スーパームーン(讃仏乗)

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息子の撮った写真です。息子は二人です。ちょっと前になるかな。11月5日に撮ってメールで送ってもらったのです。まるまる満月ですね。

お釈迦さまみたいだね。「欠けるところのない」という形容がぴったりです。

菩薩について書いた『十住経』を読んでいて、思ったのです。

欠けるところが多いなあ、われ!。ないものだらけです。「如来の十力」とあるけど、何が十力なんだろう。。って、ずっと思っています。ほしいぞ、十力。

「十力」というのは、たぶん世俗と関わるところで出てくるんだと思う。

きっと「如来の十号」とも関わるんだろうね。十号も、世俗的なものに関連してるからね。

ブッダって、エラいよね。こんな人いないもん。人とすれば、人間界の神様の領域に到達していて、神様とすれば、本当に人間のことがわかってる神様じゃ。

だいたい「神様」って言っても、わたしの眼からすれば不満が多い。

神様なのに、悪い人は地獄に落とすだけだし、ね。。人々を救わなくても良いの、て思ってしまう。

仏さまは、人間を救う。。人間だけでなく動物たちも救うんだぜ。それも、温かい教えで救ってくれる。スーパームーンみたいな仏さまじゃね。

苦しみを払うお釈迦さまは、説法の時から、苦しみを払ってくれる。相手を傷つけないんだ!

説法するけど、お説教はしない。。どこまでも理屈に合っている。どこをとっても矛盾がない。

わたしがお釈迦さまで一番好きなところは、そこだ!「矛盾がない」ところだ。そして、その論理を貫いて住しているところだ。

そして、「矛盾がない」ということは、お釈迦さまは「嘘をつかない」ということであり、「真実語を語る」ということなのです。嘘だらけのこの世で、嘘をつかないお釈迦さま。

完璧だ!欠けるところのないスーパームーンなのです。おわり

コメント

  1. Blume(hana) より:

    石飛先生お久しぶりです、Blume(hana)です。
    突然お邪魔して申し訳ありません。

    実は先生に二点お尋ねしたいことがあります。

    一つ目は、私はマニカナ掲示板が閉鎖した理由が私にあったのだとずっと思っていたのです。
    それは先生に「あなたのせいで掲示板が閉鎖になる」?と言われた記憶がずっと残っていたからです。
    でも多分先生を知る多くの人たちは、先生が個人に直接そのように言われるとは信じられないのだと思います。

    それで私の記憶を引っ張り出してみたところ、「あなたのせいで、めちゃくちゃにかった」?というような言葉を言われた記憶だったのかなと。
    それを掲示板閉鎖になった自分の罪悪感とで、「あなたのせいで掲示板が閉鎖に」という風にとったのか、今となっては思い出せないのですが。。

    私はこのことを自分が書いている掲示板に書いてしまったので、もし間違っていたとしたら、トンデモないことを書いてしまったかもしれないと思いました。

    二つ目は、マニカナ掲示板の終わりころに、なんだか常連ではない人が書き込んで、先生に対して何か言われていたような記憶があります。
    その時先生に、その人は私の別HNだと言われた記憶があります。
    その時は、私ではないので、IPアドレスを調べてくれるように先生にお伝えしたのですが、先生は当時の掲示板の設定PWかな?を忘れてしまったので出来ないというようなことを仰っていて、結局私はそのまま犯人扱いで終わった記憶があります。

    マニカナ掲示板が終わったのが2023.3.9とありますから
    あれから私は2年半もの時間をずっとこのことを引きずっていて、
    自分でも呆れてしまうのですが。。

    私が先生を始め、マニカナに集う人々の会話を邪魔した事実には変わりないので、そのことは本当に申し訳なかったと思っています。

    ですがいつまでも引きずっているのは、自分にも他の人(勿論先生に対しても)にも良くないことだと思い、これを以って関係する掲示板には書くことをやめようと思っています。

    先生、私は本当に自分のことしか考えていなくて、
    捨HNで中傷したと書かれたときに怒って延々と掲示板を使用してしまいました。
    そのことを思うと、自分はしていないと書いて、そして書いても状況が変わらないのであれば、そこを去るとか、それを気にせずにいるとか、自分の取る行動で結果は変わったのだなと考えると、誰のせいでもない、自分の選択の間違いだったのだなと、今はそう思えるのです。

    しかしそう思いながらも、どこかでくすぶった気持ちがあるのも正直なところです。

    長々と自分の気持ちを書いてしまいましたが、
    先生のその当時私に言われた言葉をもし覚えたいらしたら、
    先の2点の質問にお答えいただけると幸いに思いますm(__)m

    • mani より:

      Blumeさま  お久しぶり!嬉しいですよ。

      > それは先生に「あなたのせいで掲示板が閉鎖になる」?と言われた記憶がずっと残っていたからです。

      それは!違います!Blumeさまのせいで掲示板を止めたりはしません。当時3人か4人か、約束を守らずに書き込む人がいて、わたしも辟易していたのです。

      > その時先生に、その人は私の別HNだと言われた記憶があります。

      それも違います!

      >結局私はそのまま犯人扱いで終わった記憶があります。

      それも違うんですよ。わたしはBlumeさまのことを疑ったことはありません。というか、Blumeさまは嘘がつけない人なので、すぐに私にはわかってしまうからなのです。
      わたしはBlumeさまにそうお伝えしましたが、Blumeさまはわたしの言うことを聞いてはくれませんでした。

      Blume さまは誤解したのでは、と思いましたが、そのままになってしまいました。 Blumeさまはpipitさまとお話になっていましたね。pipitさまは優しい方なので、「よかったな」と思いました。
      Blume さま、ここで、すっきりさせて、思ったことを語り尽くしてくださいな。

      • Blume(hana) より:

        先生、お忙しい中、返信ありがとうございますm(__)m

        夜に一度先生の返信を読んだのですが、
        自分の認識とあまりにも違い過ぎて、理解が追い付かなかったのが
        正直な感想です(;^_^A

        そうでしたか・・・私の誤解ですか・・・。
        私ずっと誤解したままだったんですね。。

        >わたしはBlumeさまにそうお伝えしましたが、Blumeさまはわたしの言うことを聞いてはくれませんでした。

        なんと言っていいのか。。
        私はすごく頑なになっていたのですね。
        先生本当に申し訳ありませんでしたm(__)m

        >Blumeさまはpipitさまとお話になっていましたね。pipitさまは優しい方なので、「よかったな」と思いました。

        はい、そうなんです。
        pipitさんが寄り添ってくれていなかったら、
        私は自分の誤解の中で、もっと苦しんでいたかもしれません。

        先生は、聞く耳を持たなかった私にも、
        「よかった」と、そう思ってくださっていたんですね。

        本当に何と言っていいのか・・・本当に申し訳ありませんでしたm(__)m

        >Blume さま、ここで、すっきりさせて、思ったことを語り尽くしてくださいな。

        いえ、すっきりというかもう、空っぽという感じなのです。。
        自分がこの2年半に引きずっていたことが幻だったような感覚というか・・・
        マニカナ掲示板であれだけ先生から時間を使っていただいて
        沢山の投稿をいただいたのに、私は何をどう読んでいたんだろう。。

        ただ今ある気持ちは、先生への心からの申し訳ない気持ちと、
        自分の認識への信頼が崩れたような、
        ちょっと言葉に出来ない思いがあります。

        先生は私のことを疑っていなかったし、
        私のせいではないと書いてくださっていて、
        よかったなって思う一方、すごい脱力感に襲われています。

        でも現実は先生の言葉がすべてで、私は自分の認知の歪んだ部分と
        これから向き合って行かないとと思いました。

        先生、何度伝えても聞く耳を持たなかった私にも
        いつもご親切に接してくださったこと
        本当にありがとうございましたm(__)m

        ちょっと混乱していて、自分で何をどう書いているのか?という感じがしますが、
        先生に申し訳なさ過ぎて、穴があったら入りたいような・・・
        そんな感じなので、どうか失礼な書き方しかできませんが
        お許しくださいm(__)m

        先生、本当にありがとうございました。

        • mani より:

          >自分の認識とあまりにも違い過ぎて、理解が追い付かなかったのが
          正直な感想です(;^_^A

          わたしは、時折思い出しては、「Blumeさまはどうしているかなあ」って思ってました。最後は辛そうだったけど大丈夫かなあと思ってましたよ。

          今思うと、Blumeさまの状況がそのまんま見えていたんだなぁと思います。

          たぶん、Blumeさま、わたしのことは気にしなくていいですよ。。って言っても、気になるとは思うんだけど、Blume さまについては、なんかもう「わかっちゃった感」があるので、ほんとに視野の外に置いておいてください。

          Blumeさまなら何が起こっても、いつも、わたしはこんな感じだと思っておいてくださいね。

          >よかったなって思う一方、すごい脱力感に襲われています。

          ですよねぇ。「今までなんだったんだ」って感じかもしれません。
          それも含めてBlumeさまだなあと思うので、ありのままのご自分でいて下さい。

          それでいい!それで十二分じゃないか、って気がします。
          こんな風に時々書き込んでくれたら嬉しいです。

          • Blume(hana) より:

            先生、こんにちは。
            返信をありがとうございますm(__)m

            先生からの投稿を読みながら、マニカナ掲示板があったころの
            先生やみなさんのやり取りを思い出して懐かしくなっています(^▽^)

            >たぶん、Blumeさま、わたしのことは気にしなくていいですよ。。って言っても、気になるとは思うんだけど、Blume さまについては、なんかもう「わかっちゃった感」があるので、ほんとに視野の外に置いておいてください。

            先生、長い時間、誤解していたことを
            こんな風に許してくださって、本当にありがとうございますm(__)m

            >ありのままのご自分でいて下さい。

            この言葉読んでいて、うるっとしてしまいました。
            自分はダメ人間だからずっと変わらなければいけないんだって思い詰めていたので。
            ありのままでいいのですね。

            ありのまま、だけど自分の認知が変なことになっていないか
            時々振り返ろうと思いました。

            もう一つの返信もありがとうございます。

            少し掲示板を休もうかなと思っています。
            またいつか元気が出てきたら、先生や皆さんの言葉を読みに、
            また私も先生とお話し出来たら嬉しいなと思っています。

            ありがとうございました(^▽^)/

  2. Blume(hana) より:

    先生お忙しいのに度々の投稿をお許しくださいm(__)m

    先程自分が書いていた掲示板に私の書いた言葉に誤りがあるかもしれないことを投稿してきました。

    以下の文章です。

    「先生が私のせいで掲示板を閉鎖したといった言葉ですが、

    その言葉が正しかったのかもう一度よく思い起こしてみました。

    でもそういう言葉を言われた記憶はあるのですが、

    その言葉そのものを覚えているわけではないのだと思いました。

    なのでもし先生の趣旨と私が書いた言葉に齟齬があった場合

    先生の名誉を傷つける発言になってしまうのだなと

    自分の浅はかな発言に後悔しています。

    なのでこの言葉は間違っているかもしれないということで

    私の記憶違いかもしれませんので

    先生を始め、pipitさん、私の投稿を読んだ方々に

    確証のない言葉を書いてしまったことをお詫びします。

     
    申し訳ありませんm(__)m」

    先生、不確かなことを投稿してしまったこと、
    申し訳ありませんでした。

  3. Blume(hana) より:

    先生、本当に何度もすみませんm(__)m

    先生にとってもマニカナ掲示板閉鎖の件はお辛かったことだと思います。
    その当事者である私とはもしかしたらもう関わりあいたくないのかもしれないなと
    ふっと思い追記します。

    先生がもう私と関わりあいになりたくないと思われるのでしたら、
    この3通の投稿はUPされなくても大丈夫です。

    ただ最後になりますが先生、私は本当に今まで一度も捨HNや成りすましで
    人を中傷したりしたことは無いのです。

    信じていただけるかはわかりませんが、それではお忙しいところ
    すみませんでした。

    北海道はもう雪が積もっているんですね。
    私は今は大阪なので真冬でも雪はぱらつくのを見るだけでも嬉しいくらい
    雪を見ることがありません。

    先生どうぞ寒いですからお身体大切になさってくださいね。

    ありがとうございましたm(__)m

    • mani より:

      ご心配症のBlumeさま

      >ただ最後になりますが先生、私は本当に今まで一度も捨HNや成りすましで
      人を中傷したりしたことは無いのです。

      大丈夫、知ってますよ。
      もし、万が一「そうしてみようかな」と思ったとしても、Blumeさまにはそういうことはできないとわかっていますから。

      Blumeさまは、捨HNや成りすましを行うタイプの人ではないからです。

      そういう意味では、Blumeさまは、もしかすると意外と”個性的”なのかもしれませんね。
      いつでも書き込んでくださいね。お待ちしてます。

      • 赤い実 より:

        先生、こんにちは! お邪魔します。

        お二人の間にあった誤解がとけたのを拝見して安心しました。
        というのも、お二人の間に誤解が生じた根本は、私が疑惑を語ったことにあるのは明白だからです。
        お二人に困難を与えてしまい、その節はほんとうにすみませんでした。

        それで。これから書くことはBlumeさんを批判する内容ではありませんので、読んでいただけるとありがたいです。

        3年くらい前から、某哲学サイトにBlumeさんも来られるようになり、そこでも私はBlumeさんに例の疑惑を向けたことが2回ありました。
        私からその話を最初にそこで持ち出したのではないけど、持ち出されたことへの怒りなど身勝手な理由からでした。

        それで。今年の初め頃に、自分のしてきたことを心から反省して清らかな道を歩きたいと思うようになり、以降そうした話を一切していません。
        このことは先生にご理解いただきたいと思いました。
        先日もお邪魔したところでしたし、お伝えしたくなり勝手ながらこうして書かせてもらってます。
        言い訳じみた話ですみません。

        先日、たまたま白と黒の話が出ましたよね。
        それで私は、動機を大切にしての言動をしたいと努力しているところだったので、その思いを強くしました。

        Blumeさん。途中のところ、ごめんなさい。
        何年も苦しい思いをさせてしまいすみませんでした。
        先生とのことも私がきっかけで誤解に発展したのですから。

        • o より:

          なんで書くかな

          • o より:

            赤い実さんへです。

            誤解しないように補足しました。

          •  春間 則廣  より:

            > なんで書くかな

                書くことによって   表すことができるから

              (  アラワスコト ニハ    二面がある  )

                  似面 では あるが

                「 世間 」 では  そこに大きな距離がある

              
               隠すこと は  見逃しやすい( その為に 書く )

                「 他 」 に 向けているようで

                「 自 」 は そこから決して離れられない

                こういうこと は 覚する者 が 知り

                 決して握りこまれてはいないけれど

                “ カク ” ( 隠・欠く・隔 ) されているのです 

        • Blume(hana) より:

          赤い実さん、こんにちは。

          >3年くらい前から、某哲学サイトにBlumeさんも来られるようになり、そこでも私はBlumeさんに例の疑惑を向けたことが2回ありました。
          私からその話を最初にそこで持ち出したのではないけど、持ち出されたことへの怒りなど身勝手な理由からでした。

          はい、持ち出したのは私の方からでしたね。
          申し訳ありませんでしたm(__)m

          >Blumeさん。途中のところ、ごめんなさい。
          何年も苦しい思いをさせてしまいすみませんでした。
          先生とのことも私がきっかけで誤解に発展したのですから。

          私なりに赤い実さんがなんで私を疑ったのかその背景を考えてみた時があって、
          それは赤い実さんの真意かどうかは不明だけど、
          自分なりに納得した部分も一部あったのです。

          赤い実さんは、マニカナ掲示板の趣旨を大切にしていたのだろうなって。
          それで私と赤い実さんはYahoo時代に交流していたから
          私に改めてもうらおうと私に場の空気の話をされたのに、
          私が私は空気は読まないみたいなことを言って、
          自分の態度を改めようとしなかったことが発端となったのかなと。

          場には場のテーマがあるので、それから逸脱した展開は疎まれる要素となるのだなって気づきました。
          赤い実さんはご自分が悪役になっても、私にそれを伝えたかったのかなとか
          そんなことを考えたりしていました。

          でも疑惑に関しては、ちょっとというかなり傷ついたのですが、
          でもその後の私の行動はけっして褒められるようなものではなかったので。。

          迷惑されている方も少なからずおられたと思います。

          事が大きくなった原因の一つには、私が疑惑をかけられた後の言動も
          大きく関わっていたのだろうなと思います。
          私にも反省すべき点は沢山あったのだなと今、感じています。

          • 赤い実 より:

            Blumeさん。複雑な思いで読まれたと思います。
            返信ありがとうね。

            あちらでのきっかけのことは、やはり最初というか根本が私ですから何も気にしないでください。

            疑惑のきっかけは、書いてくれたのはやはりまったくほど違うの。

            前にも何度か書いてきたけど。
            最初にその人を見た時に、もしや?だったのです。
            そしてマニカナでhanaさんだとまだわからなかった時にもらった返信が私へのだけはやけに暗くて…うん?となり、その後は会話して…その中で、勝手なところが見えて(自分がそうとう勝手なのにこんな言い方ごめんなさい)、意外性だったのね、それが。
            最初にあちらのサイトで見てそう感じたのは、投稿の際の癖、それまでに知っていた嗜好、それまでの関係性、状況などからそのように。

            確証のないことを発信してしまう罪を今は強く感じてます。
            その人が誰だったかなどより、そういう人から何かを書かれるようなカルマを作らないこと、それがなにより大切だとほんとに感じてます。
            自分の心の動きが嫌になるぐらいいつも見えてしまい、人のことも見える気になって、そこから動揺が起きやすい状態が続いてたのだけど、最近はとにかくなるべく反応しない、それを心掛けてます。
            そうしないと人に迷惑になりかねません。

            辛い思いをさせてほんとうにすみませんでした。
            返信してくれてありがとう!

      • Blume(hana) より:

        先生何度もすみませんm(__)m

        せっかくなのでもう一つお聞きしたいのです。

        私が昨日質問した二つの質問に
        先生は違うと答えてくださいました。

        私は混乱してしまったのだけど、
        後でよくよく考えてみたら、
        先生は私に向き合ってくださるときに
        対機説法を使っての対話をしてくださっていたのかなと思いました。

        これを思ったときに
        自分の中で腑に落ちたというか
        先生の言葉がすっと心に入ってきたのです。

        先生、私の感じたことは、間違っているでしょうか?

        • mani より:

          Blumeさま こんばんは。

          >対機説法を使っての対話をしてくださっていたのかなと思いました。

          対機説法と言うほど、ご大層ではないけど、Blumeさまと話すときは、Blumeさまと向き合っています。
          他の人のことは、ほとんど考えていません。

          >先生の言葉がすっと心に入ってきたのです。

          それは嬉しいです。たしかに、そう考えれば、2年半前にはほとんどBlumeさまは納得されてないなあという感じがしました。
          わたしのことばは、ただBlumeさまを通り過ぎていく感じでした。

          今日は仕事で出かけたのですが、雪が降って寒かったです。
          大阪にお住まいのBlumeさまがうらやましいです。

          • Blume(hana) より:

            先生、こんばんは(^▽^)

            お仕事お疲れさまです。
            今日ニュースで函館の映像が流れていましたが雪がすごくてびっくりしました!

            寒さが段違いなのだろうなと思いました。
            風邪を引きませんように。

            先生が心配性のと書いてくださっていましたが
            心配性なのはきっと、いつもいつも自分が人からどう見られているかが気になっているんだろうなということなのだと思います。

            実生活で朝会社に行ったら、総無視されて、え?え?って思ったら、なぜだか私が誰かを陰でいじめている首謀者ということになっていて(笑)
            何があったんだろうと思ったら、同期の一人が、課の女性社員に私にいじめられていると訴えたそうです。

            私はもう何ゆえに?と。
            だって飲みに行くのを断っただけでそういわれるってどうよ?って
            私その時は家から2時間くらいかかるところに通勤していたのと
            私はほぼ下戸なので。。そう説明したのに。
            それにその同期とは、殆どお付き合いが無いのに。。
            で、その人、私に個人的に電話してきて、私を心配するようにふるまうんですよ(笑)

            で、結局総無視がエスカレートして、自分の仕事にも支障が出てきて
            それでも助けてくれる人もいたけど、
            なんだかもうすべてが嫌になってしまって会社を辞めてしまった(笑)

            先生は、男性社会ですごく大変だったと思うのです。
            私は大学の先生のお仕事や研究者としてのお仕事がどんなものかは分からないけど。。
            きっと辛いことも沢山あったのだと思うのです。
            なので自分のミジンコのようなごま塩レベルの経験を書くのも恥ずかしいのですが。。

            でもそういう、え?っていうような、私からしてみたら根も葉もないような
            突然降ってくる火の粉をどう振り払ったらいいのかすら分からない。

            そういうことがあまりにも多すぎて。。
            友達は、大人しいから馬鹿にされやすいんだよって(笑)

            でも実際は、そういうことが多いのが現状で、
            そういうこちらからしたら言いがかりに思えることだって
            こちらに問題があるようにすり替える人だって沢山いる。
            他にも書きだしたら、もう本が出来ちゃうくらい。。
            理不尽だなって。

            私は思うんです。
            なんで大勢を巻き込んで私を孤立させるのって。
            なんで最初に二人になって、事実を確認しないのって。
            なんで最初から大勢を味方につけて、事実を確認しないままなの?って。

            それって私から見たらもう、事実を確認して、私との間にあるお互いの齟齬を修正していこうって姿勢ではなく、
            みんなを使って糾弾するのが目的なんじゃないの?って。

            私最近思うのですが、昔って自分ってもっと素直で無邪気だったのに、
            だんだん不安が強くなって、だんだん警戒心が強くなって、
            人の言葉を素直に聞けなくなってきたなって。

            もっと器用に生きられたら、そんな目に合わないのにって。

            でもそうやって結局は不安が来る理由も、自分が不器用な理由も
            全て人のせいにしている自分がいるんだなって
            ますます自分が嫌になっていくんです。

            先生と知り合って、沢山の言葉をいただいて、
            先生が私にこう書いてくださった
            「Blumeさまなら何が起こっても、いつも、わたしはこんな感じだと思っておいてくださいね。」って言葉にすごく勇気をいただけて。

            そして「対機説法と言うほど、ご大層ではないけど、Blumeさまと話すときは、Blumeさまと向き合っています。
            他の人のことは、ほとんど考えていません。」と書いてくださった言葉を読んで、
            先生は私が不安にならないように、配慮してくださっているんだなって嬉しくなったのでした。

            でもきっとずっと、心の中にあるずっと燻っていた怒りのような思いが、
            私の目を曇らせたり、人の心の温かさや、優しさに抵抗して、
            先生の沢山の言葉の意味や先生が私にくださった時間、先生が伝えようと一生懸命にしてくださったことを、私は無碍にしてきたのかなと思うと、
            自分が情けなくなるのです。。

            誰かのせいにして、いじけてる自分から目を背けているようで。。

            で、書いていて思ったのだけど、掲示板にもそういう特性があるんだなって。
            書く言葉は読む人すべてに同時配信されてしまうから、
            私が愚痴を書いたり、確認も取らずに私が先生は私を疑っているとか書いたら、
            私は見えない大勢に向かって先生に事実を確認することなく
            大勢に訴えかけているのと同じなんだなって。

