中論第27章

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とうとう最後の章第27章までやって来ました。いろいろ見直しています。

いや~~、全然違うんですけど。。。

今までの中論とは姿も形も全然違います。いいのかなあ。わたしが読むと従来の解釈がよくわからないのです。ほとんど部派の批判のようになってて、そういうこともあるかも知れないけど、そうじゃない読みもできるのでは無いかと思っています。

わたしが読むと、お釈迦さんは、龍樹のことを信頼しているように読めてくる。龍樹もまた、お釈迦さんの教えをよくわかってて、お釈迦さんの死後の、インド哲学としての発展した部分を明らかにしている。

だから、龍樹が批判的に取り上げるのは他学派のヴァイシェーシカとかニヤーヤとかサーンキヤとかなんじゃないか、って読めてくるんだよね。『方便心論』の内容をふまえているんじゃないかと思ってます。部派も、もちろん、あるんだけど、龍樹の指摘は、そんなにそんなに批判ばかりじゃないような感じもしてくる。書き方がやさしい。。

他学派がものすごく熱心に読んでることがわかる。めちゃくちゃ参考にしていることが見えてくる。口では散々批判しても、ブッダの法を鵜の目鷹の目で見ていることが見えてくるんだなあ。ニヤーヤがナヴィヤになって龍樹の指摘をしっかり取り入れているのもわかる。

たぶん、わたしも、ぼろくそに言われるだろうなあ、相手論者から。そして、めちゃくちゃ内部で参考にされるのだったら、まだうれしいけど、そんなことはないだろうな。賢さで大分おちるしね。

龍樹は尊敬されざるを得ない。。どんなにくそみそに言われても、心ある人はわかるんだよ、彼こそがブッダの後継者だって。。八宗の祖だって。。

コメント

  1. o より:

    mani先生、

     それは楽しみです。

     成就祈願します。

    • mani より:

      oさま ぎんたさまに励ましの言葉をもらって意を強くしました。

      ブッダの法に『相応部』12.65「古城」という経典がありますよね。あのブッダでさえも、自分の法を、自分が発見したとは言わないんだなあと思って勇気づけられました。
      がんばろう。。

      • o より:

        mani先生、

        それは宿命智などと呼ばれるものがあることが『梵網経』『大本経』などから分かるので私には当然に思われます。

         法性、此縁性を悟ったブッダはおられたことが宿命智で分かると思います。

        • MANI より:

          oさま 遅くなりました。ずっと考えてました。

          たぶん宿命智自体を疑う人は疑うんだろうなあ。。という気がします。
          でも、ずっと疑っている人が、あるとき、気づく。。
          あらゆる事柄はあるがままにある、と。過去世を見通す力を手にして見通していく。。

          なるほどなぁ。。真実を見通す目がほしいです。

          • o より:

            MANI 先生、

             ご返事ありがとうございます。

             そうですね。常識、コモンセンスを超えているのでそうだと思います。

             真実を見通す目は欲しいですね。

  2. ぎんた より:

    >たぶん、わたしも、ぼろくそに言われるだろうなあ、相手論者から。そして、めちゃくちゃ
    内部で参考にされるのだったら、まだうれしいけど、そんなことはないだろうな。賢さで大分
    おちるしね。

    賢いってことは、一生かけて、さらに賢いを目指すのだから、その一生が終わっても
    未知なる領域に転生し続けるってことで、誰かをぼろくそに言うってことは、その
    ポジションやったことがないからで、次はそのポジションに行く、つまりは先生の
    ところをやるってことです。なので、先生は、なるべく次にそこやる人が、なんか
    満足できるように頑張るってことが、自利利他になるのでは?と思います。
    でも、頑張った結果は、前回そこやった人によって、すでに出ているのですが。

    ぎんたも、せっかく猫、みんにゃでずっと猫なのに、何か知らん人間にゃんかに
    なっちゃって、言わなくていい事口走ったりして、全猫の面汚しみたいになって、
    どおしよーと思うけど、いやいや!みんにゃ一回は通る道にゃのだから、、、と
    思って、なんとか踏ん張っています。。。

    • mani より:

      ぎんたさま ありがとうです。励まされます。

      >みんにゃ一回は通る道にゃのだから、、、と思って、なんとか踏ん張っています。。。

      そう思ったら気も楽になりますねえ。誰でも通る道なのだ、って思ってみよう。っと。

  3. カエル より:

    マニカナ先生、おはようございます

    他者や他学者の批判なんてどうでもいいのではないですかね。
    弘法大師みたいに書きたいことを書くのが宗教分野ではありなのかも。
    10年後50年後100年後に理解者が現れるかも。
    arXivとかに残しておけばこれからは半永久的に残る。

  4. MANI より:

    カエルさま こんばんは。

    >他者や他学者の批判なんてどうでもいいのではないですかね。

    わたしも、はからずも、そんな気がしてきました。
    龍樹の『中論頌』は、他学派や部派批判の書と思われてるけど、わたしが読むと他学派批判と取られそうなところはあるけど、基本的には仏法を詳細に語る書なのね。

    思うとおりにやってみますわ。まあ、それしかできないし。。

    • カエル より:

      マニカナ先生、こんにちわ

      龍樹は部派の対立の厳しい時代、釈尊は自由思想家の時代で、現代は何でもありのごった煮の時代。同じことを伝えようとしても表現形式は違ってしまうのかもねえ。

      漫画とアニメの『チ。』じゃないですが、その時代の登場人物は論敵や対立者、迫害者も含めてひとまとまりなのかなあと感じます。