知ることのない人 ) を 善人 と呼ぶ
                善人   には   “加えている害” の 認識はない
                    ( 認識上 に なければ 存在の問題 は ない )

               歴史的根拠  は    歴史の認識 に 起きている

                変えることができない認識  を  「 恒常 」 と 呼び

                盤石なる 揺らぐことのない認識  は “ ジョウ ” に 起きる

              「 常住 」 であり  有情 の 「 有 」 を 意味する( 説かれている ) 

               聞くこと少なき者  を 「 ショウモン 」  と 呼ぶが
                「 声聞 」  にさえ    耳はそろっている

                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                 Dp.152  ( 第11章 老いること )
            「 学ぶことの少ない人は、牛のように老いる
                  かれの肉は増えるが かれの知慧は増えない  」

              聞無  とも    牟尼 は “田を耕している”
               聞かれること 少なき  を 牟尼の声を聞く 声聞・少聞  と 呼ぶ

              「 田を耕すパーラドヴァージャ 」 Su.80
                この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。
                この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。
              
                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            > 何を言ってるんでしょうね。

              “ > くだらない戯れ言 ”  を  言っている
                   と 言う        こと  は  くだらなくはないけれど
             くだらない  ということに  気がつかなければ くだらないことではない

               本人 は    大事な指摘をしている
               くだらないのか・くだらなくないのか という 問題が起こされない

               この文章 を     身に受けるか  他に被せるか  で
                 くだらなさ  は  起こす場所を支配する

               自分はくだらなくはない  という   くだらない 「 見 」
                 「 識 」 に  登る・あがる   あがらない “ 見解 ” 

                 いくらあっても    知らなければ  無いという
              (  「 無明 」 とは    この  無いという 構造を言う  )

               知っている 「 認識 」   で  知らないこと を 否定する

             
              「 勝 」 を 得る 「 勝者 」  を 「 ジナ 」 と 呼ぶ

               得てはいないこと を  批判する   判断者
               得ようとも思わない   批判の対象 の 人 識者
                           (  人 の 数  だけ 認識 は 起きる  )

                     「 脚下照顧 」   とは   其処に起きている

                 足元 とは わたしの足 にも 起きているけれど

                 「 他 」 の 足  を   穿つ 問題点 は
                    “わたし” だけ に  起こし得る事
              ( あなた は 自分のことを わたし と 呼ぶけれど ・・・・ )

                わたし に  「 縁起 」 する   タノコト は 起こし難きこと

               わたしばっかりのこと  を  ジシン カジョウ    という

                   「 加上 」 とは 固定した概念 に 起きる

                 勧持品第十三 
             「 而作如是言 此諸比丘等 為貧利養故
               説外道論議 自作此経典 誑惑世間人
                為  求名聞   故  分別 説 是経 」

            >  違法な阿片

                令和の我が国  に於いても  違法ではあるが

               その法  を  建てる前には   違法 ではない
                「 法律 」 というものは 律する前には 起きてはいない 

               何が 何にとって どのような理由で  善くないことなのか

               「 善知識 」  は  善悪 という  「 縁起 」 を 説く

               理由 とは その時の裁く正当性  に 基づいて起こされる
                “ 火あぶりにする ”    宗教上の正当性  に 基づき
                ( 手続きを踏んで)        “ 火あぶりにする ” 
                                          ↓    
              刑法上 の 正当性 に 基づき  死刑という人殺し をする

               北朝鮮 の 正当性  は 正当なる判断の上 で 執行される

                「 人道的 」  という       都合のよい “文句”
             ( 活字 は 固定しているけれど  概念は選択の自由にある )

               人の道  は  歩む人の数だけ存在できるが

               数え方  は  歩む人の認識から生まれ出る

                 これが正しい  ということ  、、、、

            Su.884・885・886 ( 岩波文庫 「 ブッダのことば 」 194p )

            「 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。 
              みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異なった真理を説くのであろうか? かれは多くの種々異なった真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?
              世の中には、多くの異なった真理が永久に存在しているのではない。ただ永久のものだと想像しているだけである。かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考研を行って、「(わが説は)真理である」「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。 」

              わたしは 自・他 の 言葉 に
              “ 耳を傾け 軽重 を 量る ”   こと に 「 精進 」 する

  7. 赤い実 より:

    先生、こんにちは。

    夏の高温が年々過酷になっていることは、誰にとってもまず苦しみですね。
    猛暑で商売繁盛もあるかもだけど、かき氷屋さんさえもお客様が来ないそうです。

    夏の過酷な高温は誰にとっても苦しみ。
    でも具体的にどう苦しみなのかは人によって違います。
    身体が弱かったらとにかく生きていることだけでも苦痛、元気な若い人たちも故郷に帰省するにも線状降水帯の発生により危険でままならなかったり、故郷で親も心配します。
    暑さという一種類の苦しみも、人によりどう具体的な苦しみとして表れるか、それにどう対処するか、それぞれ考えていくようになる。
    記事を拝見して、このようなことが浮かんできました。

    お盆過ぎたら朝晩だけでも過ごしやすくなるといいですね。

    • mani より:

      赤い実さま おはようございます。

      線状降水帯ですが、九州にひどい被害が出ていますね。
      猛暑もたいへんだし、水害も起きるし、先日はカムチャッカで地震は起きるし、何とかならないかなあと不安や心配が起きます。

      >お盆過ぎたら朝晩だけでも過ごしやすくなるといいですね。

      ほんと!どこにいても安全な場所がない、というのは苦しみですね。
      「安全な場所でお休みください」というニュースの終わりのことばが恨めしい。。

  8. ショーシャンク より:

    あまりにもダブルスタンダードが多いし、詭弁による言い訳も多すぎる。

    『阿片の被害者は 清の人ではないですよ』という断言について。

    >それを疑うから“ それから 離れることが適う ”
    >認識はよく間違う
    >自分の見たもんで語れ、というのが仏教なのです

    つまり、歴史的な認識でも例えそれが定説であってもそれが真実とは断定できない、自分が直接見てもないことは断定すべきではない、疑うべきだ、ということを言いたいのであれば、
    『清の人が阿片の被害者だ』と断定できないと同じく
    『阿片の被害者は 清の人ではないですよ』とも断定できない。

    それを、他者が言った『清の人が阿片の被害者だ』という断定は否定して
    自分は『阿片の被害者は 清の人ではないですよ』と断定するのであれば、
    それはダブルスタンダードですね。
    他者の断定はダメ、自分の断定はOKというわけです。

    また、自分の見たもんで語れというのであれば、ウクライナの戦争もトランプも九州の豪雨も語れない。
    戦争中のウクライナに行って直接戦争を見た人もいなければ、トランプに直接あった人もここにはいないし、今回九州で豪雨に遭った人が語っているわけではない。

    •  春間 則廣  より:

      > それを、他者が言った『清の人が阿片の被害者だ』という断定は否定して
      自分は『阿片の被害者は 清の人ではないですよ』と断定するのであれば、
      それはダブルスタンダードですね。
      他者の断定はダメ、自分の断定はOKというわけです。

         そうとしか読めない  のは

         あなたが ダブルスタンダード に 固定されているから

          あるようでない  「 仏教 」 ・ 「 空 」 

          ある のか 無い のか   どっちでしょう ?

        ダブルスタンダード の  「 実体 」 分かりますか

        無いよう で ある  のが  「 仏教 」 

          だから  「 仏教 」 は 「 空 」 です

        あなたのスタンダード は   どっち ?

      • ショーシャンク より:

        ★★★★★
        あるようでない  「 仏教 」 ・ 「 空 」 
        ある のか 無い のか   どっちでしょう ?
        ダブルスタンダード の  「 実体 」 分かりますか
        無いよう で ある  のが  「 仏教 」 
        だから  「 仏教 」 は 「 空 」 です
        ★★★★★

        ぎんたさんの家族の人と同じ感想しかない。

        俺は関わり合いたくないね。勝手にやってろ!! 
        そうじゃねーよ、絶対自慢してんだよ!
        あと、それを【ヘリクツ】って言うんだよ!

        >無いよう で ある  のが  「 仏教 」 
        >だから  「 仏教 」 は 「 空 」 です

        あなたが仏教をそういうものだと勝手に考えているということにすぎない。

        仏陀の教えとは全く違うことをいくら『これが仏教だ』と勝手に断定されても
        『あなたが仏教をそう考えているなら勝手に思っておけば?』しかない。

        いくら口先だけで『空だ』『空だ』と言ってみても
        自分を空じることが全くできなくて人脈の自慢をせざるを得ないくらい承認欲求に踊らされている姿を見ると、『自分で自分のホームページ作って勝手にやっておいてください』と願うばかり。

      • ぎんた より:

        実体は、ねこ、です。

        実際にやってみて出した結論ですから、揺るぎないです。

        どっちとかない。

    • ぎんた より:

      そうなんです!直接見たり、会ったりしたこと無いんです。

      でも、一個前の地球でトランプだった人は確実にどこかにいるし、春間さん流「時間はない」と
      考えるならば、今生きてる全員がかつてプーチンでありトランプであり、ゼレンスキーだったと
      考えるのがぎんたの中では自然です。(←科学的)

      だから、地球上のマリアを信じる人々の祈りをアラスカに結集すれば、なにか、マリア本人にも
      届いて、天気の荘厳としてお示しくださるのでは?とか。。。こーゆー系は、昔はドン引き
      だったんですが、もうね、これしかないかなとねこはおもう!なのでタダで出来る実験と
      思ってマリア祈ったらいいかとおもう!