            自分だって掲示板で十分卑怯なことしてるんだなって。
            それでも先生は、私に対して怒ったり責めたりしなかったですよね。。

            私、そこに答えがあるのかなって思いました。

            先生はいつだって、私のどんな感情が入り混じった言葉も
            ただただ受け取ってくれましたよね。

            先生と私とが同じ経験をしたとしてもきっと
            先生に映る世界と、私に映る世界が違うんだろうなって。

            私多分、きっと、ずっと実生活でも火の粉が舞う中で生きていくんだろうけど(大げさだけど)
            自分の意識を変えるだけで、随分自分の世界が変わるんじゃないかなって、
            なんかそういう希望のようなものを先生の言葉を通して感じられたのがすごく嬉しかったんです。

            書いていて、なんでこんなに文章が下手なんだろう(しかも長すぎる)と、
            伝わらないかもしれないなという思いもあるのですが。。

            で、きっと、送信ボタンを押した後に、なんか思ったように書けなかった、ちゃんと伝わるのだろうか?って心配になると思うのです(笑)

            人からどう見られたっていいじゃないって思えたらなって。
            自分の心が嘘を付かないで、人に対して誠実に接しられたと思えたら
            それでもういいんだって思えたらなって。
            だから自分にも人にも誠実に生きられるように、
            努力していこうって。

            先生、愚痴を書いてしまってすみませんでした。

            私は先生に甘えていたのだと思います。
            先生なら何でも許してくれるって。
            マニカナ掲示板での私は、そうだったのだと思います。
            本当になんて身勝手だったんだろう。

            私、自分の中の自身が持つ(人に向けてしまう)理不尽さとこれから向き合って行こうと思います。

            先生、時々私のことを思いだしてくださって心配してくださって
            本当に嬉しかったです。
            私もいつもいつも、こちらのブログにお邪魔して、先生に謝りたい衝動に駆られていました。

            でももう二度と先生の大切な場所を汚したくないなって思いが、
            自分にブレーキをかけてきたのだけど、
            でも勇気を出して、先生とお話し出来てよかったです。

            そういえば先生はいつでも、なんでも思ったことを書くことを許してくれていましたよね。

            ホントに、ありがとうございましたm(__)m

            それと、もっと要点を短く書ける努力も、
            同時に行っていこうと、新たに決心したのでした。

            あ、もう朝ですね。

            先生がこれを読んで疲れなければいいなと思うのでした。

            先生、ありがとうございました。
            こんなおバカな自分なのに、先生とお話しできる時間をいただけたこと
            感謝で一杯です。

            ではでは、これにて。
            先生のお幸せをいつも願っています(^▽^)/

          • mani より:

            Blumeさま、おはようございます。

            大丈夫、全部Blumeさまの気持ちは伝わっていますよ。
            わたしは、社会に翻弄されるBlume さまを見ようとしているわけじゃなくて、
            Blumeさま自身がどう感じてどう考えたかを知りたいので、いろいろお話をお聞きしているのです。

            だから、思いついたときに書き込んでくださると嬉しいです。
            いろんなことを言う人はいるとは思いますが、みんな、どこか不安なんですよね。
            Blumeさまのもつ本当の優しさを、良いなあと思ってくれる人は必ずいますから、自分らしくいて下さい。

            それが、無理もないし、楽だし、一番だよね。
            どうぞ、お元気でね。

  4. Blume(hana) より:

    ***PCの調子が悪くて、もしかしたらキャッシュを消してしまったので、承認待ちになるかもです(;^_^A
    その時には掲示板を閲覧していないかもですが、その後に返信をいただいていても返信できなかったら、ごめんなさいm(__)m***

    赤い実さんへ

    返信ありがとうございますm(__)m

    >疑惑のきっかけは、書いてくれたのはやはりまったくほど違うの。

    うわぁ~、違ってたのね~~~。
    でも気持ちを書いてくださってありがとうございますm(__)m
    再確認しました~。

    私も随分長い時間、執念深かったなって(;^_^A

    こちらこそ、このことにこだわり続けてしまって、
    すみませんでした。

    お話し出来てよかったです。
    ありがとう(^▽^)

    •  春間 則廣  より:

        
        コメントをつける 場所  が  “ ワカリニクイ ” !!

       
        *********

      > 決まっているじゃないですかーー!!!春間のばーーーーーーーーか!

         馬鹿 を使う   ハルマ が
         馬・鹿  を   何かに 使う ( ナニカナ? マニカナで )  

        *********

      >  なんで最初から大勢を味方につけて、事実を確認しないままなの?って。

           事実を確認した上での 事実! 報告ですか ?
        ( 大勢を味方につけたい のは 大勢の一致した動向です )
           あなたの受けた “感じ” は まごうことなき事実
             ではありますが
        事実 という時の “実”  を 否定するのが  「 仏教 」 です
          ( 簡単に 曲げることができる のが 事実 です )
        “実” 際 に      ここに書かれている事実  は
                      あなたの 好きなように 読まれる 
        その読み方 は 絶対 ! 事実 ですか ?
       
        書かれていること  は ( 私に取って “も” 事実 です )
                   ( 私は 絶対の事実 を 書き込んでいます )

        大勢を味方につけたいわけではなく M様 を 見方につけたい
          ( しかし 読む人 は それ以外の人を含む )
                                                              
                         
      > それって私から見たらもう、事実を確認して、私との間にあるお互いの齟齬を修正していこうって姿勢ではなく、みんなを使って糾弾するのが目的なんじゃないの?って。

      わたしは 必ず ! ( 大勢から ! ) 糾弾される

        あなたも そこに入って  糾弾する ( もしくは 無視する )

      ・・・・・・・・・・・・・・

      > 実生活で朝会社に行ったら、総無視されて、え?え?って思った

        会社 は 社会の中にあるのではありませんか ?

         同じこと を 私に譬えているのが  分かりませんか ?
       
       ( わかりにくい  のではなく  分かりたくはない から です )
        飛躍 させると  出発点 が  “ わかり にくい ”  ??

            どうせ         M様 も 分からないと言う 、、、、
        ( 分かりたくない人 と  同じ 瀬   に  立つ )
                            ↓
         能力の問題 ではなく   立つ“セ” の 問題

         「 セ 「 見 」  虚仮  唯仏  是 心 」
      ( 世間の「 見 」・虚仮   は   心におきる
                唯 是(のみ) が 「 仏・まこと 」 である )

         是・これ  って  どれ で なんだろう 、、、、

      ・・・・・・・・・・・・・・

      >> Blumeさまのもつ本当の優しさを、良いなあと思ってくれる人は必ずいますから、自分らしくいて下さい。

         M様 以外  に いる
        ( 意外 かもしれないけれど ) 「私」 です
        ( 本当 の     優しさ は     
          本当 は  誰にでもある・誰にもない とも言える  )

         この場合
        「 仏教 」 では 否定されるべき 「私」 だが 、、、、

        「私」 って   誰でも使う (  私 ? 以外 を 指す??  )

         わたくし  とは  公にあって 初めて成り立つ
       ( 公のこと  ではあるけれど わたくしごと だけを指す )

         こんな表現で 分かる人 が いるのであろうか
       ( とは  思うけれど  思うことは 「 無明 」に 起きる )

        事実(明確に) 起きているのに 「 無明 」とは 暗きを指す

        暗いところに 置かれた 文字  が
                  “ 読めるはずがない ”
       ( とは “思うけれど”  読む人 も  いる と
                       私以外 を  言内 に 含める  )

          “ 思う事 は 必ず 「 無明 」 に 起きる ”

      > 私は見えない大勢に向かって先生に事実を確認することなく
      大勢に訴えかけているのと同じなんだなって。
      > 先生はいつだって、私のどんな感情が入り混じった言葉も  ただただ受け取ってくれましたよね。

        受取って 皆に ( その受け取り方 を ) 語りかけている
       

      >  人からどう見られたっていいじゃないって思えたらなって。
      自分の心が嘘を付かないで、人に対して誠実に接しられたと思えたら
      それでもういいんだって思えたらなって。
      だから自分にも人にも誠実に生きられるように、
      努力していこうって。

      努力 よりも その   「 現実 」 の 理解を変える

        「 嘘 」  が 何故起きているか・何故嘘だと思うか
          を        考える

      > >いろんなことを言う人はいるとは思いますが、みんな、どこか不安なんですよね。

        むつかしい表現ですね ( 難しくなんかない  かな ? )

         「 安楽 」 ではない 処  を   「 世間 」 と呼びます
        
         そこでは   不安  とは 不安ではない ( 虚仮 です )

         不安 な心   で
          不安 を  規定する
                 あんじょう・安生・安定 するはずがない

          ・

        人(には)が ( 一聴するとき ) いろんなことを言っている
                             か の 誤得  に
                聞こえます    (  聞きます ! )

        人が 言いたいことは 一つだけ
           “ 自分は 間違ってはいない ” 
         ( > とは思いますが  ← これは 打消し です )

        あなた? は 不安だから “ 思いますが ” と 言う

        けれども  誰でもそうであれば
         「 不安 」 は  ないに等しい
         ( 「 安 」  は  ない )

          「 平等 」 に 起きている  とも言える ??

      •  春間 則廣  より:

          
        ロボット工学 の バイブル がごとき 「 エサ 」

        https://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E7%9C%BC-%E6%A3%AE-%E6%94%BF%E5%BC%98-ebook/dp/B0BL7F69MS/ref=sr_1_20?s=books&sr=1-20&xpid=vU0vVbQn4MexZ

           これが ( 私が与えるのではない )
            森 に 撒く エサ( 肥料・比量 ) である

          「 十牛図 」  の    充 足
           仏の悟りの境地  「 自分の思いのまま、ありのままの自分 」
            に なれば       これで  よいか  どうか

           “ 苦しいまま 苦しみ   欲しいまま  欲する
                      ま抜けたまま      真 抜ける ”

              抜け目ない あなたの思考  は
                       抜け目がある と “思う”

          ( だれの どこに  抜け芽 は 芽生えている ? )

            思うだけなら   誰の何処にあるかは 思うがまま
        ( “わたし” に 被せるのなら  どこにどう  被せますか )
         ( あなたは  自らのこと  を   どう 呼びますか ? )

           思うがまま に 思えば  充足 が そこに起きる 、、、、
          ( シテヤッタリ !  天に向かってつばを吐く 自分 )

        35p.
         「 こうありたい、ああありたいと欲する自分を自由に抑えることが出来るようになったとき、あるがままの自分というものが噴出してくる。」 

          「 仏教の戒律とは、そのためにある 」
                     ( それしかない とは 言ってはいない )

           ここ以降 を  読む人(読んで理解する人)  だけが
           ここで習った知識  を 用いて
          “ 習わないこと ・ ここで習う事 ” を 発見していく

          “ 習わないこと を 発見していく ”  ということの
             「 中 」  に  宿る・ある  自分のモノ( ヒトノモノ )
          ( 人は何を手にして 何を探り当てるのか )
                すなうわち     「 中道 」  であり
                龍樹 が 説く   『中論頌』  である

          帰敬偈 ・ 起序
         「 不滅にして不生不断不常  不一義にして不異義
           不来にして不去  およそ戯論寂滅し 吉祥なる縁起
             それを説いた  仏陀
                      かの最高の説法者に私は帰命する 」

          こう説く(説いた)のは 仏陀の名 を 語る 龍樹 である

          「 帰命する 」  とは  五体投地する  という意味です
          ( 頭・五体 を 地につけ 支える大地 と 一体となる )

            “ 一体 ” である故に 釈迦牟尼 が  龍樹に 語り
                           龍樹   が   我 に 語る

             “ 一体 ”  何を言っているのか  ワカリマスカ ?

          嘲笑っている    のではなく
           「 五体 」 の  一つ の 手 
              を      合わようと( 手を差し出し ) しているのです
         
           五体 とは    五 蘊 の 誤  

            誤の一つ 語の一つ     このひとつ    こそ
                               
               たった一つ  の    こと

        • ぎんた より:

          十牛図は100分de名著でみました。
          (なんの本の回か忘れた)
          小さい子供と大人がいる図で、
          この子供はこの大人より、一周先を
          行っているかもしれない、と思いました。(この時はパイセンって言葉は知らなかった)だから、子供は未来の自分なのです。

  5. 近侍郎 より:

    八:てーへんだ! mani先生のお話をうかがって、「如月離雲」で検索したら、十力が現れて坊さんが焦げてるみてぇな、危ねぇ経が出てきた。  (大荘厳論経T201.288c24~)
    隠:どれどれ、ふむふーむ。大雑把に云うと、こんな感じじゃねぇかな。
    十力尊所説     十力尊の仰るに     
    前為放逸者     過去の放逸多々あれど、  
    後止更不作     すっぱり止めて、為さなけりゃ、
    如月離雲翳     雲の離れる月のよう 
    明照于世間     ゆっくり面目あらわれる。  
    是故我今當     だからわたしは今まさに
    専心持禁戒     身口意そろって黙します。 
    設頭上火然     頭は燃える、
    衣服亦焚焼     衣が焼ける、
    我當堅精進     この一息の一大事     
    修行調順法     行い調え あとはお任せ 
    断難伏結使     結びほどけを 横またぎ
    必令得寂滅     見あげる夜空に スーパームーン 
     
    八:「頭は燃える、衣が焼ける」ってのは、火がついて涼しいって粋がってる坊さんかぇ。
    隠:心が変化してる最中を譬えてるんじゃねえかな。闇から月影が現れる最中みてぇな。
    八:「行い調え あとはお任せ」ってのは、おおまかすぎるんじゃありませんかい。
    隠:することは限られており、油断なくきちんと続けて、起こることは心にお任せ。
    バルサンを正しく焚いたら、あとの始末はバルサンにお任せ。
    八:…隠居、例はありがたいんですけど、かえってわかりにくくしてる感じがしやす。

    • Pocket より:

      近侍郎さま

      >大荘厳論経
      変だねえ
      大乗荘厳経論に似てるけどまがい物みたいだねえ。馬鳴菩薩を作者にしてるところも匂うなあ……

      >設頭上火然。衣服亦焚焼。我當堅精進。

      うーん「設(たとえば)頭上の火を振り払うように、努力する。」という表現はあっても「たとえば頭上に火が付けば、衣服もまた燃えるように、精進(という火)を堅固に行ずる」といのはインド的じゃない、意味の変遷を感じるねぃ……。そもそも譬喩として成り立ってないねぃ。ねぃ!

      中国のお坊さんがクマーラジーヴァ阿闍梨に名を借りて作った仏典だろうねぃ……ありゃま!

      • 近侍郎 より:

        Pocketさま
        今回のお題に関連する「如月」「十力」等を大正蔵で検索し、キーワード周辺の字をながめて楽しんでおりましたら、「十力」の近くに月の表現がある、今回の個所が見つかりました。また、表紙のお写真にピッタリの、帰命十力尊 圓光無塵翳 普為一切人(増一阿含経)という句もありました。
        ただし「雲」も捨てたものでなく、十力にかかわることがあるようで、
        功徳出照 十力雲無比…已得無所畏 是一切智雲(僧伽羅刹所集経)とあり、お寺やお坊さまの名前に「雲」がある場合は、そういうことかもと思いました。
        Pocketさまのご指摘を頂き、「大荘厳論経訳者再考」という文が見つかり、学者の方々のご研究をかいまみました。ご指摘ありがとうございました。

        • Pocketさま、近侍郎さま、おはようございます。

          おかげさまで、『大荘厳論経』によって、少し新たな視点を得ました。
          ありがとうございます。感謝です。
          ところで、「設頭上火然 (頭は燃える)、衣服亦焚焼 (衣が焼ける)」ところですが、このお話の中では、矛盾してないようですね。

          還俗しようかとちょっと魔が指した比丘が、大道で肉をさばいて売る人を見て、衣が血でよごれているので、こう考えたとすれば、理屈には合っていそうだなと思いました。「頭に火がついたように(精進する)」というのは仏教ではよくある喩えですが、「戒を守れ」という比丘のお話は、仏陀が算術家のモッガラーナに語っています。(「中部」107)馬を調教する喩えを使って、弟子を手に入れたらまず戒を与えると説いています。

          実は『ヨーガ・スートラ』の八支則ヨーガにも、禁戒・勧戒などの項目があって、そこでも仏陀の影響を見ています。馬鳴の作者問題とは、又、別のお話でした。作者問題は全然わかりません。失礼しました。

          • 桂紹隆 より:

            『大荘厳論経』は、最近松田和信さんが研究を進めています。梵語テキストの断片も見つかりつつあるようです。アシュヴァゴーシャ作でいいようです。アシュヴァゴーシャ研究は、パリのヴァンサーン・エルチンジャーも進めています。馬鳴さん、インド仏教史の重要な存在ですね。

          • mani より:

            桂 紹隆先生 ありがとうございます。馬鳴作でよいと伺って安心しました。
            馬鳴研究も、進んでいくと良いですね。わたしは個人的には案外好きな人物です。
            先生のおっしゃる通り、インド仏教史の中で重要な人物だと思っています。

          • Pocket より:

            近侍郎さま、mani先生

            わたしも久々に仏教してて楽しくなりました。十力、十力尊という表現は上座部でもdasabalaという表現があってお釈迦様そのものです。muniは付いてたかしらん……忘れました

            カーヴィヤ(美文)文体であるなら、譬えが複雑な構造をしていてもおかしくないですね。。。たしかに、このpocket、ちと適当が過ぎましたわい。。。

            >ただし「雲」も捨てたものでなく

            「以前には……であったものが、のちに……ならば、雲を出た月の如く、世間を照らす」
            というのは殺人鬼アングリマーラ(=アヒンサカ長老)の逸話としても有名ですね。ダンマパダにも出てきますし!

            ‘‘Yo pubbeva [yo ca pubbe (sī. syā. kaṃ. pī.)] pamajjitvā, pacchā so nappamajjati;

            Somaṃ [so imaṃ (sī.)] lokaṃ pabhāseti, abbhā muttova candimā.

            ‘‘Yassa pāpaṃ kataṃ kammaṃ, kusalena pidhīyati [pithīyati (sī. syā. kaṃ. pī.)];

            Somaṃ lokaṃ pabhāseti, abbhā muttova candimā.

            「実に、年若い比丘が、仏の教えに専心努力するなら(精進)、彼はこの世界を輝かせる。雲を出た月のごとく。」

            ‘‘Yo have daharo bhikkhu, yuñjati buddhasāsane;

            Somaṃ lokaṃ pabhāseti, abbhā muttova candimā.
            ————————-
            桂紹隆 先生のご教示、勉強になります。松田和信先生がアシュヴァゴーシャにそれだけ首ったけとは知りませんでした。馬鳴菩薩は説一切有部所属で、大乗を知らなかったというのはラディカルですね。

            Vincent Eltschinger先生の論文も面白そうです
            『ブッダチャリタ』は艶っぽ過ぎて苦手だけど、思想だけ抽出してくれると読めるものだなあと。

            『揵稚梵讚』はLLMのGeminiにテキストを投げると荒い梵文を出力、日本語訳してくれました。私には校訂、翻訳する能力はありませんが、生成AIって面白いですね。これだけ短い分量なら読み上げたくなります!内容も説一切有部の讃仏偈と見て、問題はないようですね。

    • 近侍郎 より:

      「頭燃」を、「泡沫経」の世尊のことばから「此の火急の一大事、よく調えて、洲に向かう」の意味にとり、八つぁんとの掛け合いで「心が変化してる最中を譬えている」と隠居に云わせてみました。
      法句経31「心のわずらいを焼き尽くしながら歩む ― 燃える火のように。」や、昨年学んだ方便心論三・三・二「譬如大火焚焼山林故是滅因」も、「頭燃」のこの変化を云っているように思えてきました。
      「大荘厳論経」の今回の個所は、悪業あるいは放逸を自覚する者の五根五力が新たにはたらき出す様子を表している、と思われ、励まされます。また、このことに関連し、月が現れていないように見えるのを「新月」というのも、いい言葉だなと思いました。
      ありがとうございました。

  6. ぎんた より:

    あら?17日からBlumeさんが来ていたのに、気づいたの18日の夜。。。

    ぎんた、文章書く時いっつも、毎回、自分の文章にげんなりして、

    (Blumeさんみたいに、緻密な感じでなおかつ面白文章のときのテンポのよさとか

    持ってたらよかったのにな~~~~)と思いながら書いてます。でも、

    ねこなので、人間1回目だし、文章下手でオッケーで、むしろこの文章読んで

    なにか、文章書きたくなる人が発生するかも~~~と期待しています。

    ぎんた、なんか仕事が著しく出来なくて(多分発達障害とかそういう部類)地雷も

    踏むので、どこに行っても最終的にはその場の空気を最悪にして辞めています。

    で、今は家にいます。仕事も子育ても介護もしてなく、植物も育てていません。

    料理も「揚げ物」とか「手仕事」みたいのしてません。

    春休みの小学生くらい時間いっぱいあります。(でも、時間足りないけど)

    あ、で、何が言いたいかというと、辛くなる場所に所属しつつけるのは辞めて、

    なんなら「働かないといけない」という価値観を捨てちゃって欲しいです。

    それによって、お母様の面倒をお姉さんより沢山見ないといけなくなるということも

    ないと思います。もし配偶者に「働け」とか言われても粘り強く交渉してください。

    ううう取り留めなくてすみません。がんばって、、、

    結局自分に言い聞かせているだけみたいになってる。

  7. Blume(hana) より:

    ぎんたさん、お久しぶり~です(^▽^)/

    励ましてくれている気持ちが嬉しくて、そしてぎんたさんの言葉のテンポに

    いつしか笑顔になっている私がいます。

    このテンポが心地いいんだよ~

    ぎんたさんがマニカナ掲示板時代に投稿してくれた

    砂時計の詩、覚えています~(^▽^)/

    懐かしいな~

    ぎんたさんの投稿はホントなんだろう可愛くて

    ぎんたさんはきっとみんなに愛される人なのだろうなって思いながら読んでいました。

    それは天性のものだと思うのです。

    そしてきっと、ぎんたさんが先生を信頼しているからなのかな~と。

    自分の思いがあっても、現実の世界では言葉に出来ないこともあるけど、

    でもここはそういうこともまるっと受け入れてくれて。

    今ね、実母と同居しているのよ。

    元気なんだけど、今夏の暑さがひどすぎて、去年より弱ってしまった感があって。。

    なんだか寂しくも感じています。

    ぎんたさん、私もう一度働きたいなって思っているんだ(実は・・・)

    ぎんたさんの思いも形になりますように・・・☆彡

    話しかけてくれて本当にありがとう(^▽^)/

    励ましの言葉とその気持ちがとっても、嬉しかったです!

    文章のこともありがとう!

    嬉しかったです!

  8. tanza より:

    >「矛盾がない」ということは、お釈迦さまは「嘘をつかない」ということであり、「真実語を語る」ということなのです。嘘だらけのこの世で、嘘をつかないお釈迦さま。

    ところが、「真実語を語る」と称して、嘘をつく人たちがいる。
    その人たちは「八正道」を、何それって言う!!

