『スッタ・ニパータ』(『クッダカ・ニカーヤ』)(PTS Text,PP.21-25.) 第1章 蛇の章 7 賤民経 このように、わたしは聞きました。 あるとき、尊師は、サーヴァッティーのジェータ太子の林にある給孤独長者の園林に滞在していました。 さて、尊師は、午前中に内衣を着けて、鉢と衣を取って、托鉢のためにサーヴァッティーに入っていきました。 そのとき、火を拝むバーラドヴァージャというバラモンの家では、火が燃えて、祭祀がとりおこなわれていました。 さて、尊師は、サーヴァッティーの中を、托鉢のために家ごとに行乞しながら、 火を拝むバーラドヴァージャというバラモンの家に近づいていきました。 火を拝むバーラドヴァージャというバラモンは、尊師が遠くからやって来るのを見ました。 見たあと、尊師に、このように言いました。 「そこのはげ頭、そこの似非沙門、賤しいやつめ、そこに立っていろ」 このように言われて、尊師は、火を拝むバーラドヴァージャというバラモンに、このように言いました。 「では、バラモンよ、あなたは、賤しい者や、賤しい行いや、賤しい法というのを知っているのですか」 「いや、実のところ、君ゴータマよ、わたしは、賤しい人も賤しい行いも賤しい法も知りません。 どうか、わたしに、尊者ゴータマよ、賤しい者や賤しい行いや賤しい法が分かるように、そのように教えを説いてください」 「では、バラモンよ、聞きなさい、十分心してかかりなさい。わたしは話しましょう」 「どうぞお願いします」 と、火を拝むバーラドヴァージャとというバラモンは尊師に答えました。尊師は、次のように語りました。 116 起こりやすくて、怨みをもち、偽善を行う悪人で、見解の破滅している、詐欺師である人、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 117 一度生まれるもの(胎生)でも、あるいは、二度生まれるもの(卵生)でも、 この世で生き物たちを害する者、生けるものに対する憐れみのない者、かれを「賤しい者」と知るべきである。 118 村々や町々を破壊し取り囲んで、圧政者と呼ばれる者、かれを「賤しい者」と知るべきである。 119 村においても、また、森にあっても、他の人々の所有物を、盗み心から与えられていないのに盗る人、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 120 実際に、借金を取ってしまい、咎められると「あなたには借金はない」と逃げてしまう者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 121 わずかなものを欲して、道を行く人を殺して、わずかばかりを盗る者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 122 証人として問われたときに、自分のため、他人のため、財産のために偽りを語る者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 123 無理強いして、または、相愛して、親族や友人の妻と交わる者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 124 青年を過ぎて老いた母や父を、それが出来るにもかかわらず養わない者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。(cf.98偈) 125 母や父や兄弟や姉妹、また、姑に暴力をふるったり、ことばでの罵ったりする者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 126 人から為になることを問われているのに、為にならないことを教え、隠し事をしながら助言をする者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 127 悪事をなして、「自分のことを知られませんように」と望む者、隠し事をする者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 128 他家に行って、清らかな食事でもてなされたのに、来客にはぞんざいに応対する者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 129 バラモンであれ、沙門であれ、他の乞食する者であれ、うそのことばでだます者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 130 バラモンや沙門に対して、食事の時間がきているのに、ことばで罵って、何も与えない者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 131 この世において、無痴に覆われて、わずかなものが欲しくて、真実ではないことを語る者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 132 自分に関しては称賛したがり、他人については軽蔑する、自らの慢心で劣った者となる、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 133 人を苦しめ、けちで、悪事を望み、ものおしみをし、狡猾で、無慚無恥な者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 134 目覚めた者(ブッダ)をそしり、出家や在家のかれの弟子をそしる者、 かれを「賤しい者」と知るべきである。 135 実際に阿羅漢ではないにもかかわらず阿羅漢であると公言して、 梵天とともなる世界において盗賊である者、かれはもっとも賤しい者である。 わたしが説明したこれらの者たちが、「賤しい者」といわれる。 136 生まれによって賤しい者となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。 行いによって、賤しい者となり、行いによってバラモンとなる。 137 また、わたしが説くとおりに、次のようなことを知りなさい。 チャンダーラの子で、犬殺しのマータンガという高名な人がいます。 138 かれマータンガは、得ることのできないような最高の名誉を得たのである。 かれのところに、多くの貴族やバラモンたちが、奉仕をするためにやって来たのであった。 139 かれは、塵汚れを離れた大道である神の乗り物(道)を登って、欲や貪りを離れて、梵天世界に到った。 ―― 生まれ(ジャーティ)が、かれが梵天界に再生することを妨げることはなかった。 140 (ヴェーダの呪句を)学習する者の家に生まれた、 マントラに親しむ(階級の)親類縁者であるバラモンたちにあっても、悪いことをしているのが見られる。 141 現世においては、それは非難さるべきであるし、来世においては悪趣(悪いところ)に生まれる。 ―― 生まれが、かれらが悪いところに生まれたり、非難されたりするのを防ぐことはないのである。 142 生まれによって、賤しい者となるのではない。生まれによって、バラモンとなるのではない。 行いによって、賤しい者となり、行いによって、バラモンとなるのである。 このように言われて、火を拝むバーラドヴァージャというバラモンは、尊師に次のように言いました。 「すばらしいことです、友ゴータマよ、すばらしいことです、友ゴータマよ。 友ゴータマは、倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、道に迷った者に指し示すように、 暗闇に「眼ある人々は、色かたちを見るだろう」と、灯火を差し出すように、 そのように、尊者ゴータマによって、数々のやり方で法が明らかにされました。 いま、わたしは、尊者ゴータマに帰依いたします。法と比丘教団に帰依いたします。 尊者ゴータマよ、どうぞ、わたしを在家信者にしてください。今日より以後生きているかぎり帰依いたします。」 |