運動靴をなおす

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履いてた運動靴が壊れました。我が家に着きそうなところで靴底が剥がれました。

今日修理に持って行ったらよくあることだと言われました。

夏場は、靴底は熱と水で剥がれやすいと言われました。母が履いていたものです。

諸行無常だなあ。。形あるものは壊れていく。。永遠はない。。

仏教っていいね。普通のことを言ってるだけなのに、含蓄のある響きになるね。

普段、わたしたちがいかに真実を見ずに過ごしているか、ってことだよね。

「固定化すること」が、わたしたちの日常で、それに頼って生きている。いつも、永遠を夢見ているのが、わたしたち。

変化を綴ることは、実は難しいんだ。なぜなら、変化することを表す道具が変化しないものだから。

ことばってのは、変化しない。「わたし」といえば、わたしで、いつでもわたしだ。

毎日年を取るけど、「わたし」と言えば済んでしまうので、わたしは年を取らない。

たまに「諸行無常ですね」と言っておけば、含蓄のあるお言葉ですね、といわれる。

調子に乗って、「一切皆苦」「一切皆空」「諸法無我」というと、みなさん、あきれてついてこない。「涅槃寂静」で、とどめです。

4文字熟語がお得意ですね、といわれてしまう。

「諸行無常」の次に心に響くのは「一切皆苦」かな。現代人は生きづらい。

如来が出ても出なくても、生はどこにでもあり、死はどこにでもある。

生と死の間しか、生きることはできない。その短い間に悟りを得ないと、輪廻してしまう。

輪廻が、苦であれば、輪廻からの解脱が求めるものになる。輪廻がよいと思う人は、輪廻はラッキーなことになる。どちらでも自分次第です。明日は「自分」について書いてみます。今日はこの辺にしておこう。

コメント

  1. ぎんた より:

    一切皆苦、受けが悪いんですねぇ。
    言霊だから、それ、口に出して言っちゃうと、そっちに行っちゃうからダメ!!って
    無意識で思うのかな?

    常楽我浄ならどうだろう?なにやら縁起良さげ、ってなるかなぁ?

    • mani より:

      ぎんたさま 「一切皆苦」ですからねえ。。苦ってあるのが一般受けしないかも。
      でも、病院でも、最期は苦痛を与えないように水分を絞るんだって。。

      最後の最後は、苦しみに行くかどうかで決まるんだなあ、って思いました。
      現代人は、「自己」を持つので、苦しいことが多いのかな、って思ってます。仕事とかで。

  2. 近侍郎 より:

    こんにちは。八五郎は『三宝絵詞』を借りて読み、自己犠牲の布施波羅蜜のお話にビビって、隠居を訪ねました。
    < マハー海老天 >
    八:『三宝絵詞』の本は保険のパンフレットみたいだ。おっかねえ因縁バナシが次から次へとくりゃ、読み手はこぞって保険に入る。
    隠:もぅちっと心あたたまる喩えにしねぇ。六波羅蜜がくわしく説かれてんだ。
    八:それじゃ『三宝絵詞』は、大きなころもの、マハー海老天だ。
    隠:大きなころもの海老天じゃ、かじっても海老に当たらねぇじゃねぇか。
    八:集滅とか縁起とか三相とかの、かんじんなお話が、少ししか見当たらねぇ。「今生の罪を獄卒から責められたくないなら、我が身を差し出せ、布施しろ」っていう話がやたらと多くて、胃がもたれるよぅ。
    隠:国が、人の苦や罪の意識を利用して仏教をすすめるのは、鎮護・統治のためだから、個人の苦の原因・消滅にとりくむのは各人であって、お上にゃそこまでの義理はねえ。じぶんの靴のはき具合は、じぶんで工夫するしかねぇや。
    < マカダンナハラミタ >
    八:お布施の話におどかされて、靴をはくにも、足の裏がムズムズするんで、なんかこう、サイダーでシャワーを浴びるみてぇな、スッカーッとする語録はありやせんか。
    隠:世尊やmani先生のおっしゃってることに似たのがあった。 (慧海『頓悟要門』)
      問、布施何物。           何を布施するのか。
      答、布施卻二性。          二性をすべて払い去る。
      問、云何是二性。          どういうことが二性か。
      答、布施卻善悪性、有無性、愛憎性、 善悪や、有無、愛憎、空も不空も、
        空不空性、定不定性、浄不浄性、 三昧も不三昧も、浄も不浄も、払い去る。
        一切悉皆施卻、即得二性空    一切を悉くみな払い去って、二性空。
        若得二性空時、不得作二性空想  その時、二性は空なりと想いもせず、
        亦不得作念有施想、       払い去る想ありと念ずることもしないのが、
        即是真行檀波羅蜜、       本当の布施波羅蜜行であり、
        名万象倶絶。万象倶絶者     万象すべて絶すという。
        即一切法性空是也。       一切法性空とはそれだ。
    八:なるほど、対の事象に志向なし、その布施波羅蜜が、一番槍の切りこみ隊長になりゃあ、  あとの波羅蜜はととのって、三相を一気通貫して般若波羅蜜。こりゃあ、シャッキリしてる、海老天の正味か。ありがてぇ。
    隠:そいつぁよかった。…そういやァ、狸和尚の寺のお堂が傾いてるから、近いうちに普請をするよ。おめえもお布施をいくらか手伝いねぇ。
    八:…手伝うも手伝わねぇも、一切を悉く払い去って二性空。その時、二性は空なりと想いもせず…って、ね。そうとわかりゃぁ、まごまごしてられません。おじゃましました。
    隠:そう逃げようたってそうはいかねぇ、おい、ちょいと待ちねぇ、お布施しろーッ。
    八:マカダンナハラミタ、スヴァハー。
    隠:…ありゃあ、ハッつあん、靴もはかねえで、走ってったよぅ。
    失礼いたしました。

    • mani より:

      近侍郎さま こんばんは。

      >『三宝絵詞』の本は保険のパンフレットみたいだ。

      なるほど、ほんとですねえ。マハーエビ天とはよく言ったもの、仏教に入る人居なくなりそうです。

      >一切悉皆施卻、即得二性空 

      二性空、ってのは浄・不浄みたいなものですかね。二性空とも思わず、ってのがいいですね。なんか仏教って、良いなあと思うような具合になってるところが。。良いのか、悪いのかはっきりしなさい!

    • ぎんた より:

      わーーー!!パチパチパチ!!!

      この、わーーーー!!のところの脳内で、おひねりが投げられていますよ♪
      上手く言語化できないから、省略してるけれども。

      お寺にお布施、、するとお寺が持続しますね?すると、その山には、なんとかパネルとか
      風力なんとかとかは建設できませんね?すると自然が保たれますね。
      うん、お寺があることには意味がありますね。

      昔は檀家の管理(今は役所がある)、寺子屋(学校とか塾とか学童保育がある)、
      女性が駆け込むお寺(今はシェルターがある)、などなど役割は変遷しつつ。

      ぎんた的には、住職さんの個人的な書きもの、その時代とその地域のことが
      ありありと想像できるような、みたいなものがあったら、それも、そのお寺が建てられた
      頃からの全部とかあったら面白いと思います。読みたい。タイムカプセルみたい。

      • 近侍郎 より:

        mani先生、ぎんたさま コメントありがとうございます。

        mani先生、 『三宝絵詞』は、興味深いところもたくさんありました。
        ひとつは、現実世界とのかかわりです。宇佐八幡放生会は「隼人たちを数多く殺した罪を滅するために毎年行われる」とありました。為政者たちは、罪や祟りを切実に感じていたのだろうなと思い、滅罪のための自己犠牲の因縁譚が油っこくなるのは、そのせいかもと思いました。
        ふたつめは、神仏混淆の具体例です。「川原の石で塔をつくり、心経を書き集め、年神をまつる」とか、「熊野の新宮・本宮で法華経を講じる」とか、安寧のために神と仏の両方の力をいただこうという感じが、おもしろく思われました。