      あ、でも、ねこには出来ないの。。。「祈る」が出来ない。なんかわかんない。
      ご宝前で祈る法友に、「ねぇ、それって今なにを考えているの?」と聞いてドン引きされたことある。

      あ、天気重要かもは、やはりアニメ映画「天気の子」を観たときに思った。家族は「君の名は。」
      を一緒に観て、苦虫噛みつぶしたような顔してて、それ以来これ系は一緒に行ってくんない。
      でも、「君たちはどう生きるか」は楽しくみてた。

      九州の雨は、風になって吹き渡っているみなさんが、大変に怒ってらっしゃるのかなと思います。
      九州の人に非があるわけではない。
      ぎんたも、、、、(「国破れて山河あり」ていうけど、、、国が破れたらソーラーパネルが山積み
      なのか、、、消火できずに燃え続けるとかやだなあ)て思います。

      もしかすると、次日本に生まれる予定の人が、あの、少子化で「順番待ち」が長すぎて
      疲れてんですが?ということかもわからん。

      「地球温暖化」→「気候変動」やらのすべてにムカツクのかもしれないし、いろいろな
      可能性を一つずつ潰していかないといけないかもしれない。

      あ、「国破れて山河あり」て漢詩だったんだね!←爆 春望だってw春間さんてこの人にもなれんの?
      ぎんた、アニメや漫画から学ぶの。

    • mani より:

      ショーシャンクさま こんにちは。

      なかなか手厳しいですね。ショーシャンクさまっぽい感じでええですね。

      >『清の人が阿片の被害者だ』と断定できないと同じく
      >『阿片の被害者は 清の人ではないですよ』とも断定できない。

      たしかに。それで、ブッダは、これらのことばに近づかない(=捨)としました。テーラワーダの人たちには、そこが受け継がれていると思います。ただ、春間さまの場合、これは顚倒を狙ってるような気がする。
      つまり、ショーシャンクさまの心の中には、アヘンの被害者といえば清の人で決まりでしょと思っていて、他の選択肢がないようにみえるので、あえて「アヘンの被害者は、清の人ではないですよ」という否定の表現も、出してみているのかな、という感じです。
      『金剛般若経』のやり方に倣っているという感じ。肯定表現もあれば否定もあるというところです。そして、敢えてそういうときにはちゃんと答えも用意してあるのです。

      ただ、春間さまが、詭弁ぽく見えるのはそれ以上説明しないからではなかろうかと思います。誤解されても何しても、「違います」と言わないので、ダブルスタンダードに見えてしまうのかな、と思っています。ダブルスタンダードだけは、春間さまにはないと思います。いつもかれの真実を語っていると思いますが。。

      たとえ、無我を希求していても、ダブルスタンダードとみられることもあるでしょう。そうではない、と言わないので誤解されっぱなしかもしれない、あるいは、図星(?)だったので黙ったのかな、って思ったりします。

      だけど、春間さまが侮れないのは、わたしがいい加減に返答すると必ず突っ込まれることです。
      そういうときは、「バレたか」と思います。でも、最近わたしも賢くなったので、あえてわかってても煩悩のままに語るときもあります。その場合は、ちゃんと答えを用意して。。

      • ショーシャンク より:

        石飛先生、こんにちは。

        先生がいちいち春間さんのフォローに出てこなくていいと思いますよ。
        春間さんの年齢は知りませんが、未成年ではないと思いますので。
        日本語がたどたどしいので、ひょっとするととても幼い可能性はありますが、それでも年長組ではあると思いますので。

        いずれにせよ、年長組以上であれば甘やかさずに一人立ちさせた方がいいと思います。

        >つまり、ショーシャンクさまの心の中には、アヘンの被害者といえば清の人で決まりでしょと思っていて、他の選択肢がないようにみえるので、あえて「アヘンの被害者は、清の人ではないですよ」という否定の表現も、出してみているのかな、という感じです。

        これは違うでしょう。そもそも私が関係しない対話からのレスでしたから。
        具体的にはぎんたさんの『だからね、アヘン戦争のアヘンの被害者が、今アメリカでフェンタニル被害者で(中身が清の人)』というレスの言葉の端っこに反応して、清の人は被害者でないといちゃもんをつけて、ロスチャイルド家から招待されたほど凄い人を友達に持っているという自慢、ぎんたさんは本当のところがわからないだろうが自分は本当のところを知っている、自分の前では物事は隠されていた姿を露わにするんだ、歴史も仏教もね、ということを自慢したいだけです。
        そして、その『隠されていた物事』とやらは絶対に言おうとはしないというわけです。

        すべてはそういう自慢を書き込みたいだけなのは明白なので『自分のブログを作ってそこでやってれば?』と言いたくなるのです。

        • mani より:

          ショーシャンクさま こんばんは。

          >先生がいちいち春間さんのフォローに出てこなくていいと思いますよ。

          そういうわけでもないんですが、そう見えちゃうのかな。
          一番最初には「この人は自慢したいのかな」と思ったと思うんですが、「もしかして自分の体験を語っているとしたら」って思って、そっちかなと思うようになりました。

          というか、「いつも同じ体験話ってどうよ」とは思います。そこに執着してるってことだから。。

          わたしの数少ない体験をお話しすると、昔、大阪の方から講演の依頼が来て「空」について話したことがありました。
          そのとき、日航だか全日空だかの名前もあがっていて、話題の雰囲気違うなあと思ったんですが、大阪の商売をする人たちは東洋の哲学を大事にしている、って知ったんです。けっこう、にわか勉強してますね。。なにかアイディアないかな、って思っているのかな、って思いました。

          そして、そのとき、哲学というのは生きているんだ!と知りました。

          わたしには、ブッダは先生なんですが、「倫理と論理を知らないなら苦しみだ」と教わったと思っています、いまのところ。

    • mani より:

      ショーシャンクさま こんにちは。

      >また、自分の見たもんで語れというのであれば、ウクライナの戦争もトランプも九州の豪雨も語れない。

      またまた突っ込まれてしまいましたね。
      「見たもん」というのは喩えになってて、正確に言うと、六根です。6つの感覚器官です。まとめて言うと、インド哲学ではアヌバヴァ(直接体験)ということばで言われたりすると思います。

      「見る」というのは、一つの正しい知識の根拠になるのではないかと思います。「この目で見たんだから」と言われると、たとえ信じられなくてもあまり無碍には出来ない感じですよね。
      このように、仏教では、「五感」が基本ですが、それと心(マナス)を説いているのが他とは違うところです。

      思想的には、無我ですけど、心が関わるのでウクライナ戦争もトランプも九州豪雨も語れてしまうことにもなります。
      ただし、それを語るには直接体験してなきゃならないという事は言えるかと思います。ウクライナ戦争に行ってないけど、ミサイルが落ちてきたりビルに爆弾が当たったりするのを想像したり出来るので「戦争はいけない」と反対することが出来ます。

      そのばあいに、五感+心をフル活用して認識していることが必要で、禅定などが必要になります。

      形而上学に行かないことが仏教でもあります。
      これはすごく大事な点で、そのために、論理としては「空」なんだけど常に自分の認識をあてにしなくてはいけなくなるのです。

      あてにしなくてはならないけど、こだわると執着になるのでこだわってはいけない、ということにも気をつけなければなりません。

      従って「空も空ずる」ということをしなくてはならなくなり、仏教は分かるようで分からないということになります。

      • ぎんた より:

        先生こんにちは~~すごくわかりやすいです。

        「は~~~~~~~~」とすっきりします。良かった~~~~

        >常に自分の認識をあてにしなくてはいけなくなるのです。

        これは、とても面倒なことのように感じるけれど、ぎんたはシンプルに考えることにしたんです。
        「心」って間違えないんじゃないかと思うことにしました。(仮説です)

        例えば、何も学習してない子どもでも、火に触ったら「熱っっっっっっ!」て思いますよね?
        言葉は獲得してなくても。「なんかふわっとして、ひんやりする」と触り続けたりしない。
        実は心も同じで、その人が生きていく上で一番重要な舵取りみたいになってると思います。
        ものすごく隙が無い人間のシステム。

        あと、「執着」で思ったんですが!!春間さんには、なにかすごい執着があるように思います。
        あ、あの危険な団体を潰さないといけないので、ぎんたが一番執着があります。

        あと、先生の投稿に対してなんも反応しないで、他の人のコメントに絡みに行くとき、
        いつも赤い実さんが先生に対しての礼節を忘れないみたいな大人な感じなのを思い出し、
        いいな~と思います。じゃ、やれよ!と思う、けど、できない。なので、
        弾き飛ばしを使って、次は赤い実さんポジションに行こうと思います。
        なので、赤い実さんはものすごく幸せになってください!!(自己中)

        「赤い実さん、いつもありがとう~~~絶対幸せになってくれーーーー!!」

        • mani より:

          ぎんたさま、お盆明けに読んでくださいね。

          >「心」って間違えないんじゃないかと思うことにしました。(仮説です)

          これねぇ、仮説ですよね。。

          >例えば、何も学習してない子どもでも、火に触ったら「熱っっっっっっ!」て思いますよね?

