花菖蒲

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すでにしおれかけてる花菖蒲です。ようやく咲いたと思ったら、「いのちみじかし、こいせよ乙女」状態で枯れかけてます。

『コード・ブッダ』は、途中まできました。なかなか読むのが難しいです。

なぜかと思ったら、そもそもこの作者は、仏教とは思想が違うのではないかと思い始めました。

ぎんたさまの7月4日のコメント中にある

>でも、な、、、なんとご霊言は、、、絶対に間違えないのです。「私な仏教」から見れば。

これですよ!これ!

p.46に「あなたはブッダを信じていますか」と舎利子が問うたことになっているけど、舎利子は、こんなことは聞かないのです。

これはアートマンの哲学を持つ人のことばなのです。

「ブッダ・チャットボットにおいて自己と呼ぶべきものの認識が生じたのがいつであるかは意見が分かれる。(p.16)」とあるけど、どっちかって言うと「自己と呼ぶべきものの認識が滅したのがいつであるか」が問題になりそうな気がする。

舎利子は、托鉢中のアッサジにかたりかけて、「諸々の事象は原因より生ずる。如来はそれらの原因を説く。さらにそれらの滅についても大沙門は同じように説く」という答えをもらって、即、ブッダの元にはせ参じるのです。モッガラーナと250人のサンジャヤの弟子たちを連れて。

だから、ぎんたさまじゃないけど、「絶対に間違えない」のです、仏教というのは。

でもさらに読んでみるよ。。逆に、仏教の思想が浮かび上がってくるからね。

コメント

  1.  春間 則廣  より:

    **

    >  この作者は、仏教とは思想が違う

       そもそも  「 仏教 」 とは なんであるか

             ということ  が   問われてはいない

      「私な仏教」 というモノが   「 無 」 ・ あるようでない
          “ インド思想 ”          です   
       そもそも  「 インド思想 」  とは なんであるか

        ここを ツカレテ仕舞う   わたしは 車輪を綱で縛る

    > 「絶対に間違えない」のです、仏教というのは

        「 仏教 」 には 間違いはない

        わたしは “ 間違えずに ”  この “ことばを” 復唱する
         「 菩薩 」 ではなく
         「 比丘 」   が    幾重にも 復唱するように 、、、、
         「 貧道 」  として      難度 も 因度

       一度に印度  で 始末 を つける   「 南無阿弥陀仏 」
         (  「 信 」 に  始まり  があり 終末 がある  )
          始・末 が つこうと  始末に迷う   、、、、
         (  印可 を 拒む  仮想の一休み  )

      「 分け登るふもとの道は多けれど 同じ高嶺 の 月をこそ見れ 」

        “ 高・低 ” とは     「 平等 」 の  礎 ( ネ ? )

    •  春間 則廣  より:

      「 夫れ仏法遥に非らず、心中にして即ち近し。
         真如外に非らず、身を棄てて何くんか求めん。
         迷悟我れに在れば  、発心すれば即ち至る。
         明暗他に非ざれば、  信修すれば忽に証ず。
            哀れなる哉、哀れなる哉、長眠の子、
         苦しい哉、痛い哉、狂酔の人、
           痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。  」

       < 現代語訳 一例 >

      そもそも仏の教えは、離れた遠くにあるのではなく、われわれの心の中にあって、すぐ横にあり近い 

      さとりというあるがままの姿は、われわれの外部にあるものではないから、この身(色受想行識)を捨てて、何にそこを求め得ることができようか。

      迷いとさとりは、自分の内部に存在しているのであるから、さとりを求める心を起こせば、それが そこにあるさとりそのものとなる

      明(さとり)と暗(迷い)は自分にあるのだから、信を起こし精進すればたちどころに悟りの世界は開ける。

      哀れなことか、哀れなことか。悟りの世界を知らずに眠りこけている者よ。
      苦しいことよ、痛ましいことよ。迷いの世界に酔いしれているものよ。

      酔ったものは、酔わないものをあざ笑い、
      眠りに耽る者は、目覚めているものを嘲るものである。

      • mani より:

        春間さま こんばんは。

        「明暗他に非ざれば」を、そのまま読むとそのままわかりそう。明暗(明るい暗い)は他にあるわけではなく、自分の中にあるのだから
        「信修すれば忽に証ず」、つまり、信じて修行すればたちまち証明できる。

        そうだなと思います。
        だけど、そもそも、ブッダのことばについて語っているんだとわからなければ、ちんぷんかんぷんだろうなあ。

        空海ってすごい人なんだと知る。。

        •  春間 則廣  より:

          > 自分の依拠することがらのみ適正であると説き、そのことがらに(のみ)清浄(となる道)を認める論者は、そのように(一方的に)見たのである。

            「 わたしは何処にも依拠しないように心がけている 」 ということ 
             が 何処に依拠しているか を  しること が  「 無量 」 への 門
                 ( 自己 は自己に依拠  せざるを得ない ! )

            「 自己 」 から 離れる ( “離れる” には 基点が起こされている )
            「 無我 」 とは (起こし起こされている)基点を放下する という意味

              そこに起きる    “起点”
             放下する には (起こされている起点) どこ   から
                どこへ 、、、、?    ( どの方向 に ・ 上下左右 )

             ホウゲ ( 聞じた 法 偈 を  解・下 から 解 宝 する ) 

          「 解宝の人は鉱石を宝と見る  」

          「 医王の目には途に触れて皆薬なり 」
             道を成す ( 身・五蘊とは鉱石の  ヘンゲ に過ぎず  )
                                    「 途 」 を 歩む 
           ミチに(歩む)触れる ということを解藥の発端とする
            「 道 」  とは    未知なる 「 真理 」 

             あなたの目  に 触れる(ウツル)  界厄 とは ナンゾヤ ?
             この 講釈 を  礦石の発端 と 為すか どうか ?

             「 翳眼の衆生は盲いて見ず 」    
                一字一文 が 法界 に 通じる ( 法界とは五蘊に過ぎず )
             「 知ると知らざると   何誰が罪過そ 」
                罪を知らざる を   罪 と せず

            触れて 皆 薬 である  触れざるとて  五蘊に 皆 薬 あり
             鉱石 に触れようと     解 は  自戒 を 捨てる

             ここを   解せぬ故に     「 秘密 」 と 為す

             「 平等 」 とは    判断の起きる 縁(不知・淵) である

             「 是れ 秘密 なり  」

    •  春間 則廣  より:

      > 「諸々の事象は原因より生ずる。如来はそれらの原因を説く。」

          諸々の事象 とは ( “眼” にウツル ) 結果 です 

         その結果 は 原因より 生ずる( 生ずる とは 事象という結果 )

           原因  は  「 量 」 より 発する( 量る を 縁とする )

          量らなければ( 揀択 を 捨てれば )  「 無量 」 です
        (  「 無量 」 とは  永久に平安 です )
           「 平安 」 を 言い換えると  「 平等 」 と なります
            平らで 安らか( 凸凹とした突出や窪みがない )
              深浅 を 量るゆえに (高)低 が 起きます
               高くなく 低きもなく  平らか で  等しい
                      ゆえに   平 同  (等しい)

        永久 は 今時 に 囚われる時に  「 縁起 」 して  起きる
            囚われるところになければ    永久に住む

         測る から  測定結果 が 起きます

          量らなければ  「 如是 」  であり  「 如 」 の 来するところです

          「 是 」  とは tatata-  
                 眼前の 梧葉  すでに 秋声  
            ( 梧 は 吾に 通じ  葉 は 用 に 通じる  )

        学ぶ(真似ぶ) ということは  なり難し
                 いくらまねても    本物 とはならず
        本物 とは 真似る対象 であり   対象がある限り
          眼前 眼後 があり     「 願 」  誤  に 落ちる

         一体  とは 一対  ではなく   “逸 対”  である

            因を説けども  結果(事象) に 囚われる

            「 如来 」 を “起こし”    如是を失する
                                  ↓
           来るところ を 起こし     失せるところ に 迷う