  9. tanza より:

    現実世界には「食物連鎖」があり、人間もその一環なので、ブッダは「一切皆苦・縁起」を説いた。

    それなのにブッダの托鉢を、自ら殺生せず他人が殺生した食物を食べるから、殺生否定論者だと主張する人に昨日出会い・・・呆れた。

    • ぎんた より:

      tanzaさん、初めましてぎんたと申します。質問なのですが、
      そんな状況の時、殺生否定論者さまに対してなにかリアクションするのですか?
      そのままなのですか?
      ぎんただったら、自分の説を取り敢えず言ってみます。
      相手が主張してきた時は、こちらも主張するチャンスをもらったと思って。
      お互いの仏教を披瀝すればいいのかなーと。
      あ、だから家族に喧嘩売ってるとよく言われるのだと思います。

      •  春間 則廣  より:

        >> 出会い・・・呆れた
        >  そんな状況の時、殺生否定論者さまに対してなにかリアクションするのですか?

          リアクション が 読み取れませんか ?

        > そのままなのですか?

         「 呆れている だけ では いけません 」
             という
           メッセージ の  伝え方 を 考えましょう
         ( 考えた末  の  メッセージ であれば 
                      伝え方 の 問題  は
                    メッセージ の 問題  へと 移ります )

        > こちらも主張するチャンスをもらったと思って。  
           お互いの仏教を披瀝すればいいのかなーと。 

          チャンス は 均(平)等にありますが
                  思い方(捉え方) は 様々  です

          この(? どの ) 滅セージ ( を 見逃すか )  は
            見逃す あなたの 生き様に かかっています
         ( ここに込める メッセージ を 多くの人は 見逃します )

        >    お互いの仏教を披瀝すればいいのかなーと。 

          誤り 同志  は 見逃し同志
           思いは  違うように見えるけれど 、、、、
           見逃し  という   一致点は 見逃されるものです

          ドウシ たら  見逃しに気付ける のかは
                    生き様 に かかります
         ( ただし  様 は  様々 に  見えますが
                 見逃し  という  一点に集約されます  )

          「  鰯の頭 も 信心 ・・・・  」

          問題 は  シンジ(ん) て(も) 救われるかどうか
              ( 救われている  と   感謝 は 他へと向かう )

           読んでわるように 工夫して 記述していますが 、、、、

             読んで分かる  のであって
             読まずに 分かっている人 には 伝わらない
                     という 構造が
                 「 仏教 」 に あります
          
           「 唯仏与仏 乃能究尽 」  
         ( この意味 には 幾とおり もの 織物が着せられている )

           織るのは あなたであり  着るもの は 一つ ( 誤 )

            「 仏 」 に 伝え合う 必要性はない  !

        • ぎんた より:

          tanzaさん,という神でほとけの人が、どのように行動したって大正解に
          決まっているじゃないですかーー!!!春間のばーーーーーーーーか!

          tanzaさんがどう行動したかは、tanzaさんが知っているけど、ぎんたは
          知らないから聞いてみたくなっただけです。それで、ぎんたの場合の行動を
          先に書いただけです。それを読んでどんな感想を持つのかもtanzaさんの
          自由ですし。

          あ、でも、ぎんた身体を伴った状態で、仏教のことを話す機会がほぼないので、
          実際にはほとんど実現不可能ですが。

          あ、実は昨年父がもういよいよってなった時に、待ち時間?に弟と話してて、
          時間がいっぱいあったものだから、「私な仏教」のシステムを勝手に語り
          ました。弟は黙って聞いてくれて最後に
          「……で、自分の前世は何なの?」というから、「猫だよ」と言ったら
          「え?ずるくない?」と返ってきました。(猫が好きだから)
          (そ、そうなんだ、ずるいと思うんだ)って感じました。
          あと、仏教のサイトに来ていっぱい語っていることを言ったら、
          「ええー?そうなの?、、みなさん、とっても寛大なんだね、、、、、、」
          「(その言い方で急に不安になりつつ)そうなんだよ、みなさん仏教やってる
            から余裕があるんだよ、、、、」

          いつも、大変お世話になっています。m(_ _)m

  10. ぎんたさま、弟さま、こんち!

    >「……で、自分の前世は何なの?」というから、「猫だよ」と言ったら
    >「え?ずるくない?」と返ってきました。(猫が好きだから)

    やっぱ、誰でも「え?ずるくない?」と思いますよね。うちの猫見てても、「ずるくない?」って思います。

    3食・昼寝・夜寝・運動場付き、ですよ。わたしより良い暮らししてる。「運動場付き」は、時々「がるる~~っ」ってうなり声を上げながら階段をめっちゃ駆け上がったりするから。猫に生まれたい。。

    •  春間 則廣  より:

      > 猫に生まれたい。。

        猫に生まれたい  猫

    • ぎんた より:

      先生もそう思いますか?ぎんたは、猫を飼ってる人で「来世猫になりたい」という
      人はよく見ますが、ワンちゃん飼ってる人で「来世犬になりたい」という人は
      あまり、といか、ほとんど見ない気がして、考えました。

      ワンちゃんは人間が好きすぎて、(人間になりたい!!人間は仲間!!ラブ!!)
      って思っていて、来世人間になるわけで、すると、人間であることに超満足してる
      から、ワンちゃんになりたいと思わない。しょんでもって、猫はたまねぎのように、
      剥いても剥いても猫で、ずーーーっと猫で満足してるから、その様子を見た人間が
      (猫ってなんかいいよねー)ってなるんだと思います。

      3食、いつでも寝、運動場に、下僕(給仕、ブラッシング、掃除、室温調節など)を
      いわゆるペットと呼ばれる生き物が享受できるのも、多くの人々がある程度の
      経済的・精神的に余裕がある場合だけなので、どうかどうか、神でほとけの
      皆様!よろしくお願い致します。

      • Pocket より:

        ぎんたさま
        >弟は黙って聞いてくれて

        ここにじーんと込み上げるものがあるPocketであった……

        >ワンちゃんは人間が好きすぎて

        猫も人間が好きすぎる子もいます!
        もう亡くなりましたけど、ウチのペルというペルシャ風の青い眼の雑種は人間が大好きでした。来世は人間になってるかも?

        • ぎんた より:

          Pocketさん、弟はなんというか、淡々としているのです。(優しいともいえる)
          ぎんたは、よく両親と衝突してましたが、彼は「意味ないね」「徒労だね」て
          感じで誰とも衝突しません。諦め?

          で、この時はぎんたが「自分だけでやってる誰も勧誘したりしないオリジナル」
          と前置きしたので、「はぁ、、」て感じで聞いてくれました。

          猫は、ワンちゃんと同じく人間好きすぎる子もいますが、あくまで猫として
          人間と一緒にいたいのだと思います。ペルちゃんは、どこかで他の飼い主様
          に飼われているか、実験動物になるか(猫だって平等なのでその可能性は
          残念ながらあります)してると思います。そして、Pocketさんがまたどこか
          で人間やる時には、猫としてやって来てくれると思います。あと、次に
          Pocketさんが飼う子として、素早く毛皮を着替えてニャントロ星から
          やってくることもあります。他人の計画はぎんたあまりわかりません。

          ペルシャ雑種のペルちゃんは、ちょびひげのチョビとかになって、
          (これだよ、この名付けセンスが落ち着くんよね~)とご満悦です。

          •  春間 則廣  より:

            〉実験動物になるか(猫だって平等なのでその可能性は
            残念ながらあります)

            平等ならば残念なことはありません。
            良い悪いの区別がないのが
            平等なのです

          • ぎんた より:

            理屈としてはそうなんだけど、それを言っちゃうと戦争とか無くならない
            から、ねこ困るんだよ、、、

          • ぎんた より:

            あ、それで、話が途中になっていたので、唐突に続き書きます。

            えー、、それで、大乗会に出てしまったんですが、前経親はつれない態度
            でした。まぁそうですよねーー、既に霊能の会座にいないといけない年数で
            大乗会になんの意味が?って感じで。なので、その時の彼女の態度により、
            本当に強く【何か意味を持たせなくては。会座に行ってなにかひとつでも得てこなくては、、、】と思いました。
            前に彼女は、同じ経の私より全然若い子が、大乗を相承したときに、
            「遅いっっっ!!」と第一声で言ったんだそうです。
            (そんなに遅くない、普通位な人に。。。)
            その子がびっくりしすぎて、ご奉仕の時、経のみんなに触れて回っていました。
            「普通、最初はおめでとうじゃない???」と。
            私はそれを聞いて、あー彼女ならばそうだろうな~と思いました。
            【本当に本当に教えは素晴らしいのだから、物凄いお力が流れているのだから、みんな真剣に精進してよっっ】という感じ。

            で、当日受付のご奉仕の方に「頑張ってくださいね!!」と激励されて
            望みました。そして、祈り通りましたの紙?を置かれた後に、その後
            祈り続けるモチベーションをどうしよう、どう祈ろう??と思った時に、
            「どうか、この会座で【悲しい人】がひとりも発生しませんように!!」と
            祈ることにしました。悲しいのは散々やってきたので、かなり集中できた
            気がしました。で、終わって、事務局員の人が今日のまとめ?のお話を
            したのですが、
            今日相承した56名の方の中に、平成7年から参座している方もおられました、と。
            そこで、私、(本当に良かったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ)
            と思って。そんなに長く会座に座り続けて、どんなにか葛藤があったことかと
            良く諦めずに座り続けたなと、尊敬しかない。ほんとにほんとに良かった涙
            てなりました。これを今日ここで聞いた人は、今日相承出来なかったとしても
            この平成7年の方のことを思った時には、そんなに落ち込まないんじゃないかと思い、【悲しい人】発生しなかったのでは?と思いました。

            あ、ご飯作ります。

          •  春間 則廣  より:

            論理が狂うと頭は狂う

            狂っていると
            狂った論理で
            正しく狂う

            分かるはずがない狂い

          • Pocket より:

            ぎんたさま

            >誰とも衝突しません。諦め?

            ふむ~。そういう省エネ男性なのですね。憧れます。

            >ぎんたが「自分だけでやってる誰も勧誘したりしないオリジナル」
            >と前置き

            やっぱり縁起だなあ。ぎんたさまも結構、省エネな所あるかも?

            >ちょびひげのチョビ

            なってるかもですね。
            イスタンブールは猫々浄土。いつか行ってみたい~。

          • ぎんた より:

            それで、本当に良かったーーーーんですが、ふと、あれ?この「良かった」
            は、平成7年の人は知らない良かっただね、、、?だって、他の人は、
            ぎんたが95年から帰苑していて、ものすごく時間が掛かってここにいること
            知らないし、、、。と考えた時に、今ここ、の空間と、ものすごく長い時間が
            クロスして、串刺しにされたような感覚になりました。。。
            それで、【これはすでに決まっていたの?!!】という不思議な、(と書くと
            ものすごく陳腐になるのでげんなりなんですが、、)気持ち。

            というのが、雲のシーンがやって来たとこに繋がります。平成7年の方を
            もしかしてとんでもなくお待たせしてしまったのではないか??というのと、
            こんなこと考えるなんて、なんて不遜なヤツなんだというツッコミ、、、

            そうこうしている内に、次に湧いてきたのが、な、なんと、、
            もしかして、私が実は実は、継主の次の後継者なんじゃないかという思い
            (これをよく恥ずかしげもなく書くよねーーギャグ過ぎぃ)
            これは、鳥飼さんが発表されたときに、ちょっと年齢が上だな、もっと
            若い人の方がいいんでないかい?と思ったからですw

          • ぎんた より:

            それと、もしかしたら、意外と【私が望むとおりにコトが進んでいる、もしくは未来に起こることを感じ取れる】?と思い、早速実験してみることに。
            (はぁ???ですね)
            あれ?私意外と「すぐやる課」だね!と思いながら、経親にメール
            しました。(娘さんのほう)で、何月何日にご霊廟の前で待ち合わせましょう
            とか送ったんですが、当然意味不明で、は?大丈夫?って感じでした。
            で、もう今となってはかなり忘れてしまったのですが、
            次にやってきたのは……

            もしかして、自分、摂受心院の生まれ変わりじゃないのーーーーーー???
            という考え。。これが猛烈に厭な気分で、言葉にならない。漫画なら、
            ページめくったら見開きで真っ黒!!とか、なにか禍々しい模様?とか
            でしか表現出来ない。
            気のせいとか、真如苑の精進が進まなすぎる現実から逃れるために
            編み出したの?また、なんか空想始まっちゃったの?とか、
            1回置いておこう等やってみましたが、払っても払っても復活してくる。
            そこで、観念して冷静に考えたところ、「猫」の可能性も同じだけあること
            に気づく。でも、事態はまったく良くなってはいない。自分は誰だ??

            まだ、続きますが明日以降です。

          • ぎんた より:

            あああ、今日は書けなかった、。えと、なんで摂受心院の生まれ変わりw
            と思ったかというと、いつだか忘れたけど苑史を読んでいて、

            摂受院他多数の人がいた時に、誰か(男性)が「私がお茶を入れます」と
            申し出た人がいて、その人にお願いしたのだけど、ものすごくいっぱいの
            水をやかんに入れてしまったと。で、摂受院に
            「この人数でこの量の水を湧かすのはもったいない。もっと少なくていい」
            みたいに言われたと。で、あとで、その人は摂受院に、
            「あなた、さっきの水を捨てましたね?」と言われて、
            (なんでわかったのーー??)みたいに思ったと。
            いや、フツーわかるじゃんwとツッコミを入れて。そんなすごいことじゃ
            ないよね?この昭和初期?のころと、今の人じゃ基礎的能力?常識?
            よみ?だか考察が全然進化してるよね?と思ったことがあって
            そこから細かく色々考えて続けていったら、そうなった、、
            あーーー、、上手く書けない。

          • ぎんた より:

            あ、あと、摂受院に行く前に、自分が次代の苑主?wと思ってしまった時に、
            もちろん、ものすごく有り得ないのと、なんでこんなこと思いついちゃうの?
            という、自分にドン引きと、や、こんなヤツ苑主になったら誰も納得しない
            やろ?自分だって嫌だよ、こんの、、、の後に、(なにか、ものすご~~~~~~~い、【発明】をして、これを発明した人があの人よーーーぅ!!
            みたいなことがあれば、もう、それだけで、拍手喝采、涙涙で向かい入れられる、って状況があれば可能だねぇ)とか思ったのでした。
            ちょっと、【発明】を考えてみようかなーと。アホの子すぎる

          • ぎんた より:

            もはや、どこに書いたらいいか分らなくなってきた。で、、、

            あ、そういえば!!摂受院が摂受心院にいつだったか変わったんですが!
            その前どこかで、もう真如苑の精進とやらが、まったく、つくづく嫌になった
            私は心の中が不良じみてきて、色々苑のことにツッコミを入れていたのですが
            心が爛れすぎていて、(真如苑に行っても、ちっとも私救われてないよ?
            むしろ追い詰められてるし、精神的にぎりぎりいっぱいだよ?何故かしら?
            救われたーとかお力頂いたーって人の多くは、どっちかっていうと、物理的
            というか健康面とか金銭面って人が多くない??心は救われないんだよ。
            実際心爛れまくってる人がここにいますよ?駄目じゃね?)とか
            (真如教主と摂受院だと、摂受院が一文字少なくてちょっとぐらぐらするよ、
            教導院と真導院は文字数一緒なのに!!教主は金剛身院だけど、心はどこにも
            ないのよ~w)
            って思ってたら、変わったの。。。でも、変わったときは気づかずに
            大分経ってから気づいてぎゃーーーーーーってなった。

          • ぎんた より:

            あーー話が全然時系列に出来ないのですが、自分が次代の苑主かもwの
            ところで、ちょっと、実際にやってみようってなって、、、(は?です、、)

            ある日、総本部に来てた時に、名古屋から団参で来ている方たちに、
            トイレで遭遇しました。地方から団体で、バスで参拝するみなさんは、
            それぞれ、どこから来たか分るように「バッジ」を付けているのです。
            地域色を出したバッジ、団体旅行とかでツアー参加者が付けるようなヤツ。
            で、団参の方には(多分)ご奉仕の人が付いて、色々案内してくれるの
            ですね。でも、その立川のご奉仕の担当者以外の人とは、あんまり話す
            機会はないんだろうな、と想像したので話しかけたら喜んでくれるかなと
            思い切って話しかけてみました。

            (ここで重要なのは、自分が苑主になった気分で話す、ということ)
            「こんにちは~!名古屋からいらしたんですか?今日お天気で良かったですね!名古屋だと、みゃ~とかいうんですか~?」みたいに言いました。
            したら、その中の一人がとっても喜んで下さって、自分のとこらへんはあんまり
            みゃ~は言わないこと、どこそこの紅葉がとっってもきれいなので、
            名古屋に来た際には是非訪れて欲しいこと、などを教えてくれました。
            で、それを聞きながら強烈に思ったのは、これは、普通に話すのはよいけど、
            合掌されたり、黄色い歓声やら、拍手で迎えられるとかは、絶対に間違ってる
            ということ。そんなの絶対違和感でしかないって!!

            で、別の機会に、ご宝前の前方に団参の方が参座しているのを、別の
            参座場所でモニターで見ていたとき、団参で来ていた中学生位の男の子が、
            合掌しなくて、頭も、ちょっとこう、お辞儀どころかひとりだけ、まったく
            頭をさげないので、ものすごく目立っていたのに遭遇し、(えーー団参自体も嫌だったのに無理矢理連れてこられたのか、合掌することが嫌なのか分らないけど
            ものすごい気概を感じるー頑張れ青年!!)と大変に勇気づけられて、
            やっぱり、教団っていうシステム(一人の人間の言ってることをみんなで聴く)
            そのものが、もう違うんじゃないか、、と思うようになりました。

            やってみて、実感したの。

          • ぎんた より:

            あと、まだ、電通の件と、けものフレンズの件と、開祖のなぞなぞの件と、
            摂受院が「なんでも取っておきなさい」と言った件と、それにともなう手紙の
            件と、無農薬りんごの有名な人の件と陶器のご尊影の件を書かないと
            いけないーー、そしたら7割は余裕で越えるーー

          • ぎんた より:

            あ、まだあった。隣の人が頂いたご霊言についてが。。。

          • ぎんた より:

            えーーーと、ある日のご瑞教(苑主のお話)で、継主が、
            「寒修行に参座した方にお配りするカード(トレーディングカードみたいなやつ)のデザインをどうしようと思っていた時に(毎年10種類くらい作らないといけない)、摂受心院様はなんでも大事に取って置いたので、自分達子供の小さい頃からの絵やなにかが入っている箱があり、その中から見つけた、私が
            小学生の頃描いた絵をカードにしました。」という話をしました。
            で、その時に!
            「何かないかな~と、ごそごそ探して」みたいな言い方をしたと思うんですが、ごそごそのところで、ちょっと【引っ張った】または【ちょっと喋るペースがゆっくりになった】と感じました。で、ぎんた、話を聞くからには、
            場面を想像しながら聞くのですけど、「ごそごそ」の部分がゆっくりだった
            ために、いつもよりゆっくり考えることが出来て、出てきた、というか
            想像したことは。

            摂受心院はきっと、このXデーのために、苑主がここを探すことを期待して、
            というか【よんで】なにか手紙を隠しただろう、ということ。これはかなり
            自信ありますが、自分が摂受心院の生まれ変わりだから、ではなくて!
            【物語の定石】として、ここは外せないよね?これ、こういかないと
            つまんにゃいよね?というやつです。ものがたりっていうのが重要なの
            こーゆーとこじゃん?みたいな期待。わかんないのはその手紙になにが
            書かれていたかにゃんよ~~~~、、、ぐあぁぁっっーーー知りてーーー
            あーーー、手紙、どうしたかなーーーー?ちゃんと金庫にしまってあるかなー
            それとも内容がヤバすぎて「読んだら破棄で」って感じだったのかーー

            気になりすぎるーーーー、教団が潰れないとぎんたのトコまで情報こなくね?
            なので潰れてください。

          • ぎんた より:

            電通の件、は、もちろん高橋まつりさんの件です。

            TVのニュースで流れてきた時「電通めー」と呟いたのです。したら、
            隣で家族が、
            「ぎんた電通のことどんな会社か知ってんのかよ!!?ろくに知りもしないで
             責める資格ねーぞ」とかいうから、
            ぎ「は?広告の会社だよっっ!!!!!」家「それだけかよ!!!!!」

            みたいになって、ちょっと調べることにしました。そうしたら、丁度
            タイミング良く、「思いつく」を考える展ていうのが、開催されていて
            行ってみることに。カレッタ汐留遠かった。(この展覧会が2017年12月から
            だから、まつりさんのニュースは一周忌としてやっていたのかもしれません)

            あと、ニュース見た時に考えたのは、、、、
            これ、真如教徒ならば避けられた事態かどうか?ということ。内定決まっても○一証券の人みたく、鑑定で辞退するとか?会社のお護摩して清める、とか
            上司の背後(霊)のお施餓鬼とかする?身体無理すぎるから退職するか
            どうかの相談接心受けるとか?同僚で自分と同じような境遇で困っている人を「お救け」してその功徳でもって(お救けしたよろこびと、同僚と一緒に精進できることで心が前向きになって)乗り切る?でも、こんな勤務実態じゃ、
            帰苑もできないじゃん、あと、この会社にいても平穏無事に勤め上げることが
            出来ている真如教徒じゃない一般の人々をどう見ればいいの?
            あと、自社(電通)に不満がない真如教徒っていうのもいる可能性も
            あるよね?もやもや、、、、、~~

            そうしたら隣から家族が、
            「もし電通が全面的に悪かったとして、そうだとしたらいずれ潰れていくわけ
            だけど、それには、こんなヤバい会社は行きたくない、と就活してる学生に
            避けられて、いい人材が集まりにくくなる、ていうのは必須なんだけど、
            それにはある程度景気が良くないと駄目で、数十社受けてここしか受からなかった、となったら大体の人は行くわけだし。だからある程度景気がよいとか
            売り手市場とかの条件がないといけなくて、合わせて入社したら3年はいないと、一年未満とかだと、次の転職活動で不利だ(会社じゃなくて本人の忍耐が足りなかったのでは?というレッテル貼られる)という社会通念も変わってかないといけないんだよ。それと、大会社のままバタッと潰れるんじゃなくて、
            いろんな事が重なって、徐々に規模が縮小していく感じじゃないかな?」と。

            ぎ(あーーーー~~~その通り過ぎて!!!!真如苑だと取り敢えず、今
            このご時世に正社員で働けていることに感謝です、とか言ってくんだよ!
            そうじゃないよね?景気もまあまあよくて、ヤバいことに手を染めたくない
            人が、ヤバいことしないでもちゃいんと生きていけて、常に楽しい選択肢が
            2個以上ある世の中にしたいよね?歓喜世界を目指すってことは!!
            だけど、精舎だけどんどん増えて、でも世の中どんどん悪くなって、、
            なにかがおかしいとしか思えない!!)