          そうそう。。わたしの知ってる人は、自分の子供にそれで教えてました。アイロンやけどしない程度に熱くして、子供に触らせる、って。最初は「うぇ~~」って思ったけど、よく考えたら「お母さんってアイディアウーマン」なんだなと思った次第です。というのは、

          ディグナーガという人が唱えた仏教論理学というのがあるんだけど、それによれば、この「熱っっっっっっ!」っていうのだけが真実で、「火に触ったら熱い」という知識は、もう真実ではないって言ってます。

          「熱っっっっっっ!」は無分別知といわれ、「火に触ったら熱い」は有分別知といわれます。

          そうだよね、火に触った子供が二度と火に近づかなくなるのは「熱っっっっっっ!」と思ったからで、火をコントロールするお母さんからは違うことを学ぶよね。

          んで、心をコントロールするブッダから教えてもらうのは「心は怠けやすい」ってことです。

          最初は真面目に修行しても、すぐに「くーーーーっ!、かったりぃぃ~」ってなっちゃう、って言ってます。惛沈(こんちん)が、それで、掉挙(じょうこ)はうわのそらになっちゃう心のことを言います。他にもいろいろあって、心が、真実を獲得するのは容易ではないっ!てことになってます。

          ところで、ぎんたさま、子供ってすごいよね。

          「熱っっっっっっ!」からもまなぶし、母心からも「火に触ったら熱い」をまなべます。

          だから、「サンタはいない」もそれとなく分かっていくんだろうね。。

          縁起する世界を世界を生きるのがわたしたちです。おわります。

      • ショーシャンク より:

        石飛先生、こちらもこんにちは。

        >思想的には、無我ですけど、心が関わるのでウクライナ戦争もトランプも九州豪雨も語れてしまうことにもなります。
        >ただし、それを語るには直接体験してなきゃならないという事は言えるかと思います。ウクライナ戦争に行ってないけど、ミサイルが落ちてきたりビルに爆弾が当たったりするのを想像したり出来るので「戦争はいけない」と反対することが出来ます。

        自分が直接、肉眼で見なくてよく想像できたらいいのであれば、ウクライナの戦争も語れるでしょうし、アヘン戦争の直前の清国の状況も語れますよね。
        ミサイルなどは似たものでさえ身近にないのでなかなかリアルに近い想像は難しいですが、アヘン中毒に関しては、タバコや酒という中毒症状に至るものが身近にあって体験もしてるのですからよりリアルな想像ができるでしょう。
        それであれば、アヘン戦争の時代に限らず歴史を語ることに支障はないのではないですか。

        • mani より:

          ショーシャンクさま こんばんは。

          >自分が直接、肉眼で見なくてよく想像できたらいいのであれば、ウクライナの戦争も語れるでしょうし、アヘン戦争の直前の清国の状況も語れますよね。

          おっしゃる通りではあります。
          ただ「アヘン戦争の直前の清国の状況も語れますよね」の部分はどうでしょうか。

          「直前」ですか。。これから何か起こるぞという気配を感じながら語るということですか?
          そういうこともあるかもしれないですが、多くの人(例えば清)は気づかないかもです。

          ショーシャンクさまの思想と違うなあと思うところは、「時」ということを意識することです。

          ショーシャンクさまは、ときどき「時」を入れないで語るような気がします。
          時と場所を常に意識して語るのが仏教。。というか、インドです。

          インドは大なり小なり空思想か空もどきの思想が行き渡っていると考えています。
          あのモディ首相にも、そういう思想があるはずと思っています。
          今後の地球を考えて、ちょっと東洋思想に掛けているところがあります。

          東洋と西洋(?)の違いは、ときおり時を捨象する西洋に対して、常に時を意識することだと思います。
          時を意識すれば変化を語ることになります。
          常に変化すれば、肯定と否定が次々に出てきます。
          そこで人間は考える。
          永遠を手に入れよう、と。
          永遠に「神(アートマン)」という名前を与えます。
          成功と不成功が生まれ、勝敗が生まれます。

          次に、成功と不成功を乗り越えようとする思想が生まれます。
          インド思想です。それは四句分別と言われます。
          基本的に四句分別の思想が行き渡っているのがヒンドゥーの世界だと思っています。
          つまりガンジーが尊敬される世界です。
          そのメッセージは「争うな」ということです。

          もし生き残りたいなら、人間は考えなきゃいけない時代に入ったな、って思っています。
          話がずれて来ちゃったわ。

          • ショーシャンク より:

            石飛先生、おはようございます。

            >ただ「アヘン戦争の直前の清国の状況も語れますよね」の部分はどうでしょうか。
            「直前」ですか。。これから何か起こるぞという気配を感じながら語るということですか?そういうこともあるかもしれないですが、多くの人(例えば清)は気づかないかもです。
            >ショーシャンクさまは、ときどき「時」を入れないで語るような気がします。
            時と場所を常に意識して語るのが仏教。。というか、インドです。

            そうですか。
            『アヘン戦争の直前』という言葉にピンと来ませんか。
            「時」を強烈に意識しているからこそ、わざわざ「直前」と書いたのです。
            その当時の清を全力でイメージングするとはっきりと浮かび上がることがあります。
            アヘン戦争勃発の前と後では景色は全く違うのです。
            それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。

            春間さん、それが何かわかりますか?
            その中国史上最大級の『変化』が。
            この『変化』を見つめるからこそ『アヘン戦争の直前』と言ったのです。
            中国史上最後の灯火が何とかゆらめいていた時代だったからです。
            そこに私は強烈に『無常』を見るのです。

            わからなければスルーしてください。
            私もこれで終わりますから。

      • ぎんた より:

        >仏教は分かるようで分からないということになります。

        ああああ、、そうなんですねーー、まずいですー。
        家族に「明確な答えがないから、仏教はいつまででもやり続けられるんだよ」と
        怒られるーー。説明しても難しいって言われるーーー。

        困ったなー。

        ぎんた、3.4日お盆休みに入ります。先生いつも応援しています。

        • mani より:

          ぎんたさま こんばんは。

          >ぎんた、3.4日お盆休みに入ります。先生いつも応援しています。

          お盆休み、ゆっくりしてね。応援ありがとうございます。
          わたしも、ぎんたんを、いつも応援していますよ!

          ご家族のみなさんもね!

          >「明確な答えがないから、仏教はいつまででもやり続けられるんだよ」

          ここに反応したい。
          これは、われら凡夫の世界ですよね。

          ブッダは終わりを示したと思う。。涅槃って。
          だけど、みんな、なんとなく納得できないから「いつまででもやり続けられるんだよ」って思うんじゃないか、って思ってます。

          理想は、悟りなんだけど、「ほんとに悟りたいの?」って自問自答を繰り返すのが凡夫なんじゃないかな、って思うこの頃です。

        •  春間 則廣  より:

             お盆休みに  独り  宣う ( 一人の 賜り事 である )

          > 中国史上最後の灯火が何とかゆらめいていた時代だったからです。
          そこに私は強烈に『無常』を見るのです。

              「 無常 」 ということは 常に起きていることです
                強烈 な 『 無常 』  は あなたの 「常住」 に 起きることです
            「 無常 」 である “ そこ= 「 世間 」 ” に 大小・強弱 の
              比較( 量 ) が 起き 、 価値観による 支配 が 起きます
                その状態を  「 常住 」 と (「 仏教 」 で) 呼びます
              「 仏教 」 に 於いて、の
               “大事”なこと とは
           ( 「 世間 」 にある価値観 である )“小事” に 関わって
             (執し・囚われて)     事実に潜む  「 平等 」  を
              見失わないことです

              「 世間 」 においての 価値(勝・果の大小) とは
              “人は平等である” という 価値観  の “元” で
              弱者 に 思いやりを持つ  ということに 顕著に顕われます
              その 思いやり  を持つ  のが  強者  です
           ( 理解しにくいでしょうが ) 思いやりを持たぬのも 強者 です

              “弱者”   に対して ナザレのイエス は
            「 貧しき者 は 幸いである 」 と 説きます 
               彼等 は 執着を起こす 「財」・「存在」 から
                 “遠く”離れています( ないわけではない )
             強者 は そこに “近い”( とらわれが強い )
           “ とらわれ ” ということは
            ( 小さいから 見逃してもよいこと ではありません )
             見逃してはならない 「 一大事 」 なのです

             このこと を  牟尼は
           「 火はあらゆる薪から生ずる 」 と 教えます
           「 小さいからといって 蛇を あなどってはいけない 」 とも 教えます

           「 比丘 を あなたの価値観で量り
                   その劣等・優劣 を 決めてはいけない 」 と 説きます

          Su. 910
           「 (「われは知る」「われは見る」ということに)執著とて論ずる人は、みずから構えた偏見を尊重しているので、かれを導くことは容易ではない。
            自分の依拠することがらのみ適正であると説き、そのことがらに(のみ)清浄(となる道)を認める論者は、そのように(一方的に)見たのである。 」 

          “自分が依拠ていることのみが 適正” ではない
              ということ に  依拠している構造 は “見難きこと” である
               ( 適正か 否か は あなたの 価値観・依拠である )
           「  “自分が依拠ていることのみが 適正” ではない  」
              という   指針・価値観   が
              既に  依拠されているあなたの価値観 だと わかりますか ?

