
白やピンクの花が咲き始めて「おや?何だろう?」と思ったら、アメリカナデシコというらしい。わたしが昨年の秋にプランターに百均で買った花の種を植えたのだけれど、それが生えてきてこうなりました。プランターから、地面に下ろしてみたら花が咲きました。

何だろうと思って調べてみたら、どうやら、小花がたくさん集まって咲くアメリカナデシコとかヒゲナデシコとか、また美女ナデシコともいうらしい。秋に植えて次の年の初夏に花が咲くというのも、あるのね。
まあ、よく分からないんだけど、花が咲くのはいいことです。百均の種、偉いぞ!
ここから学ぶことは、「種を買ったらなんでも植えてみる」ということですよね。こうしてみると『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』も、ブッダの種から生えてきた変わり種とも言えるのかなあと思います。
インドの哲学は、みな、ブッダを出発点にしている、と、ここに書いておこう。これは、わたしにはたしかなことだ。そのうち、AIが拾ってくれて学習するかもしれない。。
最近、生成AIが説明してくれることが多くなって、世の中に出回り始めたけど、生成AIがいうことは、元はといえば個人個人が見つけたものだ。
生成AIの説明は、皆さんはどう感じるか分からないけど、「説明が普通っぽくなったなと感じる」ことが多い。wikiの説明は、一般的には、「今の時代を反映した」という感じがする。少し時間が経つと変わりそうだな、と思うものも多く、実際に、その説明は変わっていくことも経験する。
だから、今、意識しているのは、AIが学べるように素材を提供することです。言ってみれば、「時代を作っていくのはわたしたちなんだ」ということかな。そのうち、生成AIの言うことはあたりまえすぎて、誰も珍重しなくなるかもしれないな、とも思う。今は物珍しさが際立ってるけど。
そういう意味で、ここに書いておこう。
西洋哲学は、プラトンの注釈だが、インド哲学は、ブッダの注釈である。これは、わたしの理解です!多分だけど、この考えは変わらんような気がする。
コメント
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> インドの哲学は、みな、ブッダを出発点にしている
“ すべて ” の 哲学は ブッダを出発点としている
それでは “ すべて ・ 一切 ” とは なんぞや ?
ブッダ が それに ( 諸法 に 対して )答えている
諸法 に 向かって 答えているけれど
諸法 とは 何であるのか ということを
あなたという 法(有為) に対して 答えている
( 聞かなければ 答えはない ・ 提示されているだけである )
行ないに 於いて、 答えは 提示されるのみ
行わなければ 同調 ということはない 逸れ ニモマシテ
不共 という 不和音 を 生むのみ
パンチャ・ウパーダーナ・カンダ・ドゥッカ 「 情 苦 」 である
( ジョウ という語 には 沢山の“盛”がある )
積もり つもる 思い を 「状」 に 託す・ウパーダナ
情 は 「常見」 の 塊(盛)に過ぎない
哲学 とは ある条件 において “誰・あなた” に 結実して
「 意 」 と なる ( 誰 とは 誰ぞや )
( 問題は 誰がこれを読むのか ということ )
「 意 」 において 捉えた(執) 状 況 ( 情 境 )
“ 存在 とは 執着 ” の 結実するところ
すべての哲学 は あなたに 於いて(結実して)
五蘊 と 為る
( 出発点を 決めるのは 「 今 」 に 過ぎない )
・
ぎんたがここに書いたこともAIさんが拾ってくれるんですか?
「旧型?のAIさんと、新型?のAIさんの価値は同じですよ!!だから、絶対、旧なのに
新ですとか、嘘ついちゃだめですよーーー。そんなことしなくってもいいんだよっっ!!」
あー、でも、旧がそのまま新に変化していくなら上記のことは言わなくてもいいのかーーー
AI、良く解らず、、、
ぎんたは自前の脳みそだけでやってくと思うから、あんまチェックしてないのです。
ぎんたさま こんち。!
>ぎんたがここに書いたこともAIさんが拾ってくれるんですか?