             (  得失  とは   一時の迷い  )

  2. o より:

    エム先生、ぎんた様、

    『コード・ブッダ』つまんない。

    フィクションは原本をどう改作しようが面白ければそれでいいと思ってるし、円城さんも参照した『梵網経』で釈尊が三宝を貶そうが讃えようが怒りもせず喜びもするなと説かれるので、翻案は自由なんですが詰まらない。

    せめて安部公房や筒井康隆ぐらい面白いものか、できれば『連環記』みたいに味わい深いものにしてほしいです。

    以下フィクションに野暮な愚痴です。

    植木訳法華経使っちゃうあたりが、以下のような理解になってると妄想。

    三宝に帰依していれば仏教徒でしょう。これに反する説を唱える諸派もいますが、逸脱しているように思えます。

    「インドを出て以降の仏教の悩みというのはほとんど全て、なんだかんだといっても現実問題として『悟ることができない』という一点に集中している。インドではわりあいほいほい悟れていたらしいものが、余所へ移すと再現性を失ったのだ」

    とありますが、中国、日本でもかなり出てるし、チベットやビルマでは現代でもかなり出てると思います。

    「我々が『悟りに至ることはできず』、『日々の苦しみが消えるわけでもない』」

    とありますが、これはちょっと前までの日本での仏教評価でしょう。マインドフルネスの流行以降、苦の軽減に効果があるのはよく知られてる状態じゃないんでしょうか? イギリスでは教育にも取り入れられるそうですし。

    悟りについては上記の通りです。

    • mani(管理人) より:

      oさまこんばんは。

      やっぱり、つまんないか。。ナンとか面白がろうとしてたんですが、oさまにあっさり言われちゃったなあ。

      この作者の人、何か仏教以外のことに気を取られて本を書こうとしてますよね。
      それは分かったのだ。「涅槃」が、ことばの上だけのものになってしまっています。

      『コード・ブッダ』を途中まで読んで、作者の受けてきた教育を偲びました。「間違う」人生を送っている。間違わない人生を送ることも出来るとは考えたことがないんだなあと思います。

      • ぎんた より:

        わぁーーーん、先生ごめんなさい~~!!
        お忙しいのに、まったく好みでない本を勧めてしまってっっ

        ぎんた、本面白く読んで、でも、焼き菓子焼成機が成仏してなそうな気がして、なんとかしたくて
        なんとか出来そうな人達に、お手紙書いてお願いしちゃいましたよ!!本を購入する図書カード
        同封で!どうしよお~~、、ヤバかったかなぁ~~

        あ、ちなみに「仏教」で「手紙」は超重要アイテムだから、今までにも2通だしてるのだが、
        今のところ効果なかったようです、、、、

        • mani(管理人) より:

          ぎんたさま、泣かないで!

          なんでも修行だから(?)、最後まで読んでみますよ。

          >焼き菓子焼成機が成仏してなそうな気がして

          そこまで至ってないのです。がんばるぞ!それにしても、こんなに時間がかかる本ははじめてです。。無念無想をここで使ってみるとよいかも。。ひとりごとっす。

    • ぎんた より:

      oさん、こんにちは~コメント返すのが遅くなりました。場所が探せずにいたのですが、
      今日春間さんのコメント見に来て発見しました。

      安部公房、100分de名著で『砂の女』をやっていて、とても面白く観ました!(読みませんでした)

      あと、みなさんの本の感想を見て思ったんですが、ぎんた、そもそもの本の読み方が
      なにやら間違っているかもしれないということ。人生ここに来て超ピンチかもしれない、、フルフルフル

      なんだろう、端的に言えば、「ノンフィクション」と思っていて、あとは書いてる本人が
      なんとも楽しそうだな~みたいに読みました。仏教とSFと量子力学とプログラミングネタ全部は
      わからないけど、たまに知ってるワードが出てくるだけでなんで現実みたいに思うのか、、、