             もっと 知りたい ・ 正しく知りたい  という欲求 に 対して
              それを適えようとしている 心持 は “心地よく・楽” であり
            かなえられない自分 を 見るのは  「 苦 」 です

           「 あらゆる  苦・火 は  あらゆる薪 から 生ずる 」
                    その 小ささ を 見逃してはいけない

             見逃しているかいないか  は
              あなたの価値・判断力   に 拠る のみ

          Su.762
           「 他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解し難き真理を見よ。無知なる人々はここに迷っている。 」  

            “ 諸々の聖者  と   同等な判断力 を 持ってはいない ”
              という 判断 を    支える 判断力   とは
                あなたの価値観・判断力  ではないですか ?
          763  覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。善良な人々には開顕される。あたかも見る人々に光明のあるようなものである。理法がなにであるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎの)近くにあっても、それを知らない。
          764  生存の貪欲にとらわれて、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人々には、この真理は実に覚りがたい。

          765  諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。

             どのように
           “生存の貪欲に とらわれて、
             生存の流れに おし流され、 悪魔の領土に入っている”
               かということ を
             あなたは 聖者のようには 判断できないのです

           「 お前 は 聖者か ? 」  という    “敵意”    が
             “ 正しい判断 を 持つ”       あなたの 心  に
                あなたの正しさ    から   沸き上がってくる 、、、、

             あなたは このことをスルーする( スルーしている ! )

             わたしには  “終わり”  ということ  が 存在しない
               それが   “始まり” だと 知る  から

             分かろうと・分かるまいと   それは あなたの心 に 拠るのみ

            釈尊の時代 から  「無仏」の時 まで ( 最初から始まりまで )
             いつも “ 判断という灯火 ” は   ゆらめいている

             ゆらめく燈火 の “影”  (  「 世間 」 )  は
              一所に止まることがない(  「 無常 」  に 起きる )

             劣っている  という  ( 「 平等 」 から外れる )
             感情(判断) から    物事を 見る・判断する ことは
               制止 し難きこと  ではあるが
            誰であろうと  ( 平安という牟尼への道・牟尼の歩む道 )
              一つの道   を  歩んでいる ( 「 道 」 にある  )
              と  「 法華経 」   において 「道の 歩み」 を 説く

            わたしが歩んでいる ということを言っている  のではなく
            「 法華経 」 において 説き 記されている と 言うのみ

            歩んでいるかどうか
          ( どのような歩み か ) は
              あなたの歩みの中 で   “ 判断される事 ”

            
             その判断を支える  ( “わたし” の ) “ 量る 心 ”

             再度 言っておきたい

             あなたは 自らの事 を  “わたし” と “呼ぶ・名付ける”

             その意味(存在)  は   その “ わたし ” が 決めている ”

          • ショーシャンク より:

            春間さん。
            また、ごまかしが始まりましたね。
            私の質問は
            『それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。
            春間さん、それが何かわかりますか?その中国史上最大級の『変化』が。』
            です。

            わからないならわからないと言えばいいだけです。
            言葉の端を切り取って、それについて戯れ言を巻き散らかすことばかりだと、
            対話にはなりません。
            ですから、まともに質問に答えないスタイルを貫くのであれば、このような掲示板ではなく自分のブログを立ち上げてそこで好きなだけ自論を書き連ねればいいと思いますよ。

            アヘン戦争のことを聞いているのにそれにまともに答える気がなく、自論に酔っているようですが、それらの文章を私が戯れ言と言う理由を書いておきます。

            >強烈 な 『 無常 』  は あなたの 「常住」 に 起きることです

            これは違います。わたしなど関係なく、形成されたものは滅するのです。それが無常です。

            >弱者 に 思いやりを持つ  ということに 顕著に顕われます
                その 思いやり  を持つ  のが  強者  です

            そう思うのなら、自分がそれを実践すればどうですか。
            自分より若い者や女性に対して自慢しマウント取るのは、思いやりがないからです。

            > 火はあらゆる薪から生ずる 

            この仏陀の言葉は、仏(ブッダ)はカーストや生まれは関係なくどのような階層からも生じると言う意味です。

            > 小さいからといって 蛇を あなどってはいけない 

            仏陀の成道時は三十代という若さでした。それで、侮る人もいたのです。
            若いからと言って仏陀の悟りが大したことないと侮ってはいけないと言う意味です。

            > 法華経 において 説き 記されている と 言うのみ

            法華経を語りたいのであれば、毎日法華経を読誦して初めて語ることができます。
            法華経を実践していないものが口先だけで法華経法華経と連呼しても何にもなりません。

  9.  春間 則廣  より:

    > >仏教は分かるようで分からないということになります。

       分かると

         分からない     ということ  が 分かる

         分かりたくない   ということ  が 分かる
            ↓  
         したくないこと  に  抵抗する
                      ↓
           なんとしても    拒みたい  真実

         「 愛 」 に まみれる  「 世間 」 

         何を言っているか が 分かるかな ?

         何に 対して  執着=愛  するのかな ?

           命 に 執着 を 起こす

        悟りを得るとしたいようにできる 如是 如実

        誰であろうと
                   “したいこと” を している

     したくないこと を    しない  という  “したいこと”

    •  春間 則廣  より:

      > 『それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。

        “ 根本から変わった  という時 ” の
        “根本” とは いかなる 解釈ですか (どのような根本ですか)

        人として ある   その根本 は 変わりうるものですか ?

        変った 根本  が 何であるかによって
          その根本 の  変化  の  在りよう
          それを 根本とする正当性  が  判断されます

      釈迦牟尼 が 顕われ出て  根本 という概念は 否定されました
                       ( 根本 とは 概念の中心をなす 基盤です )

         Su. 1055 ・1068
      「 メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。
        このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わかものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。  」

         あなたが 中心(中央)の “概念 として 気づいた”  “根本”

         それを 文章上の 上と下と横と中央 に 置いて
             どのように 概念を構築しても
       それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去る  ことは 難しい

         そこにおける(満足感・不足がない)構築された 概念  を
           基に   積み上げられた概念・思想  は
                  砂上にあるが如し

      >  それが何かわかりますか?その中国史上最大級の『変化』が。』

        何が最大化 を あなたが決めている   (その決め事である)
       それに乗って 概念を構築しなければ  「 論 」 は 噛み合わない
      小さな変化  と  見過ごす 「火」 は
          ( 見過ごす限りにおいて )
        最大の変化  に 育たない ? ( いとも簡単に燃え盛る )   

         何処に 変化の芽 を 見出すか   ということ が
          「 蛇は小さいからといって あなどってはいけない 」 
                という 教えの “根本”  です
            
         あなたが 見過ごす から  あなどり が 起き

         あなどられている 原因  に 言及されても
         あなたは  あなどりなどない  と  “自己のみつめ方” を 変えない

          わたしが    変れば     世界(の見方)は変わる けれど
          あなたは その変っていく世界 に 目を向けることができない
        (  あなたの    見方・根本  が  変らないからです   )

         “絶対に正しい” あなたの 見方(根本)

          世界が変わる  のではなく あなたの認識 が 変えているのです

        ロシア が  正しく ウクライナ(西洋) が 誤っている

        ロシア の プーチン  の  モノの見方 が 正しければ
        ロシア の 行ない   は   侵略 とはならない

        対して    西洋の民主主義 に 誤りがなければ
             民主的ではない 独裁(露) からの判断 には 誤謬がある

         石油利権に伴う 経済的“得失” も この争いごとの 根本の一つ

          世界の石油資本 の 根本  は  ユダヤ資本 に 基点を置く

        ユダヤ資本 は 「 閨閥 」 を 根本に置き
            経済的利益 で その周辺を 強固なものとする

        あなたは (経済的)  得失 ・ 「 財 」 にたいして
         「 子は宝 」  ということの  根本   を 流用してはいませんか ?

        得ている という 喜び  が 「 財 」 を 支えます
           失う 恐れ・危惧   が 「 財 」 を 大切なものとしています

         人民 の 利益   に  資本家 の 利益  は  入りませんか ?

           入って (も)      共存 出来ませんか  ?

        貧しさ と 富  とは   針の穴 を 通る時の  条件です

       ラクダ ラクダ と 貪る財  が 針の穴を通すことに 難を生む
       貧しくとも ラクダ という  財(手にする根本) で 難義する

          あなたは このような考え方  を        一瞥し
        “ 実践していないものの口先だけ ” のこと と 侮蔑する

          侮蔑される 対象であるわたし   が  何を言おうと
                    わたしは    侮蔑の要件を増すのみ

         よく考えなさい

         あなたが 正しいとすること を

      >> 火はあらゆる薪から生ずる 
      >  この仏陀の言葉は、仏(ブッダ)はカーストや生まれは関係なくどのような階層からも生じると言う意味です。

          火は燃えている  という言葉は スッタ に 残っています
          それは ブッダ  は         生じて 燃えている
        ( あらゆる階層 から 生れでる )  という意味ですか ?