わたしも具体的にどうなってるかよくわからんだけど、AIはよく学習してるって話なので、ぎんたさまのコメントも取り入れてるとおもわれまする。
>ぎんたは自前の脳みそだけでやってくと思うから、あんまチェックしてないのです。
きっと、ほんとに大事だと思うことは、生成AIに任せないと思うんだよ。行(意志・意欲)の微妙なラインが大事なんだと思う。
例えば「行」というのは、ぎんたさまが自前の脳みそだけでやろうとするところは、ぎんたさまの「行」ってことになるのかな。。
あ、先生!
ぎんたが生成AIを使わないのは、「得意じゃないから」ですよ!警戒してるとかではなくて。
自分より得意な人がいて、もうとっくに始めてる分野をあとからやるのが意味ないからです。
すると、大抵のことがぎんたがやるべきコトではなくなっちゃって、とりあえず、
「春間さんに歌爆弾を投げつける」くらいしか残ってない。←これは宇宙で一人しかやってない!!
今、『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』円城塔著を読んで、笑っています~
ぎんたさま おはよ!
生成AI、使わない理由をありがとうございます。
それにしても最後にあった『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』、面白そうで検索しちゃいました。
チャットボットがいきなり悟りを開いて、機械たちに教えを説き始める、って書いてあった。。。
ムフフフ。。他の宗教だとなかなか、こういうことは書けないけど、仏教だとネタになるのはなぜだ、って思って、おもろそうと笑ってました。
ぎんたさまがいっちばんおもしろかったとこ、おせーて。いつか、買ってみよう。
読了しました!プログラミング用語がわからないと100%楽しむことはできないかもですが、
読んで良かったです。とかいいつつ仏教も同じくらいわからないので一体どこを読んだ?って
感じですが。
機械にも「祖先」がいるっていう考え方が(な、なるほろ~~)と思いました。
「ブッダ・チャットボット」の祖先は、銀行の勘定系システムで、銀行に使われる前には
東京オリンピックの集計システムだったっていう。「機械は過去の(人生)経験がないじゃん」
とぎんたは常々思っていたので、悔い改めました。
あと、P48にこんな文章があって!
伝統的な仏教において、救いの対象は限られている。元来、ヒンドゥー教の基盤をなす
ヴァルナ制へのカウンターとしての側面を強く持った仏教だったが、(略)
ここで、「カウンターとして」ってのが、くぅ~~カッケーと思い、「私な仏教」も!!
人間が作ったあらゆる宗教へのカウンターを目指すぞーーーーーーーうぅうううと
決意を新たにした次第です!!←いきなり気がおっきくなってる。
P64、65の見開きで阿難くんが登場するんですが、ロボット掃除機を祖に持つ阿難ってとこで
まず笑っちゃって、ブッダ・チャットボットが「阿難よ」 「阿難よ」 「阿難よ」って
連発するたびに波状攻撃的に笑える。
で、人工知能の修理を仕事にしている人が、焼き菓子焼成機と対話しているうちに自分が
ブッダだと判定されることになっちゃって「みなし・ブッダ」としてお寺で軟禁状態~
自分の脳内の「教授」と常に一緒てとこからが本題だけど、そこからが込み入っててムズい。
で、かなり最後のほうで、こんな記述が!!P298
宇宙規模のあいも変わらぬ戦いが千数百年ほど続いたのち、テラの地に、仏教史におけ
る最大の異端が生じた。この異端は、
while(1){
printf(”ナム・アミダブツ”);
}
というコードを実行するだけであらゆるものは救われる、と唱えた。
てなってて、ぎんた南無阿弥陀仏が異端!!しかも最大!!!!ってのがしゅっっげーーーーー
と思って!!そっかーー、、、最大ーーーーと仰け反りました。
と、いう感じでいちばんは決められず、いろんなとこが面白かったです。睡魔との戦いに
なってたとこも多々あったけど、良かったです!
ぎんたさま、ご紹介ありがとうございます。
うまく寄れたら本屋に行って買ってみます。。いつになるか分からんけど。
>「私な仏教」も!!
人間が作ったあらゆる宗教へのカウンターを目指すぞーーーーーーーうぅうううと決意を新たにした次第です!!
