
なんか力出ませんね。毎日散歩してます。まだ続いてます。一ヶ月以上4kmほど歩いてます。右足のすねが痛いときもあったけど、それを乗り越えました。
ほぼ歩き通しても大丈夫です。鈍ってた感覚を取り戻しつつあります。
でも穴のあいたような感覚はなかなか去ってくれません。仕方ないね。
サーリプッタが亡くなったとき、お釈迦さんは「空虚だ」って言ってました。サーリプッタを頼りにするところがあったのかもしれませんよね。
そういう意味では、ブッダや龍樹のような優れた人が亡くなるのは悲しいことです。
でもまた、いろんな優れた才能の人も生まれてくるから、どんな人でも生きてる人は大事です。
どんな人でも生きてる人にはその人の個性があって、それを生かすように、働かせるように、図らなければならない。それが、生まれてきているすべての人に求められることだし、すべての人の能力を発揮させるようにしないといけない、ところかな?
ひるがえって、
わたしの取り柄は何だろう。ここまで来たら、”龍樹解明”以外に思いつかないな。。
考えてみると不思議な気がする。龍樹だけが知られていない。そんな気がするニャン。
あんなに注釈や研究が多いのに、あんなに知られていない人も珍しい。
『方便心論』は龍樹著作ダナって思うんですが、仏教論理学を生み出すまでにはしばらくかかってる。
ディグナーガはずいぶん勉強しただろう。実は、龍樹は『方便心論』だけでディグナーガに影響を与えていることが見えてきました。龍樹が影響を与えたのは、仏教以外には、ニヤーヤ・ヴァイシェーシカとか、サーンキヤ・ヨーガとかです。ヴェーダーンタにはちょっと龍樹の影は感じられないのです。
せいぜい『バガヴァッド・ギーター』くらいです。でも、ここは大きい。
間違ってるかもしれないけど、思ったことをここに書いておこう。誰かが読んで参考にしてくれるかもしれないしね。
今日はこの辺で。


コメント
> なんか力出ませんね。
なんか力出ません と 考える 脳活動 には “ 力が要ります ”
そういう使い方 が 欲望に沿って “ 力 ” は 流れ出ます
ね。 という 合意要求 には 思ったより “ 力が入っています ”
力が抜けている ということ を 伝えるよりも
力を抜けさせる 要因 を 突き止めることです
「 そんなこと すぐわかる 」 と わかることを放棄します
分かるという 意味 を 求めることを放棄します
うだうだする時間 も 人には有用です が
それは 修行につくことを放棄してしまう人 に 対する 思いやりです
自分に対する思いやり は “ 不要 ” です ( 修行者 には ! )
「 道 」 を 歩むことを 「 修行 」 と 呼びます
悪路 とは 悪い心に起きます
善路 とは 「 修行 」 者 に 起きる道です
わたしは 「 修行 」 など してはいない
「 している 」 と 言おうと
その言葉 を 聞く者 に その言葉の意味がない は
「 道 」 を 歩む者 だけ が 言葉を生きている
生きている言葉 は 流転して 意味を持たない
意味のないこと とは その意味を認めない という事
「 善 」 の意味 を 「 禅 」 で 得る( “ あゆむ ” )
善悪 に 囚われることなき 「 善 」 ・ 「 禅 」
・
> 「 善 」 の 意味 を 「 禅 」 で 得る( “ あゆむ ” )
「 禅 」 で 得ている ( 「 行 」 )
行住坐臥 は すべて 「 善 」 の 玉 もの
襟元 の チンターマニ に
そっと 触れる 「 行 」
・
チンターマニってなに?と思って今調べたよ。
そういえば、ぎんたの振袖、宝尽くしの柄なの。(帯も)なんでかっていうと、
御所車とかが、どんっとある柄だと、ちびっこには残念な感じになるから。。。
あんまり同じ柄の人はいないと思う。といっても、ぎんた成人式出てないけど。
もう、いよいよヤフオクとかで処分しないとなんだけど、二束三文にしかならないから
その現実を突きつけられるのが嫌で、うだうだしている。乾燥剤だけ取り替えて、
全然広げてチェックしてないから、シミとか出ちゃってるかもだけど、怖くて
広げられない。縁起ってことで秋にでも広げてみようかなー。
しかも、この振袖、経の人にお仕立てお願いしたんだよ。。。
> チンターマニってなに?
牟尼達から 受け継ぐ “ことができる” 事=事物 です
誰でも いつでも 受け取る(受け継ぐ)
事 が “できる”=起きる
( 起こすことができる ) 起こし得る
できること でも しないこと に “ できる = する ”
受け継いでいること を しらぬこと に “ できる = する ”
わたしから あなたに つないだ 「 宝珠 」 です
あなたの宝 って 子 宝 ですか ?
