『サンユッタ・ニカーヤ』22-95.(PTS Text,V.pp.142-3) 95. 泡沫 1.ある時、尊師はアヨージャーのガンジス川の岸辺に滞在していた。 2.そこで、尊師は比丘たちに話しかけた。 【色形】 3.比丘たちよ。たとえば、このガンジス川が大きな泡のかたまりをもたらすように、そのように眼(まなこ)ある人はこれを見て、静観し、正しく考察するだろう。彼が、それを見て、静観し、正しく考察するならば、それは、まったく虚ろなものであって、空虚であり、実質のないものに見えるであろう。比丘たちよ。それならば、どうして泡沫のかたまりに真実(精髄、サーラ)があろうか。 4.このように、比丘たちよ、いかなる色形であれ、過去や未来や現在のものであれ、うちであれ、外であれ、粗いものであれ、細かいものであれ、劣ったものであれ、すぐれたものであれ、遠くにあろうと近くにあろうと、彼はそれを見て、静観し正しく考察するならば、、比丘たちよ、まったく虚ろであって、空虚であり、実質がないものに見えるであろう。それだから、どうして色形に真実(精髄、サーラ)があろうか。 【感受作用】 5.比丘たちよ、たとえば、秋の降雨の際に、水の上に泡が生じては消えるように、そのように眼ある人はこれを見て、静観し、正しく考察するだろう。彼がそれを見て、静観し、正しく考察するならば、それは、まったく虚ろなものであって、空虚であり、実質のないものに見えるであろう。それならば、どうして水の泡に真実(精髄、サーラ)があるだろうか。 6.このように、比丘たちよ、いかなる感受作用であれ、過去・未来・現在のものであれ、うちであれ、外であれ、粗いものであれ、細かいものであれ、劣ったものであれ、すぐれたものであれ、遠くにあろうと、近くにあろうと、比丘たちよ、彼はそれを見て、静観し、正しく考察するならば、まったく虚ろであって、空虚であって、実質のないものに見えるであろう。それならば、どうして感受作用に真実(精髄、サーラ)があるだろうか。 【表象作用】 7.比丘たちよ、たとえば、夏の月の終わり頃に日中に立っていると、かげろうがゆらゆらするように、そのように眼ある人はそれを見て、静観し、正しく考察するだろう。彼がそれを見て静観し正しく考察するならば、それはまったく虚ろであって、空虚であり、実質のないものに見えるだろう。それならば、どうしてかげろうに真実(精髄、サーラ)があろうか。 8.このように、比丘たちよ、いかなる表象作用であれ、過去や・未来・現在のものであれ、うちであれ、外であれ、粗いものであれ、細かいものであれ、劣っているものであれ、すぐれているものであれ、遠くであろうと近くであろうと、比丘たちよ、彼はそれを見て、静観し、正しく考察する。彼がそれを見て、静観し、正しく考察するならば、それはまったく虚ろであって、空虚であり、実質のないものに見えるであろう。それならば、どうして表象作用に真実(精髄、サーラ)があろうか。 【志向作用】 9.比丘たちよ、たとえば、ある男が堅材(サーラ)を欲して堅材を求め堅材を探し求めてさまよいながら、鋭い斧をもって林に入っていくとしよう。そこで、彼は、真っ直ぐに伸びたとても高い新しい芭蕉樹の幹を見たとしよう。彼は、その根元を切るとしよう。根元を切ってからてっぺんを切るとしよう。てっぺんを切ってから、樹皮を剥いでいく。彼は樹皮を剥いでも、膚材にすら到達することはできない。ましてや真実(精髄、サーラ)にまで達することができようか。 10.眼ある人はこれを見て、静観し、正しく考察するだろう。彼がそれを見て、静観し、正しく考察するならば、それは、まったく虚ろなものであって、空虚であり、実質のないものに見えるであろう。それならば、どうして芭蕉樹の幹に真実(精髄、サーラ)があるだろうか。 11.このように、比丘たちよ、いかなる志向作用であれ、過去・未来・現在のものであれ、うちであれ、外であれ、粗いものであれ、細かいものであれ、劣ったものであれ、すぐれたものであれ、遠くにあろうと近くにあろうと、比丘たちよ、それを見て静観して正しく考察する。彼がそれを見て静観し正しく考察するならば、比丘たちよ、どうして志向作用に真実(精髄、サーラ)があるだろうか。 【識別作用】 12.比丘たちよ、たとえば、幻術師が、あるいは、幻術師の弟子が、四つ辻の大道で幻術をあらわすとしよう。眼ある人は、これを見て静観し正しく考察するだろう。彼はこれを見て静観し正しく考察するならば、これが虚ろなものであって、空虚であり、実質のないものに見えるであろう。そうであるなら、比丘たちよ、幻術について真実(精髄、サーラ)はあるだろうか。 13.このように、比丘たちよ、いかなる識別作用であれ、過去・未来・現在のものであれ、うちであれ、外であれ、粗いものであれ、細かいものであれ、劣ったものであれ、すぐれたものであれ、遠くであろうと近くであろうと、比丘たちよ、それを見て静観し、正しく考察する。彼がそれを見て静観し正しく考察するならば、それは虚ろなものであって、空虚であり、実質のないものである。そうであるなら、比丘たちよ、どうして識別作用において真実(精髄、サーラ)があるであろうか。 14.このように見るならば、比丘たちよ、よく教えを聞く聖なる弟子は、色形に関して離れ、感受作用についても離れ、表象作用についても離れ、志向作用についても離れ、識別作用についても離れる。離れたものは、貪欲を離れて解脱する。解脱したとき、「わたしは解脱した」という知識が生ずる。[生存はすでに尽きた、清らかな行いは修せられた、なすべきことをなし終えた、]もはやこの世の生存を受けることはないと知るのである。 ※原文では[ ]内は略されている 15.尊師はこのように語った。スガタ(=ブッダ)はこのように語って、さて、また、大師(=ブッダ)は次のように述べた。 色形は泡沫のごとくである。感受作用は泡のごとくである。 表象作用はかげろうのごとくである。志向作用は芭蕉のごとくである。 識別作用は幻のごとくである。日種族のもの(=ブッダ)は(このように)語った。//1// 静観する通りに、その通り正しく考察するならば、人は、それ※を虚ろであり、空虚であると正しく見る。//2// ※色形、感受作用など。 この身体に関しては、智慧広き者(=ブッダ)は(次のように)説いた。(次の)三つのものが(身体を)離れたなら、色形は捨てられたと(おまえ達は)見なければならない。//3// 寿命と熱と識別作用が身体を離れたとき、(身体は)うち捨てられて横たわり、意識なきものとして、他のものの食べ物となるのである。//4// かの連続はこのようなものであって、幻の中における愚者のたわごとである。 これは殺す者であると言われる。ここに真実(サーラ)は知られない。//5// このように五蘊※を見よ。比丘たちは精進に勤めるものたちであれ。昼も夜も、正しく知ってよく念じているものたちであれ。//6// ※色形、感受作用、表象作用、志向作用、識別作用の五つのあつまり。 すべての束縛を断て。自己をよりどころとせよ。頭に火を点じて行ぜよ。不死の道を求めよ。//7// ※原文では略されているところもなるべく略さずに書いています。 |