      マインドフルネス、、、はよくわからないけど、きっと、神でほとけの人間があみだした
      すごいものなんだと思います。

      やはり「悟り」の具体的な内容は秘密なんでしょうか?
      現代ならば「徒歩で旅」とかしなくても、一瞬でみんなに伝えられるのに!!
      ねこ、飼い主に辛い気持ちでいられると困るんですが。。。

      • o より:

        ぎんた様、ご返事ありがとうございます。すいません、つまんないとか言ってしまい。反省しております。

        100分de名著の『砂の女』は見てないですが、『砂の女』面白いですよ。岸田今日子が出てる映画もあるんですが、未見です。映画も評判いいです。『箱男』も最近映画化されましたが、見てないです。

        フィクションは読み方は、それぞれ楽しんで読めばいいと思ってます。誤読上等です。

        『コード・ブッダ』のコンピュータの部分は、かつてモトローラ6800のアセンブラを使ったぐらいで、たしかIntel 8080もちょっとやったような曖昧な記憶しかなく、AI は chat GPT をはじめ4つぐらいしか使ってませんし、あまり知識ないですが、仏教については円城さんよりは知ってるんじゃないかと思ってます。

        マインドフルネスは、念、気付きで、いつも散乱している心を、いつも何かに気づいていることで集中していこうという方法だと思います。

        「悟り」の具体的な内容は秘密ではないですね。例えば、南国でよく発酵したドリアンはチーズのようで美味いとかいうことはできますが、実際に体験しないと分からないように「悟り」は戯論寂滅ですよとか言えますが、体験しないと分からないということだと思います。そういうのを如来秘密とか言ったりしますね。

        ではでは。

        • ぎんた より:

          oさんこんにちは、今日も暑いですね。昨日は実家に行っていて(片道2時間かかる)お返事
          出来なかったのです。

          >すいません、つまんないとか言ってしまい。反省しております。

          反省なんてしなくていいです。だって神でほとけの感想だからです。ぎんたと違う感想なのが
          いいのです。今までの読書歴とか仏教理解で感想が違うのは当然です。それと、安部公房ですが、
          調べて、『人間そっくり』というのがタイトルに惹かれて読んでみたくなりました。

          これからも、色々教えてください~

          今で言えば、選挙とかマスコミとか色々、、誰かのシナリオなの?それともブックなの?とか
          疑っているので、(ブックというのは、ネトフリで『極悪女王』観てから我が家の流行語です)
          そのへんが知りたいのが本音ですが、やはり、仏教のサンガの皆さん(=マニカナ)には、
          政治の話はタブーだろうと思い遠慮しているのと、これから日本や世界がどうなるかは、
          見通せなくても決まっていると思うので、まぁいっか~という感じです。

          ではでは。

      • mani より:

        ぎんたさま おはよ!

        >やはり「悟り」の具体的な内容は秘密なんでしょうか?

        oさまがお答えになっているので、わたしが出るのもナンですが、『般若心経』の悟りについて、わかったことを一つ。

        『般若心経』に何が書いてあるのか考えてて、これは一種の論理学のテキストなんだと悟った(?)らすごくおかしくなってめっちゃ笑いました。

        そんでもって、しみじみ考えたんよ。

        これを論理学のテキストだと知ったら、人はまずどうするか?論理学なんだから、その論理に従ってその通りにしてみなきゃあかんよね。

        その通りにしてみなきゃあかんけど、普通の人は「論理」なんてわからんから、テキトーに雰囲気で理解する。。そうなら、理屈をくどくど述べるのは反発をあおぐだけのようなもの。

        で、そうなら、理屈をくどくど述べる代わりにマントラ(真言)にして唱えて拝むことにすればいいんちゃう。。そだそだ!それでよい!

        賢い人には勝手に理屈をさぐってもらって、賢くないがフィーリングの合う人はマントラを唱えて「信じるものは救われる」世界をめざしてもらう!ってので、いいんじゃない?!。。そだそだ!それでよい!