       あなたに語っている  ということは
         わたしは 返された言葉を 自らの 「 食 」  と する   という意
       管理人エム 様 が 食することが出きるかどうか に かかわらず
         そのまま返された 言葉  で  身を養う  ということです

         あなたの返し方 に かかわらず   わたしの言葉 は
          わたしを制御する 自分の軍隊  ( ミリンダパンハ )
          わたしが 制御する 自分の軍隊

         右を向け という言葉  は はね返ることによって
         左に向けさせることがある
       ( 前後左右 を 顛倒すると  そこに  とらわれる )

          中心  とは  とらわれない 前後左右 によって 位置を与えられる

             とらわれ  とは
            とらわれない心   に もっとも強く 現れ出る
        ( 火 は 強い弱い で  その価値を量っていてはいけない )

          大きな火  とは    小さなあなどり  で 大きく育つ

  10. 赤い実 より:

    どなた宛ともなく書かせてくださいね。
    皆様もご存知の通り私は以前、人を批判したり変えようとするための投稿をたくさんしていました。
    そんななかで春間さんに対してもそうでした。
    今も「自慢したいのかな?」とその書き込み内容に思うことはあります。実際のところはわからないけど今回のロスチャイルドのこともそうかなとは感じはしました。
    でも昔みたいに指摘、批判する気は起きません。
    自覚できる理由として。
    *ずっと昔からそうだし変わらないと思う。
    *自分を棚上げして他者のことに介入するのは良くないな。
    *自分のことを邁進するのが良い。
    *介入すると争いが広まりやすい。

    実は別なところで、他者介入に関することからの決定的な反省が自分の中に起きました。

    いろんな方に介入し批判してきた過去がありますが、今になると思います。
    その頃はそうするしかできなかったのだなと。これは自分に対する甘やかしということではなく事実そうだったというのを言ってます。
    でもその反省を忘れずに行きたいと思います。

    あと、ぎんたさん。
    幸せを願ってくれてありがとう!
    ぎんたさんも゙幸せでありますように。
    転売のために購入のハッピーセットのバーガーが捨てられ、ガザでは飢えで亡くなるたくさんの人たちがいる。
    こんな状況が変わっていき、幸せとまではいかなくても不幸はそんなにない世界になるといいなと思います。

    •  春間 則廣  より:

      > 今も「自慢したいのかな?」とその書き込み内容に思うことはあります。実際のところはわからないけど今回のロスチャイルドのこともそうかなとは感じはしました。

        あなたが ( たとえ ブログに於いて でも ! )
         かかわりを持つことがない
        ( かかわることができない )対象 について あなたは どのように
          そこに  変革(影響)を 与えること  ができるでしょうか

         川下に 於いて、 いくら水を清めようと  川上から流れてくる
           汚水 は きよらかさ からは “ はなれている ”
        しかし 釈迦牟尼 は
         「 人の心は 何処にでも 飛んで行くことが適う 」 と 教えます

        心を清める ということは  “ 上下 ” の 概念を覆します
         下々の 行ない によって  上さえも  浄らかに成り得る
           ということを 言っています 、、、、( わたしのたとえです )

         それが 上に対しての かかわりを持つ  ということです

       流れる水の中に於いて 下から上に  変化を与える方法 は
            一つのみ では ありません ( 上へと泳ぎ上る )
       水をせき止めれば  流れは変わります
         上からの 経済の流れを せき止め  変えれば
         上に変化は波及します ( 戦いによって 流を変える )

        上に “於いて” 浄らかな行ない を 示すことができれば
         その       寄与 等  嵩  は  増して行きます

         わたしは 上の優位性 を 言っているわけではありませんが
         上の優位性 に 対して とらわれている者は その優位 を
           否定すること に 執着の意 を 示します

        自慢している と  蔑むことで
         自慢の対象 の 無意味 を 主張する  

         その優位性 とは  “ (美味しい)美食 “ であり
            (美しい)着飾り です
                  権力の乱用 も 起こし得ます 

         その いずれも 持ち合わせず
          (無駄な) 嘱望から の  起きる非定 が
                        批判の内容を決しています

        知識 よりも 行いが大事  という人 に
          往々に 行いが欠けていることは  散見されます

        口先で いくら唱えようと
                行ないは  唱えるところからは始まらない

         「 信仰 」  の 大海  に 泳ぎ出さなければ
           欲望の波 を   乗り越えることはできない

         頑張れば 報われる  という    概念の 出発点 は
         頑張ることができていない という 
            帰着点   から   始まっている

        何故 頑張らなくては  「 安楽 」 が 手に入らないのか
          ( 頑張っても  「 安楽 」 が手に入らない のは )

          出発点 と 帰着点  とが “ 同一 ” だからです

         ダイエット しなければ 美しい体 は 手に入りませんか ?

         ダイエット( 断食 ) とは 体(五蘊)の為  ではなく
           「 心 」 に 起こす ことです

       ( 美食 について )   牟尼 は
          すべてのことは 「 食 」 に 帰着する  と 説きます
                 (  「 四食 」 です )

         あなたに差し出した  「 食 」 を あなたは 受け付けない
              それは    そのまま    わたしに還り
             わたしの    心の 「 食 」   となる

        Su.748   ( 中村元 訳  「 ブッダのことば 」 166P. )

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・
      『およそ苦しみが生ずるのは、すべて食料に縁って起るのである。』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら諸々の食料が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。──すなわち現世における<さとり>か、或いは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

      「 苦しみは食料の縁から起る」と、この禍いを知って
          一切の食料を熟知して、一切の食料にたよらない

         ショク には   華燭 も入り 禍触 も入る

           華燭 には 華厳 の 意味もある ( ガンダヴィユーハ )

         触れることがなければ   禍 があろうと  恐れることではない
           食べるべきではない
         食べられないところ(禍触)  を  避ければ ( 可食 に 赴く )

            胎 を 損なうこと  は ない

        食べたいモノ は 往々にして  体を損なう もと  と なる


       

  11. 赤い実 より:

    すみません、付け加えます。
    前にこちらのブログに先生に質問させてもらいに来た際、春間さんからも投稿で教えてもらったのですが、先生の回答とあわせて春間さん、それと別な方に教えてもらったこともとても勉強になりました。
    何が言いたいかというと、春間さんの書いてらっしゃることはわからないことが多いけど、わからないとか?なことはそのままにしておいてます。
    わかりそうなとこだけ自分なりに解釈してそれで終わり、深入りはしないし、ご本人も深入りしなければ追っては来ないと考えます。

    これと前の私のコメントに返信いただいたとしても見逃してしまうかもしれません。その時はすみません。(どなたでもです)
    コメントが5つだけしか名前で見えないのでタイミング過ぎると気づかない可能性です。

    • mani より:

      赤い実さま こんばんは。

      >コメントが5つだけしか名前で見えないのでタイミング過ぎると気づかない可能性です。

      ほんとね。コメント欄を見逃さないためには、いつも見ていなくちゃならないですよね。
      わたしも、何とかならないかなあと想ってました。wordpressの仕様が分からないけど、
      拡張表示というのがあったので、そこをポチしてみました。
      どうなるかなあ。。何も変わらんかったりして。

    • mani より:

      赤い実さま 気にしないで!
      わたしも、気にはなってたの。。だけど、どういう仕様かわからんくて。

      あちこちポチしていると、突然増えたりするかもです。

  12. 赤い実 より:

    〉拡張表示というのがあったので、そこをポチしてみました。

    先生、気を遣わせてしまってごめんなさいっ(/_;)

    仕様を変更してもらえたらとはぜんぜん考えてもなくて、もし見逃しちゃったらどなた様もすみません。。って書いとこうと思ったのでした。

  13. ショーシャンク より:

    >> 『それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。

    > “ 根本から変わったという時 ” の“根本” とは いかなる 解釈ですか (どのような根本ですか)人として ある その根本 は 変わりうるものですか ?変った 根本  が 何であるかによってその根本 の変化の在りよう  それを 根本とする正当性  が  判断されます  釈迦牟尼が顕われ出て根本という概念は 否定されました (根本とは概念の中心をなす基盤です )「 メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。このようにして、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わかものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」  あなたが 中心(中央)の “概念 として 気づいた”  “根本”   それを 文章上の 上と下と横と中央 に 置いてどのように 概念を構築してもそれらに対する喜びと偏執と識別とを除き去ることは 難しい  そこにおける(満足感・不足がない)構築された概念を基に積み上げられた概念・思想は砂上にあるが如し

    これが春間さんのワンパターンのやり方です。
    私の質問は『それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。春間さん、それが何かわかりますか?その中国史上最大級の『変化』が。』です。
    アヘン戦争勃発によってそれまでの中国の歴史が大きく変化した、その「変化」とは何だと思いますか?という質問です。
    対話の資質がある人であれば、相手の文章の全体からその質問の意図するところを汲み取り、それに対して真摯に答えようとします。
    しかし、春間さんはいつも必ず、その文章の中の一つの言葉を切り取って、その一つの言葉に対し延々と書き連ねていきます。質問の意図とは全く関係のないうわごとが大量に涌いて出るのです。
    この場合だと「根本」という言葉だけを切り取って、その「根本」という言葉に付いて回って大量の「質問と関係ないこと」を貼り付けていきます。
    どれだけ同じ質問を投げ掛けても、絶対にそれに答えようとはしないのです。
    これは対話の資質が決定的に欠けているのだと思います。
    最初から真摯に学ぶことは考えてもなく、自分が悟ってると思い込んで上から目線で自説を滔々と述べたいだけ、自慢したいだけなのでしょう。
    同じことは、この掲示板を荒らして閉鎖に追い込んだ芳和、メッター、ミチオといった人たちにも言えました。

    >釈迦牟尼が顕われ出て 根本 という概念は 否定されました( 根本 とは 概念の中心をなす 基盤です )

    原始仏典では、「mūla」という語が「根本的な原因」や「基礎的な教え」を指して使われています。
    akusala-mula は、不善の根本で三毒のこと。
    dhamma-mula は、法の根本、教えの根源や基盤のことです。

  14.  春間 則廣  より:

    >  アヘン戦争勃発によってそれまでの中国の歴史が大きく変化した、その「変化」とは何だと思いますか?という質問です。

     「 中国の歴史 が 大きく変化した 」

       という時の  歴史 とは何を指すのか
               大きく変化した という モノの見方を支える 事実
       その 根拠  とは アヘン戦争勃発 によって 起きたのですか ?

         そもそも 「 中国  ・ CHAINA 」 とは
        いかなる “ 統治体制 ” を指していますか ?
        「 中国 」 とは いつ起きた国 ですか ?

      「殷」・「秦」 と  名づく “国”  が
         存在したということ  は 事実と認めましょう
      それらの国は 漢民族 と呼ばれる人 が 構成員だった のも
        認めましょう

       漢民族 の 歴史  が  大きく変わった事実  を
         あなたは  問題として 問いかけているのですか ? 