            で、なにかヒントを見つけたくて、「思いつく」を考える展に行ったの
            ですが、これが大正解でした~~詳細は、誰かのnoteとかブログとか
            見てください。ぎんたも大分助けられました~~~

            やめてみる=真如苑の精進やめてみた

            ふやしてみる=ほとけの数を最大限(全員)にしてみた

            やばくしてみる=きっと、あそこ殺人とかあたんだぜ、としてみた

          • ぎんた より:

            あ、あったんだぜ、です。

            で、「けものフレンズ」は「君の名は」で前前前世がすごく自然な気がして
            採用っっ、と思ったので、ある程度世間にインパクトがあったものは観て
            おかないといけないな、と思っていたのですが、ある日新聞の夕刊でこんな
            アニメがヒットして、と紹介されていたのです。放送終了後に。で、
            え~~~見逃した~~と残念に思っていたら、夏に異例の早さで再放送が
            決定し、テレ東社長が決めたらしいですが、もちろんぎんたのためではなく
            w、、DVDのセールスのためですが。大喜びで観ましたよ!!
            したら、冒頭のサバンナっぽい音楽?あれで、もうなんだか心にサァーっと
            風が駆け巡って、体中の血液が元気になった気がしました。その後の、
            サーバルちゃんが言った言葉「へいきへいき、フレンズによって、得意なこと
            違うから!!」で号泣、、。わぁぁぁぁーーーーーーーーーーーんですよ。

            そこから、動物と人間を考え始めました。

          • ぎんた より:

            そんで、一生懸命考えることが好きなフレンズみたいにやってみようって
            なりました。

            でも、、、、考えるとなんだか、どんどんと話がでっかくなってっちゃう
            気がして、なんで??広げないーーーっとしたり、最大限はなし広げたり
            したくなったり、ものすごく不安定でちょっと良くない、、、。。

            あ、それで、摂受心院様だったらこの方にどんな風に仰るか、を意識して
            web集会に参加してみたけど、どうしたって「自分」でしかなくて、
            自分の体験からしか、ものを言うことが出来ない、と思う。なので、
            全然誰かの救いになってる感じもなく、私が摂受心院の生まれ変わりだと
            したら、「私」はどこへいってしまうの??という思いは杞憂に終わりました。ただ単にこの方とお話しできて良かったな、しかない。
            大失敗、大失言した時に、事務局の方で、削除してくれた時は、心底
            有り難かった。でも、その内、一個もコメント載らなくなった。
            あんま、他の人と交流したら駄目だったみたい、それか、苑に否定的なのは
            駄目なのか?基準も分らなくって、やめました。

          • ぎんた より:

            で、web集会で思ったのは、一人の人間がすべての人に寄り添うというのは、
            不可能だ、ということ。摂受心院様なら出来たかもしれないが、ぎんたには
            無理だと。
            大体、摂受心院様が身長153㎝でぎんたも153㎝だからって、昭和40年のと
            令和の今だと、全然感じ違うし。環境が違いすぎると、もし、生まれ変わった
            としても、もーーのーーーすーーーーごーーーーーーーく別人じゃん。
            証明出来る出来ない以前に、絶望的に別人じゃん!!そもそも、彼女、
            5月9日生まれの牡牛座、ぎんた早生まれだから、それだけだって相当に違うよ?(早生まれっていったら、射手座の次の山羊座から始まって、水瓶座、魚座、牡羊座まで)彼女、小学校の下校途中で小さい子の鼻緒が切れた時に、
            どこかからやってきて、すげ替えてあげたってことだけど、ぎんたどっち
            かっていうと、鼻緒切れて泣いてる方の側じゃん。同じ学年の中でも相当
            ぼんやりしてたよ?どの学年のころか忘れたけど、ある年にクラスの子から

            「ねえ、○ちゃん、○ちゃんて自分が女の子だから紅白で紅組を応援したん
             でしょう?」ってちょっと冷たい感じで言われて。
            ぎ「え??、、そうだけど??」って返した後に、それがちょっと
             子供っぽいことなんだと一瞬で理解しました。。。。
             きっと、その子は男性アイドル?の誰かを応援していて、その年は
             紅組が勝ったのが心底悔しかったのだと思います。(推測です)

            そ、そういう種類の感情ってのがあるんだね、ちょっと理解しがたいが、
            あるというのはよくわかったよ。。。

            あ、話が逸れましたが、、、もし、生まれ変わっても、環境が違えば
            一個前に人間だった時にやってきたことなんて、まったく意味をなさない。

            それから!摂受心院は子供6人いましたが、ぎんたはゼロ人です。
            一昔二昔前の「プルーフ」では、苑で精進したらそれまで駄目だった子宝に
            恵まれた系の話がちらほらあったと記憶してますが、最近はどうなんでしょ?
            もし、昭和で摂受院と直接話すことが出来た立場の人で、最後まで子宝に
            恵まれなかった人に、摂受院はどんな言葉を掛けたんでしょう?今と
            違って、かなり多くの人が結婚してかなり多くの人が子供を生んでた時代に。
            どんな言葉を掛けたって、「私の気持ちは摂受院様にはおわかりにならない」
            とか言われちゃうと思うんだが。。。

            あ、夫婦としては子供に恵まれなかったけれども、導き子としての子供は
            沢山いて、どの方も幸せになって欲しいと願いながらの精進が尊く、
            双親様、両童子様には感謝でうんぬんというプルーフは聞いたことあるけど。

            ↑こんな感じになるように頑張りなさい!!って言われちゃうんだろうな。

            今のぎんたは、(こどもいないから「地面師たち」のリリーフランキーの
            種類の脅しはおれには出来ないぜ、フフ)と思っています。
            (え?だから?)

            あ、でも、地面師観る前は、子どもいなくて辛い真如教徒は、摂受心院様の
            言葉では救われない、でも、そんな人がいたとしたら、ぎんたが
            「私も同じだよ~~~!!」って、堂々と胸を張って言ってあげられるから、
            摂受心院様が救えない人も救えるかもしれないっ!!なら、それもありか~
            とか、本気で思っていて、お花畑が過ぎるんですが、その状態を経て、
            あーー、苑で浮いてるぎんたがそんなこと言っても、みんな、
            「ちょっと発言が変で地雷も踏む、しかも、教師バッジ付けてない」人物に
            救われたりしないんであって、救う救わないってのは、「救われる側」の
            好みとか意志とかタイミングとかで決まるんですね~~~とおもいました。

          • ぎんた より:

            あと、そもそも「真如霊界」にいらっしゃる方が、再びひとりの人間を
            やってたら、、、、「常住」とか「いつも見守ってくださってる」、
            「自分の気持ちを誰よりもよくわかってくださってる」、というのは
            完全に成り立たなくなるので、誰にも歓迎されないね!

            それから、一番最初に思ったのは、自分が摂受心院だった場合、
            家族が「真如教主」でなければならず、、これは教主が亡くなった年齢から
            不可能だし、もう、、、今まで「教主さま~~」と祈っていた相手が
            実は配偶者とか思ってしまうのが、きききき気色悪いとか、もう、痛過ぎて
            怖いから無理だし、自分=摂受心院は、心が辛すぎて、、、こんな
            辛すぎ状態をもしか残りの人生ずっとなんて絶望すぎる。
            あと、苑史とか色々な書物を読んで考え出したけれども、あの色々を読んで
            「もしかして、この摂受院に【人間に生まれ変わって精進するのよ】と言われた猫って私じゃね?」と思えるって、、ちょっと厳しくない??そうとうな
            思考だよ?ファンタジーじゃなくって、リアルで、、やーーーどうだろう?
            うーーーーーーーーーんーーーーーー、、しかし、猫に人間に生まれ変わって
            精進しろっつーのも、大概だしな、、、ちょっと無責任が過ぎやしないか?
            本気で言ってんの?なんとな~~~くなの?そういえば、苑内の言葉で
            「自分の信に信頼をおく」っていう開祖の言葉があったなーー。
            どういう意味かわからなくて、(真如苑を信じるってこと?でも、あえて
            こう言うならば、別の意味が??)経の集会で聞いてみたけど、納得いく
            答えは貰えなかった。多分、みんなもきちんとはわかってなかったみたい。

            …..とにかく、これから先が長いのに、こんな不快感半端ないんじゃ
            絶対に続かないから、少しでも心に負担なくやるには、やはり猫か??
            自分=令和を生きる自分、その心を守るなら「猫」
            自分=摂受心院(だとしても)の発言【前世が猫の人間もいる】を信じるならやっぱり「猫」、、、、かな、、、、、じゃ、猫でやってみるか、、
            やってみてまた違和感出たら考えよう、、、、。

            【人間に生まれ変わって精進】
            !!!!!!!!!!!!!!!!!!貴っっっっっっっっっ様ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

            猫に精進がいるわけねーーーーーーだろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!怒怒怒怒怒!!!!!

            あ~~~~こっちだったや、私らしく怒り心頭なってる!!基本怒り。
            アンガーマネージメント糞食らえ!!!!

            猫に精進、、お前殺されたって文句言えないわーーーー

          • ぎんた より:

            で、話は逸れますが、ちょっと「神」っていうのについて考えてみようと
            思って、考えました。日本はいっぱい神様いますよね?
            スポーツ選手が神だったり、100年使った道具は付喪神になったり。
            自然とか全てが神とか。とかとか。。。
             先日、RADWIMPSのトリビュートアルバムを聴いていて、結構神様
            出てくるなーとも思いました。

            お正月に、神社に行って柏手打ったりして、「家内安全」「商売繁盛」とか
            祈ったり。でも、神社に行って「商売繁盛」を祈ったあとで、実際働く
            のは人間で、その人の商売にお金を払うのも人間じゃないですか?
            自分でやる。どこかで神様が「えいっっ!!」ってステッキを振ると
            突如店が繁盛し出す訳ではない。飲食店なら、鬼リピしたくなるメニューの
            開発とか、店の清潔感とか色々やって、お客様を満足させるという。だから
            「繁盛」を実践するのは人間で、「神様のご加護」を表現するのは人間。
            全部人間じゃん。人間いないと神成り立たないじゃん。だから
            神=人間といっても差し支えないと、ぎんたは思うにゃ。
            だから、神を騙す商売したら駄目っていうのは当然じゃん?
            (だから、何かの会議でも、何かの裁判でも、神(=人間)の判断を
            狂わせるような、情報隠しとか?決定的な証拠を出さないとか?あったら
            いけにゃいと、ねこはおもうにゃ)

          • ぎんた より:

            で、なんやかんやで、とりあえず、「すべての人はほとけ」っていうのを
            掲げてこれからは生きてゆくぞ~~~と思いました。
            で、いつも行ってる図書館で、返却棚にあった本を手に取りました。
            どなたかほとけが執筆し、担当編集(ほとけ)が編集し、(ほとけが)装丁
            を施して、自分と同じ地域に住んで、この本を読み返却したほとけが
            いるっていう、すっっごい本!!タイトルは??

            『地球に生まれたあなたが今すぐしなくてはならないこと』木村秋則著
            なるほど、奇跡のりんごの人ですね?知ってる、映画にもなってた!
            菅野美穂と阿部サダヲ(←ともにほとけ)が主演の。観てないけど。

            ~~読んだ~~

            え、えーーーーと、えっと。。。宇宙人出てきた。でも、、、この人
            ほとけなので、全部信じるよ、、、もちろん、、けど、、、、、

            、、、、、ひとつ気になったのは。。。「時間があれば宗教改革したい」
            みたいな文章がたしかあった。しゅーきょーかいかくぅ??って、
            ルターの??←この時のぎんたの脳内は歴史の教科書の「ルター」が太字に
            なってるところのみ、です。もはや単語。教養ないのは辛いな。。。

            いろいろ考えて、、なにもやりたいことなかったら笑って生きてればいい
            みたいなこと言ってたけど。宗教改革が気になる。この人に詳しく話を
            聞いたらいいんじゃないかな?でも、どうやって?お手紙出す?
            でもなーーこの人講演とかですっごく多忙なんだよね?うーーーーーーん
            この人自身は宗教団体とは関係ない地球規模で物事考えてるのよね?
            でも、ぎんたはいちおー特定の宗教団体に所属しているわけだから、やっぱり
            ぎんたが自分とこのの改革をするのが筋ってものだろうなぁ、、、、。

            これが、手帳(100均の)ひっくり返して探したら、2018年の3月でした。

    • tanza より:

      >やっぱ、誰でも「え?ずるくない?」と思いますよね。うちの猫見てても、「ずるくない?」って思います。

      先日、浮世絵を鑑賞する機会があり、歌川国芳の「猫で擬人化」が、今思うになるほどと思いました。

      参考動画:【浮世絵&おもちゃ絵】猫!猫!猫づくし 歌川国芳&一門
        https://www.youtube.com/watch?v=J0WBtDhWyCU

      • ぎんた より:

        tanzaさん、はじめまして!

        ぎんたも国芳好きです。府中市美術館で見ました。府中市美術館は、
        学芸員さんのセンスが良いと思うのと、建物のほどよさ加減、併設のカフェ、
        ぱれたんとむら田のふたりなど、総合的にとっても好きな美術館です。
        ポール・デルヴォー展の時、「夢に、デルヴォー。」というコピーだったのが
        ツボで、今でもたまーーーーに(ゆめにデルボー、、)って脳内再生します。

        で、今うちにある本が、
        『おこまの大冒険 朧月猫の草紙』山東京山・作 歌川国芳・絵 金子信久・訳著

        表紙からかわいいぃぃぃーー、色合いも素敵ぃ~~まだ読んでませんが。

        、、おれ、この戦いが終わったら、、ってやつです。
        (たぶん途中で読む)

  11. 赤い実 より:

    ぎんたさん、こんにちは!

    〉理屈としてはそうなんだけど、それを言っちゃうと戦争とか無くならない から、ねこ困るんだよ、、

    戦争って関係性で起きますよね。
    どちらも悪くて起きる場合もあるけど、圧倒的にどちらかが悪い場合もある。

    でも、あの国が悪いです!ばかり執着してても終わらなくて、関係性の中での最善を求めるしかない。

    つまり。善悪を超越したところに本当の倫理は生まれるのかなと思うのです。
    そしてたぶんこのあたりは、仏教とも関係してると思うのです。
    私はこれ以上語れないし、下手したら間違えてるかもしれませんが…

    その時はどなたかが訂正してくださると思います。

    • ぎんた より:

      えーーー間違えてない、もっと色々語って欲しいです!

    • 赤い実さま

      >つまり。善悪を超越したところに本当の倫理は生まれるのかなと思うのです。
      >そしてたぶんこのあたりは、仏教とも関係してると思うのです。

      善悪の彼岸は、「涅槃」ですかね。
      「本当の倫理」ってあるのだろうか。。

  12. tanza より:

    ブッダ・龍樹は、自性・実体はなく、すべては縁起的現象だから、執着を捨てよと教示されている。

    それなのに人々は、次のようなものを、自性・実体・存在と思っているのか、それらに執着しているのは不変性への欲望・渇愛の現れなのか。
    基本的人権・主体性・多様性・平等・LGBT・民主・独裁・戦争・平和
    ・・・

    • tanzaさま

      おっしゃる通りです。「執着を捨てよ」と教示されています。

      「諸行無常」も、「執着を捨てよ」につながりますね。
      「諸行無常」も、「諸法無我」も「執着を捨てよ」につながっています。
      それらをまとめて「一切皆空」と称するけれど、その見方は、中道へと収束しますね。

  13. 赤い実 より:

    先生、こんにちは。

    〉「本当の倫理」

    これ、絶対的な倫理というつもりで書いたのではないのですが、そうで見えてしまう書き方でした。

    自分の正しさに固執しないという意味で善悪を超えると書きました。
    自分の正しさに固執しない物の見方考え方から生まれる倫理が大切かなと思ったのです。

    • 赤い実さま こんばんは。

      なるほど、そうだったのですね。失礼しました。ごめんなさいね。
      七仏通戒偈のようになっていくのかもしれませんね。

      • 何か独り言みたいになるんですけど、
        そうであっても、何か善いものに行き着くなあという感じはしますね。

        ブッダの言葉で「何か善いものを求めて出家した」という、スバッダに語った詩が思い出されます。倫理を外さない、という感じがしてきます。

      • 赤い実 より:

        先生へ

        わかりにくい表現をして、こちらこそすみませんでした。

        • 赤い実 より:

          〉自分の正しさに固執しない物の見方考え方から生まれる倫理が大切かなと思ったのです。

          昨日の自分のコメントへの補足です。
          自分がこれまでそうしたことがあったから、このように思いました。

          • 赤い実 より:

            先生何度もすみません。
            補足により明確にしたかっただけなので、スルーしていただいて大丈夫です。
            やりとり、ありがとうございました。

    •  春間 則廣  より:

      〉 自分の正しさに固執しない物の見方考え方から生まれる倫理が大切かなと思ったのです。

      認識は、自分の正しさ から 決して
      離れることはできません

      意識は( 絶対 )肯定の上に起きます

      いやそうでもない という

      絶対肯定( !? )

      •  春間 則廣  より:

        やり方によっては可能

        という 絶対肯定

        意識では 決してできません

        ムニ達がなぜ

        瞑想を大事にしたのか !?

        • >ムニ達がなぜ

          >瞑想を大事にしたのか !?

          何で大事にしたんだろうねぇ。。自分に潜む嘘をみつけようとしていたのかな。。

          誰でも正直になるのがインド。ニヤーヤやヨーガ学派なども、瞑想やってると嘘をつけない。

          • tanza より:

            「ムニ」については、次のリンク記事により理解しています。

            『沈黙行とは黙ることではない』
            https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou156/

          • mani より:

            tanzaさま

            >「ムニ」については、次のリンク記事により理解しています。

            わたしは、『スッタニパータ』527偈です。ブッダがバラモンのサビヤに語った言葉です。

            527 「一切の世界において、内であれ外であれ、正しからざる法と正しい法とを知って、神と人間とによって供養に値する者、執着の網を超え出た者、かれが<聖者(ムニ)>であります。」

          •  春間 則廣  より:

            > 何で大事にしたんだろうねぇ。。自分に潜む嘘をみつけようとしていたのかな。。

              嘘 でしょ ( 嘘  って  わかりますか ? )

              嘘 だとは 思ってもみないでしょう

              これが 嘘であるなあらば  よいのだけれど

          • mani より:

            >嘘 でしょ ( 嘘  って  わかりますか ? )

            わかりますよ。
            自分の嘘は、誰でも、真っ先に気づくものです。自分に正直になりさえすれば。。

    • ぎんた より:

      えっと、、あくまで「最近の」ぎんたのことで言うと、

      ぎんたはぎんたの思う正しさ、に固執しまくって発言しています。
      真如苑も、自分達の教団の思う正しさに沿って物事を進めています。

      世間の人も、まあ、概ね何かを選択して言動してますね?でもって、ぎんた以外
      全員が神でほとけなわけです。全員で話し合って行動を統一するわけではない。
      でも、現代から未来に向けて、時間やら物事はどんどん積み重なっていくと。

      誰かの「なんとな~く」の行動と、ぎんたの何かに固執しまくったうえでの行動に
      優劣があるわけではなく、それぞれ、そこにその様な条件で置かれた人は、
      そのように動く、という「法」が表われているだけなのです。

      何かにゴリゴリに拘った結果行動しても、なんとな~~~く行動しても多分、
      取る行動は一緒だ!!とぎんたは思います。そこに置かれたひとならば。

      実際の例ですが、真如苑の経の集会で、
      経親「先月○○さんが大歓喜を相承されましたー」
      みんな「パチパチパチ(拍手)」
      経親「本人は、「(忙しくって)特別何かに取り組めたわけじゃないのでびっくり」
       みたいに言ってましたが、私から見ても一生懸命に家族のことに取り組んで
       いましたので、それが霊界に通じたのだと思います」
       
      という発言を聞いた時に(10年位前かな?経親さんに○○さんが大歓喜相承した
      年度が知りたいと言えば、正確にわかるのでしょうが)ハッと思って。

      もしかして、相承する時はきっちり決まっていて、これはもう物理的なことだから
      動かせなくて、そこを通過する時にどのように感じるか、だけが定まっていないの
      ではないか?「思いがけず」相承と「やっとこさ」相承だけが、自分の印象次第。
      だよね?だから、未来が決まっているからこそ、接心で「2ヶ月も3ヶ月も前から
      お示しくださる」とかいうことが可能なのであって、、、。

      と、いうことは、精進すれば「運命が変わる!!」とかいっても、運命が変わって
      やったーーと思う人は多分前世が終わるまでで決定しているのだと思う。
      その時「死ぬほど頑張って精進したから、真如霊界からお力頂けた!!」と
      思う人と「あの時期猛烈に勉強頑張ったからだ!!」という一般の人に差は無い
      はず。なのに、(一般の人に対して)「ああいう徳は一時的なもので、身につかない」みたいな失礼な言い方するの、よくないよ!!

      ぎんたはぎんたの意見に固執しまくっています。で、あの団体の人も自分の
      体験に引き合わせて色々考え、事を運んでる。未来どうなるかは分らないけど、
      何かをなんとかしたくてやってる。でも、お互いを武力で攻撃しないから、
      いいのでは?と。

      要は自分が楽しい方を選択すればいいのだと思う。ぎんたも、小説とかでキャラと
      して登場したときに、自分が応援したくなるように、こいつアホ過ぎて笑える!
      目が離せない!!という感じに行動するようにしています。
      10年後に200%自分が間違ってても、後悔しない行動をしようと思っています。

      あー纏まらなくて、すみません。

      •  春間 則廣  より:

           
        > ぎんた以外  全員が神でほとけなわけです

           何をもって 神と認めますか ?

           ほとけ である    理由 を
            あなたは      ど のようにして 知りましたか ?

           ほとけ である 理由 を 知るのは ほとけだけです

           (  それが  伝統仏教 で
                  「経王」と呼ばれる 法華経 には
               「 唯仏与仏 乃能究尽 」 と 説かれます )

         
         何を言っているか と   言うと
          「 あなた は  ほとけ の なかの ほとけ 」
                     と   言っているのです

          ほとけ しかいない 世界 に  あなたが いる  
        (  そこにおいて
            あなたが どうあるか は ほとけのもんだいです ) 

           あなたにもんだいがある     のではなく
           ほとけにもんだいがある

            ほとけのもんだい を あなたが考える必要はない

           あなたは  そこんとこ 考えなくともよい

                 まわりが ちゃんと考える   から 

        • ぎんた より:

          ええ!!おまっ、、いままでのぎんたが言ってたことちゃんと聞いてた?

          縁起だよ、縁起があったから考え始めたんだよ!!
          あのヤバすぎ教団真如苑をぶっ潰すために!!
          それが、世界平和への第一歩なんだよ!こないだも知恵袋に、彼が
          真如教徒だったことを知らずに結婚してしまって後悔しているという女性が
          結婚前に知って、結婚するかしないか悩んでる女性に対して、
          もし、結婚前に知ってたら自分は結婚しなかったと言い切っていたよ!

