
何を撮ったかよく分からないけど、シラカバの木が目立つので、これを挙げてみます。
それと、ここでも、「やっぱ、ブッダはスゴイよね」という決まり文句をぶち上げます!
「諸行無常」とまず言ったことがスゴイです。なぜかと言えば、誰でも変化をみるより変わらないものを見たいと思うから。
ブッダは変化を見た。そして、次に生き物を見た。変わるものは苦しみと見た。
次に争いを見た。勝ち負けを見た。次に勝ち負けにも苦しみが続くことを見た。
そして、勝ち負けの超克を図るべく「諸法無我」を説いた。
諸行無常、一切皆苦、一切皆空、諸法無我。
行は心。中でも、作り出す心。
法はことば。中でも、自分のことば。
こうして、ブッダは、苦しみを滅する体系を作り上げた。どこが、「苦しみの滅」なの?
ちっとも、苦しみ、無くならないじゃん。
無くなるんだよ、そのはずだよ。。「苦しみ」の反対の「快楽」を求めたくなるけど、それを求めてしまうと、新たな苦しみをふたたびゲットしてしまうのさ。
だからね、お釈迦さまは「苦しみ」も「快楽」もどちらも捨てるように述べたのさ。
苦しくもないし楽しくもない、という不苦不楽は、実は一番幸せの道って、お釈迦さまは知っていたんだね。
だからね、諸行無常で諸法無我は、ただ知ってるだけで、苦しみのない状態、つまり、幸せにつながっていくのさ。
留まることを知らない水のあぶく。「俺が俺が」と言わない覚者ブッダ。。
わたしたちは、パチンとはじける水のあぶくを知っても、また、仏像になったブッダを知っても、苦しみなく、幸せに生きられる。
変化する世界の中に、同時に、変化しないものを見るから。。こうして涅槃は、吾等の理想となるのです。
なんでだろ?って言うんですか。
なぜなら、自分のない人はいないからだよ。自分のことをまた、煩悩とも言うんだ。だからね、自己を払って煩悩をなくすと幸せに通ずると考えられているんだよ。
わからない人は、ブッダを見て。すぐに無我だってわかるから。


コメント
先生、こんにちは!
記事を読んで書いてみたくなったことがあります。
返信はお気になさらないでくださいね。
もう20年くらい利用してるディーラーの自動車整備士さんが、若い頃には取っつきにくい怖いお兄さんだったのだけど、転勤とかを経ながらいつの日か穏やかな中年男性になってました。そして出世もしてた。
それを見て諸行無常と諸法無我を感じました。
仏教の法は世界のどこにでも隠れてる、というか貫かれてますね。
不苦不楽は難しいですね。
理論としてある程度理解できたなら、習うみたいに生活でしていけたら苦しみは遠ざかってくれるものだと思います。
少しずつできたらと思います。