        ぎんたさま、これからもお寺は心をととのえたり養ったりする処として、いろいろ新たな役割が出てくるかもしれませんね。お寺や神社では、私は、ぼんやりしたりお礼をしたりする処として居させてもらっています。ぼんやりは、亀にたとえると、首手足尾の六処の出入りを忘れるぼんやりです。また、ある時じぶんは、水や木や空気などにいつもお布施してもらっていると気づきましたが、水や木や空気にお礼を述べていると、あたおかと思われるので、神社やお寺に参る時にまとめてお礼をしています。

        •  春間 則廣  より:

            
          > 「熊野の新宮・本宮で法華経を講じる」とか、安寧のために神と仏の両方の力をいただこうという感じが、おもしろく思われました。

              本地垂迹 の 意味を知らない  ようですね

             あらゆる 宗教  は   「 仏教 」 なしでは ( 論理としては )

                            成り立たない

              論理 を知るまでは  知っている論理 で  言 ・ 事  を 理解する

                問題 は  知っている論理  に  起きるのみ

        • 近侍郎 より:

          正如凱西高嶺大師所說:

          當你感到孤獨時,就舔你的膝蓋。

          •  春間 則廣  より:

            > 就舔你的膝蓋

              あなた が 就舔 すればよい  それだけの話です

          • 近侍郎 より:

            そのとおり。獨り舔める。

          •  春間 則廣  より:

              
              「 真理 」 を 知る者は  「 一人 」 でよい
                    ということ と
              「 真理 」 を 知る者は  「 独り 」 でよい
                    ということ とは
              使われ方に  違いがある ( 両方の意味を重ね持つ場合もある )

               「 一人 」 とは “二人” に  「 縁起 」 して起きる 
             ( 「 独り 」 も  “二人” に 「 縁起 」 するけれども 、、、、 ) 

              一人である ということは  二人してある  という事である
             (   「 同行二人 」 とは これを言う   ) 

               「 一人 」 は 危うき道を踏みしめる者  「 同行一人 」 とは
               「 道 」  を 指し示す者

                そこに 親鸞 が いる  と  示されている 「 道 」

              “ 獨(独)り舔める ”   「 一人 」 の人  とは 
                 誰ぞや       ( どちらの人  かな ? )

                “ 唯我独尊 ” の 意味を  「 顛倒 」 する 

              去の七仏 が  歩むことによって
                     「 道 」 は 足下ではなく 眼前・お凸の前 に 起きている

              たまたま 足を踏み入れたのではなく  七仏の導き が 足を前に 引く

              七仏 は 足を押す ( そこには “前後” の 関係性 は 存しない )

               「 一人 」 が 歩む のではなく (同行)二人 が 

              一緒になって “一人づつ 歩む”  けれど  踏みしめている 道は一つ 

               “前” に向かっている ということを  「 縁起 」 で 知る

               “未来” とは “過去” である ( 過去の七仏 の 足跡 を いま歩む )

             ( 過去 を 未来として歩む
                    ➡ 過去 とは お凸の前の未来 の 「 道   」 )
                          ( お凸 を お前 と 言い換える )

            「 縁起 」 を知る  とは  「 真理 」 を 知ること

                「 真理 」 とは  過去に起き 未来に起こす  その姿
             
             ( 今の姿 であり 過去の七仏の姿 ➡ 未来の今 の 姿 ) 

               “お前さん” の お凸を 後ろから見る  ことを  「 瞑想 」 と 呼ぶ

                  ( 必ずしも 「半眼」である要 は ない ) 

                「 瞑想 」 とは すべてを一つに見る その姿を言う

               目をつむって  やり過ごすこと  を  “世間の目”   ともいう
                                     ↓  
                ( 半分瞑る )  目を怖がる   “委縮した 半眼”  

