『中論頌』

とうとう書き始めました。ほんとに難しい本だわ。

龍樹もわかってなかったんじゃないか、って思うのよ。書いてるときは夢中だから、「わかった、わかった」って思うんだけど、しばらく経つと、「え?!こんなこと書いてら、自分の文章なのかな」って疑問になるんだよね。

私も、同じだ、っていうか、本って、そうやって書くもんだ、っていう気もする。

一瞬間、真理に触れて、後は忘れる。。これを繰り返していけば、本ができあがるはず。。

一瞬の集中を続ければ、全27章すべてが解明されるはず。

龍樹って、すごい人だったんだなあ。兄弟姉妹のように言って、悪かったよ。。

でも、その龍樹も、お釈迦さんの前では赤子のよう。。ほんとにただの赤子だ。

人類史上まれに見る最高の人だから、みんなが拝むんだな、拝まずにはいられない。

『スッタニパータ』宝経を引用しよう!

234.
最高であり、最高を知り、最高を与え、最高をもたらす、この上ない人が、最高の法を説いた。――このことこそ、ブッダの中の殊勝の宝である。この真実によって吉祥であれ。

誰もが拝むお釈迦さん!

コメント

  1.  春間 則廣  より:

       
      >  **********
    “ 234.
    最高であり、最高を知り、最高を与え、最高をもたらす、この上ない人が、最高の法を説いた。――このことこそ、ブッダの中の殊勝の宝である。この真実によって吉祥であれ。 ”

      書いてるときは夢中だから、「わかった、わかった」・・・・

      >  **********

      わかったこと が 「 夢中 」 に 起きる
         けれども   「夢」  は
        “夢と現実”  という (夢の)縛りにある
      ( 縛る者 と 縛られる者 とは  *別人格 かな ? )
        その間には (そこには) 隔たりがある 

     縛りがある限りに 「夢」 は 「現実」 ではない
        しかし  「夢」 は 「現実」と “しうる”

    現実と化すると 「夢」 ではなくなり
      「夢」 は 何処にも 存在していない(現実だけがある)

      “しばり” が  問題で(は) あるが 
         問題 は 問題である ということ

      問う者 と 問われる者 とは   *別人格  かな ?
      分かっている者 と 分かる者   とは  別 かな ?

      ないモノ は ない(存在できない) 
       存在しないモノ は 探すことはできない(示せない)
       すでにあるモノ を ある と 指し示す

         あるモノ を 言い換えて 「現実」 と 呼ぶ
       ( 「現実」 を 分別の “しばり” に 掛ける )
       現実 が 大事 か  分別 が 大事 か ?

      「夢」を 見ている  という 夢に あるのみ
       夢 とは 現実において 夢化 される

       現実 も 夢である  
      
      
      自らの “襟元” にある

         「宝珠」チッタ! マニ である
      
      
           夢から覚めて 

         ( キ チット   チッタ を 知り  )
           心 を    つなぎ止め(死滅させ)

           襟 を 正す