          うううう、、、ごめんなさい、そんなだまし討ちするみたいな真如教徒がいる
          なんて!!!!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、、、、

          真如苑が潰れるように一生掛けて頑張ります、、としか言えない、、
          時間が巻き戻せればいいのに、、、、、、

          • ぎんた より:

            ぎんたの場合は、「こういうところに私は通っています」と先に言いました。
            で、結婚する年の元旦会に一緒に参座しました。そこで、

            「ぎんたの言ってること(説明)はちっともわからないけど、あの代表の人
            (継主のこと)の言うことはわかるよ。まともじゃん、因縁が!!とか
            言わないし。」グサグサきました。←ここからが本当の精進?
            でも、特に目くじら立ててないし、毛嫌いって感じでもなさそうだから、
            結婚してから追々お伝えしていけばいいかな~と思いました。
            なので、1回参座してくれたし~とか思って精進願いは出しちゃいました。
            ええ、屑です。洗脳されまくりです。友達とかにはしてないけど。

            後に、問い詰められて、ぎんたの所属になっていることを白状しましたら
            大激怒しましたが、赦してくれました。相手のためとか思って、一番
            相手が嫌がることしちゃうんですよ。あそこにいると。

          • 赤い実 より:

            ぎんたさん、訊いていいかな。
            脱会してるのよね?

            どうのというのではなく、そこだけよかったら教えてください。
            ほんとにどうのじゃないからね。心配しないでね。

          • ぎんた より:

            質問ありがとう~~!!退会はしていないの!!退会しちゃうと
            真如苑のHPを見に行けなくなって、web集会とか覗きに行けないのと
            Web版『かっぽう着の法母』を読めないと、あの猫のとこ
            どう書いてあったか、とか思った時に見に行けない等色々不便なのです。
            毎月発行の、親苑時報も読めなくなるし。。
            と、言っても最近はあまり読み物読んでなくて、退会でいいかなーって
            感じなんだけれど、今精舎に行って手続きするのが怖いの。ここで
            ぎんたとして書き込んだりしてなければまったく問題なかったんだけど、
            これだけ色々書いてて、これからのタイミングで手続きにするのに
            事務局行ったら、その時点で「こいつ!!」ってバレやしないかと思って。
            今はまだ大勢いる教徒の一人だからいっぱいの木の葉の中に隠れている
            状態でしょ?あと、みどりさんに「行かないで」って言われたし。
            (みどりさん元気かな?)

            前はweb集会に書き込むために、自分のIDと母のと家族のと3つ使って
            書き込みしてて、こんな意見もありますよっていうのを水増ししたりしてましたが(ええ、ズルです、でもそれぐらいしないと!!)母に、
            「それは止めて!!!」と言われたので、母のは使わずに2個でやってて、
            そのうち、ぎんたのコメント掲載されなくなったので、段々訪れなく
            なりました。だから、IDはいらないから退会しようと思ったけど、
            上記の考えから、躊躇しています。

            でもね、ぎんたもね、「神」とやらをやってみようと思って、
            みんなが神なんだから、ちょっとまねっこしてみたらどうかなって。
            ぎんたでも出来そうな神が一個だけあって、、あのね、
            「座敷童」っていうの。あるおうちにいたけど、ある日ふいっと
            出て行っちゃうの。(これも、京極夏彦の影響です)出て行っちゃうだけ
            だから、「精進」とか「特殊能力」とかいらないの。いいでしょ~

            んーー、とりあえず、ここいらで、宣言だけでも!!

            「ぎんたは、真如苑退会しまーーーーーーーーーーーーーーす!」っと!!
            は~すっきり!!

            これでなんとかならないかなーーー、止めたい人は止めたらいいと思う。
            お休みするんでもいいと思う。それでも残るって人は、きっと
            団体を畳むことに伴う業務色々を遂行するための人員だと思う。(←希望)
            色々大変だとは思いますが、頑張ってください~~きっと、すべての
            経験が宝となると思いますので。

  14.  春間 則廣  より:

    > 自分の嘘は、誰でも、真っ先に気づくものです。

        気づかないように 、 自分に嘘をつく

      “ 真っ先 ”  という   「 真 」 の 先 

        先  に起きている  「 自我 」 

       誰でも という時 に そこから 離れている  「 自我 」 
    ( いいや 離れてはいない  と いう・強弁する  「 自我 」 )

     あなたは 「 自我 」 が強い  と  強さを強調する 「 自我 」 
     ( 見ようとする と   「 他 」 の 影に隠れる  )
     “ 見ている ” と    “ 見てはいない ” を 隠す
                     「 自我 」  の  強靭さ
       
     「  ひとごと に ひとごとがおきる ひと の   ひとこと 」
        人毎 ・ 他人 ・ 一事     自分   一言 ・他人事 

     HIT! そうに決まっている   →  HOME !    RUN

        値千金  酔漢 の 自叙帖    「千金帖」
    https://note.com/genmyo/n/n35f4be0c1edf

             「 ・・・・・ 看れども及ばず 」
              と  及ぶを失す  「 我 」 
     ( 及ばなければ 及ぶに 達せず  知悉すれば 知るを知る )
        知らない と 知る       知るを失する 阿呆の如し
            「  酔裏、真如を得たり  」

       及んだ時に 及ばずと知る  及ぶ彼岸   泳いでいる眼
          「  ・・・ みな辞旨激切にして、理識・・・  」

       「 僧侶 」 の 眼  で ある
      ( 空海 は これを 必死に 書写する )

      文字は 伝うる を もってして  「 意 」 を 為す
     ( 伝わらぬ  “伝うる”  という 危機感  でんでんつたわらない )
       分からぬ   という   完璧なる理解  完璧などないという完璧

       彼方に伝わらずとも    此方に発する  ということは
        ここに伝わっている   「 仏法 」 

        渡ってから 言いなさい   “ 渡り方の稚拙さ ”

      渡らずとも 其処に発する   亘る ・ 数多の  「 心 」 

  15. 赤い実 より:

    ぎんたさん

    そうだったのね。
    退会されてるのかと思い、お盆過ぎくらいかな、某宗教団体の勧誘が家に来てめんどくさいという話とか書いてました。
    ぎんたさんのところのとは別のところだよ。
    もし気にさわるようなことがその時にあったらごめんなさい(_ _;)

    • ぎんた より:

      その時は、(ですよね~~~)と思ったと想像します。完全に忘れていました。
      聞いても思い出せない(>_<)

      • ぎんた より:

        あ、忘れちゃってるから、もう推測でしかないけど、真如苑は「飛び込み」は
        していないから、「真如苑とは別の団体であろう」ことは分っていました。
        そして、ぎんた某宗教団体の友人に、最近うちの猫の腎臓の数値が悪い、あと、
        義理母が脳梗塞(軽い)になったとはなしたら、(単なる近況報告)
        「それは悪魔のせいなんです!!」と言われ、
        その瞬間「ゾッッッ!!!」と身の毛がよだったのが本当に強烈で、真如教徒が
        「因縁だ!!」とやるのもこんな感じで嫌がられているのだろうな、
        世間の人に迷惑掛けまくりじゃないかぁ!!と実感したのでした。

        ただね?今時「因縁ガー」とやる真如教徒なんて、まあ、はっきり言って
        いないよ?いたとしたら、自分の昭和のやり方を成功体験として引きずり
        まくっている、同じ真如教徒としてもちょっと残念な部類wか。(だから苑内で
        そんな先輩に対しての忍辱行が大変すぎることになってる)
        今は、もうちょっと、自己啓発(接心によっての)みたいな感じとか?
        実際に、接心によってうちの家族こう変わってきた!!みたいなよろこびの体験談
        などなど(でも、それ、人それぞれですから!全員に当てはまんないから!!)

        あとですね、、実は、すでにぎんたが言ってることだって「すこーし古い」感じ
        だと思います。
        ぎんた2019年から帰苑してないから、もうかれこれ丸6年は空白。その間にも
        継主は色々すら~~~~っと変えているのでしょうし、世間から乖離しては
        いけないので、世間の価値観が変わると、こっちも変えなくちゃいけないのよ。
        世間から取り残されちゃうと「カルト」になっちゃうから。
        だから、、、もう解散して「世間」になっちゃえよ!!
        「在家仏教教団、終~~~~~~了~~~~~~~~~!!!!!」みたいな。

        先日xで、「真如苑」と検索したときに出てきたのですが、、
        昔、真如苑行っていて、ここ最近また再び行きだしたんだけど(ううう、、涙)
        自分が行ってた頃は精舎に入る時は、替えの靴下を持って行って履き替えてたと。
        えーーそうなんですね~~初めて知りました。そっかーー、、今よりも
        精舎が「新築」で「自分達で建てた♪」みたいな愛着から、めちゃくちゃキレイに
        使っていたのかな?今と違って、どこもかしこも絨毯じゃなくて、板の間も
        あったから、とか??色々想像します。。。これから歩むんですか?
        じゃあ、もし団体ぶっ潰れたら、貴重な昔の体験を是非お話くださいね!!
        お願いします。

        とかとかとか、、こんな自分事で頭がぱんぱんで、マニカナの誰かの発言が
        「気に障る」脳のスペースがない。ついでに春間さんの超絶文章を解読する
        気持ちも能力もない(=縁起がないから)き貴様ーーーー!!!と思うことは
        多い。殺されたから、。。でも、全員、神でほとけだからですけど。

      • ぎんた より:

        あ、あとですね!うちの家族が言うことには、、、
        家にやってきた勧誘の人を追い返すのにはですね、、。ひたすらに、
        「帰ってください」とだけを、言い続けるんだそうです。それのみです。
        「興味ないんで~~」とか言うとあちらは、
        (興味ありそうな話題なら聞いてくれる人なんだ)と判断します。
        また、(今は興味ないけど、いつか興味を持って下さるはず!)と希望を持つ。
        そんな「希望」や「付け入る隙」を一切与えないことが大事だと!

        で、強めに「帰ってください!!」とか言ってたら、
        「あなたみたいな人がいるから、今世界はこんな状況に!!」とかキレられて!
        顕正会の人に!ぎんたそれ聞いて、
        「(みんな神でほとけなんだから)そんな失礼な態度を取ったら怒るに
        きまってるじゃん!!その後何かあって(信仰さえも手放して)、怒りが
        増幅してうちに火を付けに来たらどうすんの!!怒らせちゃだめだよ!」と。
        (これは前に書きました)

        なので、「あ、ご苦労様です、私も○○の信仰してます!」とするのが一番!
        赤い実さんなら、仏教やってます!て言ったらいいと思います。

  16. tanza より:

    ブッダの説法は、無常・苦・無我・縁起に集約される。

    これにより、物事は「必然性+偶然性」に支配される。

    参考動画:【人生変わる】この世界を動かしているものの正体|
    「偶然」はどのようにあなたをつくるのか byブライアン・クラース
      https://www.youtube.com/watch?v=y3ifCSmSW0o

    •  春間 則廣  より:

       
        ミソ と クソ とを  書き交ぜる( 混ざって心で考える )

          味噌 がよい クソ は 悪い  と言う のではない
      ( どのように 書き交ぜ が 行われているかを 言うのである )
       
       
        ***********

         京都が 美しいならば   美しいモノを残そう
                        とするのは
        当然なこと  であり  偶然ではない
        美しいモノ  に   出会いたい  思い(望み) から
        望んだモノ  に   出会うのは  偶然ではない
        ( そこへ 向かおうとする 心を起こす 故である )

        偶然が  偶然起きる  必然があるならば
            それを必然とする  「 心 」 が ある

         正しいモノを求める  「 心 」  は
          愚 禅 の産物 かな ?    偶然 かな ?
         「 精進 」 故に 人は その 讃仏 を 受取る
       ( 受取るだけで  「 精進 」 を 見ようとはしない ? )

         見ていようとも   見ている という  「 識 」 は
        必然として起きるわけではなく  ( 偶然 ではなく )
        当然 なる ( 真っ当な )  「 精進 」の 賜物である

         さて 本題に戻ろう 
           (  突然 提示もなく  “ 本 ” に 戻る  )
               偶然かな ?

        京都 は 何故 美しく “ 映る ” のか ?

         それは  人の想い(  「 心 」 ) の 集積 を
               そこに見る  「 心 」 を 起こす故である

        「 心 」 が なぜ起こるかを  「 唯識 」 は説き明かす

           仏陀 の 誕生は 偶然ではなく 必然なのである

       「 偶然 古城につづく 道 を 見出した 」  と語られている
              けれども
       見出そうとする  「 心 」 の 反映 として 道が現れ出ます

          無節操な 誘導  は  止めた方がよい
        (  そのような心  は  偶然起きたのではなく
             あなたの    無明に拠った  必然なのです  )

    • ぎんた より:

      え~、、、ぎんた的には、「この世はすべてブックだ」「物理的なことはすべて
      ガッチガチに決まっている」と思っています。心の準備?自覚?覚悟?正しい読み
      が無いときは、「偶然」として「処理」します。

      あ、決めたのは一個前の地球の「人間」です。神でほとけの。

      ぎんた魂だか意識だかは「猫」で、人間(=飼い主)を操縦しているのだけど、
      これも必然ですよ!!操縦しているってのは、ガンダムみたいに肉体の
      コックピットに搭乗して操作してるって事です。

      でも、この世は全て「偶然!!!」と思った方が、不思議!!とか面白い!!とか
      プレッシャーもないよ!!って神でほとけも何分の一かはいると思われます。

  17. 赤い実 より:

    昨日、別なところで禅にまつわる会話をしました。
    原始仏教と禅の戒律についての取り扱いの違いについて。
    そのことを思いだして、そこから、猫が最終的に老師に切られちゃう話を思いだしました。
    これは公案にあるものですよね。

    この話自体を知ったのはだいぶ前で、最初聞いた時には、うわ…猫斬るんかい…と恐ろしいなと。
    その後には、帰ってきた兄弟子クラが頭に草履乗せて黙って行ってしまうという奇天烈さ…に、なんでそんなことが良い答えなの?という疑問。

    猫が斬られる、草履を頭に乗せる、という奇天烈に思いが行ってこの話の言いたいことがわかりませんでした。

    おそらく、若い?弟子たちが猫の仏性について有無を議論してたことへの答えなのですね。
    頭であれこれ考えるより足で大地に立てとか、うわ猫切られたんかかわいそうに…とか、そこはわからないけど、無言で示しました、ということなのかな。
    有無にとらわれるな、戯論するなってことでもあるのがたぶんかなり近いとは思いますが。

    でもこの老師、弟子たちに質問しといて最終的に猫を斬るとは理不尽ですね。
    その理不尽さにもとらわれずに、この話の言いたいことを知れば良いってことでもあるのかもです。

    そうそうそれで、原始仏教感覚では、猫を斬ってしまうのはやはり教えとしてもまずい感じですよね。
    このあたりの違いもおもしろいです。

    • 赤い実 より:

      すみません。弟子たちが先に議論ばかりしてたから老師が問うたのですね。
      そこを勘違いしてました。
      私の誤解だと老師が酷すぎますよね。
      確認してから書かなくてすみませんでした。

    • 赤い実さま こんばんは。

      「南泉斬猫」を取り上げてくれました。
      わたしは、衝撃でした。猫を斬るなんて!と思いました。
      だから、なんでもいいから一言いうべきだった、と思います。

      僧たちよ!おまえたちのせいで猫は死んだんだぞ、って言ってるとわたしは感じました。
      命に関わらないところでは議論はするのに、いざ、命が関わるなら誰も何も言わない!
      覚ってても覚ってなくてもいいじゃないですか、なんか一言いえば救われたかもしれないじゃないですか。。
      って思いがわいてきます。僧たちに腹が立ちます、単純に。

      趙州の行為は、なんだろね。彼は彼で「諸行無常」を表したのかな、って思ったりします。

      わたしは、志賀直哉の「城之崎にて」を思い出すんですが、たまたま作者の投げた石が当たってひなたぼっこしているヤモリだか、イモリだかは死んでしまうんです。その話しを思い出して、生き物の命の不思議を感じます。殺すつもりなくて死ぬ命もある、って思います。

      不思議と老師に文句は感じません。修行やってるふりしてる僧たちに一言言いたい。
      いい加減、悟れよ、って。

      •  春間 則廣  より:

          
        > 生き物の命の不思議を感じます。

          思議 して 生きていますが、
            何故 思議するか ( 「 命 」 )
                とは     不思議に属します
           ( 理屈 とは つけたいように 起きるものです )

            感じる  という事   は     思議ではないけれど
               不思議 (という結論) に  思議を片付けます

          ( ここから 論が  論外に 飛躍するけれど
                 構わず に 論は  展開されて行きます )

        > 殺すつもりなくて死ぬ命もある、って思います。

            生きるつもり  は  なくとも  生きている
           (  生死 は      つもりを離れている  )
           ( したつもり とは  していること ではない )

             生きている 「 命 」   しか  ありません
          (  死んだ 命    を   提示できますか ?  )

          提示できる ということは 生き・生かされている という事です

          あなたが どう考える  かは  あなたの 「 信条の自由 」

             「 平等 」 が  「 真理 」 であるならば
             「 永遠 」 は  「 命 」 に “ 生きている ”

          あなたが   「 平等 」 とは どういうことかを知れば
          あなたは    “ 「 真理 」 を 得ている ”

         「 歎異抄 」  は
          「 真理 」  を 聞こうとする “ 故 “   に 聞こえ 
           「 願 」  の 不思議 を “ 観ずる処 ”  に 起きる

         「 これにて知るべし
            何事も心にまかせたること  ならば
          往生のため に 千人殺せと言わんに すなわち殺すべし
             しかれども    一人にても かないぬべき
            業  縁     なき によりて  害せざるなり
             わが心の善くて殺さぬ  には  あらず
          また 害せじと思うとも  百人千人を殺すこともあるべし 」

          ( 思う という )
            「 つもり 」   で 生きているのではなく

            「 (業) 縁 」 が 起きる “故” に 生きている

              あなたが  
           感じようが 感じまいが  生きている ということは
           そこ( ここ ? ) を   離れて
                        “ 感じること ” なのです

            「 悟る 」 という   言葉に振り回されている

        • ぎんた より:

          ぎんたの場合はですね、、、。

          この世の物理的なことは一切例外なくガッチガチに決まっているので、
          老師が「なんかいいこと言えたら、猫は殺さない」って道筋を決めた上で、
          一人も発言しなかったってことは、「猫の死」は一個前の地球から決まっていて
          変更不可だ、という老師の態度が大問題なわけなんです。

          いやだってさ?そこで猫を助けたいってなったら、自らがなんか発言しちゃって
          「あ、ちょっと自分がいいこと言っちゃいましたよ?あなたたちのお陰で♪」
          とかいって、ルール変更っていうか?ゴールポストをずらす、みたいなことを
          やればいいわけなんですよ。禅の人なんだから!でもしなかった。

          それをしなかった老師を趙州は責めているんだと思います。でも、それを
          しなかったことを「自分が」よい縁起に転換しないといけない。
          それには、(もうあなたに付いて教わることは何もなくなりました、私は
          ここを卒業して、新天地?に向けて出発します!!)って出ていちゃうことに
          決ーーめた!!でも、歩くときは草履は足に履くものだけれども、私は
          頭に載っけちゃうよ?草履をどう使うかなんて、自由じゃん??

          みたいな、、免許皆伝??老師に許可なんか取り付けねーぜっていう。。。

          昼ご飯準備した後続きます。

          • ぎんた より:

            こうやって、途中でご飯作んなきゃいけない時って、本当に面倒。
            お釈迦様ってずるくない?ご飯作らなくてよくて、鉢持って出掛けて
            帰ってきた時には食物が鉢に入ってるの。本当にムカツク!!!

            まあ、ぎんたが料理好きではないから、そう思うんですが。。。
            出汁巻卵とか家族の方がキレイに作るし、子どもの頃から彫刻刀で遊んで
            いたから、ごぼうのささがきとか大好きなんですって。千切りも、、。
            ぎんた、人間1回目で料理初挑戦だから、基本火がちょっと怖い。

      • 赤い実 より:

        先生、ありがとうございます。

        〉僧たちよ!おまえたちのせいで猫は死んだんだぞ、って言ってるとわたしは感じました。 命に関わらないところでは議論はするのに、いざ、命が関わるなら誰も何も言わない! 覚ってても覚ってなくてもいいじゃないですか、なんか一言いえば救われたかもしれないじゃないですか。。

        私も昨日、この公案についてこちらにコメントした後また考えたり、調べたりしました。

        南泉は何か上手い言葉を求めてたわけではなくて、猫の命がかかってるこの瞬間に君たちはいかがする?という問いかけだったのでしょうね。
        弟子たちはその迫力に怖気づいたり、プライドが邪魔したりで何もできなかった。
        猫が斬られてしまってから、後悔のような気持ちにざわついてそこから考えたのかもしれません。
        時遅しだったけど…

        先生が書いてくださったのを拝見して、上のように私も思いました。

        • 赤い実さま こんばんは。

          禅も答えがないので、人それぞれだと思うんですが、子猫が斬られたのはショックですよね。
          わたしは、そこから考えました。いろんなことが言えそうだな、と、思います。

          結局、仏教思想で生きるって、簡単じゃないよね。。「輪廻思想を終わらせる」っていう思想を掲げているのが仏教なのかな、などと思ったりしてます。

      • ぎんた より:

        あ、でもそのヤモリかイモリは、人間に殺されたから、次は人間に生まれ変われて
        ラッキー♪かもしれない!爬虫類の時には食べられなかった美味しいものを
        いっぱい食べるの!!(量はほどほどで、種類をいっぱい)でもそれだって、
        親ガチャとか国ガチャに勝利すれば、ということになってしまうの。
        こんな地球であれば、何処に生まれても、まあまあいい感じの生活出来るでしょ、ってならないと、安心して涅槃ってわけにはいかないのです。

        しかも、人間になっても、ぼっさ~~~っとしてたら(まったく意識しなければ)
        前世なにがあったのか、をなるべく忠実に再現しちゃうから落石とかの下敷きに
        なっちゃう場合もあるし、そうでない場合もある。。。自分の中身がどの
        動物か分らないから、「気を付ける」っていったって難しい。そこで!!
        一番手っ取り早いのは、人間にしか出来ない行動を取ること。
        「未来のことを考える」とか「祈る」っていうのは、あんまり動植物はやらない
        かもしれないから、それをやったらいいかもね。毎朝、神棚とか仏壇に
        「今日も一日無事でありますように」とかするのは、かなり簡単なことだと
        思います。(イスラム教の人ってよく祈ってるよね~~~~)と思ったのを
        ヒントに考えてみました。あ、神棚とか仏壇じゃなくても、太陽に祈れば
        いいのか!!あ、でも、動物だって太陽に祈るかもしれないからやはり人工物
        のがいいのかな?「ぬい活」とかあるんだから、ぬいに祈ればいいのかな?
        あと、本読むとか。勉強するとか?