                ( オ ツム を ) 瞑りつつ  ヒトリ ナメル   独立独歩
              
               
               
                 届こうと 届くまいと   「 道 」 は 一つの歩みである 
               
               
               

        • ぎんた より:

          >お寺は心をととのえたり養ったりする処
          >ぼんやりしたりお礼をしたりする処
          >亀にたとえる

          この時点で、近侍郎さんが、「お寺に行くとリラックスできる人生を過去に体験した
          ことがありつつ、お寺の池に住まう亀も一回はやったことがある」という風に
          解釈します。(ぎんたがやってる「私な仏教」です)

          それで、ぎんたの場合は「お寺」に縁がなかったので、お寺についての印象が
          ありません。修学旅行でお寺に行ったりしましたし、個人の旅行でも、中尊寺とか、
          四天王寺、善光寺とかは行った記憶あります。それは観光地だからです。
          (あ、鎌倉のお寺もかなりたくさん行きました)
          ここを観光するならば、このお寺はみんな行くよね、みたいな。
          でも、、四天王寺行った時、まだUSJ無かったしな、、、、今なら行かないよなー、、
          でも、聖徳太子ゆかりのみたいなのが、なんかいいよねーと思った記憶があります。
          善光寺は真っ暗を体験したくて行ったのでした。今にして思えば、ねこ、暗いの
          得意だから。あと、「牛にひかれて」に反応したと思います。

          中尊寺はですね、友達がコースに入れてくれたんだと思います。そいで、丁度、
          一字金輪佛頂尊がご開帳されてて、「ボロンと一言お唱えください」と書いて
          あったと思います。で、で、ぎんたまだこの頃洗脳されまくりだったから(涙)
          真如苑だと、朝夕のおつとめで、
          一字金輪咒 のうまく さんまんだ ぼだなん ぼろん で「正式に」お唱え
          するから、「真如苑てすごいなー」と思いますた。完全にヤバいやつです。

          で、大分経ってから、信仰に行き詰ってwぎりぎり死なずになんとか考えて、
          全員が神でほとけにしてから、ぼろんでお唱えしようが、そんなもん一切
          知らなかろうが、全然関係ないのだと気づきました。

          あ、あとですね!なんと、中尊寺に伊藤真乗作の涅槃像の小さいのがあったと
          思います。これは開祖が今東光氏と意気投合して、親交があったからだと思います。
          そんないいところには、飾ってなかったよ。隅っこw当然だよねー。きっと
          今は片付けられちゃってると思います。だって、本人たちは死んじゃって
          大分経つし。今東光氏は作家で、開祖は篆刻とか彫刻とか歌を詠んだりするんで、
          気があったとか。今氏は「今の仏教界に不満がある」と言っていた。と、どこかに
          書いてあったと思います。

          それで、今の継主の代になって、なんか講演に呼んだんですよ。瀬戸内寂聴氏を!!
          ぎんた、開祖と今東光のことがあるから、(この女性同士二人は友達になるの?
          ならないの?)と本当にものすごい集中で観察しました。と言っても、実際に
          その講演を聴きに行くことは出来ないから(智流学院生か教師の資格が
          ある人みたいな縛りは多分なく、単純に抽選だったと思うけど、彼女の本を読んだこと
          がないので、遠慮しました)講演終わってから、再び彼女が来苑するのか、
          継主の話に登場するか注目しました。結局一度も無かったように思います。
          まータイプ全然違うしにゃ。きっと学校で同じクラスになっても特に親しくはならない
          感じにゃ。それでいいにゃ。それが自然にゃ。ちょっとヤニねこ入ってる。。。

          あれ?もうちっとまじめな話になるはずが、、、、、えっと、にゃんだっけか?

