『サンユッタ・ニカーヤ』48-57(PTS Text,Vol.V.pp.232-233) 梵天 1. このようにわたしは聞きました。あるとき、尊師は、ウルヴェーラーのネーランジャラー川のほとりで、最初の現等覺を得ていました。 2. そこで、一人坐って禅思している尊師に、このような心の慮いが生じました。 五つの能力(五根)が修められ、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する。 何が五つなのか。 信の能力(信根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する。 精進する能力(精進根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する。 気づきの能力(念根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する。 定の能力(三昧根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する。 智慧の能力(慧根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する。 これら五つの能力(五根)が修められ、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達する。 3. その時、サハンパティ梵天は、尊師の心慮することを、心によって了解して、たとえば、屈強な男が、曲げた腕を伸ばし、あるいは、伸ばした腕を曲げるように、梵天界から消えて、尊師の前に現れました。 4. そこで、サハンパティ梵天は、上衣の右を肩ぬぎにして、尊師に向かい合掌して、尊師に次のように言いました。 そのとおりです、尊師よ。そのとおりです、善逝よ。 五つの能力(五根)が修められ、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達します。 何が五つなのか。 信の能力(信根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達します。 精進する能力(精進根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達します。 気づきの能力(念根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達します。 定の能力(三昧根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達します。 智慧の能力(慧根)が修められて、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達します。 これら五つの能力(五根)が修められ、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達します。 5. 尊師よ、往昔、わたしは、カッサパという正等覚者のところで清浄行を行じていました。その時、わたしは、サハカという比丘として知られていました。 かのわたしは、尊師よ、これらの五つの能力が修められて多くなされ、諸々の欲において愛欲や心の欲を離れて、身体が壊れ死んだ後、梵天界という善趣に生まれました。ここでは、このように、サハンパティ梵天として知られています。 6. この通りです、尊師よ。この通りです、善逝よ。わたしはこのように知り、わたしはこのように見ます。即ち、これら五つの能力(五根)が修められ、多くなされるなら、不死に深く入り、不死にいたる道となり、終には不死に到達すると。 |