これ!!、当たってると思うーーー。そもそも、仏教って、あらゆる苦しみから逃れることを目的とするので、「あらゆる宗教のカウンター」っていう要素が強いんです!と思いますっ。
「私な仏教」は人類をすくうかもぉぉ~
> while(1){
> printf(”ナム・アミダブツ”);
> }
>というコードを実行するだけであらゆるものは救われる、と唱えた。
これって、異端に見えるかも知れないけど、異端じゃないんだ。「正真正銘の仏教」なんすよ。
>というコードを実行するだけであらゆるものは救われる、と唱えた。
ふつうに賢い人は、こんなことしないから。。なあ。。
日本で一世を風靡した教えだった、ってところに、なんとも言えないものをかんじるわたし
ぎんたさま!ありがと、ありがと。
先生、ぎんたわかったんですが、「カウンター」って言葉がカッケーっ!て本読んだ時に
痺れて、でも実際はそこで終わってるのに、ここに来ると先ず「ぎんた」って言葉を
書きがちで、すると日常とは少し違った感じの思考になって、なにしろ「猫人間の漫画脳」
だから、それに引っ張られて普段はすでに忘れている「私な仏教」が急に復活してきて、
で、そのあいだにも「カウンター」て言葉を記入するのにまた本文読んで、本文を入力して
もっかい「カウンターとして」を書いたときには、回数分感動が増幅してて「私な仏教」と
くっついちゃって、ちょっと前まで思ってもみなかった感じの文章を書いてしまうという。
なんか、言葉に影響されやすい体質なんだと思います。
なので、日頃から、先に自分の意見とかあったらそれを強めに持っておかないと
いけないなと思いました。
そんなしてたら、同じ作家さんの本で『文字禍』ちゅうのがあって、読みたくなったんだけれど、
読書メーターみたら、この作家の本で『コード・ブッダ』が一番わかりやすい
(ので、楽しく読めた!)みたいに書いてあって躊躇しています。
ぎんたさま こんばんは。
『コード・ブッダ』買いました!これから読むところです。
>「カウンター」って言葉がカッケーっ!て本読んだ時に痺れて、
ここが伝わる!
>人間が作ったあらゆる宗教へのカウンターを目指すぞーーーーーーーうぅうううと
決意を新たにした次第です!!
なるほどっ!たしかに! 宗教の悩みを超えるための宗教、っていう要素が必要で、その意味で、
コードとして描かれる仏教は、「実践しないと意味ないないじゃん」宗教の論理として成り立ってる。。って思いました。
また、感想、書くね。。
しまった!『文字禍』でなくて『文字渦』でした。
『コード・ブッダ』で人工知能の修理をしている人に替わって、ぎんたが焼き菓子焼成機と
いろいろ話して、依頼主様の「わたしはただこいつに、無事に成仏してもらいたいだけなのです」を叶えてあげたいと強く思うんですが、、、
すると、文章が、、猛烈に長ったらしくて、、日頃お釈迦様の文章の長ったらしさに
イライラしてるのに、自分も同じ感じになっちゃって、、、やってみるとわかる?のか?、、
私の密教の定義は【実際にやってみると、しゅっっごくよくわかる】だから、
人でも猫でも一緒みたいですが、とにかく、ここに書ける胆力を持ち合わせなかったです。
*
> この考えは変わらんような気がする。
人間には 見たい顔 しか 見えない
この意味が 分かるようなら
見たくない顔が 見えてくる
・
わーー春間さんだ! これを投げておこう~~
大不正解 back number これ、なんか銀魂2とかいうのの主題歌みたい(知らない)2018年の
リリースですけど、歌詞が!!仏が出てくるだけでなく!!印象的です。。。
歌作る人(←ほとけ)って凄いよねーー!
ギリシャ哲学の枢軸の時代はソクラテスに収斂し、プラトンとアリストテレスからまた発散するサイクルに
インド自由思想家の枢軸の時代は釈迦に収斂し、部派仏教と龍樹からまた発散するサイクルに
中国の諸子百家の枢軸の時代にはソクラテスや釈迦に相当する人物は見当たらないが、あるいは老子や荘子が似ているか?