          あ、そうそう、日本のお寺の一番最初って、古墳立ててた時期とちょっと被ってて、
          (7世紀頃)段々と古墳じゃなくて、お寺を建てるようになったと。でも、その
          お寺も、建立はしたものの、維持管理が上手くいかず、8世紀初頭には国家によって、
          荒廃した寺院が統廃合されたと。その後、私寺になるか、定額寺として、
          官寺に移行する寺院もあった、みたいな。

          鎌倉の地図とか見てると、うすーいグレーで○○寺ってなってるお寺いっぱいあって
          お寺って終わるんだーと。

          なので、お寺が終わるのは、まぁ、よくあること、と言えると思います。。。
          その住職?さんの「中の人」で決まるのかなと。いっつも終わらせる人って
          感じなのかな?でも、本当は、中の人は全員人間以外だからな。

          一個前にどんな動物だったか、とか、その前にどんな人間だったかは
          自分で(神でほとけだから)決めても差し支えないと、ねこは思うにゃー、、

          は!!やっぱり、「私な仏教」方面へ行ってしまった!そしてまとまらない。

          • ぎんた より:

            あ、違った、中の人は、全員「一個前」は人間以外だけど、その他にも、
            全人類、全生類、全宇宙が格納されているんだった。

            でも、ねこは全猫だけ。全飼い主を観察した感想はもってる。みたいな設定。

            近侍郎さんにお返事したのに、なんか、間に春間さんが挟まってる、くぅ。しかも
            中国人同士みたいなっとる!!出し入れ自由なのか、すごいねーー。

        • mani より:

          近侍郎さまこんばんは。

          >『三宝絵詞』は、興味深いところもたくさんありました。

          実はわたしもです。

          >宇佐八幡放生会は

          宇佐八幡放生会は、心に残りますよね。実はインドでも、カニシカ王が中インドを征服し9億の金銭を要求したとあります。中インドの王は馬鳴という菩薩と仏鉢と一羽の慈心鶏(慈悲の心を持った鳥)をそれぞれ3億の価値があるとして、カニシカ王におくったのだそうです。それに喜んだカニシカ王は自分の国に帰っていったとあります。

          滅罪におびえる心はいつの時にも為政者を悩ませていたのだなあと知ります。

          >神仏混淆の具体例です。

          ここも興味深いですよね。神仏習合が自然に行われている様子にわたし自身も違和感なく感じました。

  3. 赤い実 より:

    先生、こんにちは。

    〉「諸行無常」の次に心に響くのは「一切皆苦」かな。現代人は生きづらい。

    苦集滅道で、一切皆苦の全部を無くすのは無理としてもほんの少しでも道により緩和できたらいいですよね。
    道が無いとしか思えないのはさらに苦しいです。

    • mani より:

      赤い実さま こんばんは。

      >苦集滅道で、一切皆苦の全部を無くすのは無理としてもほんの少しでも道により緩和できたらいいですよね。

      実践してみて思うのですが、本気でかかれば、なくなると思います。「本気」ってのがくせ者ですが。でも、苦しみは軽減されるだけでもすごく楽になりますから、希望ですよね。

      >道が無いとしか思えないのはさらに苦しいです。

      ほんとですよね。希望が全くありませんものね。お釈迦さんは偉大だなあと思う今日この頃。

  4.  春間 則廣  より:

      
    > 「本気」ってのがくせ者です   

       “くせ者” って 思う 心(者) が  曲がっている

             ( “者” とは 物体 ・ 事象 を 表す 漢字 )

    > 苦しみは軽減されるだけでもすごく楽になりますから、希望ですよね。

      その “楽”  とは    「 仏教 」 の「 楽 」 ではない 

                 (  と 分かっているはずです ! )

                  言うまでもないこと  ではありますが 、、、、

                 “ 希望 ” という 語 には 異なった解釈 が 存在します

    >> 道が無いとしか思えないのはさらに苦しいです。

      無いとしか思えない という 思惟 を ある から 分離する

                   (  「 縁起 」 に もとる・悖る )

    https://search.yahoo.co.jp/chat/s/019fa55a-f249-7d75-8083-ad3b383cb0d6?fr=top_ga1_sa&frtype=search_suggest_aiquery

    > ほんとですよね。希望が全くありませんものね。お釈迦さんは偉大だなあと思う今日この頃。

        無いもの について 語る  

      「 人 」とは   救いつつ    救われている  
                アユミ  を   運ぶもの  
         ( アユミ それ自体    であり ありつつ運ぶ “ 「 自性 」” )

        「 自性 」 ということ  が   「 無 」 であるとする  「 仏教 」 !

