龍樹 あるように見えても「空」という

まえがき
    仏教の開祖ゴータマ・ブッダ(紀元前六〜五世紀ごろ)の生涯は八〇年ほどであった。パーリ語経典『大般涅槃経』の中で、ブッダは、スバッダという遊行者にこのように述べている。「わたしは、二九歳のとき、善なるものを求めて出家した。わたしが出家してから、五〇有余年の月日が経った。論理と法の地で活動してきた。これ以外のところには沙門はいない」。みずから語るとおり、ブッダは、善なるものを求めて出家し、その後生涯、論理と法を友として人々にその教えを説き続けたのである。ブッダのこのことばは、本書において、何度もくり返し出てくることになるだろう。考察の基礎になる重要なことばである。
 さて、ブッダ滅後およそ六〜七〇〇年経ったころだろうか、ブッダの教えを、伝統的にかつ革新的に受け継ぐひとりの人物が現れる。かれの名は、ナーガールジュナ(龍樹)、活躍年代は紀元後一五〇年〜二五〇年頃とされている。何が伝統的だったのだろう。何が革新的だったのだろう。「伝統的」と「革新的」という、相反するような二つのことばが並んでいるのはどうしてだろうか。
 伝統的だったのは、龍樹も、ブッダとおなじように、善なるものを探し求め、そして、論理と法の地でずっと活動し続けたからである。かれは、ブッダが歩んで得てきたものをそのまま受け継いで歩んだのである。ブッダに深く帰依した龍樹は、ブッダの教えにひたすら忠実だった。そう断言してもよい。
 そうならば、「革新的」というのはどのような意味だろうか。たしかに受け継いだものはブッダの教えにちがいなかった。ただ、かれがブッダとちがうのは、その実践の順序である。龍樹は、出家したあとまずめざしたのは、論理と法の地でずっと活動を続けることであった。それから後、善なるものへと向かったのである。ここが革新的な点である。
 このちがいは、じつは非常に大きなちがいである。はじめに善なるものを求めて出家し、それから論理と法にしたがって実践する人を、ブッダは「沙門」と呼んでいる。「つとめ励む者」という意味で、一般的に出家修行者を指している。煩悩から解脱し心清らかになることをめざす人である。後代になると、とくにブッダの説くとおりに仏道の修行に励む出家者を声聞と呼び、その実践の道を声聞乗などとも呼ぶようになるのである。
 では、最初に論理と法の地をめざして励み、それから善なるものを求めていく龍樹のような人は、何と呼ばれるのだろうか。かれは、菩薩(ボーディサットヴァ)と呼ばれる。悟りを求めて努力するもののことである。「菩薩」ということばは、じつはブッダも用いている。過去世も含め、悟る以前のみずからを「菩薩」と称している。したがって、ここから菩薩とは、いまだ煩悩を残しながら悟りをめざして努力するもので、ブッダになることを目標にするものをいうのである。ブッダとは、「目覚めたもの」を意味する称号である。
 こうして、菩薩の歩む道は、論理と法にしたがって実践していく智慧による道である。龍樹の時代にはこれを名づけて、とくに般若波羅蜜(プラジュニャー・パーラミター)と呼ぶのである。般若(プラジュニャー)とは「智慧」のことであり、波羅蜜(パーラミター)とは「完成」のことである。つまり、菩薩の歩む道は、波羅蜜行によって智慧を完成させる実践道なのである。そして、その智慧を人々の幸せのために用いるのである。これを利他行という。これが菩薩にとって「善なるもの」に進む道である。このような実践道は、後代菩薩乗といわれるようになる。
 龍樹の時代は、仏教の中で、ブッダの頃の仏教とは大きく異なる変化が起こっていたのである。それは、大乗仏教と呼ばれる革新的な動きであった。龍樹菩薩は、伝統的な仏教である部派仏教や、外教徒の説に理解を示しながらも、新興の仏教、大乗仏教の核心を仏教世界に論理的に決定づけた人物なのである。では、伝統的で革新的なかれの仕事ぶりをご紹介していこう。





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