パリ五輪は始まったけど

息子は今一つです。まあ、仕方ないですよね。病み上がりだし・・というのは、わたしの感覚で、ふつうなら、「奇蹟の回復!」とか、いわれるのかもしれません。

生き物を精神と肉体に分けるなら、肉体と精神は連動するものと考えられています、一般的に。

身体が不調だと精神もどこか不調になり、身体が健やかだと心もうれしくなる。多くの人はこのような傾向をもつと思われるでしょう。しかし、息子はどうもちがうようなのです。肉体と精神は連動していないのです。

身体は無視されていて、精神とコミになっています。だから、精神が動き回れるように、身体も簡単に精神について行けると思っているところがあります。

旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る

という芭蕉の句がありますが、「病んでる」自覚なく、現実は精神世界を駆け巡ってるのが、息子です。わたしには不思議な感覚なので、なかなかついていけません。夢は夢で現実は現実だとわかっているのだけれど、それがきれいに飛んでいるようなのが息子の精神です。

前にも書いたけど、静物画を描いていて、わたしが「このレモン良く描けているけど瀬戸物のように見えるね」といったら、「だって、それ瀬戸物だよ」と返された衝撃に等しいのです。

瀬戸物として作ったりんごやレモンは、デッサンの練習に使われます。

なぜなら、こうだろうと考えていても、それは、それとは異なってきてしまう。実に、それにとって、それは虚妄であります。虚妄な法はしばしのものなのです。(『スッタニパータ』757)

知ってるつもりで自分で自分を騙すことってたくさんあるんだなあと思います。

瀬戸物のレモンは瀬戸物のように画ける 

瀬戸物のレモンをほんとのレモンのように描くのは、どこかにウソがあるのです。腐らないからいいね、ってのが瀬戸物のレモンかも。カビが生えて酸っぱくなった(?)レモンが髣髴とされるでしょう。饐えた匂いすら思い出されます。

この世に変化しないものは何一つない、と知るのです。

コメント

  1. カエル より:

    あ-、コメントが電子の塵に

    五輪の開会式がすごいアレだった噂とか
    いろいろ流れてきますがナムチ度が低いですね

    でも、マーニプッタにはナムチは刺激があっていいかも
    ナムチでもなんでも効果があれば良いですな