        「 無 」 である 存在    とは  「 有 」 ではない !

       ”偉大さ” を 語る  偉大な心  

     ( 偉大 とは どのようにある事を言うか 知っている 認識の偉大さ )

        偉大さ  を   知る者 は  偉大である 
     
               (  過去の七仏 を 知る  ) 

    • mani より:

      春間さま こんばんは。

      >その “楽”  とは    「 仏教 」 の「 楽 」 ではない
                   (  と 分かっているはずです ! )

      仏教の楽だと思います。

      •  春間 則廣  より:

        > 仏教の楽だと思います。

           あなたは  「 楽 」 に 応え る

          コタエ は   谷間 に(巷に)  ひびきわたる

               言霊 は 人々の    耳に響く

          それを  「 楽 」 だと    アン ジテモ ヨイノカナ ?  ( 闇に響く )

            アン ズルヨリ  ウム ハ ヤスシ ( 「う」「 無 」 とは 易い かな ? ) 

           聖道 「 門 」 の 中に 「音」 が  ある  という意味の 「 闇 」

             やみなん やみなん   三度廻ろうと  闇の中  

           

                    「 楽 」 とは 求めるとき  闇に隠れる

               希望 では 闇 は 晴れぬ

               晴れる という 希望   が    案中 に 起きる

  5.  春間 則廣  より:

      
    > すごく楽になりますから、希望ですよね

      どちらの意味使いかな ?

      ***************

    「希」という漢字には、ご指摘の「まれ」という意味がないわけではないのですが、「のぞみ」という意味もあります。「希望」の場合はこちらの意味で、この熟語は似たような意味の漢字が2字組み合わさってできた熟語です。
    「まれ」という意味を表す場合、昔は「稀代」「稀少」「稀薄」のように、「稀」という漢字の方を用いることが一般的でした。こちらの字には「のぞみ」という意味はないので、「希」と「稀」を使い分けることで、意味がまぎれることが少なくなります。しかし、第2次世界大戦後の国語改革で、「稀」は当用漢字から外れてしまったので、「希」の字で代用することが多くなりました。そのために熟語の意味がわかりにくくなってしまった例の1つだと言えるでしょう。

    • ぎんた より:

      え、え、え?なになに?わかり易い文章~

      春間さんじゃないみたいにゃーー!
      この「説明しよう。」みたいのもっと出すにゃ!!

      • 赤い実 より:

        ぎんたさん、こんちはー。

        春間さんもついにAIを使い始めたとみたよ。
        AIの文章だよ、たぶん。😁

        • ぎんた より:

          あーー、なるほど!!そうだね、AIくんだねw
          唐突がおもしろーーーw

          ところで、赤い実さん、前にAIと雑談してて、ロシア文学の、なにか、、
          えーー、、なんちゃらおじさんみたいな本、面白いよってオススメされてましたけど、
          読んだんですか?

          • 赤い実 より:

            ぎんたさんへ

            ロシア文学の本、おすすめしてないと思う…
            だってとてつもなく苦手だもん😂
            たしかね、ぎんたさんが、ロシア文学の翻訳をしてる女性の本のことを私宛に書いてくれて、それで「鼻」しか読んでないって書いた覚えはあります。
            ロシア文学の登場人物ってやたらと悩んでて破滅的で重い、っていう偏見を持ってます(^o^;
            私がいちばん好きなのは、「白い帽子」とか「ごんぎつね」とかの世界なのです。←意外かもしれないけど

          • ぎんた より:

            ごんぎつねーーーーー!!!!やっぱり、ごんぎつねだよね!!!!!

