あとがき
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『方便心論』の解読にはほぼ三年の月日がかかっている。もちろん研究に没頭できたわけではないので、正味は一年半ぐらいかと思う。私にとっては、『方便心論』の解明は、研究本来の目的というわけではなかった。私の研究対象である『ニヤーヤ・スートラ』とその註釈『ニヤーヤ・バーシャ』の解読の補助として、この書の解明は必要不可欠であったからなのである。が、いざ、研究しはじめてみると、この書の想像を絶するその異様なむずかしさと奥深さにいやと言うほど苦しめられることになった。
| この書の難解さを思うとき、宇井博士と梶山博士の二つの研究は、前人未踏の巨大な作品と正面から格闘した戦いの跡を示すものとして、特別の感慨をもってせまってくる。同じ敵に挑んだ同志のような共感が沸くとともに、深い敬意をおぼえるのである。 とくに、梶山博士の研究は、インド論理学の解明の根幹にかかわる重要な発見を示したものとして評価したい。梶山博士が、五分作法を中心とする正統的な論理学に対立する「反論理学書」という性格を『方便心論』に与えなかったならば、インド論理学は、いまだに断片的な論理を中に含む論証法の雑多な知識を集めたもの、という評価で甘んじていなければならなかっただろうと思う。博士のこの指摘は、私にとって、インド論理学理解についての「コペルニクス的転回」となった。ここを手がかりにして研究をしてきた結果、『方便心論』が、龍樹の作品であること、さらに、『方便心論』はブッダの言行録とされる『阿含経典』の忠実な注釈書であり、ブッダの論理学を明らかにするものであること、他には、ニヤーヤ学派との論理学上決定的な対立を示しうることなどが、私には明らかになってきたのである。 私は、まったく大げさではなく、人類史上最高の論理学書の傑作として、『方便心論』を世に示したいと願っている。本書は、そのための基礎作業として、現段階で確実に言いうることをまとめたものである。 インド思想や仏教思想を概観すると、龍樹はブッダにつぐ偉大な思想家であり論師であるとしてあらゆる人から賞賛されている。しかし、それにもかかわらず、彼が何を語りどんな論理学を展開していたのか、実態はまったく明らかになってはいないし、その論理の巧みさも知られてはいない。また、インド論理学という点から見ても、『ニヤーヤ・スートラ』とその註釈『バーシャ』は、論理学研究の空白地帯である。なぜだろうか。それは、彼らの論理学が、わたしたちの理解を容易に許さない高度な内容を含んでいるからではないだろうか。 この『方便心論』研究が、その空白を埋めるための一助となればと願っている。本書は、私自身にとっても、これからの龍樹の論理学の解明のため、さらにはニヤーヤ学派の思想解明のための足がかりとなるだろうと信じている。 最後になるが、研究について、たえずわたしを励まし続けて支えてくださった畏友宮元啓一氏に深く感謝申し上げたい。さらには、こころよく出版をお引き受けくださった山喜房佛書林社長浅地康平氏にも、心から御礼申し上 げる次第である。 二〇〇五年九月一五日 |