
フキノトウです。家の壁と雪の隙間に見つけました。フキノトウの味噌にして食べます。。ほろ苦い甘味噌がおいしいです。一回食べると春を満喫。そう何度もは食べませんよね。
春は、毎年、一度だけやってくるのがいいね。春って、そういうものかもしれないなあ。
そして春なら、曙だよね。「春は曙、ようよう白くなりゆく山際。。」だしね。
そういう意味からすると(どういういみだ?)、龍樹『中論頌』は、春っぽい作品かも。。
若い頃に書いた作品だろう。。という気がする。話が若い!いきおいがあって、未熟な感じもする。理屈が勝ってる。わたしには、菩薩の初地であることがバレバレな印象ですねん。
確かに、ブッダをつかんではいるんだけど、悟りを開いたブッダとは全然違う。
でも、ブッダもまた、いにしえの道を見つけたとも語っている。
先人たちが歩んだ古い道を、わたし(ブッダ)もまた発見し、古い城を発見するように、過去仏たちの歩んだ道を自分も見いだしたのであると、『サンユッタ・ニカーヤ』12.65で語っている。
ブッダに出会った龍樹は、その中から論法(=論理学)を抜き出して『方便心論』で語った。
わたしも、同じように、論理学としてブッダの法を受け取ったのである。
ということは、論法として受け取るものは、はしゃぐ傾向にある、ということか。。
わたしも、龍樹とおなじように、はしゃいじゃったからなあ。

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