

朝、公園に行ったら、遠くに鹿がいた。親子の三頭。望遠で写真を撮ったけど、二頭だけしか写ってなかった。そこで、お父さん鹿も別に望遠で撮りました。
大体一時間くらい朝に散歩するようにしています。
この「カレーな日記」ですが、仕様が勝手にちょくちょく断りなく変化するのですごく書きにくいのです。毎回どうなっているのかさっぱりわかりません。昔の紙で作った本はよかったなあと思っているところです。
どんなものも、永久に保存できるものはない。朽ちていくのがならいです。
たぶん、歴史は数千年の記録しか残さないだろうけど、これが今回初めてなのかは誰も知らない。数千年も生きる人はいないからね。四大文明というけれど、それが初めてのことなのかは誰も知らない。
ナイルの文明とチグリス・ユーフラテスの文明とインダス文明と黄河文明。
そのうち、インダス文明は変わった歴史のたどり方をしているように見える。何度見ても、よくわからん。チグリス文明と交易をしていたことがわかっている。度量衡が発達していて日干しレンガで住居を作り、水を管理していたらしい。わずか5000年ほど前のことがもうわからん。
ヒンドゥー教は、歴史を、繰り返す周期で構成した。いわゆる、輪廻思想である。
何度も天変地異が起こって、新しい周期で人類(?)の歴史が構成されるけど、人間の寿命には限りがあるのでやがて忘れられてしまう。
だから、「輪廻」という考え方も、そういう考えだということになる。一人の人間が思想をどこまでも紡ぐことは不可能だと考えられている。数千年も生き続けられた人はいないからだ。
その中で、仏教がある。仏教は、ゴータマ・ブッダが開いた宗教だが、実は、ゴータマは過去世を見通す目があり、未来を見通す目があり、当然現在を見続けている。
不思議なことだが、ゴータマの思想は古くならない。過去の遺物ではなく、現在も現役バリバリである。PC時代になっても、スマホ時代になっても、相変わらず、生き物は生まれ、そして、死んでいく。生死の苦しみを受けている。成り立っているじゃありませんか。
そして、生き物たちは皆苦しみを抱えている。それを払ってくれるブッダの存在が、仏教の思想です。
以上のことは、龍樹を勉強してわかったのです。仏教は、人類の歴史です。
過去仏の思想は、未来仏の思想と同じであって、当然、現在仏ゴータマ・ブッダの法に通じている。理屈だけが通用する世界が仏教です。こういう世界観を「三世にわたる」という。
インドの人はこの「三世にわたる」世界観を自らの世界として生きている。
仏教というのは、自分の目で世界を見ていくことだ。ただ自分の五感と心で、この世界を見ていく思想なのだと思う。今日はここまでにしよう。


コメント
> たぶん、歴史は数千年の記録しか残さないだろうけど、これが今回初めてなのかは誰も知らない。数千年も生きる人はいないからね。四大文明というけれど、それが初めてのことなのかは誰も知らない。
歴史 って 一人の人間の中 に “ある” わけではない
( 言うまでもないかもしれないが ) わたし も あなた も
“ わたし ” である ( 自らの 総体 を “ わたし ” と 呼ぶ )
わたしには 「 永遠 」 がある と “ 知った人 を ブッダ と 呼ぶ ”
わたし が 知らなければ そこに “知らないこと” は 存在してはいない
はじめてかどうか は “それ” を知るまでは “始まらない”
自らに 数えきれないほど 幾度も起きようと
“それ” を 知るときが “それ” は 始まりとして 訪れる
そこに “それ” が 始まるとき
「 永遠 」 の道が 足下 にある( “即” 身に起きる )
> 一人の人間が思想をどこまでも紡ぐことは不可能だと考えられている。数千年も生き続けられた人はいないからだ
生きる という意味 と 「 命 」 とは何か を
見つめなおせ ば
牟尼達 が 歩む ( その道にあり ) その後ろ姿が見えてくる
見つめなおす という 意味 を 生きる意味 に 知る
“ わたし の 死んだ言葉 ” を
いくら読んで も
“ 生きる意味 ” は “ ここ には ない ”
・
しかだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!byこしたん
先生、ぎんたも『日本霊異記』読みました。上と中。下は図書館に予約するのを忘れたので、
次回、本の返却日に借りられるように予約します。
なんか、牛とか動物は、悪いことした人がなるみたいなのが、ぎんたの設定と違うな~~
と思って、眉間に皺状態で読みました。あ、現代語訳のところだけ、ダーーーーッと
読みました。あと、妻だけ動物で、夫は人間みたいになってるのあったけど、
夫は昆虫人間なんだと思います。
ぎんたは、遠野物語が好きです。京極夏彦がおもしろ編集したのがあるんです。
> わずか5000年ほど前のことがもうわからん。
分かる ということの 意味 が 分かりません(切り分けられません)
本体 が どこにどうあるか が なければ
わかるわからない が そもそも ない
本体 が “ない” ということを 明かしているのも 『中論頌』
このようなこと を 展開すること が
詭弁 と呼ばれること を 拒否しない
そもそも 何を展開しているか であるか
展開の仕方 であるか
受けめ方 には 何ら問題はない のであるか は 問題とされにくい
5000年前 のこと が 今日のこと
昨日のこと は 分かっていますか ( 今日は分かる ? )
今日は このくらいにしておく
分かっていないこと を 記述するのに 工夫 を 様子
・
10年は 夢のよう~
100年は 夢また夢~
1000年は 一瞬の 光の矢ーーーーーーーーーーーー
この歌が、いつも頭の片隅にある。千年怖っ!!というか、なんかプレッシャーみたいな
なんとも言い表せない感じ。。。
ぎんたさま おはよ!