      “ 中国の歴史 ” とは  何を指しているのですか ?

       ( 漢民族 以外の )異民族  によって 統治された
       という “ 漢民族の歴史 ”  の  変化を指しているのですか ?
       そもそ
       モンゴル人(民族) ・ 満州民族 とは 中国人  ですか ?
        ウイグル チベット  は 「 中国 」 ですか ?

      漢民族 が 異民族によって 統治・征服 された という 
      「 歴史 」 を 否定するものではありませんが 、
        それは  歴史上に於いて、統治する者 が 変った という意味です

     「 中国 」 という概念  が
      現在の中国 と言われる  国  の
      ( 統治者 ではなく )  国境内に住む 人々 を 指すのであれば 

     その人々の歴史 が
       “どのように変化したか” を  述べることはできます
       ( 変化したのか ・ 変化していないのか ・ 継続していることは何か )

    > 対話の資質がある人であれば、相手の文章の全体からその質問の意図するところを汲み取り、それに対して真摯に答えようとします。

       あなたには 対話の資質  が   備わっていて
      わたしには  それが “ 根本的 ” に 備わっていない
        という 指摘  

      質問に真摯に答える  そのためには
       質問の意味( 根本的認識 )に  相違があっては 
     何に対して 答えているか  が   “ 意味をなさない ”

      現在の中国 と “英国” とは  大陸続きではありません
    アヘン戦争 勃発時  の 「 清国 」  とは 「 中国 」 ですか ?
     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E6%B0%91%E6%97%8F
        さらには 「 大宋国 」 とは 「 中国 」  ですか ?
     「 元 」 という “国”   によって 「 元寇 」 が 起こされました
       その 「 元 」 の   どの統治部分 が 「 中国 」 ですか ?

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9

       「 随 」 「 唐 」   とは いかなる理由をもって 
          中国である  と されますか ?
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90
    唐の最大領域は高宗期の660年代で[45]、直接統治地域は東西が朝鮮北部から天山山脈のオアシス地帯まで、南北は外モンゴルからベトナム中部までの領域である。

       唐は漢民族の王朝か ?
    https://www.y-history.net/appendix/wh0302-011.html
    「3~7世紀の中国は分裂と再統合の時代であり、民族融合の時代でもあった。華北で遊牧民(胡)と漢人は入り乱れて抗争するとともに混血や文化の融合が進み、そのなかで成立した北魏・隋・唐の王朝は鮮卑の拓跋氏出身者を中心に、それと協力した漢人貴族が支配層を形成した「胡漢融合政権」であり、その典型が「唐帝国」である。」

     中国の歴史 が 大きく変わった   という時
       それは どの民族の歴史ですか ?

      漢民族の歴史  であれば
        異民族に統治されていても 「 漢文化 」 というもの は
      変ることなく 継承されて行きます

      「 科挙 」 という 制度  は    民族を超える
       ( 異民族が統治制度とする )  漢の文化 です

     現在 の 中国  まで   ( “ 変らず ” )
            中国  は  「 漢文化 」 に 大きく拠っています
       唐・元・宋・清  も    漢習慣  に  馴染んでいます

        歴史 が 大きく変化した    という時の
         “ 焦点 ” ( 論点 ) は  どこにありますか  ?    

      あなたの真摯さ が  “ 真摯の本質 ”
       だとする 根拠 は  なんですか ?

     ( それに外れる 問題点をはっきりさせよう として
       問題とされることの争点 を 確定させようとする  )

      わたしの 誠実さ   とは
        問題をはっきりさせずに( 争点をたがえたまま にして )
         議論を続ける        ことですか

      わたしが 問題点をはっきりさせようとする 行為  は
        あなたの質問態度 からは
      「 対話の資質が決定的に欠けている 」  こととなります

    > 原始仏典では、「mūla」という語が「根本的な原因」や「基礎的な教え」を指して使われています。

       根本・対話の焦点 を   曖昧にしている  のは
        あなたではないですか    ?

    > akusala-mula は、不善の根本で三毒のこと。
    dhamma-mula は、法の根本、教えの根源や基盤のことです。

      それが あなた には! あてはまらない 根拠    は
         なんですか  ?

      当てはまる
       あいまいさ に 答えない    わたしは
         悪さら 「mūla」  の       保持者ですか   ?

       イムーラ 屋  の  小豆バー  に  こだわるわたし 、、、、

       あなたが  「 善人 」 とする ( あなたが 「 善人 」 である )

        根拠 に  あなたは  則って いますか ?

     (  「 不善 」 が あなたに起きていない理由を知りたい )

    • ショーシャンク より:

      > 中国の歴史 とは  何を指しているのですか ?

      中国の歴史つまり中国史とは中国大陸の歴史であり、特に中国史上初めての統一国家となった秦から漢・唐・宋・元・明・清という統一王朝の歴史を指しています。

      漢民族が支配した時代も、漢民族以外の民族が支配した時代もありましたが、中国大陸の歴史のことです。

      >釈迦牟尼が顕われ出て 根本 という概念は 否定されました

      仏陀は、mūla=根本 という概念を使っています。
      dhamma-mūlaのように。

      •  春間 則廣  より:

        > 仏陀は、mūla=根本 という概念を使っています。

           その mūla=根本  とは

             あなたの根本 と  おなじですか ?

           言葉が同じなら 行ないも同じですか ?

            行いを 言葉にすること

              が  mūla=根本 という言葉の 根本です

           あなたは 根本的に 「 無明 」を起こす

            それが 釈迦牟尼の言う mūla=根本 ですか ?

      •  春間 則廣  より:

          もう 君と 論を交わすことは 控える

           ノータリン の
             増長 した 年長  さん と 関わるのは 止めなさい

        > 中国大陸の歴史のこと

           中国大陸 とは どこからどこまでですか ?

           この点について はっきりさせることは 止めておきます

        >  アヘン戦争勃発によってそれまでの中国の歴史が大きく変化した

          侵略によって 獲得した 国土・人民 が
          侵略されることとなった 契機 の あらわれの一つ です

           東インド会社 に より、
             貿易赤字解消のために アヘン が 使われたのです
                その背景 には
           中国には 産業革命を起こす 必要がなかった ことがある

             豊富な 人的資源 で    国内的には
               ( その封建制度 のままで )    
             経済   は  十分に やっていけ
             統治者 は   物的必要を十分に享受できていた
             余剰物資 を 黒字貿易 に使うことも可能であった

           ユーラシア大陸内(!) に 通用する 軍備を備えていた が
           それは 西洋列強  には  通用しなかった

          近代化する必要がなかった 清国  と
           産業革命 を 昂進させた 英国 とには 力の不均衡があった

         1840年 当時 日本には 既に 西欧に対応する 供え 鉄砲・大砲 
            専門的に組織化された(優れた) 多数の武士  があったのです
          また それら武士 と 一般人の  教養 が  武力を支えていた

            日本は その知力を資源とし  急速に近代化を図り
             またたく間に 列強と肩を並べることとなった

           日清戦争の戦費の3分の1 は(約7千万円) 外債に頼り
            長崎の出島にいた、ロスチャイルド系 が 引き受けの中心であった
         ( ちなみに 日露戦争 の 外債 の 元利償還
            が終わった のは  東京オリンピック 頃! であった )

           当たり前のことではあるが  “高利息” は ついて回った
              けれど  日本は 国体を維持したまま 世界銀行卒業国となった
              (  金を貸した のは
                    返済能力 が  確実視 される ゆえ  )

         
          中国の歴史 の  おおきな変化   とは

            国家的 アヘン栽培 の 実権   が
                  日本に移った ということ を 契機とする

            少なくとも 清国 までは
                   真っ直ぐな歴史 が 続いた

           人民 にとって、 最大の変化  とは

               毛沢東 “後”  の  文化大革命

              ( 人民が  教養のない統治者により
                  民間にある 教養  を 捨てさせられた こと )

                   ***

           今や 中華人民共和国内  には

             仏典 を 理解できる者 は いない !

           ( しかし  “香港”  には   いるやも知れず )
           (  すくなくとも その片鱗は 見て確認している )
           ( 香港も中国 なら   中国 に 在住している )

                   ***

           歴史 というモノは それを受け継ぐ者  が

             一人でもいれば 継承される ( 歴史は変わらない )

        • mani より:

          >   今や 中華人民共和国内  には
          >     仏典 を 理解できる者 は いない !

          ふうむ、そうなのか。
          ショーシャンクさまに、わかりやすく説明してください。。ついでに、わたしにも、みんなにも。

          わたしの考えでは、物事は単純です。
          争いの世界(阿修羅)にいるのが、プーチンとトランプ。自分たちが正しいと主張します。正しくなくても、力による支配を望む。

          ブッダは四句分別を利用しました。空(くう)の論理の解釈に。
          だから、論理変換のやり方を知っています。龍樹もそこを理解しているので、『中論』を書きました。

          日本は、自分等が頭の悪いことを自覚して、阿弥陀仏に頼りました。それが効を奏しているように見えます。今のところ、四句分別の第三の選択肢に行けてるのは日本だから、日本が一肌脱ぐべきだというのが、わたしの考えです。このままでは、地球は危ないです。

          •  春間 則廣  より:

            > ショーシャンクさまに、わかりやすく説明してください。。ついでに、わたしにも、みんなにも。

              説明で分かること は 「 説 」 だけです

              「 言うことは分かる けれど 、、、、 」
                行いが別  ならば  分かったこと とは 何でしょうか ?