      • ぎんた より:

        あ、先生、、ぎんた思うのですが、この老師のいる僧伽?では、老師と趙州しか
        悟ってないんだと推測するのですが、それは仕方ないと思います。

        だっってーーーーー!!きっと、お釈迦様の時代だって、実はお釈迦様以外は
        片手くらいしか悟ってなかったんじゃないですかねーーーー?悟ってたら
        それぞれ散らばって違う場所で布教すればいいのに、1カ所に集まってるのが
        怪しい~~。あ、それか、初期の頃は次々に悟っていたんですが、その悟りの
        内容を、更新するのことが出来なかったので、内容が古くなって、もう
        「悟りとして使えない」レベルになってしまって、そのタイミングでお釈迦様
        死んじゃったので、跡継ぎ不在になってしまったとか。

        と、いうのを、中国のその老師の集団が「証明してくれている」と思えば、
        大勢のお弟子が「悟っていない」ことがグッジョブになるのですが。。。
        (そんな残念な立場だってみんな順番でやるわけなんです)あと、ぎんた、
        キリスト教で、イエスの弟子でちょっっと残念な人とかいるんですよね?
        そこにも同じものを見ていて。。。カリスマとか天才は、ものすごーーーーく
        大勢の凡人が絶対的に必要不可欠だと思うんです。
        なので、「信仰しているっていってるヤツほど、大体ヤバいヤツ!!」って
        世間の皆さんの怒りってめちゃくちゃ正しいんですけど!なので、
        真如苑は早く解散してください。世間の方の怒りを買っています!

        • ぎんたさまさま こんばんは。

          >だっってーーーーー!!きっと、お釈迦様の時代だって、実はお釈迦様以外は
          片手くらいしか悟ってなかったんじゃないですかねーーーー?

          経典の読みが鋭すぎる。。お釈迦様の時代は、60人覚ったところで、お釈迦様が「世間に出て清浄行を広めて行きなさい」って言ってます。
          ぎんたさま、あたってると思いますだ。

          >なので、「信仰しているっていってるヤツほど、大体ヤバいヤツ!!」って
          >世間の皆さんの怒りってめちゃくちゃ正しいんですけど!なので、
          >真如苑は早く解散してください。世間の方の怒りを買っています!

          「信仰してる」ということばについつい惹かれてしまう自分に「腹立つーーー!」ってのが正直なところなのかな。
          後、真如苑の事情をわたしなりに飲み込んできました。
          密教的な在家仏教として始まったけど開祖の人が亡くなって、迷走しているような感じ?って、「発展理解途上」です。。

          猫出身のぎんたさま、輪廻の思想って、わたしは、「正しい」って思ってます。
          「正しい」ってのが、そもそも「正しくない」と込みだから、「正しい」 と「正しくない」を「空」とみる仏教の世界を、そうだなあと思って生きてます。

          真如苑は、輪廻の行き交う世界なんだなあと新鮮な感じです。
          多少、ぎんたさまの考えと違うかもしれないけど、スマ長老が輪廻思想で苦しんでるのを見ると、わたし的には「この思想はなくなることはない」と安心してます。

          • Blume より:

            先生、承認待ちになるときと、そうでないときがあるのはなぜなのでしょうか?
            最近PCの調子が悪くて頻繁にキャッシュを消しているからなのでしょうか?

    • ぎんた より:

      あ、赤い実さん!!南泉斬猫のことを書いてくれてありがとう!昨日真っ先に
      コメントするつもりが、一昨日年賀状印刷でプリンター使ったら、壊れて!!
      もう寿命なので、買い換えて、昨日初期設定?しながらコメント書いてたら、
      間違って画面閉じちゃって無くなって。。。で、年賀状を終わらせて、今日に
      なったら、先生と、春間さんの来ていて、それを読んだら書く内容が変わりました。
      すべて、縁起、、、

      最初は老師にまた歌の爆弾を投げるつもりでいたの。あ、でも、大勢の弟子は
      悟ってないことがグッジョブも書こうとはしていた。

      • 赤い実 より:

        ぎんたさん、こんばんは!

        〉大勢の弟子は 悟ってないことがグッジョブ

        南泉が猫を斬ったのを目の前で見たショックで何かしら変わった弟子もいたかもよ。

        禅は衝撃を受けてそれにより変わる手法を昔は取ってた場合もあるみたい。
        ハッ!とさせられて…のように。
        詳しくないから後は詳しい方に聞いてくださいね。

    • pipit より:

      エム先生、赤い実さん、みなさまこんばんは(^○^)

      (赤い実さん)
      「この話自体を知ったのはだいぶ前で、最初聞いた時には、うわ…猫斬るんかい…と恐ろしいなと。
      その後には、帰ってきた兄弟子クラが頭に草履乗せて黙って行ってしまうという奇天烈さ…に、なんでそんなことが良い答えなの?という疑問。」

      pipitの場合は、、、
      弟子は(禅なので師匠にグーパンチして猫を奪還して??←pipitの偏見)、頭の上に猫を乗っけて一緒に出ていけばよかった?と想像しました。
      🐈
      🧑‍🦲💨

      • 赤い実 より:

        あ、pipitさん!

        南泉もそれだと猫を返してくれたと思うよね。
        なにしろ、猫談義ばかりして修行が疎かになってたことを反省するのが大切なのだろうけど。
        あと、兄弟子が頭の上に乗せたのは猫のつもりなのだろうなというのも一つ思ってました。

        • pipit より:

          赤い実さん、こんにちは!

          「そんなことする師匠は捨てろ」と教えてるのかな?とも思いました。(個人的感想です)

          それも含めて禅なのかな?って想像しました(╹◡╹)

          • mani より:

            pipitさま こんばんは。

            >「そんなことする師匠は捨てろ」と教えてるのかな?とも思いました。

            弟子とすれば、そうですねえ。愛想をつかす、という態度にでる弟子たちも居ても良いと思います。
            師匠を責めても弟子を責めても、同じような感じになるのかなと、思ったりもします。

            弟子にしてみれば、猫を斬ったのは師匠だとなりますし、師匠とすれば、猫を斬るまでさせたのは弟子たちだとなります。
            わたしの考えですが、猫でやらないで師匠が自ら自分の命をかけていたら話しは違ってくるはずだなあ、とは思います。

            ブッダと違うんだなとも思います。ブッダなら、猫の命は使わなかったろうと、きっぱり思います。

          • pipit より:

            エム先生、おはようございます(^○^)

            論争の外に出る、という意味もあるのかなと思いました(靴も猫も)

            禅問題に「正解」というものは無いっぽいな、
            その人その人の「行」になるのかなと想像しました。

            > わたしの考えですが、猫でやらないで師匠が自ら自分の命をかけていたら話しは違ってくるはずだなあ、とは思います。<

            師匠が自分のせいで目の前で自殺したら弱い弟子はトラウマですよ(・・;)
            禅は激しいですね!

      • ぎんた より:

        昨夜、寝る前に読んで、声出して笑ってしまった!!

        >禅なので師匠にグーパンチして
        ってところが!!なんか、「グーパンチ」がツボで。師匠を殴るのも漫画的で
        面白だし、本当~に現代の日本だよな~~って感じがしたの。

        で、ハッ!!ってなりました。そういえば、この時代の猫って食用だったりして、
        猫を切っちゃうハードルが現代よりものすごーーーーーーく低いのでは?って。

        で、Copilotくんに質問してみました。こんな感じ。

          【南泉斬猫の中国の禅寺は収入源は何ですか?托鉢で食べてたのですか?
           畑耕していたのですか?】   すると返事は

          禅寺の収入源と生活基盤
        ・托鉢(乞食行)
          禅僧は乞食僧とも呼ばれ、街や村に出て托鉢を行い、民衆から食物を施して
          貰うのが基本でした。これは「僧は布施によって生きる」という仏教の原則
          に基づいています。托鉢は修行であり、寺の経済活動でもありました。  

        ・農作業(自給自足)
          禅宗は「一日不作、一日不食」という言葉で知られるように労働を修行の
          一部としました。畑を耕し、野菜や穀物を育てることで生活を支えました。
          南泉の寺も山中にあり、修行僧達が草刈りや農作業をしていた記録が残って
          います。 

        ・寄進や土地の施与
          唐代には皇帝や地方豪族から土地や資金の寄進を受ける寺院もありました。
          ただし、禅宗は比較的質素で、寄進よりも労働や托鉢を重視する傾向が
          ありました。
        —————————————————————————

        南泉斬猫の背景と寺の様子

        ・南泉普願(748-834)は馬祖道一の弟子で池州の南泉山に住持しました。

        ・公案の場面でも、「一山総出で草刈りに出た」とあり、僧達が農作業を
         日常的にしていたことが分ります。

        ・つまり、南泉の寺は托鉢と農作業の両方を生活基盤にしていたと考えられます。

           【僧達が可愛がるために子猫の取り合いをしたとは思えません。不作などで 
            食料にしようとしたのでは?】

         とても鋭い視点ですね。実際、南泉斬猫の公案をどう読むかは大きな論点です。

        公案の背景

        「南泉斬猫」は『無門関』や『従容録』に収められた有名な禅の逸話です。
        僧堂の東西両庵の僧が猫をめぐって争い、南泉が「一言あれば助けよう」と問い、
        誰も答えられず斬った、という筋です。

        [猫を可愛がるための取り合い]説

        ・従来の解釈では、僧達が猫を「愛玩」して争ったとされます。
        ・しかし、唐代の禅僧がペットとして猫を愛でる文化は薄く、現代的な
         「可愛がる」イメージはやや不自然です。

        [食料としての猫]説

        ・唐代は飢饉や不作も多く、僧院は自給自足や托鉢に頼っていました。
        ・猫は農村で鼠を取る役割がありましたが、食糧不足の際には食用にされる
         こともありました。中国の一部地域では猫食の習慣が古くから存在します。
        ・したがって、「僧達が猫を食料にしようとして争った」という解釈は、
         歴史的にあり得る筋です。

        禅的な読み方
        ・公案は事実の記録というより「問いを立てるための物語」です。
        ・猫が「愛玩」か「食料」かは必ずしも重要ではなく、僧達の「執着」の
         象徴として描かれていると考えるのが重要です。
        ・南泉はその執着を断ち切るために「斬猫」という極端な行為を示した、と
         読むのが一般的です。

        つまり、○○さんの推測通り、「食料としての猫」という可能性は十分に
        あり、むしろ唐代の生活実態を考えると自然です。ただし公案の本質は
        「猫」そのものではなく、僧達の執着をどう断ち切るかにあります。

        もし、ご興味があれば、「猫=食料」と「猫=愛玩」の両方を比較して、
        どちらがより禅的メッセージを鮮明にするかを整理してみましょうか?

                                 【はい】

        今日はここまで。(あとちょっとしかないケド)

        みんなで自分の意見を自由に言い合うのって、ブレーンストーミングって
        言うんでしょ?楽しいねぇ!!連想ゲームみたいで。。。

        • pipit より:

          ぎんたさん、こんにちは!

          確かにハンバーガーを師匠から奪還して師匠から逃げ出す、だと、仏教メッセージっぽくないですねぇ・・・

          師匠への執着を断ち切る、なら仏教メッセージになるかな???

          • ぎんた より:

            続きです。

            解釈1 猫=愛玩の対象

            背景:僧達が猫を「可愛い」と思い、庵ごとに取り合った。

            禅的意味:愛着や執着の象徴。僧達は「仏法」よりも「猫」に心を
                 奪われている。

            南泉の行為:その執着を断ち切るために斬る。

            メッセージ:修行者は「可愛い」「好き」という感情に囚われてはいけない。

            解釈2 猫=食料の対象

            背景:不作や飢饉で食糧不足。僧達が猫を食べるかどうかで争った。

            禅的意味:生存の欲求や、「食べたい・食べたくない」という執着の象徴。

            南泉の行為:その生存欲求すら問い直すために斬る。

            メッセージ:修行者は「生きるための欲望」にすら囚われてはいけない。

            結論的に、どちらの解釈も「執着を断ち切るという」禅の確信を示します。
            ただし、唐代の生活実態を踏まえると、食料としての猫説のほうが
            現実的であり、かつ「生存欲求を断ち切る」という禅的メッセージをより
            強烈に伝える可能性があります。

            だそうで、、、す、、。なんか、AIくんと会話する能力がなさ過ぎて
            ものすごく浅い、というかそのまんまな感じもするのですが。。
            とにかく、一般人には禅は中々ハードルが高そう~~。
            座布団一枚!!って感じがいいのか??と思いました。

            pipitさんの「ハンバーガー」に脱帽なぎんたでした。その発想いい!!

  18. 赤い実 より:

    兄弟子クラスに訂正
    ✗兄弟子クラ

  19. tanza より:

    龍樹の説法に、「言葉・戯論に騙されるな」がある。
    それでも、騙される人がおり、以下の2点を取り上げてみる。

    (1)「消費税」は、消費者が納税する間接税である。
    (2) 銀行の貸出し業務は、預金残高からの「又貸し」である。

    正しくは、
    (1)の税金採用国は、日本以外に150以上あるが、
      名称が「付加価値税」で、事業税(直接税)である。
    (2)は又貸しでなく、貸出し先の口座に、新たに預金を増加させる。

    • tanzaさま、こんばんは、でございます。

      >正しくは、

      「騙されない」は「騙される」と込みです。このような考え方をまるっと捨てると戯論寂滅かなあと思います。

      近江の商人の商売とか、世間の中で生きることを考えた人は知恵があると思います。イスラム教の無利子銀行というのを知って、「へえ~~っ!」って思いました。

      宗教って、大事だなあと思います!!

      • tanza より:

        >宗教って、大事だなあと思います!!

        なるほど、「消費税」も「又貸し」も信じているのですね。

        • tanzaさま

          >なるほど、「消費税」も「又貸し」も信じているのですね。

          どちらにも、信じるのではなく信じないのでもない、と答えておきましょう。
          こういう答え方に、抵抗があるかもしれないですけど、答え方としてはありうるのかな、と。

          Blumeさまが、もっと善い答えを書かれています。

        • ぎんた より:

          tanzaさん、こんにちは、

          あの、、ぎんた経済とか頭に入ってこないんですが、とりあえず、
          家族に勧められた動画を見ています。

          三橋TVとか大人の社会科チャンネル-tetsuyaとか。安藤さんとか。見た時は、
          なんて分かり易い~~と思って面白いんですが、人に説明出来るほどは
          頭に留まってはくれません。

    • Blume より:

      tanzaさん、はじめまして。

      tanzaさんは龍樹のお話を書かれているので
      趣旨違いかなと思うのですが
      どうしても気になってしまっています(-_-;)

      私は詳しくないので間違っているかもですが。。

      >正しくは、
      >(1)の税金採用国は、日本以外に150以上あるが、
      >名称が「付加価値税」で、事業税(直接税)である。
      >(2)は又貸しでなく、貸出し先の口座に、新たに預金を増加させる。

      (2)は信用創造のことだと思うので、そうだと思うのですが。
      (1)なのですが、消費税と海外の付加価値税の仕組みは大体同じだと思うのですが、ですが日本の消費税は間接税だと思います。
      日本の税の仕組みとしては直接税は税金を負担する人と税金を納める人が同じ場合を言いますよね。
      間接税は負担者と納税者が一致しないものを言うのだと思います。

      事業税と書かれていますがこれは法人事業税のことでしょうか?
      事業税は日本では法人の所得に直接課される直接税のことだと思いますが国税ではなく地方税になります。
      消費税は国税になります。地方消費税は地方税です。
      海外のことはよくわかりませんが、間違っていたらごめんなさいm(__)m

      https://www.x-hub-tokyo.metro.tokyo.lg.jp/column/kaigai-sinsyutu/2267.html

      調べてみたら上記のサイトにも付加価値税は間接税と書かれていました。

      間違っていたら、
      どなたか指摘して下さるとありがたいですm(__)m

      • mani より:

        Blumeさま こんばんは。

        ちょっと寝て起きたら、コメント欄がこんなことになってました。あわててBlumeさまの「承認」をしました。
        遅くなってごめんなさい。

        どうして、こうなるかというと、わたしも最近気づいたのですが、他の方の投稿にコメントをつけると「承認待ち」が発生するみたいです。

        tanzaさまにBlumeさまが返信をつけたので、承認待ちが発生したらしいです。
        どうやったら、ふつうに投稿されるのか、わかりません。
        Word Pressの変更の仕方知っている人がいたら教えて下さい。

        • Blume より:

          先生おはようございます。

          先生お忙しいのに本当にすみませんm(__)m

          なんだかもう本当に自分が嫌になるこの頃です😿

          いろいろありがとうございますm(__)m

          • blumeさま、お気遣いいただいてすみません。

            >なんだかもう本当に自分が嫌になるこの頃です😿

            気にしないでくださいな。わたしはBlumeさまが気にされるかと思うと、そっちの方が心配です。
            ほんとに、心配することはそれだけです。

            人生って、うまくいかないことばかりなんですね。。

  20. 近侍郎 より:

    「南泉斬猫」についての調べたこと(その1) ― 趙州の「くつ」について - 

    調べるきっかけを頂き、ありがとうございます。『伝灯録』『碧巌録』『無門関』の「南泉斬猫」と、『趙州録』の「南泉斬猫」とは、以下の①・②で異なっていました。
    ①南泉の問いへの、修行者の反応。
    『伝灯録』『碧巌録』『無門関』は「答えるものは一人もなかった。衆無對」とありますが、
    『趙州録』は「みなが各々答えたが、南泉の意にかなわなかった。大衆下語 皆不契泉意」となっていました。
    ②趙州が頭にのせた鞋の表現。
    『伝灯録』『無門関』は「くつ(覆)」、『碧巌録』は「草鞋」とあるのに対して、
    『趙州録』は「片方のくつ(一隻鞋)」となっていました。

    <推定> ②については、『碧巌録』「脱草鞋於頭上戴出」の註釈「泥水まみれを免れず」が重視されるのはさておき、小生には、『趙州録』「片方のくつ(一隻鞋)」の、「一」・「隻」がきわめて重要と思われます。というのは、趙州和尚または撰者が、「片方のくつ」を「隻履帰西」(遷化したはずの達摩が片方のくつを持って天竺に帰ったという話)に重ねていると思うからです。すなわち、趙州は片方のくつを頭にのせて、「祖師の遺した片方のくつ(西来意・本分・此事)はここにありありとはたらいている」と南泉に示している、と思われます。

    <証拠> その証拠となる個所が、『趙州録』に、さらに三か所(ア・イ・ウ)ありました。「南泉斬猫」に続くそれら「一隻覆・隻覆・一隻鞋」は、ともに、西来意あるいは隻履帰西の意味の象徴と思われます。
    ア 維摩経を引用して問うてくる者に、趙州和尚は、        (356段の問答)
      すぐに片方のくつをけり飛ばしてみせて、    師便趯出一隻履
      「一人前の道の者なら、そんな問いはしてこない。作家即不与麼問」と答えています。
      「祖師西来意の跡をここに看て、かりものでない境涯を端的に示せ」
      と励ましていると思われます。            
    イ 異なる方向に進んでまとまらない者たちを𠮟る。        (522段の頌)。 
     「趙州という彌勒がここにまる出しでおるのに、  趙州南 石橋北 観音院裏有彌勒
      祖師の遺した片方のくつ直に求め得る者がいない。祖師遺下一隻履 直至如今覓不得 」
    ウ 趙王が、趙州和尚の遷化に哭して詩を記すに、         
     「片方のくつがたちまち来て、教化の跡を残した。 隻履乍来留化跡
      五天竺の何処でふたたびその人に逢えるだろうか。五天何処又逢帰」(巻末の詩)
    そして、これらの「片方のくつ」について後世の祖師方も、語っていました。
     報慈進英禅師(黄龍下三世)           『続伝灯録』T2077.619b23~29       
     「『私には、公案が一つあります。  報慈有一公案 』
      片方のくつを脱ぎ飛ばして云うに  遂趯下一隻鞋曰
     『この教えをご存知ですか。     還知這箇消息也無
      達摩大師が西方に帰る時に     達磨西帰時
      この教えを携えておられたのです。 提携在身畔 』」
    このようなわけで、『趙州録』からみて和尚が頭に載せた「くつ」には達摩大師の「一隻履」の意味があると思われます。読んで下さり、ありがとうございました。

    • 近侍郎 より:

      字の訂正 失礼しました。
      ×覆 → ○履

    •  春間 則廣  より:

      25.12.17 カレーな日記 公案 南泉斬猫

       「 公案 」 とは
        「 禅 」 の 場  において 働きを得るもの

           案ずる よりも     有無  が  問題
       ( 「 無 」 の場を得て  あるところの 「 有 」  を 問う  )

          「 瞑想 」 すること なくして  「 真 」 あらず
          (  真偽 を 問う    →     愚問 と 化す  )

         ここで 一休    ひとやすみ   人の住処
         「 おさな子が  しだいしだいに  知恵づきて
                    仏に遠く なる  ぞ  悲しき 」

         悲しく“思う”
          遠くで     遠くを 「 縁 」 じる  不思議
       ( 思議 において  不思議を思議する  矛盾 )

        「 禅 」 に ある   あるとはいかにある ??

              あるようにある     のであれば 、、、、
             憮然 と そこをたつ ( 坐 を 降りる )
          ( 探すところ  が ないのである )
          「 瞑想 」 失くして   探す ・ 「迷走」 する

          「 真理 」 を 食って  タカヲクウ ( 満腹である )
          (   ここらで一寸    ひとやすみ  一休み    )

         あんたがた どこさ   くまもとどこさ (なんも) せんばさ  
       ( 似て 八重て 食って   それを 言の葉 で 一寸 隠す )
         https://www.uta-net.com/movie/46396/

             無鉄砲  なること  この上 ↑  なし

        警察の指示 で 打って  警察沙汰 を  問われる
       (  クマール 打ち     この上 ↑ の  むつかしさ )
         

          どこを打っているか 、、、、    
                            ワカラナイ ??  
       (  分かった ↑で  問う      舌 の こと   )

          *************

      25.12.12  カレーな日記   しらかば  知らずバカ
      12.17     知らずんば 

          どこを見たか を 見 失った 、、、、

      > ブッダは変化を見た

        変化しない 処( 時 ) に 立った

      > 生き物を見た

        生死 を 離れて  生きるということ を 知った

      > 変わるものは苦しみと見た

        かわりなき ( 「 安楽 」 に ) 「 住処 」 を 得た

      > ブッダは、苦しみを滅する体系を作り上げた

        ブッダ が   何を作り上げた  かは
        ブッダ の   隣に立つまで   は  ワカラナイ
                        
                 隣  とは  凛として立つ処  同じ処 

        「 風 信 蘊諸 自天 翔  臨 」 ( 「 風信帖 」 第一帖より )
                      ↓      
                    証する 臨  である

                 空海 の 「 窟禅 」 ・ 「 止観 」 

    • 近侍郎さま おはようございます。

      >『趙州録』は「みなが各々答えたが、南泉の意にかなわなかった。大衆下語 皆不契泉意」となっていました。

      これだと全然違ってきますよね。

      近侍郎さまは、くつの方を調べてくれました。
      >『趙州録』からみて和尚が頭に載せた「くつ」には達摩大師の「一隻履」の意味があると思われます。

      なるほど、そんな意味があったのですね。わたしは、チベット映画のワールドカップを題材にしたチベット僧の物語を思い出しました。

      あまり覚えてはいないのですが、いつも居眠りばかりしている僧侶に、師匠の先生が、みんなの前で「大地は埃だらけで、くつがすぐ汚れてしまう。どうしたら良いと思う?」とたずねたのです。

      チュウラ・パンタカのお話をもじったのかな、とわたしは思いましたが、その僧侶はひらめきを見せてこう答えたのです。
      「大地をきれいにするのは無理だけど、くつにおおいをかぶせるなら汚れません」て。

      すごく感心しました。頭に乗せたくつのお話を聞いて、その話しを思い出しました。

  21. Blume より:

    先生、承認待ちになるときと、そうでないときがあるのはなぜなのでしょうか?
    最近PCの調子が悪くて頻繁にキャッシュを消しているからなのでしょうか?