            白い帽子は覚えてなくて、調べた。
            思い出した、いいよねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

          • ぎんた より:

            あと、手ぶくろをを買いにもいいよねーーーー!!

            あと、もりのへなそうる!!お弁当ーーーーー
            ふたりが3こもってるのを、1こずつあげたら、3人みんなが2こずつになるとこ!!

            わわわわわーーーーってなりました。言葉にならない歓び!!数の不思議も感じた。
            あの、感動の貯金で生きてるとも言える。

            あ、そういえば、現代はごんぎつねのごんは死んでないとする考え方があるとか。
            そ、、、うなんだね、、、神とほとけが言うならばきっとそうなんだろう。

          • ぎんた より:

            あ、神でほとけです。

          • 赤い実 より:

            ぎんたさん

            もりのへなそうる って調べたら、子どもがわくわくしそうなお話だね。

            ごん狐は、世の中って上手くいかないよなぁ…っていう悲しさと、でもそこには小さな優しさも隠されてるという一筋縄ではないものを感じる。

            手袋を買いには、優しさにホッとするよね。
            対象を選ばない優しさ。

            青空文庫に新美南吉の作品がたくさんあります。
            椿の木のタイトルのを今日読んだらそれもよい話でした。
            自然描写が美しいしね。

            近侍郎さんに『屁』という衝撃なタイトルのお話があるのを教えてもらい、これも読んでみます。
            嘘でしょー?そんなタイトルのがあるわけないじゃんねと疑い調べたらありました(^o^;

            またいつか風刺の効いた文章を読みたいです。(お元気で!)

        •  春間 則廣  より:

          > ○○もついにAIを使い始めたとみたよ。

            使ってきました

            今 寝室の ノートPC を 使って 書き込んでいます

            書斎にいるときは 漢字 を 調べるときには 

                    東堂明保 漢字語源辞典 を使います

             波及的 に 関連事項 を 深く知ることができるからです

             一文字を引くとき 大体 20分程度 は 関連文字を 精査します

             AI は 一文字の意味 を 引くには 便利ですが ( )

              関連性 を 調べるには  普通の使い方 では 役に立ちません

               その点 藤堂明保 は   “ 世界一 優れています ”

                それを使えば   世界一の恩恵に 触れられる

            **********

          「希」という漢字には、ご指摘の「まれ」という意味がないわけではないのですが、「のぞみ」という意味もあります。「希望」の場合はこちらの意味で、この熟語は似たような意味の漢字が2字組み合わさってできた熟語です。
          「まれ」という意味を表す場合、昔は「稀代」「稀少」「稀薄」のように、「稀」という漢字の方を用いることが一般的でした。こちらの字には「のぞみ」という意味はないので、「希」と「稀」を使い分けることで、意味がまぎれることが少なくなります。しかし、第2次世界大戦後の国語改革で、「稀」は当用漢字から外れてしまったので、「希」の字で代用することが多くなりました。そのために熟語の意味がわかりにくくなってしまった例の1つだと言えるでしょう。

            ***********

             これは AIから はじめて引用した 文章です

               まあ 使えないわけではなく  使いようで 意味がある

                 という 程度  です

          > AIの文章だよ、たぶん。

             要は 使いようです

            大事のところ は 引用前の文章です

             あなたは  いつも とっかかりが ずれています

          •  春間 則廣  より:

            以前 私の書斎 に     紀野一義 が 訪れて来たときに
            わたしの蔵書 を みて  ここは 学者の部屋だ と 言いました

             来るまでは  「 仏教 」 に 深く触れている というぐらいの認識
              だったと 思います  しかし  どのように “生きているか” を
                         自分の目で 検証したかったのでしょう

