
サムです。前回撮った写真から取りました。あげた理由は意味ないです。
如来と阿羅漢の違いについて書こうと思ったので、何か写真をあげなくちゃと思ったのです。写真をアップするのは、わたしの中のお約束だからね。
如来(タターガタ)は、よく、真如世界からやって来たものといわれる。。そうだと思う。真如世界は悟った人の世界です。そこからやって来て智慧によって教え(法)を説いてくれる。
だから、そういうことからすれば、『スッタニパータ』の第三章「大品」の第10経「コーカーリヤ」は、如来の智慧によって著された智慧の経典ということになる。
いや、実は、この経典を巡ってはいろいろ思うところがあったのですよ。こんなこと、お釈迦さんが書くかなあ、って。大乗の地獄絵図は有名だけど、こんな絵は、如来の後の人たちが勝手に書いたもんだろう、って、思ったりしたのです。だけど、ほんとにそうなんか???
だけどだけど、如来が救いたい人たちって、こういう地獄に落ちるような人たちなんじゃないか、って思いついて、コーカーリヤに憐れみを抱いた如来であるお釈迦さんは、この経典をこさえたんじゃないか、って思ったら、ありがたさに涙が出ました。
そもそも『スッタニパータ』という経典の構成が変わってる。この経典には、声聞乗、辟子仏乗、菩薩乗が説かれている。整理されかたが半端ない。
第一章は「蛇の章」、ここで空が説かれる。最高の悟りに関わる内容だ。第二章「小品」では、一般人・沙門たち・菩薩たちのふるまいに関して、進むべき道として説かれる。第三章は「大品」。ここで、ブッダまでの歩みが要点を絞った上で詳しく説かれる。第11経「ナーラカ」は、輪廻に関することも触れられる。宿命通・天眼通・漏尽通も読み取れる内容だ。そして、第12番目に声聞乗の悟り、阿羅漢への道が来る。つまり、一切知者への道ですね。残りは、「八偈品」は辟子仏乗、菩薩乗、「彼岸道品」は菩薩乗。。
こうしてみると、全部、お釈迦さんの一生と重なるんだよね。『スッタニパータ』は、ブッダ直説の自分史だったんじゃないか、ってことで納得してます。壮大な自分史。。つまり、輪廻も含めた自分史です。
『スッタニパータ(経集)』と訳される。およそ800年に数人の割合で、お釈迦さんを理解するものが現れる。最近では、道元が理解した。聖徳太子が理解した。親鸞が理解した。空海が理解した。宮沢賢治が理解した。他にもいるかも、ね、わたしが知らないだけで。
この『スッタニパータ』の一冊があれば、仏教のことが全部わかるようにできているんだなあ。。だから、龍樹の『大智度論』には『スッタニパータ』の引用がたくさん出てくるのか。。『中論頌』の引用も多くある。
仏教のことを知りたいと思えば、どこまでも知ることができる。自分を掘り下げていけば良いだけだからだ。
阿羅漢は、心を染み一つない状態にすることだが、智慧という点で如来には欠けている。
如来は、智慧をもって生き物たちを救う。だから、智慧を求める菩薩が目指される。それに一切の生き物たちを救うことを目指しているので「一切智者」と言われる。
声聞たちにも、一切智者への道は開けていることがわかる。
ちょっと、間違ったかも、龍樹は菩薩乗と述べたけど、ほんとは辟子仏を目指していたのかもね。でも、一人で悟るっていう点で、ブッダに習っちゃってるからだめだよね。
って、ことは、龍樹は菩薩乗をいく、これでいいんだ!
如来になって、みんなを救え!

コメント
如来は救わない
如来に成る 菩薩 あなた が
自らの我身である 我?ジンセイを
自ら救う