ブッダの優しい論理学

ブッダの優しい論理学

はじめに
    今から二五〇〇年以上も前のこと、インドにおいて、釈迦族の出身であるゴータマ・シッダッタという人が、仏教を開きました。かれはブッダといわれますが、ブッダとは、真理に「目覚めた人」という意味です。そして、ブッダの教えは、法(ダルマ)と呼ばれています。
 ブッダの教えは、仏教という宗教として世界中に広まりました。そこには、単純に一つの思想や宗教としてまとめてしまうには、あまりにも多くの、具体的で役に立つことがらが説かれています。それは、わたしたちが幸せに生きていく上で、たいへん役立つ重要なことを多く含んでいます。
 さらに、ブッダの法は、宗教的な特色を除いてしまうなら、世界中のどんな人にあてはまるところから出発する考え方をもっています。およそ、人間であれば、誰でもごく自然に理解できるところから、話がはじまるのです。
 ブッダの教えの中から、できるだけ宗教的な要素を取りのぞいて、完全にわたしたちの心や身体や生活や人生といったものに役に立つ思想や考えを抜き出すことはできないだろうか、という目的で書かれたのが、この本です。
 本のタイトル『ブッダの優しい論理学』の中にある「ブッダの」というのは、この本の中で説かれるものが、どこから来たのかを示すものです。すべて、ブッダの法(ダルマ)の中にあったものです。
 次にある「優しい」ということばは、「論理学」ということばを修飾しています。これらももちろん、ブッダの法の中にあるものと言えるでしょう。その中で、まず「論理学」ということについて、述べましょう。
 「論理学」というのは、論理の学問というくらいの意味です。「論理」とは、「理屈」「道理」ということで、筋道だった考え方をいいます。ブッダの言行録であるパーリ語仏典の中には「ターナ」ということばや「ナヤ」ということばが出てきますが、これが、「論理」という意味に近いかもしれません。
 ブッダの教えやお話は、筋道だっているのです。理屈に則ってスムーズに話が進みます。ブッダの説法を聞いた多くの人は、筋道だったその教えを受け入れて、幸せになっていったのです。
 たくさんの人々を説得していくうちには、いろいろなことがあったでしょう。ときには、論争や抗争が起こったりしたかもしれません。しかし、おおむね良好に、ブッダは、その教えを人々に伝えていきました。反対意見の人も、たくさん説得していきました。もちろん、説得しきれない人もたくさんいました。多くの宗教が伝道の過程で、力に訴える戦いやことばを武器にした論争によって他の宗教を征服していったのとは異なり、仏教の伝道には激しい争いはほとんど起こりませんでした。
 ここで「優しい」ということばが、出てくるのです。ブッダのやり方は、力ずくではありません。人の心に優しく無理なくスムーズにしみこんでいくような話し方をとって、人々の心に抵抗なく入っていったのです。
 西洋の論理学を習った人には、この「優しい」ということばは、少々論理学を形容するにはあわないと思われるかもしれません。論理というのは、正しいとか、正しくないとかにかかわるのであって、その意味では厳しいものです。正しくなければ否定されてしまいます。否定されたら捨てられます。優しいとか優しくないとかにかかわるものではないように思われるでしょう。
 ブッダの論理も、西洋と同じように、正しい、正しくないにもかかわりますがそれだけではありません。正しい、正しくないということを超えて、その先にある人々の様々な考え方をもすくいあげられるように、善いとか、悪いとかにかかわる内容をもっているのです。ですから、「正しい」「正しくない」と言って、自己を主張し、相手を排除することがないので、ひじょうに心おだやかな話し方ができるのです。
 ブッダの論理学は、正しい、正しくないにかかわるというより、善と悪を知るための、そのような論理学です。それは、人と言い争うことなく、優しくコミュニケーションをはかる様々な知恵に満ちた方法をもっているのです。
 論理を学んで、人間を磨きましょう。ブッダの論理学は、そんなやり方を述べた心優しい論理学です。微妙で繊細で、そしてちょっぴりむずかしい方法です。ですが、このやり方は、わたしたちが他の人々とともに生きていくときに、誰でも知らずに身につけてきた方法を含んでいて、違和感はないでしょう。気軽に楽しく学んで、役に立ててください。



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