世界の三大宗教という言い方をする。
世界の三大宗教は何ですか? キリスト教とイスラム教と仏教です、ということになっている。
キリスト教は、世界の宗教人口の1/3をしめている。
イスラム教は、世界の宗教人口の1/4以上を占めてきている。そのうち、イスラム教はキリスト教を抜くのでは?と思われている。
仏教ですか?仏教は、世界の宗教人口の中では5%くらいしかなくて、まあ、どうでもよいけど、「いちおー世界宗教なので」、といわれている。ヒンドゥー教を信じている人たちよりも少ない人数だ。
宗教に関心のない人たちも多いから、それで「世界の宗教人口のうちで」と銘打っている。常識のある現代的な人々は「宗教?。。迷信のたぐいだろ」って思っている。
だけど、よく考えると、この分類には語弊があるし、分類が変なような気がする。
仏教の立場は、「実は宗教なのではない」という立場なのです。だけど、あんまりというか、まったくというか、自己主張しないので、宗教の分類の中に組み入れられてしまっている。だから、キリスト教とかイスラム教とかと並べて扱われているのです。
そこで、現代人の中で「無宗教です」という人を、仏教も宗教ではないので、仏教に混ぜると一挙に人数が増えるのです??
そうまでして、人数を増やしたいのか、といわれるかもしれないけど、そうではないのです。
ただ、基準が違うと数値が変化するよ、と言いたかっただけなのです。https://toukeidata.com/country/syukyou_jinkou_rank.html
仏教は「ふつうに考えられる宗教のジャンルにはおさまらない」のは、なぜかといえば、
仏教は形而上学を語らない
という縛りがあるからです。他はみな神さまを語ります。神さま抜きでなり立つ宗教は仏教くらいでしょう。仏さまがいるじゃないか、って言うかもしれないけど、「ほとけ」には基本的に誰でも成れるのです。成仏ということばもあるしね。
実際、成った人はあまりにも数少ないので(歴史的にはゴータマひとりかも)、「かみさま・ほとけさま」とまとめて言われるのです。だけど、誰でも成れる、というところに目をつけると、死ぬことを「成仏」と呼んだりするのです。死んだ人を、「ほとけさま(になった)」と呼んだりもしますよね。
ことばの意味は1つではなくなります。
多義は、仏教の独特のことばの使い方です。死ねば誰でもほとけになれるけど、現実に生きてるほとけははどこにもいない。。
ほとけになれるの、それとも、なれないの?
神さまはどうなの?
神は「成るもの」ではなく、唯一絶対の存在だ、と言い出すと、「形而上学」ということばが出てくることに。
厄介だね。
信仰の世界が広がる。神を唯一絶対の存在と認めるところに「信仰」が広がる。こうして宗教が出来上がる。
仏教は、誰でも成仏をめざす教えとして、歴史上現れたゴータマを開祖とする宗教、と分類づけられるようになりました。
また、一方では、
仏教は、学問的にもとらえられ、研究・実践するものだと考えられている、ところもある。
こうして、みんなこんがらがってくる。
誰でも生きる道ととらえる人は、仏教を「仏道」という修行道なのだ、と言います。
信じるものは救われるととらえるなら、それこそ「宗教」の名がふさわしい。
学問的に探究できると考えるなら、仏教は縁起の「科学」になる。
理想の境地「涅槃」を見る人は、仏教は最終的に「寂滅」をめざすというのです。
どれも「あたり」だとして、仏教は、どの考え方も拒否しないのです。
以上で、仏教概説を終わります。
こうして、仏教って、宗教なんだろうか、宗教じゃないんだろうか、て、悩むことになるのです。
コメント
「私な仏教」だと、人=ほとけなので、「仏教」の解釈はほとけ一人一人全部違っておっけー♪だし、
ほとけがやってるキリスト教に、ユダヤ教、イスラム教、、、、、などなど。。。。
3.4年前?位かな?初めて知って心底びっくりしたのは、イスラム教のラマダン!断食といっても
日没までで、その後はむしろ豪華な御飯食べたりもするっていう。。。「ラマダン中にちょっと太っちゃ
ったー」てこともあるとか、、、はぁ~~~~~~~~~?夜そんな食べたら健康に悪いじゃん!!
