まあ、全くの想像の産物なんだけど、般若波羅蜜の産みの親はブッダだけど、育ての親は観音菩薩なんだろう。『般若心経』を考察してみて、一つ分かったことがあります。
850. (第十経第3偈) かの聖者は、怒ることがなく、恐れることもなく、謗ることなく、悪い行いもせず、経を唱えるもので、心がうわつくこともなく、ことばを慎むものです。(『スッタニパータ』850)
「経を唱えるもの」とあるでしょう?原文では「マンタ・バーニン」ということばなんです。「マントラを唱えるもの」ってことだよね。これが載ってる『スッタニパータ』第4章「八偈品」第10経「壊れる前経」は、菩薩に向けた経典で、菩薩の心得「空」を説いているものです。詩で説かれる「マンタ・バーニン」から『般若心経』ができていることは明解です、わたしには。
『般若心経』を伝えた人は、ここを受けとったのだと思います。そして、龍樹も、ここに気づいているのです。だから、『大智度論』はウパデーシャ(論議)という分類で、龍樹が書いたものだと思います。っていうか、龍樹が書いたのです。十二分教の中にウパデーシャとありますね。
龍樹菩薩は、『スッタニパータ』第4章「八偈品」と第5章「彼岸道品」を受け取り、ナーガの道を行くことに決めた人だと思います。当然、第3章「大品」第12経「二種の観察経」も知ってはいるけど、この道は龍樹はとらなかったのです。だから、かれは声聞ではなく、菩薩と言われるのです。
第4章「八偈品」の菩薩の道を行く、たぶん、最初の人なんだろう。だから、『楞伽経』に、ブッダは龍樹が世に出ることを予言したと書かれているのでしょう。
龍樹は、2の4乗が16であることに気づいた最初の人とも言えるかもしれません。「ある」「ない」の2通りを組み合わせても、悟りに行けることに気づいた最初の人なのかもしれません。つまり四句分別との絡みが効いてる考え方ですよね。
『中論頌』に帰敬偈が二つあることをご存知ですか?書の冒頭と末尾です。般若経典類とは違って、あくまで”自分で”進む、という菩薩の道を歩んだ最初の人が、龍樹だったんだなあ、ってようやくわかりました。
いやはや、これが「ゴータマの門」だったのか。「ゴータマの教え」(『スッタニパータ』933)は、全部自分で決めて自分で思うとおりにやりなさい、という教えです。ゴータマは、全部自分で決めて自分で失敗しながら進んでいったんだなあと感慨深いです。道元も受けとったね。。
文字通り仏乗を行くのが菩薩なんだなと思います。他に、菩薩と声聞のチャンポンの道は、般若経典にある道なんでしょう。。スッキリしたので、終わります!
コメント
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> 龍樹は、2の4乗が16であることに気づいた最初の人とも言えるかもしれません。「ある」「ない」の2通りを組み合わせても、悟りに行けることに気づいた最初の人なのかもしれません。つまり四句分別との絡みが効いてる考え方ですよね。
悟りを得た人達 の 中で “ 気づいた ” 最初の人
そこに おいて
( ことばとしての )「 慧 」 を “その用に” 使う 最初の人
それは “ アルタ ではない 「 慧 」 ” を 得て
はじめて “ わかる ”
「 慧 」 を ことばにした人
「 悟り 」 と 「 慧 」 とは 同時にやってくる
しかし ことば とは 「 空 」 なのです
わかるまで は わからない
わかってはいない ということも わからない
わかるということ も わからない
“ 「 空 」 という ことば ” は 「 空 」 なのです
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春間さま こんばんは。
>2の4乗が16であることに気づいた最初の人
ここに反応してくれるとは!
『ブッダと龍樹の論理学』(サンガ)の中で、最初にわたしが気づいた時、それは西洋論理学の手法でした。真理表という形です。
わたし自身が半信半疑だった。。まさか!一致してないよね、と想ったものだったのですが、いまにして思えば、四句分別のやり方をとっていたんだなと分かります。四句分別は、識を基本におくもので、2の4乗を基本としますから。
つまり、ブッダは、(未来の)西洋論理学にすでに気づいていたということになります。
全人類は、ブッダの手の平におさまる、ってことですよね。
龍樹菩薩は沈黙の牟尼を目指して般若波羅蜜のマントラ(マンタ)を唱え、智慧(マンター)を語る道を進んだのですね。しかし、このマンタバーニンという表現は小部経典によく出てきますね。ダンマパダにも出てくるし……。古い伝承なのでしょう。
>沈黙の牟尼を目指して般若波羅蜜のマントラ(マンタ)を唱え
「沈黙の牟尼」はめざしていたのかな?