人が受け継いだ宝 ですか ? ( 小さい 己 大きな 「 他 」 ? )
タ カラ 受け継ぐ
その 「 心 」 個々に・此処に 起きている
「 呂 」 人 の 芯・真・信
・
宝 珠・受
・
ねこの宝は、ごはんくれる人間様(←神でほとけ)しかないにゃー。
(しかないにゃーの部分は、ヤニ子のイントネーションで再生する)
マニカナ先生、こんばんわ
「ウッカーチェーラー経」(『相応部』47-14)
https://komyojikyozo.web.fc2.com/snmv/sn47/sn47c14.htm
率直でいいですね。これは歴史的事実っぽい飾らない記述。
阿羅漢でも喪失感や空虚感があるのは自然で人間らしくて、その信号を相対化できるかできないかなのかなあと。
信号を無くしてしまう杜子春の仙人修行と仏道は違うのかと。
ついでに何にも帰依しない自灯明がとても良い経典ですな。
お釈迦様にも龍樹菩薩にも帰依しにゃい。ただ尊敬する。
野良猫がエサを毎日たらふくもらってもゲージのワナで捕まって去勢手術されないように。
カエルさま おはようさん
>阿羅漢でも喪失感や空虚感があるのは自然で人間らしくて、その信号を相対化できるかできないかなのかなあと。
なるほどなあ。確かにタオの道はブッダの道とは違いますよね。
>野良猫がエサを毎日たらふくもらってもゲージのワナで捕まって去勢手術されないように。
うちは去勢手術しちまったからなあ。ああ、かわいそうだな、と思ったけど、もう子供の面倒、みきれんしなあ。。
マニカナ先生、こんにちわ
うちの近くの弁天様の池にドブネズミが増えてきました。
ほっとくといろいろ食べまくってそれこそネズミ算式に増えていくので駆除は仕方ないですね。
家猫も増えすぎちゃうので去勢手術は現代社会では許容範囲でしょう。
生きとし生けるものが幸せでありますようにといいつつ割と自分は偽善だなあと思ってます。
ネズミ、ゴキブリはやむ得ない場合は駆除、クモ、ヘビは逃がす。自己チューなマイルールだなあと。
早朝にひっくりかえっている蝉が生きていれば助ける。
できる範囲でほどほどにってことですかねえ。
カエルさま 散歩に行く公園には野良の鹿がでます。10頭近く木の葉などをあさっていました。今はまだいいけど、そのうち、駆除の対象になったりするのかな。
人間が一番だから仕方ないと思うべきなのかなあ。。
>自己チューなマイルール
耳がいたいのう。お釈迦様の時代の生き物たちは今より幸せだったなあ。。
カエルさん、先生、人間に駆除された生き物は、次回人間でしゅから、
その時に目一杯人生を謳歌しないとです!!
ぎんたさま そうかぁ、
>その時に目一杯人生を謳歌しないとです!!
チャンスはいつか訪れるから。。というわけですね。なるほどなぁ。
ぎんたさんのところに返信ボタンでないですね。
マニカナ先生、ぎんたさん、おはようございます。
人間は大自然に駆除されちゃいそうですね。駆除するものは駆除される。
駆除しなくても駆除される。
日本もそうですが中国大陸の自然破壊は桁違いですし、揚子江イルカのようにここ数十年で絶滅種が多すぎるような。
中東の一神教同士の争いは互いに互いを駆除し合う核戦争になりそう。
カエルさまや
>駆除するものは駆除される。
>駆除しなくても駆除される。
身につまされます。
>中東の一神教同士の争いは互いに互いを駆除し合う核戦争になりそう。
なるかもよ。そうなったら、諦めます。人類は下手したら滅亡めつぼうするなあ、って
思ってます。揚子江のイルカも絶滅したのなら、人間達も絶滅しないわけない。って気がする。
*********
彼らが師の教説の成し手たち、教誡による対治ある者たちとなっていれば、四衆にとって可愛、可意の、尊重、尊敬されるべき者たちとなっていたことでしょう
*********
成ってはいない者たち (成就を知らぬ者たち) に
成ってはいない者(未成就) について 語る(説く) 成就者
未成就 とは 果たして “空虚” で あろうか ?
( 四衆・集 は 何故 “空虚” を 感じるのであろうか ? )
*********
かくのごとくの弟子二人組が般涅槃しても、如来に愁憂も悲泣もないのです
*********
般涅槃 とは 成就 ではない ?
( ここに「 経 」 の 矛盾が起きている !! )
ここにおいて 「般涅槃」 を 説くけれども
四衆 とは ( 一つでは満足できず “二つ” ではなく 四つを求める )
「 有 」 を “集”めて “廻る・輪廻する” 者を言う
( “二つ” とは 重なり合って成立つ 「 縁起 」 を いう )
*********
そのような道理は存在しません。
*********
此処において 説く 此処に成就者 と “四衆・集” とが
何故 空虚にではなく 「 実 」 として 存在するのかを 説く
「 道 」 が あるのに 「 道 」 はない その理由
*********
熱心なる正知正念の者として世における貪欲と憂悩を調伏し、諸法に対する法随観者として住します
*********
住して いますか ? どうすれば
住する ことができるのでしょうか ?
*********
このように、比丘は、自己を洲とし、自己を帰依処とし、他のものを帰依処とせず、法を洲とし、法を帰依処とし、他のものを帰依処とせず、住するのです・viharatha・iha
*********
“この” ように が 起きる “この” 「 住処 」・viharatha・iha
*********
どのように どこで 「 住処 」・viharatha・iha evameva kho
“この” evameva kho が 空虚 に 実 として 存在するのかな ?
( 何処で 何のために 「 空 」を 「 有 」 とするのか ?? )
・