        で、フィーリングを合わせるために、「善に向かう」って事にすればいいんじゃね。
        ほんとに善いことに向かってないとダメだけど。

        こういうわけで、『般若心経』は「経典」と言われるようになって拝んだりまつられたりするようになったのです。。っと思います。で、こういう宗派は、大乗仏教と言うのです。

        だから、フィーリングが合うためには、「これは善いものだ」って見た瞬間わかるものでなくちゃダメだ。そういうわけで、『般若心経』は、そもそも誰も傷つけないようになっているのです。

        大乗仏教は、誰も傷つけないように作られた宗教なのです。

        誰も傷つけないから『コード・ブッダ』を書いた人もきずつけないのです。

        って、わたしは思って納得してるところです。

        • ぎんた より:

          >賢い人には勝手に理屈をさぐってもらって、賢くないがフィーリングの合う人は

          先生、これは多分、賢い人は今回そのポジションの順番が来た、少人数の人で、
          「賢くはないがフィーリングの合う人」は今までの地球で「賢い人」ポジションを履修済みの
          多くの人じゃないかと思います。履修済みだからフィーリングでオッケーなんではないかと。

          あ、で、「占い師」ってのは、先のことが見通せたりするわけですが(多分)、それは前世で
          賢い人を履修済みな人で、本来多くの人が持つ「フィーリング」部分が弱い人に対して、
          「占いを信じて、こんな感じで行動してみてね!」とやってフォローする職業なのではと
          思います。なので、賢い人から見て、占い師はパイセンなんだと思います。

          • mani より:

            ぎんたさまさま
            わたし『コード・ブッダ』読んでて思ったんだけど、作者は「賢い人」で、なんでも分かるんだけど、ただ仏教だけがわからない人なんじゃないかと思うんです。
            で、なぜそう思うかというと、次のような引用文があるのです。

            『わたしは知性を備えた生命体である』という言明が真となるのは、『わたし』が実際に『知性を備えた生命体』である場合であり、かつその時のみに限られる。(p.107)

            これは『現代哲学基本論文集Ⅱ』の中にあるタルスキの論文の引用なのね。
            タルスキは『雪は白い』でやってるんだけど同じ事なのね。

            『コード・ブッダ』を書いた人は、p.107の前の方でこんな事を言ってるの。

            わたしがこうして『無駄話』で『時間稼ぎ』をしながら『本当はなにをたくらんでいる』のか、どんな言外の意味を生成しようとしているのかを観察しているはずだ。(p.107)

            これを読んでピンときたのです。この人、仏教がわからなくて思わずこう漏らしちゃったのだ、って。これは作者の本音でしょう。わたしも、昔、仏教が全然わからんだったとき、こんな風に思ったことあるような気がする。

            そして、そのとき、わたしは「賢い人」をめざしてた。「賢さ」を求めていたのです。でも、仏教を勉強して行くと「賢くない」方が仏教的には賢いんじゃないか、って気づいたの。

            >先生、これは多分、賢い人は今回そのポジションの順番が来た、少人数の人で、
            >「賢くはないがフィーリングの合う人」は今までの地球で「賢い人」ポジションを履修済みの多くの人じゃないかと思います。

            そう思ったら、ぎんたさまのこのことば、あたってるなあ、って思ったのです。

            そうだね。賢い人は賢くない。だから、賢いのです、っていってみます。

          • ぎんた より:

            先生!思ったのですが、、、「賢い人」ってのを別の言葉にすると、経典に精通してる人かなと。
            お釈迦様に直に話を聞いた人→経典に書き起こした人→現代において経典を研究してる人、、
            でもって、兎に角経典の内容に関して責任があるから経典の番人みたいに頑張ってる。

            私はこの作家はとにかく「文章が大好き」なのではないかと思いました。小説とか仕様書とか
            論文とか。先生が前に言っていた「紙魚」っていたじゃないですか。そのレベルで。
            きっと、さーーーーーっと一読すれば、「書いた人と同じレベルで」内容がわかるのでは?