               “ 行ないは自慢 ” なのに  それにも関わらず
                     言うことがわかる  とは
               どのような自慢 を 分かることになるのでしょうか  ?

             言っていることが 自慢だと分かる ( 「 慢 」 を持すMAN に )
                対峙する
              「 慢 」 を見つめ、 「 慢 」 を知り、
              「 慢 」 から遠ざかっている人  とは
              最も近くに( 自分自身に ! )  「 慢 」 を持つ人です

              自分の持っている  モノ と   対比せずに
                           モノ を 知ることはできますか

               “ 赤い ”  という 概念  を持ち
               “ 赤い ” モノ    に   対峙し 「 赤 」 を 知る

               対峙している  自分の概念  と 対峙する 他に属するモノ
                 そこに   “対峙している 自分 ”   は
                  いつも  “ 認識 外 ”      に いる

                自分にいる と思う 認識   は  自分ではない
                “ 赤い という認識 ”     が  自分なのです

                「 認識 1 」 とは 支える「 認識 2 」 によって 「 縁起 」 する
                1と2  とが     自分( 自蘊 ) が 起こす 「 認識 」   です

                 「 縁起 」 を 知るとき  3つの絡み合う認識 を 知る

               五蘊 とは 何であるかを 知るとき
                 自分の起こしている 「 認識 」   を  知る
              そのように  自蘊 は  自己のアルガママ を 知る 、、、、

                何処まで行こうと  知るのは( 理解とは )
                自蘊 の起こしている 「 自己 」  

                起こしている 「 自己 」   は  見つけ難し
                 「 自己 」 とは  あらゆる「 認識 」  を 支える

                 “ 行ない ”  を   「 自己 」 と 名付ける
                    ↓
                  「 行 」  が  自己なのです
               (  「 行 」   が  認識を支える  )
                 「 仏 」 とは  「 仏教 」  以外に 顕われ出ない

               「 唯仏与仏 乃能究尽 」  仏を知る 仏  という  「 行 」 

               仏ではない者  は  仏ではない者 を 知るしかない

                「 行 」 が 成就される その時に
                「 仏 」 は ( 自分と対峙し ) 「 仏 」 であると分かる

                  他己 に 対峙している   自己 の 認識 が
                「 世間 」 に於いての     自己認識( = 他己認識 )

                  「 世間 」 とは  自己認識の塊り  です

                自己を知る者  は 自己=他己  である
                             と  知り ( 知悉 し )
                  他己 を 変える には 自己を変えればよいと知る

               自己 を 変えれば    陀(他)己 は  姿を変える

                 A MI侘  を      「 無量 」 に 知る
              ( 「 量 」 に 乗らない  「  無  」 を 知る )

            > わたしの考えでは、物事は単純です。

               単純に 単純ということを  知って
                その  単純さ  で   複雑をしる
             ( 事 は 単純に起きているのであろうか ? )

               如何に 複雑に考えようと  基は 単純な頭
             ( 単純 とは  一つしかない  縁起の片一方 )

               縁って起きている    倒れかかった 片一方

                誰に( 何に ) 支えられているかを知る 「 唯我 独尊 」 

                「 唯仏与仏  」 という 「 実 」   とは
                   「 縁起 」 に    起きている  に 過ぎない
              「 乃能究尽 」  とは    「 無 」    と 知ること

                この説明  は  分かりやすい  ですか ?

               分かりさえすれば  分かったことは 分かり易い
              (  “難易” の   「量」・認識・分別 から
                         遠離した 「 自己 」 を 観るのみ  )

            > 争いの世界(阿修羅)にいるのが、プーチンとトランプ。

                その修羅場  を    自蘊 が 創り出している
             (  そのありさま  を      「 世間 」  と 呼ぶ  )

                「 世間虚仮 唯仏是真 」 ・ 「 唯仏与仏 乃能究尽 」 

               純である  「 自己 」   に   「 止観 」 で 対峙する

              いつであろうと    (わたしは)  これを読むものすべて者
               に 対持している
               ( わたしに対峙している   ↓
                   “わたし” であり “あなた” である これを読む者 )

            わたしは  力を用いない
                支点を持たねば  作用は起こせない
                支点 に 沿って   力が起きる

               わたしの支点  とは   “ 自慢 ” = 「 慢 」  である
             ( そうかどうかは ) あなたの  「 慢 」 の ありようが決する
             ( あなたに 「 慢 」 がなければ    慢 画 も 無い )

              
             笑い飛ばしてください 
             「 慢 」 を テキストに描く  の身  の “わたし”だから

             ( 漫画 と 日本のコミック  とは  少しの差がある )

               南無阿弥陀仏  と  唯一真(神)  との 違い

             「  白骨 と 共に 喩につく   強者の     
                   その身を  いやす    易きこと   
                     武ける やまと の   草 を 薙ぐ  」

          •  春間 則廣  より:

            *

            > 論理変換のやり方を知っています。龍樹もそこを理解しているので、『中論』を書きました。

               『中論頌』  って

                “ 分かりやすく 説かれた ”

                 分かりやすい コト(言葉・事実)  ですか ?

  15. ショーシャンク より:

    『それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。』
    という文章の「根本」という言葉だけを切り取って、延々と「根本」という言葉に付いて回っているのがあなたです。
    その中で、『釈迦牟尼が顕われ出て 根本 という概念は 否定されました』とあなたが断定したので、仏陀は根本という概念をmūlaという言葉で使っていることを指摘したのです。
    根拠を示すことであなたの『釈迦牟尼が顕われ出て 根本 という概念は 否定されました』という言葉に反論したのです。

    もういい加減、文章の中の一つの言葉だけを切り取って、質問の趣旨と全く違うことを延々と貼り付けるのは止めませんか。

    『それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。春間さん、それが何かわかりますか?その中国史上最大級の『変化』が』という文章の趣旨は
    『アヘン戦争の勃発によって起こった大きな「変化」とは何か?』ということです。

  16.  春間 則廣  より:

      阿保 だけが 阿保に対峙  できる(乃能究尽)

       「 唯仏与仏 乃能究尽 」 

      あなたは 本当のことを知る  ゆえに  「 仏 」 である

       このこと は 阿保が言う        事実に過ぎない

    • 赤い実 より:

      春間さん。皆と先生のブログで共存するためには、投稿の内容と頻度は考えないと難しいと思います。
      可能なら春間さんの意味不明コメントはスルーでいいんじゃないかとは個人的には考えそうしてきたけど、きちんとしたい方がいるのも当然ですしね。
      スルーしてもらってかまわないですよ。
      こちらからはそうします。

  17.  春間 則廣  より:

    スルーしたければ
    スルーしてください

    スルーする人 には( 当然のこととして ! )スルーされます

     わたくしごと  には
     かまいません( かまうこと は できません )

      ( あなたの用には ) お節介 は しません

  18. ショーシャンク より:

    春間さんの文章は、特に歴史を語ると突っ込みどころ満載になりますので、どれから突っ込んでいいかわかりませんが。

    >> アヘン戦争勃発によってそれまでの中国の歴史が大きく変化した

    >  侵略によって 獲得した 国土・人民 が
      侵略されることとなった 契機 の あらわれの一つ です

    清の辺境地区への拡張政策は、アヘン戦争の原因ではありません。
    あくまでもイギリスが貿易赤字を解消するためにアヘンを清に密輸していったため、アヘンの蔓延を止めようとした清の役人がアヘンを焼き払ったのがきっかけです。
    清の周辺への拡張政策は関係ないです。

    > 1840年 当時 日本には 既に 西欧に対応する 供え 鉄砲・大砲 
        専門的に組織化された(優れた) 多数の武士  があったのです

    これは全くの間違い。1840年当時、日本には西洋諸国に対応できるほどの軍事力は全くありませんでした。
    鉄砲も大砲も同時期の西欧諸国と比べるまでもなく遅れていました。

    >日清戦争の戦費の3分の1 は(約7千万円) 外債に頼り
        長崎の出島にいた、ロスチャイルド系 が 引き受けの中心であった

    何を根拠に言っているのかわからない。
    日清戦争の時は外債にはほとんど頼らず、増税や国内での借り入れが主だった。
    また、長崎の出島が外国との交渉に機能していたのは幕末までであり、このころ、ロスチャイルド家が出島にいた記録はない。

    >金を貸した のは 返済能力 が  確実視 される ゆえ  

    ロスチャイルド家がお金を貸したのは日露戦争の時ですが、それはロシアの南下政策やユダヤ人差別などを脅威と見ていたため、ロシアを抑制する意味合いが大きいですね。
    また、高リスクだが高リターンということもあったでしょう。
    決して、返済を確実視していたわけではありません。

    > 中国の歴史 の  おおきな変化   とは
        国家的 アヘン栽培 の 実権   が
              日本に移った ということ を 契機とする

    これもまた歴史的な根拠が薄い。
    国家的アヘン栽培の実権が日本に移ったということはありません。
    どのような歴史的事実からそのようなことを断言していますか?

