
プランターで育っていた百日草を地面に植え替えました。暑そう。なんとなく色あせた感じが、またまた暑そうに見えます。このところ、暑いので、息子の調子も良くありません。
数日前は意識がなくなって、一晩中目が開きっぱなしだったので充血してひどいありさまでした。何とか眼をつぶらせようとして冷やしたタオルで眼を押さえてみたりしたけど無駄でした。
腫瘍が大きくなっているのかもしれない、とか、悪い方に悪い方に考えてしまいます。訪問診療の先生も見えて、ひとしきり覚悟するようにさとして帰られました。
なんとなく何かが違うんじゃないかな、と思ったら、案の定、意識が戻りはじめ眼を開けてこちらを見ました。それからほどなく「トイレ」と指文字で書いて、車いすでトイレに行きました。
世間の感覚とは違う独特の世界を生きている。
わたしは、寝不足で、時々意識が飛びます。
考えてみると。。息子と変わらん です。
介護する者とされる者は、同じ世界に生きているみたいです。
コメント
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ポンポン百日 想を練る 「 平等 」
> 世間の感覚とは違う独特の世界を生きている。
だれでも 違うと思う から(由縁に起きる)
一人の世界 に 起されている 思議
独特 という 普遍におきる 「 平等 」
違っている という “ マチガイ ”
> わたしは、寝不足で、時々意識が飛びます。
寝ていても、いなくても
飛んでいる意識 には 気が付けない構造です
起きていて 気がついている“人” を ブッダ と します
寝ているうちには 気が付けない
“存在” という “不思議”
“思議” とは (世間に) 存在している のだろうか
( これこそ 思議 だと あなたは シテキ に 思う )
すてきなるかな その してき
( 何故 ステキ なのかは ブッダ が そこに留まる 由縁 )
ここにいる “わたし” の為に ブッダ は 坐して黙す
( 「 我 」 とは ひとりだけ に起きている 存在 )
存在 とは 不可思議 ではある が
それを 思議で捉えようと 我 「 慢 」 に 浸る
「 慢 」 という 思議 は
何と不思議な様相 を
思議にあげる(見せる) ことか
「 百聞は一見に如かず 」 思議で イチモン を 開く
( この 「聞」 を 開くのは 思議による のかな ? )
門前 払い の 仏門 に 立つ
( 悶々 と 聞 を練ろうと ねていて 捻じる しぎのこえ )
観音 とは 思議を 聞くこと 「 (avalokita) (svara) 」
自在(isvara) という 「 平等 」 に起きる 思議
( そこをもって ブッダ は 「 平等 」 を 説く けれど )
だれもが 平等に 思議のぬるま湯 に 浸り 続ける
ぬるい思議 で 深さを量る から 「 無量 」 と される
( 「 無量 」 とは 量 において 思慮に起こされる 思議 )
この思議 を 意に介さぬ は 思議の 「 平等 」
「 平等 」 に 夫々の思議 を 抱き続ける
「 思議 ではない 行ない だ 」 ( するべきことをせよ )
と する( 叫ぶ ) 思議 ( 黙す 思議 )
不思議(相) とは 坐して味わう
ミ タイ 験( 修 行 )
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腫瘍細胞がスカーとアポトーシスしてくれれば、スカーっと
生物も細胞もひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか
ロシアでも腫瘍化したプーチンさんはアポトーシスしないのが現実世界
北朝鮮もあの一族が悪性腫瘍だとわかっていてもアポトーシスしない
無辜の人々が犠牲になり続ける
なかなか生きとし生けるものが幸せにならないのが現世ですね
> なかなか生きとし生けるものが幸せにならないのが現世ですね
だから、精進がいるのかなぁ。息子の場合、腫瘍は良性といわれているのですが、良性といわれても腫瘍は腫瘍だし。。
やはり、因果を探って行く以外に道はないのかも。縁起によって行くのが方法なのかな。お釈迦さまは論理学者です、と思います。
「縁起」は「因果」より奥が深いです。縁起は、因果のようにも働くけど時間が起点となる。。
うまく説明できないです。
>良性
にゃるほど。悪性だと増殖しまくったり転移しまくったりするのですね
不幸中の幸いでも幸いですね
原因は何なのか
お釈迦さまぐらいじゃないとわからないですね。
> 悪性だと増殖しまくったり転移しまくったりするのですね
わたしの眼には、良性でもじゅうぶん増殖しまくったり転移しまくったりしてるように見えます。それでも、まだましなのかもしれないですね。
そう言えば、退院したばかりの頃、水頭症だといわれていましたが、そのうち、わからなくなりました。今回、その辺がまた悪さをしたのかな。。妄想は膨らむ。。