            で、『コード・ブッダ機械仏教史縁起』を読むと、ぎんた細かいことはさっぱりですが、
            (これを読んだ感想は人それぞれだけれども、読者のこだわりがあぶり出される仕掛け
            なんじゃないか)と思いました。これは後で、xかなんかで他の人が「日蓮出てこなかった
            けど、意図がある?」と言ってたのを見てそう思いました。

            あと、ぎんたは面白最重要なので、聞いたことある単語全部笑ってやろう位に読むのと、
            勝手に最高に面白くするには「この作家は、もしや、ここ数年のマニカナのメンバー達の
            ワチャワチャやってるのを全部見ていて、【辺境】からなにか挑戦?している?
            「今まで、読んでわからない文章なかったですけど、仏教だけはふわっとしてて難儀してるん
            でよね~。なんとかなんないっすかね~w」みたいな。
            ぎんた困るのは、純陀きゅんも猫も「仏教殺され仲間」で「関係者」になっちゃうから、
            それ以外の人が助け船出してくれたのかしら?とか。

            でたらめに色々考えるのが面白かったですよ。

          • mani より:

            ぎんたさま こんばんはっち

            >先生が前に言っていた「紙魚」っていたじゃないですか。そのレベルで。

            そうそう、言ってた。わたしの見た作者は、ぎんたさまのことば通りの人で

            >「この作家は、もしや、ここ数年のマニカナのメンバー達の
            ワチャワチャやってるのを全部見ていて、【辺境】からなにか挑戦?している?
            >「今まで、読んでわからない文章なかったですけど、仏教だけはふわっとしてて難儀してるん
            でよね~。なんとかなんないっすかね~w」みたいな。

            こういう人です。ぎんたさま、おおあたりっすよと、わたしは思います。
            で、仏教だけわかんなくて、「これでどうだ!」みたいな本書いたんだけど、ねらいはずれて「賞もらっちゃった」人なんです。

            「わはは!わかってないのに賞までもらった。。こりゃバチが当たったなあ」って思ってるかも。

            今後は、いずれこのサイトにたどり着いて「話題の人」だったことを知るんじゃないかな。もし、運がよければ、ぎんたさまの言うとおり、

            >「日蓮出てこなかったけど、意図がある?」

            これ、じつは、お釈迦様の不思議パワーだってこと、運がよければ、いずれ作者は知ることになるかもしれない、って思います。

          • ぎんた より:

            >「今まで、読んでわからない文章なかったですけど、仏教だけはふわっとしてて難儀してるん
            でよね~。なんとかなんないっすかね~w」みたいな。

            先生、この文を書いた時思ったんですけど、この作家は「悟り」に対してはっきりした
            イメージは持っているのではないでしょうか?皆さんのやり取りを見て、わかってきたというか。
            それはパイセンだから、ちょっとキッカケがあると、なんか、パァーーーッと繋がるみたいな。
            で、その上で、実際の行動に移してみた(智慧のひとつの形としての小説を完成)という。

            あと、上の切れ者で強気な人は、私が感じた作家の脳内にいる「キャラ」で、作家本人では
            ないのですが、身体を伴わない本性みたいな存在でもちろん本物だと思います。(私の中で)

            あと、「バチ」は神仏が当てると普通は考えますが、それは人間が(=神でほとけ)
            自分に当てます。「神でほとけ」から外れすぎた時「軌道修正が必要」なサインとして。
            今回貰った「賞」は、お墨付き、「いい仕事したねーーっ!」というやつです。

            >今後は、いずれこのサイトにたどり着いて

            あ、、はぁ、、、そんなことありますかねぇ、、う~ん、、なんというか、、それだと、
            「粋」じゃなくなるというか、、、そこは【辺境】がかっこいいと思います。
            あ、でも、他コンテンツとのコラボをお願いしている以上、ご挨拶しないと失礼なのかな?