>この歌が、いつも頭の片隅にある。千年怖っ!!というか、なんかプレッシャーみたいな なんとも言い表せない感じ。。。
。。そうなん。。
仏教って、ものすごく時間の間隔が長いのよ。初めて読んだとき、びっくりした。
寿命が二万歳とか書いてあるの。へぇ~、って思ったのよ。
輪廻する国だから、時は気にしないのかも、ね。
>寿命が二万歳
お釈迦様くらい賢い人なら、二万歳の寿命のどこを切り取っても意味ある日々なのかな?
ぎんただったら、77歳とか88歳でいいかなー。
(これは、あのヤバい教団の着物のおばちゃん55歳までだったから、それにちなんで
算出しましたw)
気にはしないこと を 気にして 機をとらえる
そんな 「 時 」 には 「 輪廻 」 は ない
>そんな 「 時 」 には 「 輪廻 」 は ない
え?どーゆーこと? 天国とかに行ったっぱなしで戻ってこないってことですか?
>>> 輪廻する国だから、時は気にしないのかも、ね。
>> 気にはしないこと を 気にして 機をとらえる
>> そんな 「 時 」 には 「 輪廻 」 は ない
> え?どーゆーこと? 天国とかに行ったっぱなしで戻ってこないってことですか?
“どーゆーこと?” って 起こる疑問
それ自体 を 考える ってこと
「 気 」 という “確かなる存在” とは
とらえるまでは 不確かなのです
とらえた気 とは いくら 起きようと
それは 気( そんな気 がするだけ )でしかない
しかし 「人」 を 動かしている のは「 気 」なのです
動いている という気 は 気のせい でしかない
動いていない 動かない というときの気 も 気のせい です
「 止観 」 に起きる 「 気 」だけが “本物” です
( 偽 の 気 で 本物の 「 気 」を量る と 偽 が 得られる )
( 偽の気 とは 本物の偽 の気 であるところが ややこしい )
いくら ここで説明しようと 説明からでは 決して “わからない”
偽 の 理解体系 で 偽と真 とを 量るだけだから
( じゃー 真を得るため には どうすればよいか ? )
どうしようもないとき には 途方に暮れる( そこに たたずむ ! )
そんなことで 真は得られない と 偽を握りこむ
「 止観 」の 妙門 を くぐらなければならない のです
( くぐらなくとも “あなたの 偽 は 真として 偽であり続け” られる )
すでに この( 「 止観 」 の )妙門 を あなたはやり過ごす
書いても 商がない(量を起こせない) 「商・量」 を つづる
“気にはできない” ( デクノボウ ト キニモサレナイ )
こと の「 機 」を とらえて 「 気 」の端 を 掴む
「 コトノハ 」 とは 事物の端・言の先っちょ・物事の芯
「葉」 とは 光合成 が 量子的にそこに直接起こされる処
いくら説明しても わからぬ事を重ねるだけ
( あなたが わかっている自分の気 で 分らぬことを量る 故 )
以上 質問の示す そこの「 機 」 を とらえて 、、、、
・
>「 止観 」の 妙門
これは、人間のやることだから、ねこ、関係ない。
でも、せっかく考えた「私な仏教」の設定を、現実社会に運用することが出来にゃい。
セウタの中の人が、、、昔のスペイン軍の人で、いーんだよね、、たぶん、、、??
みたいなもやもやした日常が、そろそろ終わって、霧が晴れたようにならないかなーー
と思っている。。。
> >「 止観 」の 妙門
> これは、人間のやることだから、ねこ、関係ない。
「 仏教 」 は 人の為すべきこと の 「 道 」
ねこ には 、関係ない かな ?
あ、関係なくはなかったです!!
神でほとけの人間が、それぞれ自分の信じる道、やりたいことをやったら、
なんかものすごく面白い智慧に到達した!!みたいになって、ねこも
その恩恵に浴するだろうと期待しています!