心にしみる原始仏典


『サンユッタ・ニカーヤ』12-31.(PTS Text,U.pp.47-50)

31.(1)生じたもの

1.あるとき、尊師はサーヴァッティーに滞在していた。

T


2.そこで、尊師は、尊者サーリプッタに話しかけた。
「サーリプッタよ、彼岸道(『スッタニパータ』の第五品)、「アジタの問い」でこのように言われている。

この世には、法を究めたものも、学んでいるものも、また、凡俗の者もいます。
智者は、問われるままに、彼らの行動を、わたしに語ってください。わが友よ。 (Sn.1038)

サーリプッタよ、このように簡略に説かれたことについて、どのような意味か詳しく見なければならない」
このように言われて、尊者サーリプッタは黙っていた。

3.尊師は、もう一度尊者サーリプッタに話しかけられた。
「サーリプッタよ、彼岸道(『スッタニパータ』の第五品)、「アジタの問い」でこのように言われている。

この世には、法を究めたものも、学んでいるものも、また、凡俗の者もいます。
智者は、問われるままに、彼らの行動を、わたしに語ってください。わが友よ。(Sn.1038)

サーリプッタよ、このように簡略に説かれたことについて、どのような意味か詳しく見なければならない」
二度目も、このように言われて、尊者サーリプッタは黙っていた。

4.三度、尊師はサーリプッタに話しかけられた。「サーリプッタよ、彼岸道(『スッタニパータ』の第五品)、「アジタの問い」でこのように言われている。

この世には、法を究めたものも、学んでいるものも、また、凡俗の者もいます。
智者は、問われるままに、彼らの行動を、わたしに語ってください。わが友よ。(Sn.1038)

サーリプッタよ、このように簡略に説かれたことについて、どのような意味か詳しく見なければならない」
三度目も、このように言われて、尊者サーリプッタは黙っていた。

U


5.「生じたものはこれであると、サーリプッタよ、見なさい。生じたものはこれであると、サーリプッタよ、見なさい」と(尊師は言った)。

6.「生じたものはこれであると、尊師よ、あるがままに、正しい智慧によって見ます。生じたものは、これであるとあるがままに、正しい智慧に見たあと、生じたものについて、厭い、離れ、滅する道に向かいます。
これは食べ物の発生であると、正しい智慧によって見ます。これは食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって見た後、食べ物の発生について、厭い、離れ、滅する道に向かいます。
この食べ物の滅から、生じたものは滅する法(性質)であると、あるがままに、正しい智慧によって見ます。この食べ物の滅から、生じたものは滅する法(性質)のものであると、あるがままに、正しい智慧によって見たあと、滅する法(性質)について、厭い、離れ、滅する道へ向かいます。 このように、尊師よ、学んでいる者が、います。

7.尊師よ、法を究めたものはどうでしょうか。生ずるものは、これであると、尊師よ、あるがままに、正しい智慧によって見ます。生ずるものは、これであると、あるがままに、正しい智慧によって、見たあと、生じたものについて、厭い、離れ、滅し、執着なく、解脱します。
これは食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって、見ます。これが食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって、見たあと、食べ物の発生について、厭い、離れ、滅し、執着なく、解脱します。
この食べ物の滅から、生じたものは滅する法(性質)であると、あるがままに、正覚によって見ます。この食べ物の滅から、生じたものは滅する法(性質)であると、あるがままに、正しい智慧によって見たあと、滅する法について、厭い、離れ、滅し、執着なく、解脱します。このように、尊師よ、法を究めた者がいます。

8.尊師よ、以上のことが、彼岸道の「アジタの問い」で説かれたことです。

この世には、法を究めたものも、学んでいるものも、また、凡俗の者もいます。
智者は、問われるままに、彼らの行動を、わたしに語ってください。わが友よ。(Sn.1038)

尊師よ、わたしは、このように簡潔に語られたことについて、このように詳細に意味を知っています。」

V


9.「よろしい、よろしい。サーリプッタよ、生じたものはこれであると、サーリプッタよ、あるがままに、正しい智慧によって見る。生じたものはこれであると、あるがままに、正覚によって、見たあと、生じたものについて、厭い、離れ、滅する道に向かう。
これが食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって、見る。これが食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって、見たあと、食べ物の発生について、厭い、離れ、滅する道に向かう。
これが食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって、見たあと、食べ物の発生について、厭い、離れ、滅する道に向かう。
これが食べ物の滅から、生ずるものは滅する法であると、あるがままに、正しい智慧によって、見る。この食べ物の滅から、生ずるものは、滅する法であると、あるがままに、正しい智慧によって見たあと、滅する法について、厭い、離れ、滅する道に向かう。

このように、サーリプッタよ、学んでいる者がいる。

10.サーリプッタよ、それでは、法を究めたものは、どうであろうか。生じたものは、これであると、サーリプッタよ、あるがままに、正しい智慧によって見る。生じたものは、これであると、あるがままに、正しい智慧によって、見たあと、生じたものは、厭い、離れ、滅し、執着なく、解脱する。
これが食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって、見る。これは食べ物の発生であると、あるがままに、正しい智慧によって見たあと、食べ物の発生について、厭い、離れ、滅し、執着なく、解脱する。
この食べ物の滅から、生じたものは、滅する法であると、あるがままに、正しい智慧によって見る。この食べ物の滅から、生じたものは滅する法であると、あるがままに、正しい智慧によって、見たあと、滅する法について、厭い、離れ、滅し、執着なく、解脱する。
このように、サーリプッタよ、法を究めたものがある。

11.サーリプッタよ、以上のことが、彼岸道の「アジタの問い」で説かれたことである。

この世には、法を究めたものも、学んでいるものも、また、凡俗の者もいます。
智者は、問われるままに、彼らの行動を、わたしに語ってください。わが友よ。(Sn.1038)

サーリプッタよ、このように簡潔に語られたことについて、このように詳細に意味が、見られねばならない。」

(これが)第一番目(の話し)である。




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