聞法

久しぶりに、思いついたことを書いてみます。「過去世から、ずっと凡夫は、法を聞く」というタイトルにしてみます。

◇◇◇

わたしの耳は 貝の殻 海の響きを懐かしむ(コクトー)

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ジャン・コクトーの詩を堀口大学が訳したもの。たぶん有名な詩です。

凡夫の学習を考えていたら、このことばが浮かんだ。たぶん現代人は、耳はあまり働かないだろう。耳で聞いて、音で捉えて、その真実を知る、というわけではないかもしれない。

なぜなら、目の働きにたよりすぎるからだ。スマホ文化、パソコン文化、テレビや動画の字幕。どれも視覚にたよっている。現代人はほぼ9割視覚にたよっているのだそうだ。

古代のインド人は、耳から何でも吸収した。暗記して憶えて、その通りに行うのが学習ということだった。聞く文化は、ヴェーダを生みだしたのである。ヴェーダとは、神々への祭式のやり方をまとめた知識である。今日でも、バラモンたちは暗誦によって伝承しているのだそうだ。

さて、お釈迦さまの時代にも、人々は集まってお釈迦さまの法を聞いたのである。聞法である。

聞くときのコツは、一切からっぽ(空)にすることだと知っているだろうか?

心をからっぽにして何にも考えずただ聞くとき、

法(ことば)は一番よくその人の中に染み渡っていくのである。

それは遠い海の響きに似ているのだろう、と思う。

過去世にわたる海の響きを真実として、ただ波間に洗われるように、心はもて遊ばれたゆたうのである。

だから何を聞いても真実であればよいのである。

ひとしずくの水の分子は、小さい川のせせらぎの中を行き、急流に翻弄され、大河に流され、やがて海にたどりつく。

そして、川の名前を失って、一味となる。

聞法の果てに、一味の法を得るのである。

ただし、唐辛子味ではない。。なんて書くと、お釈迦さまが台無しだな。。

過去世からずーっと、凡夫は 法を聞いてきたのである。

そこに使われることばは、喩えである。

海の響き、火の音、風の音、大地の歌を聞いて、輪廻してきたわたしたち。。

コメント

  1. 春間 則廣 より:

    いったい 写真 は ドウナットルンジャ

       どうなっとるも こうなっとる  と  サワイデみる

      分かった !!

       フィルム が ないんじゃな !

    • mani(管理人エム) より:

      > フィルム が ないんじゃな !

      あたり!ではあるが、それだけではない。。

      毎回、それぞれに写真をつけようと思っても、つかないんだよお。。

      1回決めたら、ずっとそれになるだけなんだから。

  2. 春間 則廣 より:

     このサイト は ややこし けれ

       ********

    わたしも 一つ シ を 一つ  THE PROPHET 
    カリール・ジブラン 『 予言者 』  ( 佐久間 彪 訳 )

    あなたが獣を屠るとき、心の中で言いなさい。
    「 あなたをほふるその同じ力で、わたしもいつか屠られ、同じように食い尽くされる。
      おまえをわたしの手に委ねたおきてが、さらに強い手に委ねる。
      お前の血もわたしの血も、天上の樹を養う同一の樹液なのだ。 」

      < 朗読 篇 >

    https://youtu.be/VrzSjlQqPX4
        (  18:53 あたり~ 19:15 あたり )

      < おまけ >

    https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=kahlil+gibran+the+prophet&&mid=E7930C781BBAC8181345E7930C781BBAC8181345&&FORM=VRDGAR

    https://www.poetryfoundation.org/poems