三宝絵詞(さんぼうえことば)

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『三宝絵詞』という本があります。およそ10世紀の頃に、仏教の学者である源為憲が冷泉院の第二皇女尊子内親王のために書いた、やさしい仏教書です。

尊子内親王は、17歳の時に剃髪され、19歳の時に『三宝絵詞』が献じられ翌年亡くなっています。お父さんの冷泉天皇も、弟君も狂気の人であったようです。弟帝は花山天皇です。尊子内親王についてはほとんど記録がなく想像するだけですが、剃髪されたのも邪気のいたすところというお話もあります。

かわいそうな人だったのだなあと思いますが、『三宝絵詞』の書もなかなか大変な書で、基本的には大乗の教えが説かれています。檀波羅蜜、持戒、忍辱、精進、禅定、般若という波羅蜜のお話が続いて、さらには、流水長者のお話が続きます。

仏教が朝鮮から渡ってきて、日本で、仏教が一世を風靡していくわけですが、そこに至るお話は、よい面あり悪い面あり、自分自身も、いろいろ過去のできごとを思い出してきました。

自分自身の、輪廻の道筋にあたるのかなあ、などと思っています。

わたしが仏教に親近感を覚えるのは、輪廻があるからで、自分自身も論理にしたがっているからです。

わたしは、昔、仏教をよく知らない頃、仏教というのはくらくてジメジメした思想だと思っていました。最近、龍樹の業績を知って、そんなことはないことがわかったのですが、尊子内親王のことを知って、また、似たような思いをちょっと思い出してしまいました。

あの時代、尊子内親王が生まれたころ、お母さんやお父さんも、15や16、せいぜい17くらいのまだ子供と言ってよい年齢です。その上、天皇のお家柄だから、いろいろ大変でしょう。狂気にもなるよなあと思います。そして、また、『往生要集』だの『三宝絵詞』だの仏教書の内容が、これまたすごいです。

『三宝絵詞』には六波羅蜜の波羅蜜行のことが、これでもか、と書いてあります。檀波羅蜜ではトラに我が身を提供するお話なんぞが書いてあります。こんな話ばかりなら気が滅入ってきてしまいます。

でも、どこでも同じようなお話ばかりかもしれませんね。尊子内親王の身の上に思いをはせつつ、波乱の時代を生きた昔の人々のことを思い出していました。苦しみを超克したくなるよなあと心底思いますのじゃ。

現代に生きる人々も似たようなものかもしれませんね。生きづらさを感じるのは、いつの時代も同じなのかな。

現代にもつながるお話が仏教の中には満載されているのです。

息子は幸せだったのかなあと思いながら、尊子内親王のことも考えています。

PCとスマホ世代の人々は、昔の人と同じ危険な道を行かなくてはいけない。。がんばれよ、と、エールを送ります。

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