    >少なくとも 清国 までは 真っ直ぐな歴史 が 続いた

    真っ直ぐな歴史? 意味不明です。説明をお願いします。

    >人民 にとって、 最大の変化  とは  毛沢東 “後”  の  文化大革命

    文化大革命が毛沢東後?毛沢東が死んだことで文化大革命が終わったのですが。

    >人民が  教養のない統治者により 民間にある 教養を 捨てさせられた こと 

    あまりにも歴史の見方が表面的すぎる。
    文化大革命という人類史上最大最悪の虐殺事件は、江青の劣等感や嫉妬、個人的な復讐感情が引き起こしたものです。毛沢東の権威を背景として。
    文化大革命は、毛沢東が首謀者の権力闘争と言われることがありますが、本当の首謀者は江青です。

  19.  春間 則廣  より:

    表面的過ぎるのはあなたです

    あなたが正しいという
    具体的根拠を示して、反論しなければいけません

    示したことに反論するとき
    根拠が必要となります

    わたしはあなたに反論しているわけではありません

    示されたことがあやまりだと断定する根拠が、
    正しければ、
    わたしは意見を修正します

    • ショーシャンク より:

      >具体的根拠を示して、反論しなければいけません

      例えば『1840年当時、日本には西洋諸国に対応できるほどの軍事力は全くありませんでした。鉄砲も大砲も同時期の西欧諸国と比べるまでもなく遅れていました。』ということに関してです。
      鉄砲に関しては、日本はその時火縄銃(前装式)でしたが、西洋諸国は雷管式、後装式のライフル銃でした。
      大砲は、日本は手作りの鋳造砲で圧倒的に少なく、西洋諸国は工場生産の施条砲、艦載砲でした。
      1852年の黒船来航の時でさえ、ペリー艦隊の大砲は3000mを超える射程距離でしかも正確であったのとくらべ、日本の大砲の射程距離は最大で300mで不正確でした。

  20. ショーシャンク より:

    秦の時代から『アヘン戦争の直前』まで、
    中国の歴史には一貫したものがあったのです。
    それが、アヘン戦争の勃発により、根底から覆ったのです。
    ですから、『それまで何千年と続いた中国の歴史が根本から変わったのがアヘン戦争勃発です。』と書いたのです。
    それは大きな変化という言葉では足りず、根本から覆ったとしか言えないことです。

    これがわかると『根本から変わった』という表現も理解できるのですが、ピンと来ないので、「根本」という言葉に付いて回って否定しているのでしょう。

    春間さんの歴史認識がどのくらいかはわかりましたから、無理にレスする必要はなく、終えていただいて結構です。

  21.  春間 則廣  より:

    出島にあった商館を知っていますか?

    当時、長州、薩摩 、幕府が所有していた
    砲門、鉄砲のおおよその数量を、あなたは知っていますか?

    日清戦争に外国による債権引き受けがなかったという、具体的根拠を示せますか?

    • ショーシャンク より:

      >出島にあった商館を知っていますか?

      出島のオランダ商館は、1641年から1859年まで稼働していました。218年間にわたり、日本唯一の西洋との窓口でした。しかし、開国に伴い、1859年、出島の商館は廃止されました。
      明治時代の日清戦争の頃は、出島の商館は廃止になって久しいのですが?

      >当時、長州、薩摩 、幕府が所有していた砲門、鉄砲のおおよその数量を、あなたは知っていますか?

      1840年当時に関しては詳しい数量の資料はありませんが、あったとしても火縄銃がメインです。
      黒船来航の1853年以降、幕府も諸藩も新型銃を購入していき、特に財政が圧倒的に豊かであった長州藩は新型銃を買い集めていきましたが、西洋諸国との戦争ではなす術もなく惨敗しました。

      >日清戦争に外国による債権引き受けがなかったという、具体的根拠を示せますか?

      無いことの証明は悪魔の証明と言います。
      あったという歴史的な資料がないことから、ほとんどなかったと歴史家は判断しているようです。
      もしあったというなら、日清戦争に外国による債権引き受けが3分の1もあったことを示す資料を示してください。

  22. ショーシャンク より:

    春間さん。

    日清戦争の外債発行に関する資料を調べました。

    日清戦争(1894–95年)では、国内の増税と内国債の発行によって戦費を調達するのが主流でした。なお、当時日本はまだ銀本位制であったため、外国市場で国債を発行することは困難であるとの認識がありました

    明治政府は、早い段階から対外債務の拡大に慎重な姿勢をとっていました。過去に1870年の9分利付外債や1873年の7分利付外債を発行した経験もあるものの、それ以降、1899年まで本格的な外債発行は控えられたとされています
    (アジア経済研究所デジタルアーカイブス)

    野口悠紀雄氏は、当時日本国債を持つ投資家への売却にあたって、銀本位制である日本が欧米投資家にとって魅力が薄かったことを指摘しています。結果的に、ロンドン市場などでの外債発行に至らなかったのは、制度的・信用的な理由が大きかったとされます。

    須原誠「日清・日露戦争と日本の国債」
    日清戦争では国内資金と賠償金を基盤とし、対外債務拡大を避けたとの記述

    野口悠紀雄「戦費調達に苦しんだ明治政府」
    銀本位制ゆえに外債発行が難しく、賠償金をもとに金本位制へ移行した過程に注目

    図書館ジェトロ・アジア経済研究所資料
    1870〜73年に外債発行を試みたが、松方正義らの政策により外資導入が否定され、以後発行が抑制された

    春間さん、以上のような資料が見つかりました。

    私は主張の根拠と出典を示しましたので
    春間さんも自分の主張の根拠と出典を示してください。

  23.  春間 則廣  より:

    7,000万円(!)分の 国債( 外債と記したのは 誤りでした )

    を外国が購入しなかった  という根拠はありますか ?

    • ショーシャンク より:

      日清戦争は、1894年~1895年です。

      日本は1899年までは外債は発行しませんでした。
      1899年と1900年にロンドン市場で外債を発行しています。

      日清戦争講和条約の下関条約が1895年ですから、
      既に戦争に勝ち賠償金をもらうことが決まった数年後ということです。
      終戦後ですから、直接の戦費ではなく、更なる軍備増強のためとみるべきです。

    •  春間 則廣  より:

      トマス・グラバー は ジャーディンマセソンの代理人で
         坂本龍馬を通じて、薩長に 武器を調達していたことは知っていますか ?

        グラバー商会 は 坂本龍馬などに、銃や艦船や機械類を大量に販売していたのです

        ジャーディンマセソン は (元) 東インド会社 
          その銀行 が 香港上海銀行

      日露戦争の 公債 を 引き受けた ジェイコブ・シフ は ユダヤ人で
       ロスチャイルド系統の銀行家

         イギリス は 薩長土佐・幕府 の 武器購入 を よく知っていて
           それを扱う 武士 のことも 知悉していた

        日清戦争 に 日本が勝利できることも
           それらの事実から 、 確信していたから
         7,000万円 以上 も   投資できたのです

      • ショーシャンク より:

        >日清戦争 に 日本が勝利できることも
             それらの事実から 、 確信していたから
           7,000万円 以上 も   投資できたのです

        ですから、それは全くの間違いです。
        日清戦争は1894年~1895年で、講和条約により終わったのが1895年4月です。
        これにより、日本は巨額の賠償金を受けとりました。
        その賠償金を活用して、銀本位制から金本位制にしたのが1897年です。

        そして、1899年、ロンドン市場で外債を発行したのです。
        春間さんが言っている7000万円というのはその時の外債のことです。
        金本位制にしたから国際市場で信用がつき外債を発行できるようになったのです。

        日本が勝利してから四年後のことです。

        ですから、春間さんが言っていることは時系列がおかしいのです。

        グラバーが武器商人つまり死の商人だったことは知っています。
        坂本龍馬もグラバーと仲間です。

        ですから、最近は、坂本龍馬の評価の見直しがよく言われています。

  24. ショーシャンク より:

    春間さん。
    春間さんの文章の特徴は、質問のテーマをどんどんずらしていくことです。
    最初に戻ります。
    ぎんたさんの文章にレスする形で投稿された春間さんの次の文章です。

    ★★★★★★★★★★★★
    阿片の被害者 は 清の人  ではないですよ
        ( あなた・あなたの認識 が 加害者である )

        加害者 は   主 に 英国在住 の ユダヤ人
      ( 英国東インド会社・ジャーディン・マセソン・ホールディングス )
         「 香港上海銀行(HSBC) 」
    ★★★★★★★★★★★★

    この文章は、ぎんたさんの『アヘン戦争のアヘンの被害者が、今アメリカでフェンタニル被害者で(中身が清の人)』という意見に対するレスであり否定形となっています。

    掲示板で対話するのであれば、誰かの意見を否定するときは
    その否定の根拠を述べ自分の意見を明らかにすることが必要です。
    そうでないと、理由も根拠も明かされずに否定されたことになり
    対話が成立しないからです。

    春間さんが自分の意見を言わずに他者の意見を否定だけすることを続けているのは
    掲示板の自由で和気あいあいな話し合いのためにはマイナスです。

    何年か前に、ヤフー掲示板で春間さんに『マニカナに来なさい』と言われて初めてマニカナの存在を知りましたが、その時閲覧したところ、春間さんのコメントが全体の7割から8割を占めていました。
    新規の人が来ることがなく、古参の人もたまにコメントんするくらいでした。
    遡って過去を閲覧すると大いに盛り上がっていた時があったことを知りました。

    私はその時、春間さんの独りよがりな文章スタイルが新規の人を遠ざけ古参の人もうんざりしているのではないかと感じました。
    それから、春間さんの批判をすることが多くなったのです。

    今も、ぎんたさんという才能溢れる人が新しく来て盛り上げてくれているのですから
    春間さんも理由を言わずに否定だけして水をぶっかけるようなスタイルは変えた方がいいと思いますよ。

    独りよがりな文章スタイルと投稿スタイルを変えるのが無理なのであれば、少なくともまともに対話ができるように、相手の意見を否定するときはその理由を明らかにして自分の意見を述べることだけはしてください。