唐突ですが、『十住毘婆沙論』も龍樹が書きましたね。。
マンタバーニンといえば、アングリマーラもその系統ですよね。
いろいろ考えるところが多いです。
>「沈黙の牟尼」はめざしていたのかな?
ここは一切知人で先生と意見が分かれるのかなー。龍樹菩薩は弟子に「本当に一切知人ですか?」と問われて反論できなかったのだから一切知人ではないかなとわたしゃ思ってます。「仏説の構造を知った人」を「一切知人」と呼ぶならそれは構わないのですが、一切知人はそれ以上だと思ってます。
> マンタバーニンといえば、アングリマーラもその系統ですよね。
『無畏論』にアングリマーラが出てきますが、菩薩たちもアングリマーラにかなり注目していますね。アングリマーラは「一切世間楽見上大精進如来」の仮の姿だそうです。
pocketさま こんばんは。
>龍樹菩薩は弟子に「本当に一切知人ですか?」と問われて反論できなかった
わたしは違う解釈ですよ。本に書きますね。
「言異」の項目で、地水火風空の五元素としているのではないか、ということをpocketさまは指摘されていましたけど、龍樹は当然そのあたり気づいていたと思います。
この辺は、般若経典との絡みではなく、アートマンを主張する異教徒たちの言語感覚の問題だと思っています。大乗の般若経典を生んだ菩薩たちは密教へといった可能性がありますね。見えてきたっ、っと。
エム先生、こんにちわ。
>わたしは違う解釈ですよ。本に書きますね。
楽しみにしています。何にせよある一定以上の境地に達していないと一切知人にはなれないはず。
頭でっかちのお勉強家さんでは『十住毘婆沙論』や『大智度論』は書けないと思います。
伝統では龍樹菩薩は初地歓喜地でしたね。アサンガ菩薩が三地だったかな?
>この辺は、般若経典との絡みではなく、アートマンを主張する異教徒たちの言語感覚の問題だと思っています。
漢訳だと分かりにくいんですよねえ。梶山先生のように「五分」と読み替えが許されるのだったら「誰か」に「六大」として欲しい。でも明らかに無理に読み替えですよね。伝写されていく途中で漢字の字形の転換期にあったのは確かですが「五」と「六」は間違えないでしょう。
テキストを無理に読み替えずに、「五大」そのままだとしても、
アートマンを批判するときは「地水火風識」所成、虚空を批判するときは「地水火風空」所成だという意味だとすると、通りが良いと私は思います。
でも、エム先生はそれ以上の意味を見出しているのかあ。うーん。とりあえず『方便心論』は早く権威が確立されるべきですよね。
『十住毘婆沙論』と『大智度論』並みに!
> 『方便心論』は早く権威が確立されるべきですよね。
pocketさま、こんにちは。わたしは、ディグナーガが仏教論理を組み立てる前に、どこかに隠された論理学書みたいなものがあるんじゃないかな、って思ってたけど、そうじゃなかった。。論理学の内容は『方便心論』から全部出てきますね。ニヤーヤがブッダ論理の手法を手に入れてますね。
四大、五大、六大では、ブッダの四大でOKかなと思います。五大はヴェーダーンタあたりが説くけど、それと同じようなものは、仏教では説かないですね。
それと「空」には「空の中には何もない」っていう般若経典風の「空」もあれば、見解を捨てるという「空」もあって、わかりやすいのは般若経典風の「空」。
こんなとこにしておきます。ブッダと龍樹はむずかしいです。わかりそうでわからん。
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> 沈黙の牟尼を目指して般若波羅蜜のマントラ(マンタ)を唱え、
智慧(マンター)を語る道を進んだ
玄奘訳( 鳩摩羅什― 什法師 訳 ) の 「 大知度論 」
大正蔵50 二五九上
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%99%BA%E5%BA%A6%E8%AB%96
「 五種不翻 」 生善故不翻 秘密不翻
問題を多く孕む ( 阿羅漢 は 人殺しという意 を 含む )
「 法華義記 」 大正33 五七八上
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> 「 五種不翻 」 生善故不翻 秘密不翻
これは秘密中の秘密なり。漢訳にもまた不翻あり。左右なく、いたづらに仮名書きにすべからず。
> 問題を多く孕む ( 阿羅漢 は 人殺しという意 を 含む )
アルハットはアリ(敵)をハンタ(殺せし)者という解釈ですね。
アリ(敵、賊)とは煩悩のことなり……。
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> アリ(敵、賊)とは煩悩のことなり……。
あなたの 敵( 向かい合う者 ) は
煩悩の( 他 )人
自分自身が向かい合う 自分の心
自己に向き合うか 陀己に向き合うか
煩悩で 煩悩に 対( 敵対 ) 処
敵 は “本” 能 自 にあり
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