龍樹と、語れ! 『方便心論』の言語戦略

龍樹と、語れ! 『方便心論』の言語戦略

あとがき
    仏教の世界をほんとうに知りはじめて、まだそれほど多くの年月が経っているというわけではない。しかし、この世界は、わたしにとっては日増しに輝きを増している。
 大法輪閣編集部の安元剛氏に、「龍樹の企画が通りました」とメールをいただいたのは、二年以上前のことになるだろうか。当初は、龍樹のもので、比較的軽いノリの作品を、というお話だった。わたしも、多くの人が楽しめるようなものをぜひ書いてみたいと思っていたので、たいへんありがたく、意欲満々で取り組んだ。
 しかし、それからが長かった。安元氏には、折にふれていろいろな助言や励ましをいただいたし、さまざまなご教示も受けた。軽く楽しく快適に書けるはずの企画で、何も問題がないはずだったのに、そういう作品こそ力がないと書けないということを、毎日ひしひしと感じる羽目になってしまった。完全に力不足を露呈して、昨年二〇〇八年は、一年間、酸素不足の金魚鉢であっぷあっぷする酸欠の金魚のような状態で過ごしたのである。
 仏教というのは、おもしろいものである。困る人にしか役立たない。苦しい人しか助けない。だんだん仏教的に生きるコツが、わかってきているわたしである。要するに、自分が苦しいときに、ブッダや龍樹がやって来てくれるのである。もうダメだと思うときに、仏典の解釈は、ふと向こうからやってくる。
 言ってみれば、苦しみを払うために仏教は作られたのだから、当然かもしれない。いやおうなく苦しい状態にいなければ、仏教の思想はわからない。なんてこった。でも、おかげさまで、こうして、どうやら書き上げた。
 あまり軽いノリノリ調にはならなかったかもしれない。肩肘張らずに軽いフットワークで書くには、ほんとに後何年も力を蓄えなければならないことを実感して、ノリノリはちょっとだけでがまんすることにした。
 龍樹菩薩は、まだ、現代の人々にはあまり知られていない。わたしの役目は、ほこりだらけで埋もれている龍樹菩薩を蔵から出して、みなさまにお見せすることであったと思う。仏教世界が、ブッダ以後で、もっとも輝きを増したのは、この龍樹菩薩が世に出たときである。仏教に、龍樹菩薩の智慧の光が加わったとき、その思想は激しく発熱し清浄に輝いた。その発火点にみなさまをお連れするのが、本書でのわたしの仕事だったろうと思う。
 今回は、大法輪閣の編集部の安元剛氏には、本書の内容を超えて多くの点で助けていただいた。深く感謝して筆をおきたい。 
    二〇〇九年二月一五日
                                 石飛道子





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