(ここで、脳内がこはる日和.の大女優こはるちゃんのびっくり顔になる)と思うんですが、、いやいや
ほとけがやってることだから、きっと、みんな仲良くなって家族も地域も笑顔になったりするんだな、
とか考えます。
……………………………
アジアカップはイスラムの地で
………………………………
ラマダンが
仲間意識を
育て行く
アジアカップは
イスラムの地へ
苦痛の緩和というご利益があるなら一時の方便としていいですね。ロキソニンみたいなもの。
でも、女、子供、家畜まで殺せって神様の命令もあるのが彼らのオリジナルの宗教ですから大変。
神の名を冒用しているだけにしか見えないけど。
今でも互いに殺しまくりだし。
ところで仏の名は冒用してないか?
戦国時代は冒用してましたよね。
人間のやることは似ている。
> 苦痛の緩和というご利益があるなら一時の方便としていいですね。
緩和といえば思い出す。自宅介護の息子は、「緩和ケア」の段階です。つまり手術とかもはや出来ないのです。
まあ、ふつうの人の人生って、緩和の人生って感じもします。細く長く生きるのをよしとするという。。
「人質を全員救い出すまでは攻撃をやめない」ということばには、緩和の気持ちはないですね。
偏るな、度を超してやり続けるな、これは大事な教えかもしれませんね。
地震来たから大仏建立???、、、、、、そっかーーー、「私な仏教」的には
「おめーら全員鏡見ろ!!家で!!!遠い人は行けないよ。」とXで見かけた時からもやもやして
いたんです。私なんて、本尊は海洋堂の「太陽の塔」ですよ?脇侍は「ノン」(カプセルトイ)で。
そしたら、なんか大仏建立はX上で、ハッシュタグでみんなでぽちぽちするんですって!!い、今時だ。
凄いな~~~~~未来来た~~~~
*
君は 邪魔をしているだけに陥っている
どうするか 考えなさい
*
取り敢えず、疲れてきたので2月いっぱいまでお休みします。
*
> 苦痛の緩和というご利益があるなら一時の方便としていいですね。
ロキソニンみたいなもの。
苦痛の緩和 ではなく 感受の遮断 です
ゴリヤク では ありません
( 痛みという 大切なこと を 遮断している )
なぜ 、
「 人 」 に 痛みを感じる 作用 が ( 受け止めるモノ )として
備わっているのか ということを、 “ 感じ ” なければ ならない
( この こと・言・事 を ) 考える “ 必要 ” が ない人 には
後利益 は 行為 を無くし て ・ 受け取ること を失し て
「 楽 」 と 誤って 受け取られている
利益 とは リエキ ではなく 「 理 」 ・ 役
金銭授受 理を役立たせる
( 行ないに伴って起きる 「 理 」 )
起きている 出来事( 作っている 自分の道 ) は・が
“ 先人 の道 に 違うことはないのか ” を “失する”
一時( ヒト“トキ” ) は 、 万事( 汎自・慢自 ) に 及ぶ
「 道 」 に タ ニ マ を 作る
このように “ しりつつ ” も、 トラムセットやリリカ を
眠らぬ夜 を “ 失するため ” に、 飲んでいる
リリカは、カルシウムの神経への流入をストップすることにより、神経の過剰興奮を抑え、痛みを緩和するこの薬は知覚過敏を改善することにより、神経の症状を緩和する薬なのです。
2種類の有効成分からできている鎮痛薬です。第一の成分はトラマドール(トラマール)。オピオイドと呼ばれる特殊な鎮痛薬で、ふつうの鎮痛薬が効きにくい神経痛などによい効果を示すのが特徴です。麻薬系強オピオイドのモルヒネに比べ作用がおだやか
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