    • Blumeさま、他でも書いたのですが承認待ちになるときは、他の方の投稿にコメントをつけたときのようです。感想として、独立して書かれると大丈夫なのかなあと思います。

      わたしもコメントに返信していますが、管理人だから良いのかなと思ってます。

  22. Blume より:

    先生度々失礼しますm(__)m

    書いてしまった後で読み返したのですが、
    この3つの投稿はこのサイトにふさわしくない内容だなと思いました。

    この投稿は削除していただけると助かりますm(__)m

    お忙しい中、申し訳ありません。

  23. Blume より:

    tanzaさん、何度もすみませんm(__)m

    tanzaさんの趣旨を取り違えていたようですが、
    それでもちょっと違うような気がしますので
    追記させてくださいm(__)m

    >(1)「消費税」は、消費者が納税する間接税である。

    >正しくは、
    >(1)の税金採用国は、日本以外に150以上あるが、
    >名称が「付加価値税」で、事業税(直接税)である。

    もう一度考えてみたところ、多分tanzaさんは経済学的な分類と
    税の分類が混同されているように思えました。

    税務上の分類は先に私が書いた通りだと思うのですが、
    多分tanzaさんは、昨今の物価上昇を考えて、企業が価格転嫁できない場合は
    その分を企業が負担せざるを得ないので、消費税の負担者は最終消費者ではなく、企業であるのだから、事業税(直接税)であるとされたのかなと思いました。

    しかしもし仮に企業が価格転嫁できずにいた場合、
    企業の利益自体が圧縮されるわけですから、
    企業のその所得に係る事業税(所得税)は圧縮された分税金が安くなりますよね。

    そして過去消費税は内税でしたが現在では外税になっています。
    なので商品の価格と税金との区別はクリアになっています。
    価格転嫁できるかどうかは、企業の内的事情や市場の動向などが論点となるので、
    課税とはまた別の問題だと思うのです。

  24. Blume より:

    先生、こんにちは。

    どうかゆっくり時間が取れるときにはお休みくださいね。

    私は先生の身体が心配です。

    私の昨日の心配は自分本位なことなのです。

    先生はいつも人のことを思いやってくださっていますよね。

    心配の種類が違うのですm(__)m

    でもこうやって自分のその時々に発生する気持ちを

    少しでも見つめられていけたら、

    もう少し思いやりの心を持って人に接することが出来るようになれるかもと

    今はお試し期間のつもりでいます。

    先生、ありがとうございますm(__)m

  25. mani より:

    pipitさま

    >師匠が自分のせいで目の前で自殺したら弱い弟子はトラウマですよ(・・;)

    ほんとですねぇ!

    >禅は激しいですね!

    ほんとねえ。生死が関わるものはなんでも激しい、って思います。
    それでも、生死を見つめてしまいます。

  26. tanza より:

    「消費税」についての解説、下記リンクの記事を参考までに。

    『消費税(16)消費者が負担する間接税ではない!実は物価の一部で直接税です』
      https://www.youtube.com/watch?v=OcAnq3JTC1w

  27. Blume より:

    先生、サイトの趣旨と違った投稿を反省しても、結局同じことの繰り返しになってしまってすみませんでしたm(__)m

    tanzaさんも、こちらのみなさんにも申し訳なく思っています。

    tanzaさん、youtubeのリンク先まだ最初の方しか見ていませんが、
    私なりに考えたことをひとつずつ投稿していくので、
    よかったら読んでいただいて、
    間違っていたら指摘していただけると幸いに思います。
    興味が無ければスルーしてくださって構いません。

    下記リンク先の「自分のための場所」に消費税についてというタイトルで投稿しました。
    https://ni-club.net/bs/index.html

    皆さま本当に申し訳ありませんでしたm(__)m
    ありがとうございましたm(__)m

    お元気で。

  28.  春間 則廣  より:

        
    > サイトの趣旨と違った投稿

     “*↓”  違うかどうか  は  管理人エム 様 が 判断すること

         ・・・・・・・・・・・                  
      “仏教など幅広く宗教や思想を扱うサイト”

       「 仏教 」  とは   牟尼の足跡(仏足)   に 過ぎない
       どのように辿るか    は 辿り方による

        足跡  は 一つしかないけれど
       歩み方 は   貴方には     一つしかない
     ( “あなた” の  その 歩み方  で  牟尼は歩む )
       釈迦牟尼 は     “あなた” を 歩んでいる
         ・・・・・・・・・・・ 
      M 様  が  どのように歩んでいるか  を
      “わたし” が     “ 商量 ”  する
        「 集會 一處  量 “ 嫡 仏 ” 」  

      “*↑”     どのように 一つの 筋(処・諸) が あるか

       「 一諸 」  とは   “ あなたのその歩み方” です

         諸処 を 訪れる    季節は巡り行く
     
      牟尼 “達” は “あなたの歩み方” で  諸処 を 知る
         ・・・・・・・・・・・  
                    
      “*↑”  そして  その判断 を “わたし” が 判断する

           「 集會 一處 」  において  判断が起きる 

        この世( 「 世間 」 ) には    
        “わたし” が 起こす判断 しか ない
        「 他 」  が どのように判断しているかを  判断する
       ( その判断 を )
       「 放下する 」 とは  「 瞑想 」 に 他ならない

          あらゆる判断 を    判断しない
           ( これは    判別している のではない )
      別にある のではなく  「 平等 」 に 起きる事だから
                      イッショ  に 起こすことだから  

      「 消費税 」 “証 非 説” ( 説く前に証す 真否 )
        “比”較  する   故に    非定 が 起きる
        一つ処   を   諸処に     分断する

      季節 も 人 も  “ ヒ ト ツ ”
       (  ひとの 津 とは  人が同じ処に 寄せると言う事 )

       おなじところ で ああだこうだ と  かしましい
         かしましさ とは   しずけさ に 縁じている  
     ( 自分の頭の中 は  なんと かしましいことか 、、、、 )

     「 季節 」 とは “ 面している 人津のこと ”   でしかない

      “ 冬 ” に  “春の 音 連れ”  を  望む ( 冬を思う )
    ( “ 心の冬 ” の  音   とは   いずこ に 、、、、
        そこに ある春     安くんぞ   ある也     )

       読む人 だけが   読まずに・酔わずに  読む

       「 読む ・ 飲む酔う 」 という 
              言葉を読む  、、、、
     ( 「 痛狂は 酔わざるを笑い 酷睡は覚者を嘲る 」 )

        “覚者” とは  酔酷 に ある     “あなた” である
     ( どのように どこにどう   あるか を  問う “わたし”である )
     ( わたしは “ 酔酷 に アッテ ” スイコク を  漕ぐ )

       舟を扱ぐ  その舟 には “ダイショウ” は あるやいなや
    ( この舟を漕ぐ   代償 を   得てどうするか を 問う  )

                「 大乗 」  を   問う
                 「 定 」 を   問う
                         ( でふ と ぜむ )
     

      問い 問われている  のは  “ わたくし ごと ”  ?

        “わたし” って  どこにあるか を  問う

    • ぎんた より:

      2回読んだけど、やっぱり頭に霞がかかっていくにょ~~~~、ぎんた、

      真如苑で、「公案」になりそうなこと探した。猫になってから。そしたらそれは、

      猫になる前からうっすら疑問に思っていたことだったの。

      なんで「みんな幸せになっていける」ハズの教えにいるのに、明らかに

      ダメージ受けている人が発生するの?なんで、同じ言葉を聞いてもおんなじ意見を

      持てないの?なんで、この本にちゃんと書いてあるのに、意味を取り違えるとか、

      そもそも「読んでない」とかが起こるの???

      それは、それが全部そのように計画されていたからにゃんよ!!!!

      ねこ、わかったの!!はーーーーー、、すっきり~~~~~~まったり~~~~

      しているばやいじゃないっっっっっっ!!!!!

      つい先日、マッチングアプリで恋人→配偶者に出逢うべく、一人の男性と
      マッチングしお付き合いしだした女性が、実は相手の男性が独身と偽っていた
      既婚者だったことで、裁判をし、賠償を勝ち取ったというニュースをみました。
      そこで「貞操権が侵害された」ということから、勝訴できたらしいのですが、
      ぎんた、AIくんに、真如教徒であることを隠して結婚したことに対して
      裁判で勝てるかどうか、を質問してみたんですが、、、、ちょっと旗色悪かった
      です。。。涙。。。
      結局、既婚者が独身と偽った程には、嘘のレベルが甚大な被害ではない、ということ
      なんだそうです。勝訴する可能性としては、もう、よっっっっっっぽど、
      生活が破壊されるほど、献金額が凄かった、とか、子どもの人権が守れないレベル
      の教義を押しつけたとか、じゃないと厳しいと。だからって!!酷い!!
      結婚してみたら夫家族全員真如教徒で自分の味方ゼロ。宗教絡んでるから、
      友達に相談しようにも、宗教に詳しい人いないし、、子どもに苑で名付けして
      貰うとか言い出して絶望的な気持ちになるとか等など。。。

      「ひとり残らず救う」がこれ??「真如苑に自分も行くようになればわかって
      くださる」ってか?まじ、ゆるせん!!!!!

      • ぎんた より:

        きっと、あいつら「法に触れるようなことはしてない」とか言うんだよ。

        「徳」はどうしたよ??

    • ぎんた より:

      春間さん、春間さん、、、ちょっと自信にゃいから、こっそり訊くのだけれど、

      ぎんたこれであってるよね?今のところ、順調だよね?ぎんたもわかる日本語

      (猫は人間の3歳くらいの知性だと言われています、犬は5歳くらい)で

      教えて欲しいのだが。。。猫→猫→……………..初めて人間!!にも

      分るように、、ネガイマス!!

      •  春間 則廣  より:

           
         人として あったり前  の こと ( 間違っていること ? )
          
          
          一つだけ の   「 真理 」 
          一つだけの道   「 善 」
                       なること  を 求めて

              『ブッダ最後の旅』 ( 岩波文庫 150p. )    
         「私は29歳の時に何かしら『善なるもの』を求めて出家した」
         「正理と法の領域のみを歩んできた」

         “ 正理と法の領域 ”  とは   “ 八支の道 ” であり
                      ただ一つ の   「 真理 」 の 道

           「 八正道 」( 正見・正思・正語・正業・正念・正定・正命 )  
              の    「 正 」  とは  いかなるモノ か 

          「 正 」  と言得る ため   には
           そこに 支える  「  悪  」 を  要する
            (  善悪 は 「 縁起 」 に 縁って “のみ” 起きる  )

         「 正 」 とは  「 真理 」    であり
           「 真理 の 理 」  とは  「 正 ・ 論理 」 である

           わかりやすい 「 真理 」  ( あったら イイね・容易だね )

             難しく 理解しがたく 行い難き    『善なるもの』
                  得難き        「 真理 」 

           学問     に   王道 は 無い
         真理を得る  のに  王道はあるや   否や

            王道 とは  王が 歩む  平坦であるに容易な道

          あなたは あなたの人生の   「 王者 」 である
         (  王である あなたは    歩み易い 道 を 求める  )

          「 わかりにくいぞ   わかりやすく 述べよ 」  
             と  王 は 
           しもべ(僕) に 告げるがごとく   要求する

               「 七仏通戒偈 」   何と容易き 王道  であるか
                「 自浄語彙  」  ( 自分で何とかする 愚かさ )
               正道に坐せずして    如何に その道に あろうや

             “ 自乗其意 ”
               自らの誤  に 乗って(拠って) その意を得る

          それ(その意)こそが あなたが得ている 「 仏教 」 である

         ( 「 いや そうでもない 」 と  K様 は “ のたまう  ” ) 

            「 誤っている者 にも   「 道 」 は ある 」

              しかし   誤っている  ということは

             「 道 」 を 過つ  という  「 意 」  なのである 

             ・・・・・

                 誤って      “  過ち を   正す  ”
           (  正しく・まごうことなく    誤る   )

  29. tanza より:

    仏教についてよく聞かれるのが、「無常・無我なので苦でも執着せず、死ぬまで諦めて生きるしかないんだね」と。
    これは、スマナサーラ長老の下記動画などを見たらしい。

    動画:人生は暇つぶしのゲームです。人生は究極的に空しく苦しいものである
    https://www.youtube.com/watch?v=HYOodY3kacQ

    • tanzaさま おはようござい。

      >「無常・無我なので苦でも執着せず、死ぬまで諦めて生きるしかないんだね」と。

      こうして、いろいろな人生ができあがっていくのですが。。

      人それぞれに生きる、ということは、一つの思想なんだと肝に銘じること、実は、これって新しい思想なんだよ。

      なぜなら、

      >「無常・無我なので苦でも執着せず、死ぬまで諦めて生きるしかないんだね」と、

      こういう人は、スマナサーラ長老の言うことを信じていないことがわかるのです。

      だからね、覚るのは難しい、って言われるんだよ。

  30. 近侍郎 より:

    「南泉斬猫」について調べたこと(その2) ― スーパームーン現わる -
     周辺を、もうすこし調べました。ぎんたさまのご報告と一部重なります。

    1比喩・象徴の表現(ジェスチャーにプロレス)
     南泉のもとで趙州が修行したころの問答(『趙州録』一~十一段)には、師弟が、象徴的な演技をする話がいくつもありました。例:趙州が「火事だ!」と嘘を叫んで騒ぎを起こしたり(四段)、問答の末に趙州が南泉を踏んづけたり(七段)、南泉を聖牛にみたてて鼻を引っ張ったりする話(八段)。それらの一見乱暴な演出は、機鋒を宣伝するプロレスのようです。
    「南泉斬猫」は第六段ですが、第十段に、同じようなことを南泉が問うている話がありました。こんなのです。
    「南泉はある日、方丈の門を閉めると、門の外にぐるりと灰をまいて僧らに尋ねた。
    道得即開門        『いい得れば、門を開こう。』         
     多有人下語 並不契泉意   多くの僧が答えたが、南泉の意にかなわない。 
     師云 蒼天蒼天 泉便開門  南泉は云った『天よ!』 南泉はすぐ門を開けた。」          
    ここでの南泉の意は、以下2の問答に示されていると思いました。
    2の問答は、南泉から趙州への伝灯を示すものとして重視されていると思われます。

    2趙州開悟の問答 (『趙州録』第一段 または 『祖堂集』巻十八 の筆頭 )
    「師問南泉 如何是道。  師(趙州)が南泉に尋ねた、『どういうものが道でしょうか。』
    泉云 平常心是。     南泉は云う『あたりまえの心がそれだ。』
    師云 還可趣向不。    師は云う『それに向かって行けるでしょうか。』
    泉云 擬即乖。      南泉『行こうとすれば、はなれる。』
    師云 不擬 爭知是道。  師『行こうと思わなかったら、どうして道が知られましょう。』
    泉云 道不属知不知。   泉『道は知るとか知らぬとかに属さない。
       知是妄覚      知るというのは妄覚だ、
       不知是無記。    知らぬというのは無記だ。
       若真達不擬之道   もし真に、行こうとしない道に達したら、
       猶如太虚 廓然蕩豁。大空のように、からりと開ける。
       豈可強是非也。   どうして肯定したり否定したりできようか。』
    師於言下 頓悟玄旨    師は言下に奥深い旨を悟って、
    心如朗月。        心はあたかもスーパームーン。   」

    大喜利で、南泉和尚に一言
    「先生、刀を出したらヒントもなにも、まんま答えになっちゃいますぅ」 
    おそまつ。       

    • ぎんた より:

      わーーーーー!ぱちぱちぱち(みんなの歓声と拍手)座布団10枚~~~~

      •  春間 則廣  より:

          
        あなたは  “ わからないこと ” に つきあうのではなく

          分かること ・ わかって付き合ってきたこと   に

          付き合い続ければ

          “ きっと ” 善いことが 起きるでしょう

          今まで つきあって  分かってきたこと  とは ?

           付き合い 受け入れ 起こしてきたこと( 言葉たち )

          「 受け入れているわけではない 」

               と

          言葉  は    ヒビク  けれど

          行ない は    相も変わらず ・ 同じ相

        • ぎんた より:

          今日になってわかったのは、あの、お釈迦様が生まれた時に呼ばれた
          仙人?の人、あの方は、お釈迦様を食事に招待した遊女なんじゃないかね?
          きっと、占いも得意だよ!もと仙人だもん。で、お釈迦様の父上に殺され、
          お釈迦様を食事に招待したあとで殺され、純陀きゅんになった後で殺され、
          龍樹になって、流石に気づいて自殺したのでしゅよ!!!
          しょんでもって、もと仙人てことは、一個前の地球でお釈迦様ポジションに
          いた可能性は高く、、、、。そうなると、お釈迦様本人より仏教に精通している
          パイセンてことになり、、、悟ってからの人生が長い分そうなるよね?

          なので、お釈迦様よりも龍樹のが、仏教に精通しているわけです!!
          「仏教オタク」?の究極バージョン!!

          お釈迦様は、「出家」しないでまた開祖(キリスト教の)やることになって、
          なにか既得権益側の人に睨まれて殺されちゃったのですが、自分が前回長生き
          だったから、今回も大丈夫だろうと思ったら、そうは問屋が卸さず
          結局死に、「なんで~~~」と叫んだものの、後にぎんたに
          「いや、だってお前が神だし、他のみんなも全員神だから」とツッコまれる
          という結果に、、、。

          かぁわいちょ、、

          春間さんのいう「死なない」説を使うとこうなるけど、それは今までで。。
          ルールチェンジするんですったらーーーーー!!!

    • mani(管理人) より:

      近侍郎さま、ありがたや!ぎんたさま絶賛の回答ですね。

      >泉云 擬即乖。      南泉『行こうとすれば、はなれる。』

      ここに核心ありとみました。「擬すれば即乖れる」

      求めるのではなく求めないのではない、という道を行かねばならない。。

      >「先生、刀を出したらヒントもなにも、まんま答えになっちゃいますぅ」

      ここも、すばらしい。。斬ると見せずに斬った?

      •  春間 則廣  より:

          
            知っていること    知らぬこと
          ( 知らぬこと よ    と 言いつつ も )

           ************

        >泉云 擬即乖。      南泉『行こうとすれば、はなれる。』

        ここに核心ありとみました。「擬すれば即乖れる」

         求めるのではなく求めないのではない、という道を行かねば
         ならない。。

           ************

        ( 求めるのではなく求めないのではない ****** 。。 
          
             。。 という道 を 求めて・行かねば とはならない  )

         ならない道  に     成る 「 道 」 が  ある  不思議
                                 ( ある↓ ・   ない↓ ) 
                      
          不思議 を 思議する      (不?) 思議 なる    道

           ************

         ここ (に在る こと) を 離れる  ・  ここから離れる
             疑いなき    を 疑えば    疑い(コウ・劫)に入る

           効 を 得ようと   行をあせる
           効果 テキメン( 滴滴と雫は垂れる → 嫡流とも言う )

            面するところ   に    敵 が 起きる(静けさに滴)

         どのように 義せようと 「 道 」 は “変わる” わけではない
             求めるのではなく求めないのではない という道
              を  歩まず   “変わった” 「 道 」  を  歩む
                     ( 変る・変らず を 変らず カイ する 業 ) 

           「 乖 」  とは  「 解 」 であり 「 介 」 でもある
            疑いの中 で     疑いを探し  あて  て 知る
                         
         
           分かる・分からぬ  という 道  を   歩まず 坐する  

           ***********

          知ろうとする こと  は 知らぬこと

          知らぬこと を どのようにして 知ること に できようか

          知っていること・知られていること
                   を(は)  知ることはできる
          知らぬこと ・ 知られてはいないこと
                   を(は)  知ることはできない

          知っていること  で 知らぬこと は 量られようか ?

         量ること は できるが   量る基準 を 用いて のこと
         ( 基準 を 外れる   という    内外 の こと )
             内・外  という  言葉の外  を  言葉で探す

            分かるまで  は   分からない  けれど
            分かったこと  は  分かる必要がないこと

           必要があるかないか  が  分かりますか ?

               知っていること  で
                    必要  を  云々する(知る)

             ソン ナ   コトハ( コトノハ ヲ )シッテイル

        • ぎんた より:

          なので、春間さんは「死なない」とか言ってるから、南泉山の老師なのです。
          南泉山の禅寺はもうないの。それで日本に来て「禅の人」をやっている
          のです。

          あ、ちょっと思ったんだけど、かつてお釈迦様がいた精舎は、もうない。
          でもって、空海が修行した中国のお寺も今はない。そんで、真如苑の開祖が
          修行した醍醐寺、はまだあるけど、恵印灌頂と金胎両部伝法灌頂
          (恵印の方の灌の字は口が入ってないヤツだった)の両方を
          授かるカリキュラムはもうない、のではなかったかな??
          (でも、開祖だけが両方授かったわけではないよ?同期は何人もいる)

          だからね、誰かが「一定水準以上」になれば、所属団体が潰れるの。
          つまりは誰か仏になったら、真如苑潰せるの。で、「仏」って凡夫には
          見分けられないんだって!!で、開祖は「あなたも私も凡夫なのです」って
          言ったんだから、開祖によって「真如教徒全員が凡夫決定」なの!!
          てことは、「仏」が世間にうじゃうじゃいるの。ってことは、みんなが
          一個前以上の地球では自分仏だったなーーーーーって思い出せば
          真如苑潰せるの!人数がとにかく必要なの。

          誰か~~~~!!た~~~~す~~~~け~~~~て~~~~~~~!!

          何を聞いても思い出さないってことは、次回お釈迦様になって苛酷人生
          やる順番が回ってくる可能性が高いってことなの。

          で、ぎんたは猫だから関係ないのだが、飼い主が真如苑で心を病んでも、
          全然助けてあげられないのが嫌なの。ストレスをスポンジのように吸い取って
          あげる、、っていったって限界あるし、病気になって離ればなれになったら、
          困るの。

          • ぎんた より:

            「授かる」じゃなくって、違う言い方あったよね??とずっと考えてて、
            そうだ!「法畢」だーーー!!と思ったけど、自分の書いたコメントを
            見つけるのに、年をまたいでしまった。

        • ぎんた より:

          ぎんた、猫ボランティアしている友人がいるのですが、というか、
          そもそもぎんたを、地域猫としてTNRする際に、動物病院から紹介して
          頂いた方が彼女なんです。(当時はまだ「猫ボラ」という単語も一般的でなく、
          「捕獲器」をネットで購入することすら出来ない時代)
          で、彼女がやっている活動を自分もやりたくって(私は猫ボラです、って
          名乗るまでは無理でも、そのお手伝いくらいなら、と思って)
          家族にきいたら、「それは、やめてくれ」と言われました。多分、ぎんたが
          猫にまつわる人間関係で「やらかす」のが目に見えていたのでしょう。あと、
          「お手伝いくらいなら」というのがすでに甘い、やる人は気がついたら
          ガッツリやってる、っていうタイプの人だから。みたいな感じかな?

