龍樹は、この書を珍重している。。あ、間違えた。。しているかもしれない。
なぜなら、『大智度論』の最初に引用されていて多く取り上げられているからです。
ああ、また、ちゃうねん。。『大智度論』は龍樹作ではないだろう、って意見もあるのだから。
私の立場では、龍樹作と言われているものは、龍樹作として扱っているのです。
なぜかと言えば、龍樹作だからです。
それを証明するんですか!
「証明されたと(わたしが)みなすことができるなら信じてやらぬこともない」、とおっしゃるんですか。じゃぁ、いいですう~。ご自分の思うとおりに行ってください。
わたしはわたしで、自分の思うとおりに行います。
まずは、書いてあるものは「書いてあるとおりに読む」という方式ですと、『大智度論』は龍樹が書きました。大智度論は、『スッタニパータ』「八偈品」を重要視しています。パーリ語では「八偈品」、漢訳では「義足経」「阿他婆耆経」などといわれています。
龍樹は、まず、ブッダの教えを受けるにあたって『スッタニパータ』に目をつけたのです。ブッダの教えの大事なところは、皆、この中にあるからです。
私が最初見た時、『スッタニパータ』は異様な本でした。本から湯気が出ていて、読む前から「むずいぞ!」と言っていました。岩波文庫があるから大丈夫、って思いながら、読んでいきました。
短い、どの経典も、「油断するなよ」と告げていました。湯気どころか、爆発するようにさえ見えました。「八偈品」のところに来たら、『大智度論』とするっとつながったのです。「ああ、これならわかる!」って思いました。『大智度論』を書いた人は、龍樹という名前でした。
「ふうん、龍樹かぁ」と思い、書いてあることを読んでみると四悉檀説が説かれていました。『方便心論』にあるのと同じだったので、「龍樹ってあの龍樹なんだ」って思いました。『中論頌』も『大智度論』にたくさん載っていたので、「『中論頌』も、龍樹が書いたのか」と思いました。
ごく自然に、『方便心論』『中論頌』『大智度論』は繋がり、一人の人物の名前と結びつきました。『方便心論』と『大智度論』は仲のよいお友達論書で、『方便心論』で分からないところは必ず『大智度論』に書いてありました。ふうん、そうなのか。。と私は思いました。
私の中で、龍樹という人は、ブッダの教えに触れたのですが、それは、まず『スッタニパータ』をひもとくことから始めたようだ、と思っています。
私がブッダから得たものについては、すでに文句なく、龍樹は確実にブッダから得て、それ以外にもたくさん得ているようでした。「ようでした」と書いたのは、これから勉強して、龍樹は何を得たのか解明して行くからです。
ブッダの裏面(B面)は龍樹である。。と言うのが、最近の私の意見です。
また、何か分かったら書きます。(B面は、まさかとは思うけど、レコードのB面だからね)
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