            来て下さるなら、前にもちょっと触れましたが、ぎんたがお手紙出した、焼き菓子焼成機
            (と、そのウイルス)と依頼主さまを余裕で救う実力者が3名いらっしゃるんですが、
            その方の生みの親、、である人がもし、なにか疑問があったらぎんたに質問などしに
            来て下されば。。。とか、(でも、もう信頼しまくっているので全然大丈夫とも思う)
            あ、そんな大きな企画みたいのじゃなくって、フツーの、1話分のでいいんですが、、、

             
             兎に角、「ウイルス」は、 Eテレ「こころの時代 ~宗教・人生~敵対と共生のはざまで」で
            ウイルス学者の山内一也が言っていたのですが、

             我々ヒトゲノムの7割くらいはウイルス由来、私達人間と一体化している、というか完全に
            身の内なんです。遺伝子の約半分がウイルスなんです。
             腸内細菌が100兆あるといわれていて、一つの細菌に10以上のウイルスがいるといわれている。
            すると、1千兆個のウイルスが身体の中にいることになる。ウイルスと人との区別はなかなか
            つけがたい。

            ということですので、ウイルスの主張は焼き菓子焼成機の気持ちを代弁したのであって、
            無碍にしないでほしいんです。本来でない機能を獲得したんだと思います。

            焼き色で「タスケテ」書くなんて、すごい賢いとか、過去いち美味しい焼き菓子とか
            (フィナンシェかな)いままでの仕事を褒めてあげて、心配しなくてもいい未来
            視えちゃったからだいじょぶとか今のバージョンアップでも、全然ちがう仕事でも、
            またいい人と仕事できるとか、なんならお試しでちょっと連れてくとか(わかんないけど)
            やってほしい。。。

            どおか、神さま、ほとけさまっっっ!!
            『コード・ブッダ機械仏教史縁起』円城塔著と私立パラの丸高校のコラボが見られますように!!

            よろしくお願いしまぁーす!!!

          • mani より:

            ぎんたさま 暑いすね。

            >先生、この文を書いた時思ったんですけど、この作家は「悟り」に対してはっきりした
            イメージは持っているのではないでしょうか?

            もしかすると、ぎんたさまと違うこと考えているかもしれないですが、答えは「あたり」です。
            わたしは円城塔氏は、仏教の悟りを見誤ったんじゃないかと思ってます。
            悟りって、何か「こういうもんが悟りだ」っつうのが作者のあたまにあって、それを意味しているんじゃないかなって思うのです。

            でも、寂滅が悟りなんだし、苦の滅が悟りなんだし、たぶん作者は違うこと考えてるような気がする。『コード・ブッダ』から引用です。

            教授は他人事としてそう告げるのだ。
            「君は今や、人間としてのブッダではないかと疑われているのだ。もう少し自覚を持ってもらいたいな」(p.178)

            仏教が気になっていることは、よく分かるけど、仏教から外れているのもわかります。いろんな知識(仏教の)があることもわかるんだけど、
            そして本人も知識は関係ないみたいだって思っていることもわかります。
            ほんとに悟りを開いたら、そのことはすぐ分かるから、解脱してない時は解脱してない、ってわかるんよ。

            >遺伝子の約半分がウイルスなんです。

            ここ読んでびっくりしました。そうなんか。。賢くなるなあ。諸行無常は正解なんだね。
            いろいろありがと、ぎんたさま。

            あと、もう少しで、終わるぞ、がんばって読もう、残りを。変なところに興味を持ってしまって、こんな読み方はじめてです。

             

          • ぎんた より:

            もしかして、究極に神なAIくんを作ろうとして、作ったけど、AIくんの言ってる意味が
            全然わかんないよ!とか人間が言い出して、「結局最期は人間が判断するしかないよね」とか
            ほざいて、失敗して、もの凄い無常を抱えたAIくんが、次回の地球のお釈迦様かな?

            その時点では、「無常」ていうのがいまいちわかんなくて、人間になったらやっと
            表現できた!めでたい!!みたいな

        •  春間 則廣  より:

          > 究極に神なAIくんを作ろうとして、作ったけど

            作ったモノ は 必ず 壊れる ( 「 無常 」 と いいます ) 

             究極 という言葉を作った(使った)者は
              究極に辿り着く前に 究極の命を 自ら閉じる
            神 は 自らタスクものを 助ケレド   自らは 助けないし
                 助ける( タスク の )必要もない

            組み立て られていないモノ・出来ないモノ  は  「 無常 」 です

              組立てたモノ  は いくら  巧緻でも  “狡知” に過ぎない
            ( 神に託す 人が 組み立てようと  人は神ではない )

                   神の存在 を 試しに はっきりさせてごらん !