          で、たまに彼女のお宅へ遊びにいったりして、近況とか伺う中に、
          (こんなに猫のために人生のかなりの時間を使ってくださって、本当に
          感謝しかない、猫から見たらこの人以外に仏はいない!)と思いました。
          (もし、この人をお救けできて、真如教徒になったとしても、経親は
          猫ボラ辞めて精進しないと!!因縁は待ってはくれない!!とか言ってくる、
          それってどうなの??そんなこと言われたら、きっと真如教徒辞めちゃうし、
          ぎんたとの関係も終わる、やっぱり真如苑間違ってる)と、思いました。
          それまでは、(外で地域猫活動している時に、交通事故とか変な人に
          絡まれたりとかしませんように)と「お守り」とかお渡ししてましたが、
          それも止めました。年一位でお宅にお邪魔してましたが、もう仏を詣でる
          気持ちで行きました。最近は行けてないな。まあ、自然な流れです。

          でも、もしかしたら、ぎんたは「あなたが仏です」の気持ちでいても、
          その気持ちを「なんか勝手に祈られている、、隙を見せたら勧誘される」と
          恐怖で受け止めているやも知れず。。。その受け止めも彼女(=ほとけ)の
          正しい判断によっていますので、気にしませんけど。でも、お守り渡した縁起に
          よっているんですよね。もし恐怖心があるのならば、本当に申し訳なくて、
          とにかく真如苑さえ潰れれば、その恐怖心も取り除けるわけです。

          あと、ですね、そこから月日は流れて、今現在。「保護猫」「保護犬」という
          言葉はかなり定着し、YouTube見ても沢山動画があります。ボランティア活動
          する資金源としてYouTube配信をしている方もいて、頭が下がります。

          真如苑の中も月日は流れて、今の経親達はだいたいこんな感じ。

          「猫ボランティアされているの?世間で徳を積まれているのですね、
          そんな方が精進に踏み出すと、とても向上がはやいのですよ~~」ニコニコ…
          みたいな感じ、昭和から平成に変化。色々な「失敗」を経て変えていった
          のだと思います。これは、人によって違います。冷凍の餃子じゃないので
          全員が同じにならない。
          「猫ボラされてるの?えーーー、勿体ない!!真如苑で精進すれば、
          霊界に徳が積めるのに」って人がまだいるかも分らないし、10年前に
          絶滅してるかもしれないし。とにかく、双親様両童子様が全員を監視している
          わけじゃないんですから。接心でお叱り受けないのかとか思いますが。ただ、
          ぎんた自分の親見てて、ちーーーーーっとも性格変わってないから、ご霊言で
          どんなこと頂いてるんだ?っていっつも思います。でも、ぎんた自身も
          全然まーーーーーーーーったく変わってなくって、怒り虫ですが。

          あと!ぎんたが帰苑し始めた頃は、「苑て、3人兄弟が多いな」という
          第一印象を持ちました。夫婦仲が良かったのか、もう一人頑張ればその分
          真如教徒が増えると思ったのか、、、。自分が学校行ってた時にすでに
          3人兄弟って珍しく感じていたのです。でも、段々と、3人兄弟よりも一人っ子
          のほうが普通くらいになって行き、、今では立派な少子高齢化ですが、
          結婚しない人も増えました。母が昨年ぐらい、「昔は殆どの人が結婚した
          のにねぇ」と誰かと話しているのを目撃しました。あのーーぎんた思ったの
          ですが、今は「医療の発達」「栄養が足りている」などの要件が重なって、
          高齢化が進んでますが、本当は人生100年じゃなくって、80年前後じゃないと
          日本人「持続可能サイクル」から外れちゃうってことはないですかね?

          開祖が言ってた、精舎で日本人を探すことが難しくなる、、ってかなり
          やばい状態なのでわ??それが「当らない」ようにしなくていいのかな?
          日本人と日本語消滅とか嫌だな、、。

      • 近侍郎 より:

        こんばんは。訂正と報告がございます。

        1訂正 …『趙州録』十段 の私訳に、訂正箇所がありました。
        >師云 蒼天蒼天  
          ×南泉は云った『天よ!』 → ○趙州は云った『天よ!』 
        です。申し訳ありません。趙州が「天よ!」と云い、南泉はすぐ門を開けました。

        「蒼天蒼天(天よ!)」は、秋月龍珉師の註によると「悲しみないし絶望の語気を表わす。ここは、やれやれ何てこった、という大衆の無能ぶりにがっかりした気持を表現したもの。」とあります。
        小生思うに、趙州は南泉と同一眼に見て「やれやれ何てこった」と嘆いているだけでなく、勝義諦を発しているようです。
        というのは、趙州は新入僧の挨拶「御指示をお願いします。」にも「蒼天蒼天」と応じており(321段)、註によると321段の「蒼天蒼天」は「真理は自己の脚下にある、それを外に求めてどうするのだと、廻光返照を促す」とあります。廻光返照して無事を看るのが大事なのは、新入の僧に限らない。
        したがって、既に伝灯の起きた趙州は、第一段の問答で悟った般若の意味や321段の意味もふまえて、十段で「蒼天蒼天」と云っており、南泉も、それを諒として直ちに門を開けた、と思われます。
        第一段に通底する六・十段での応答の仕方は、いろいろありうると思いました。

        2報告
        >大地をきれいにするのは無理だけど、くつにおおいをかぶせるなら汚れません 
        教えて頂きありがとうございます。シャーンティデーヴァ(寂天)『入菩薩行論』5章「正念正知」13句に見つかりました。
        「大地を革で覆うなら どうして革が足りようか  何需足量革 盡覆此大地 
         靴底に革を貼るなら 大地を覆うも同じこと   片革墊靴底 即同覆大地 」
        マニカナHP 「アングリマーラ経」にもある「覆われる」を想起しました。
        「行った悪い行いが、善によって覆われるなら、
        その人は、この世界を照らす、あたかも雲を離れた月のように。」
        「善によって覆われるなら」とパラレルの『法句経』173(岩波文庫)には「善によってつぐなうなら」とありました。直に「つぐなう」には最早いかんともしがたく、どうしたものかと思いましたが、「覆う」ならば、出来そうです。
        「善によって覆われる」は、四諦八正道のはたらきと思います。「この世界を照らす」といっても自然や社会の大きな因果はさておいて、心身とその周辺から少しずつやっていこうと思います。
        ありがとうございました。

  31. tanza より:

    「人生は暇つぶし」の紹介:フランスの哲学者アルベール・カミュ
     
     https://www.youtube.com/watch?v=36Psl3-zezo

    • tanzaさま アルベール・カミユとスマ長老だと暇つぶしでも、全然違うよね。

      たぶんだけど、仏教には涅槃という理想の境地があるけど、それがないことが違うんじゃないかな。

      涅槃は、ニルヴァーナ(煩悩の炎を吹き消した状態)と言われたりするけど、その意味を誰も知らない。。ブッダ以外は。めざす人はいるけど。

      涅槃は、部分的には戯論寂滅なんて言われたりもする。

      ようやく少しわかってきたところです。

      • ぎんた より:

        先生~~~、涅槃ちょっとわかったんですか?凄い~~

        ぎんた、最近気づいたことがあって!実はぎんたの「私な仏教」はもう
        「古い」らしいのです。。。

        なんか、、最近のアニメ(ファンというほとけがいっぱい付いているコンテンツ)
        転生モノなんていうのがあるのですが、転生した先で、一個前の人生を
        よく憶えているらしいんです。ぎんたみたいに忘れちゃって、相当な時間を
        掛けて思い出した~~とかではなくて。
        人間からスライムとかおじさんから猫とかも、フツー無理だろうと思う場合
        でも、なんの迷いもなく受け入れて。や~~困ったな、、。
        真如苑をぶっ潰すことに特化して編み出したから、ぎんた個人の事情が
        大きく作用し過ぎていて、なんというか、えげつないものに成り果てている
        自覚はあるのですが。。。
        あー、、古いっていうのは世間に認知されてから起こることで、もう、
        誰にも知られずに「最初から無かったこと」であったという。。。

        こーゆーの無常っていうのですか?ぎんた、めっちゃ無常を体験しましたよ。
        ねこなのに、。。

        憶えているには、今なら自分史を自費出版とかして、家族に渡し、
        子々孫々にまで、家宝として受け継いで貰って再びその家に生まれて読むか、
        自伝が売れるほどに有名人になって、世間に流通している状態になったところに
        再び生まれるかしかないと思っていたのに。

        すでに生まれている違う生き物に転生して突然にリーマン時代のスキル使い出す
        とか、アメージング!!

        あ、先生、これひとりごとなので、返信不要です。お気になさらず。

    • ぎんた より:

      見ました。ここ良かった。

      人生が死ぬまでの暇つぶしなら、どうせならば私は
      誇り高く美しく笑いながら生きたい
      不条理を知り、それでも太陽を見上げる それが人間の生きる姿だ
      私は信じている 人は意味の無い世界を意味あるものとして
      生きることが出来る それが、私の哲学 
      アルベール・カミュという人間の答えだ
      不条理にほほえみ 太陽の下で幸福であれ
      人生は暇つぶしだ、だが、その暇つぶしをどう生きるかで人の全てが決まる

      ねこ、すっごく勉強になったにゃ、そんな感じでカミュさんは生きたんだね、、
      ただね、あにょ、、だからね、、人間が神でほとけにゃんだってばーーー
      世界はそんなに「不条理」でもない構造になってるんだってばーーーー

      哲学、、、実はちょっと本読んでみようとしたんだよ?なに読もうか迷ってて、
      でも、なんか、タイトルで『動きすぎてはいけない』というのを見て、
      読んでにゃいんだけど、タイトルが天啓だと、強く思って!!
      手帳を見ると、2021年のことなんですけど、今から未知の分野に
      飛び込む必要ないよな、と思いました。無理して守備範囲外のことしなくても、
      この人がきっと学術的成果として、世界をちょっと善き方向へ変えてくれると
      思ったので。一番遠くでその恩恵をそれとは知らずに受け取ろうって思いました。

      『アメリカ紀行』千葉雅也著がすごくいい本だな、と感心したからです。
      日常なので、ねこにも分かり易かったです!考えてみたいポイントがいっぱい
      ありました。これも、図書館返却棚からです。

  32. tanza より:

    人間社会において、「リアリズム」と「リベラリズム」という分類がよく行われている。
    仏教について当てはめるとどうか、次の4通りが考えられる。

    (1) 仏教はリアリズムである。
    (2) 仏教はリベラリズムである。
    (3) 仏教はリアリでありリベラルである。
    (4) 仏教はリアルでもリベラルでもない。

    八正道に該当するのはどれか?

    • Pocket より:

      tanzaさま
      「リアリズム」ってもしかして右翼のことですか??

      ハハハ……

    • 強いて言えば(4)。。中道だからね。

      ~イズムは、見解だからね。
      だけど、一切智者ブッダは、見解を持つ人も救う。

      • カエル より:

        国際関係論(International Relations)国際政治学(International Politics)で
        リアリズム(現実主義)とリベラリズム(理想主義)の対比が良く言われますね

        リアリズムは善悪よりもパワー重視
        リベラリズムはパワーよりも善悪重視

        ウクライナ戦争でいえばリアリズムはトランプ、ヴァンスで学者ならミアシャイマー
        プーチンの侵略にも一定の理解、自国を守るパワーがないウクライナが悪い
        ブダペスト合意を信じたウクライナが悪い

        リベラリズムはブダペスト合意を破って侵略したプーチンが悪
        悪人にお土産をあげてはいけないという欧州、日本の立場ですね
        でも核保有国のロシアと直接戦いたくはない

    • ぎんた より:

      真如苑で、継主が何年か前から「リアリティ」とか言い出して!!
      苑史は「物語」ではないとかも言ってた。で、ぎんたはそれきいて、

      「事実は小説より奇なり」とか言うしねぇ。。。と思いました。

      あ、先生!見解を持つ人(=ほとけ)は自分で自分を救うんですにょ。

      • mani(管理人) より:

        >あ、先生!見解を持つ人(=ほとけ)は自分で自分を救うんですにょ。

        ほんとねえ。。うらやましすぎる。。

  33.  春間 則廣  より:

    ブッダは救われない人も救いますか ?

    救われない人は、自ら救うしかない。

    じゃ― 、救う人は ブッダ ?
    救われない人 が
    ブッダ ?

    救われない人 は 救われない ?

    • mani(管理人) より:

      ブッダは 救われている。

      だから、

      ブッダと言われる。自分で自分を救えるのは
      今のところ ブッダのみ。うらやましい。。

      •  春間 則廣  より:

        〉 ブッダは 救われている。

        ブッダは自ら 救っている

        ジソン ジソク です

        リスクを厭わなければ

        ジシン ギシン 安気 です

    • ぎんた より:

      >救われない人 は 救われない ?

      救われない人(=ほとけ)は、「救われない」を体験してみることを目的に今世を
      やっているので、救われないと思います。前回人間だった時に定めているので、
      自分でもわからないかもしれないけど。

      または、前回救われなかったけど、今度こそ救おう!!と思って今世にやってきて、
      「救う」ためには、「救われてない状態」に、まずなんないといけないので、
      救われてない。そこから救いにかかるんだが、成就するか未定

      • ぎんた より:

        本当は未定じゃなくて決まっているけど、自分では分らないから、
        粛々と頑張るしかない。

        •  春間 則廣  より:

          〉自分では分らないから、
          粛々と頑張るしかない。

          頑張る必要はない
          分かる必要もない

          必要ないことをするなと
          言っているのではない

          粛々と生きていけばよい

  34. tanza より:

    龍樹の「言葉・戯論を実体視するな」は、日本人の一部「言霊信者」には違和感があるのだろう。

    参考記事:『言霊ーなぜ日本に、本当の自由がないのか』
    https://atori.hatenablog.com/entry/20040619/p1

    • mani(管理人) より:

      >龍樹の「言葉・戯論を実体視するな」

      いわゆるコトダマ化した理解だな。。

      龍樹は縁起を説いているだけです。

      •  春間 則廣  より:

          
           井沢 と 言霊 ( タマ の 解釈 を タマタマ する )

          言っていること が    起きている  “こと”
             という        意味 ( “こと” の 解釈 )

          「 識 」 (認識)  の “上” (上・下・中)  に  
            「 色 」  が      起きる
          ( 上・下・中・ 左・右  とは “中心” に 起きる )

              “中心”  とは
            「 自己 」 を  認識するところ ( 我が起きていること )

            「 心 」 という   “魔”者(ま とは) “つかみかたい”
         ( 噛みかたい 神かたい  “魔” と あらわす ありかた の 津 )

           こういう こと( 構造 「 認識 」 ) が 「 言霊 」 です

        わたしが 開いていた(参加していた) 「 読書サロン 」 に
              メンバー(ある出版社社長)の知人として
          “参加した” (メンバーの)井沢氏 が
             基調 講演した(としての発言) 中に
          『 法華経 』 について
            「 文庫三冊 に及ぶ 大変長い 経 である  」
                という 発言があった 
          そこで   異義をはさむ のは 適当ではないので
             “サロン”  の 後で 個人的 に 
         「 岩波の三冊 とは 梵訳・漢訳・和訳 の 一冊づつ 」
             と 教えた ( 彼が読んではいないこと を 指摘した )

          「 法華経 」 とは ( 八巻 暗誦 するのも  難義ではない )
            短い  「 経 」    ナン である ( なのである・難である )
        暗誦はたやすい が  理を解するのは 大変難義である

           彼は 大変真面目 なので あたまを下げて 聞いた

           そして 彼に    日本 の
           経済の動きから  歴史解説 を すること を 勧めた
         ( かれは その後  半年にわたり それを 実行・筆耕 した )

           わたしは 彼が参加する と 聞いていたので
             彼の著作 13冊を購入し “よく読み解いたうえで”
          “敬意 を 以て” して  彼に話しかけた
         ( かの出版社社長 は その月刊誌 に 執筆している
           私の友人 との関係  を 熟知して その場に立ち会った )

           「 法華経 」 とは
             簡単な言葉  で  “深遠なる” 意味を説く

           深淵なる 山谷  を  (簡単なる) 麓 で 判断する

           あるいは 三合目 で  八合目の自分 を 推測する

          頂上 というもの は  谷底があって の  存在である
         ( 平地にあって は  山谷をつかむことは難義 である )
            
            
            
          わたしのはなし  を
          “ 平地で聞 く” で  実践してはいませんか ?

            
           “へいちのりかい”  の  “えいちのりかい”  
               底       を   ソコニオイテ ( ? )

              叡智      に    問いかける
                     

        • ぎんた より:

          山の頂上?カンケーないねっっ!!

          ぎんたのやってるのは、山にトンネル掘ることなんだよ!!
          今まで、なんにも気づかずに、泣きながら素手で掘っていたんだよ。。。

          ねこ、そんなことしなくっても良かったんだよ。トンネルはモグラとか
          土掘りが得意な人のすることだよ。
          長いことかかってやっと我に返ったんだよ。。。

      • tanza より:

        >龍樹は縁起を説いているだけです。

        縁起を説いたのは、ブッダである。
        龍樹は「ブッダに戻れ」と。

        •  春間 則廣  より:

          > 縁起を説いたのは、ブッダである。

            
           龍樹 が 説くのは 仏陀 である

              仏陀が説く 「 縁起 」 を わかりやすく

                          ひもとくのである

            ( 龍樹の説く )「 縁起 」ほど

                          分かり易いものはない

           あなたにとって  いもしない  ブッダ に
           
              あなたは どのようにして 戻ることができますか ?

            龍樹  は ( ブッダ へ ・ どこ へ )

             どのように   戻れ と 言っていますか ?

             戻り方 を 知るのであれば

                   教えてください

        • 一番、「そうだなあ」と思うことを書くと即座に反論がくるな。

          中道も縁起なんだよ、って説いたのでみんなびっくりした、というところかな。

          >龍樹は「ブッダに戻れ」と。

          そんなことは言わなかった。。龍樹は菩薩だからね。
          ルネッサンスと間違えてるんじゃない?

  35. 春間 則廣 より:

    > 龍樹は菩薩だからね。

      たしかに  竜樹菩薩 と    呼ばれているけれど

              菩薩 かな ?  ブッダ かな ?

      「 縁起 」 を 見るものは 「 真理 」を 見る

      「 真理 」 を 見るものを   ブッダ と 呼ぶ

       ( ブッダ の  ・ 「 真理 」 の )
     
       存在 そのもの  が   「 真理 」 なのです

         あなたは 「 真理 」 を 見ていますか ?

             「 悉有仏性 」

    • >菩薩 かな ?  ブッダ かな ?

      歓喜地の菩薩でいいんじゃないかと。

      •  春間 則廣  より:

            
        > 歓喜地の菩薩でいいんじゃないかと。

            よい・わるい  は     龍樹 には 起きない

        ( これは 善い ということが   起きる 「縁」に ある )

           『 法華経 』  

         「 所以は何ん 汝等皆菩薩の道を行じて
         当に作仏することを得べし 」

         「 我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏 」

          「 所以者何 」
            どこにどのように(何)
           根拠をおいている(所 以) こと(者) 

            悟れば     悟り が  “ わかる ”
              ↓         ↓
         「 行 菩薩道    当得 作仏 」
         「 行 菩薩道 (そこにおいて “ 当 ” 得 作・行 仏  」
         
         
          自他 が どこにどうあるか を 知る者 を

         すでに 知って
             知った 通り(道) にある 者(こと・存在・事由)
                 それら の  者 ( こと・存在・事由 ) を
                 Buddha と 呼ぶ ( 慣わしにある )

            歓喜   に    あって・行じ   ( はじめて ) 
            歓喜を知る  ・  当 得 作 歓喜

            ただし である ( そこには ・ 他  出汁 が ある )
          ( 出汁  には    幾多 の “うまみ”・歓喜 が ある )

            「 いいんじゃないか 」 
             「有」 「魔」 「見」   の  一つ を 認知する

            「 仏 」  とは  「 真理 」 である( 唯一 )

            「 唯仏 与 仏  乃能究尽 」

          「 唯一 である 仏 は
                   仏( 「 真理 」) に( 対し・対面し ) 
                      トモニアル(与)  乃能究尽  と する 」
               (  仏仏・共仏 であろうと    唯仏   である  )

          こう イウ こと   は   言う と イウ
         「 行 」 である
        ( イウ とは 意 「 有 」 であり  遊 有 であり  異 非 である )

             仏陀     とは   菩薩行にある 法蔵菩薩  
         ( 無量寿 阿弥陀   ・    Amitabha Amitayus )
           Amita とは mita( みた こと きいた こと )   を
                  A ( 離れる 別とする 非定する ) 

        「 汝等  皆行 皆当得 作仏 」 と(与) 立つ 常不軽 
          
          
          
               いいたいこと が  浮かんでいるかな ?
          
          
          

        • ぎんた より:

          特には、、

          これは、言おう!!と思ってることは、年越し決定です。
          最初の予定の時、あげてなかったのがあった。

  36. tanza より:

    「縁起」を関連性だと思っている人がいる。
     ”関連づける”のは、意識現象だと言う人もいる。

    参考動画:【シンクロムービー】ソーラン節 × インド映画
    https://www.youtube.com/watch?v=rhJsneCPzZ8

    •  春間 則廣  より:

         
      > 「縁起」を関連性だと思っている人がいる。
      > ”関連づける”のは、意識現象だと言う人もいる

        そう言っている  と  言っている人もいる

        意識に囚われていると  言っている意味 を 失う

             (  誰が  見失っている のかな ? )

       

          誰が どう言っているか

             ではなく

          自分が !     何を目的として

                    何を言っているか  を

          意識 ではなく  智慧で捉えなければならない

          言っていること   とは  していること

          何してんの ?  と  問う !!

        

    • tanzaさま 今年も終わりですね。

      >”関連づける”のは、意識現象だと言う人もいる。

      そう思うなら、それでもいいのかも。
      ”関連づける”のは、意識現象だと言う人もいるところに、その人には、”関連づける”に縁って起きるものがあるわけだから、意識現象が現象する。

  37. tanza より:

    新年を迎えて、感動の動画を紹介しておきます。

    動画:『ライオンが動物園から脱走。全員逃げた…残ったのは一人の老婦人。次の瞬間に衝撃』
    https://www.youtube.com/watch?v=JILDXdkLPaY

    • tanzaさま 明けましておめでとう。。

      ライオン物語!!見ましたよ。
      実際に動物園から脱走したら、こんなわけにはいかないだろうねえ。

      ライオン自身が恐怖でパニックだろうな。。。