心にしみる原始仏典


『スッタ・ニパータ』(『クッダカ・ニカーヤ』)(PTS Text,PP.39-42.)

第2章 小さな章 1 宝経

222 地上にいるものたちであれ空中にいるものたちであれ、ここに集まった精霊たち、また、あらゆる生き物たちはこころ楽しくありなさい。
ときに、説かれたものをつつしんで聞きなさい。

223 それだから、あらゆる生き物たちよ、心して聞きなさい。夜となく昼となく供物を持ち寄る男女の人々に慈悲深くしていなさい。
それだから、彼らを怠ることなく護りなさい。

224 この世やかの世におけるどんな富も、あるいは、天界におけるどんな妙なる宝も、たしかに如来に等しいものはない。―― このこともまた、ブッダにおける殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

225 釈迦族の聖者は、滅尽であり離欲であり不死であり殊勝であるもの(法)に到達して、禅定に入っている。この法に匹敵するものは何もない。―― このことも、法(ダンマ)における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

226  最高の人ブッダの賞賛しているきよらかな三昧を、「間をおかぬもの(=覚りに直結する定)」と人々は言う。この三昧と等しいものはない。 ―― このこともまた、法における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

227 善い人々の賞賛する八輩の者たちは、これら四双のものである。かれらは、善逝(善く逝った者、修行完成者)の弟子たちであり、供養するべきものたちである。彼らに布施することは、大きな果報である。―― このこともまた、僧団(サンガ)における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

※四双八輩 修行段階を4つにわけそれぞれ二つずつの組になることから、四双といわれる。四つとは、1預流、2一来、3不還、4阿羅漢であって、1で聖者の流れに預かり、2で一度だけこの世に戻って来るものとなり、3で二度と欲界および天界に還らず、4は三界に戻ることなく輪廻から解脱する、といわれる。これら四つの段階には、それぞれ修行の段階にあるもの(向)と修行の結果を得たもの(果)とを区別するので全部で八つとなる。預流向、預流果、一来向、一来果、不還向、不還果、阿羅漢向、阿羅漢果と8つに分かれる。

228 心堅固にして非常に熱心に行い、ゴータマの教えの中で無欲なるものたちは、利得を得て、不死に入り、得たるものは無償であって、寂滅を享受している。――このことこそが、僧団(サンガ)における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

229 たとえば、門柱が大地にしっかりと立っているならば、四方の風にも揺らがないように、もろもろの聖なる真理に依拠して観察する善き人を、わたしは、このような喩えで語るだろう。――このことこそが、僧団(サンガ)における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

230 深い智慧を持つ人(ブッダ)によって善く説かれた聖なる真理を明らかにする人々は、たとえ大いに怠けることがあったとしても、第八番目の生存を取ることはない。――このことこそが、僧団(サンガ)における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

231 いくらかでも、有身見や、疑いや、戒禁取見※1があるとしても、かの人(第八の有を受けない人)が知見を具えていくことによって、三つの法は捨てられてしまうのである。
かれは、四つの悪処から脱し、六つの罪※2を為すことができなくなる。――このことこそが、僧団(サンガ)における殊勝の宝である。この真実によって、吉祥であれ。

※1 有身見とは、五取蘊について、自己である、または自己のものであると見る見解のことである。疑いは、三宝を疑い、善悪業報を疑い、三世因果を疑い、四聖諦、縁起を疑うことである。戒禁取見とは、外教徒が解脱や生天を求めて行う戒で、それを守っても解脱や生天が得られるわけではないものである。
※2 四つの悪処は、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅の境涯を言う。六つの罪は、母を殺す、阿羅漢を殺す、父を殺す、僧団を破壊する、悪心を持って如来の身体を傷つけ血を出すこと、これら五逆の罪に加えて、他の師の教えに従うことを加える。

232 もし、かれが、身体によって、ことばによって、心によって悪い行いをなすなら、かれは隠すことはできない。隠すことができないということは、道を見た人が語ったことである。――このことこそ、僧団(サンガ)における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

233 夏の月のはじめの暑さで、林や藪の中で枝先に花が咲くように、このたとえのような、(人々の)利益のために、最上なる涅槃に至る優れた法を説いた。――このことこそ、ブッダにおける殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

234 最高であり、最高を知り、最高を与え、最高をもたらす、この上ない人が、最高の法を説いた。――このことこそ、ブッダにおける殊勝の宝である。
この真実によって吉祥であれ。

235 未来の生存に貪る心をもつことがないとき、古い(業)は尽き、新しい(業)はない。(煩悩の)種子を焼き尽くし、欲を育てない賢者たちは、あたかも、この燈火のごとくに消えてゆく。――このことこそ、僧団(サンガ)における殊勝の宝である。
この真実によって、吉祥であれ。

236 ここに集まった生き物たち、地上にいるものたちであろうと、空中にいるものたちであろうと、わたしたちは、神々と人間に供養された、このように完成したものであるブッダを礼拝する。吉祥であれ。

237 ここに集まった生き物たち、地上にいるものたちであろうと、空中にいるものたちであろうと、わたしたちは、神々と人間に供養された、このように完成したものである法(ダンマ)を礼拝する。吉祥であれ。

238 ここに集まった生き物たち、地上にいるものたちであろうと、空中にいるものたちであろうと、わたしたちは、神々と人間とによって供養された、このように完成された僧団(サンガ)を礼拝する。吉祥であれ。




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