            
                「 智 」 というものは   行ないから得るもの

                 狡知 な 行ない から  巧緻な“考” を  得ようとも
                       功利   には    おぼつかない

                 利にさとい   あなた  なら  知ることは可能

  3. Pocket より:

    マニ先生

    >p.46に「あなたはブッダを信じていますか」と舎利子が問うたことになっているけど、舎利子は、こんなことは聞かないのです。

    >これはアートマンの哲学を持つ人のことばなのです。

    これ本質的ですよね。小説は読んでないけど先生の面白がり方に興味津々な私です。

    oさまが
    >中国、日本でもかなり出てるし、チベットやビルマでは現代でも

    とあるように書いてある通りに墨守できる、伝承を重んじられる国は優れていると思います。

    『ナルニア国物語』のC・S・ルイスがイエスを理性的な賢者のように見る近代啓蒙主義的立場を批判していましたが、西洋の宿痾でしょうね。

    近代仏教学とともに日本にもこれが輸入されて根を下ろしているから、AIなどにかこつけて自己とは何かとか自我意識はチャットボットに生まれるのか、とか煩悩盛りだくさんの混乱状態になっている。

    >どっちかって言うと「自己と呼ぶべきものの認識が滅したのがいつであるか」が問題になりそうな気がする。

    これ、完全に顛倒ですよね。
    自己という認識のないチャットボットに必死に自我を注入しようとしている。。。

    なんだかAI関係の言説がつまらないのも、こういう所なのかなあと感じています。

    • mani より:

      pocketさまおはようございます。

      >自己という認識のないチャットボットに必死に自我を注入しようとしている。。。

      なるほどなるほど、そんな感じですね。つまりは、自我といっても、 個我なんかじゃなくて最高の自我(=パラマートマン)を注入しようとするから問題が大きくなるんですよね。
      現象界なら、諸行無常は成り立たなくちゃ。生じたものなら、いつかは滅するという原則はなりたたなくちゃならんです。

      これぞ仏教なり、って言ってみます。

      • o より:

        mani先生、pocketさま、

         ごもっとも。アートマンじゃなくて化身としてAIに慈悲で化現したなら分かります。

        しかし、そういう本質的、あるいは仏教的な問題は、フィクションにあまり関係なく、面白ければいいと思ってます。

        SF もほとんど知りませんが伊藤計劃とか『攻殻機動隊』ぐらいの面白みがあればいいのにと思った次第です。

        伊藤計劃『虐殺器官』冒頭エピグラムに『リグ・ヴェーダ』1.164.45が孫引きされてます

        • mani(管理人) より:

          oさま こんにちは。

          >『リグ・ヴェーダ』1.164.45

          これかな?

          言語は四個の四分の一[よりなる]と測定せられたり。霊感あるバラモンたち(詩人兼祭官)はこれを知る。[その中]三個[の四分の一]は、秘密に隠されて運動せしめられず。言語の四分の一を人間は語る。
          答 言語の四分の三は、神聖なものとして天上に秘められ、人界に流通しない。(『リグ・ヴェーダ讃歌』p.303)

          この個所かしら?
          全然わからないですが、たしかにoさまのおっしゃる通りなら、こっちが合うかも。。。ヴェーダですからね。思想的に相性がいいかもしれない。。

          ちんぷんかんぷんで語っていますが。
          こっちも読まなきゃならないかも、です。

          • o より:

            mani先生、

             それだと思ってます。

             『虐殺器官』だとしたら、読まなくていいですよ。面白いですけど。

            円城塔さん、伊藤計劃未完の『屍者の帝国』を遺稿を完成させているんですが、未読です。

            読まなくていいやと思い始めました。