              私は 基本 漢文は まず 白文で読み 当意 を 得

               その後 他の 国訳一切経 などの 読み下しを 見ます

               ただし 詩文 は 読み下しは 基本 読みません

              わたしが 紀野一義 に 藤堂明保 漢字語源辞典 が ないと

               「 経 」 は 読めない  と 告げると

                 紀野氏 は 怪訝そうな顔をした

              おそらく わたしの方 が 彼よりも  「 経 」 を 読めている と 知るからです

              わたしに  空海 や 道元  ほどの 教育環境 が あれば

                  語源辞典 は 不要だったでしょう

               ( しかし 学問の世界 は 環境のみで 決まるわけではない )
             

               漢文 には 前後はありません

               どの文字 が どの文字にかかるかは 読む人の能力によって 決まるのみ

               どの文字 が どのような 関連事 と 繋がっているかを知らなければ

                どこにどのように係るかは 分からないのです

               これは 漢文(白文) が 顕著に持つ 特徴ですが

                 日本語 にも 言える  同様の顕著な 特徴です

                空海 や 道元 が  「 空 」を 知ることができた 理由です

              人の ヒトコト  は 生きてきた 人事 の 背景(過去の積み重ね)で

                 未来 を 語っているのです

               これが 身に染みる と  他人事 では なくなる 

          • mani より:

            春間さま おはよう。

            >漢文 には 前後はありません

            そうだと思いました。

            >空海 や 道元 が  「 空 」を 知ることができた 理由です

            なるほど!

  6. 近侍郎 より:

    こんにちは。狸寺の普請が完成し、寺子屋が開講され、隠居が講師を勤めました。
    授業に参集した者は一名、八五郎に問題が配られました。
    引用文…新美南吉『屁』
    問題 教室で屁を放った少年の様子を示す後の文章を読み、問一・二に答えなさい。
    問一 二か所の○○には同じ名前が入ります。考えて書き、その理由を説明しなさい。
    問二 終わりの(   )にふさわしい文を考えて書きなさい。
    〔文章〕もう、なりゆきにまかすばかりだ。やがて古手屋の遠助が、きょうは大根菜屁だといった。なんという鋭敏な嗅覚だろう。たしかに○○君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。やがてさわぎが大きくなりだしたころ、藤井先生が例によって、「だれだっ」とどなられた。○○君は意味もなくねんどをひねりながら、いきをのんて、面をふせた。
    (                          )
    八:答えを申します。問一の答えは、ふたつ出ました。
      問一 冬彦 …説明 1992年の金曜ドラマのキャラクターの名前から。
         車匿 …説明 大般涅槃経32のチャンナの、その後の変化から。
      問二 彼は気がついた。この世界において自分に猶予はないと。
         そして、保護者や周囲に甘えていた己がくっきりと浮かび上がってきた。
    隠:みんな、マルッ。
    八:問二までだと、問の数が足りないので、問三を考えました。
      問三 このあと、この彼はどのように変化していくと考えられますか。
    隠:ふむ、問三の答案例はいかに。
    八:保護者や周囲への依存から離れ、彼は己の醸す源を独り吟味し、ついには徒な皮が
      つるりと剥けた。
    隠:採用っ。
    八:つるり皮剥けのところを、先人はどう云ってますか。
    隠:「依りかからない、知ってもこだわらない。」経集856、狸和尚は「独り舐める」と。
    八:狸和尚は、正式には何という名前ですか。
    隠:凱西高嶺だ。 そういや、おめぇ、あれからすっかり靴をはかなくなったな。
    八:なんか、足の裏が、原野のころを思い出した。
    寺子屋の授業は、3分で終わりました。

    *ご報告:諸々機器を変更することになり、近侍郎としての送信はひとまず終了し、失礼をいたします。駄文におつきあいいただき、ありがとうございました。

    • mani より:

      近侍郎さま おはようございます。

      これまで、読みの深いお話をありがとうございます。
      余裕のないわたしの隣で余裕の書き込みをありがとうございます。

      >諸々機器を変更することになり

      いろいろ大変ですね。またのお越しをお待ちしています。ひとまず御礼を!