オシャレにいうとラズベリー、自生してます、庭で。栄養がいいのか、実がついてジャムにできます。亡くなった母は、オニガライチゴだか、ヘビガライチゴだか、何でもそんな名前で呼んでいました。
そんな名前だったときには、食べたことはなかったのですが、ラズベリーと名前を変えたとたん、おっしゃれに、ジャムを作ってヨーグルトに混ぜて食べたりしています。なんて現金なの。
名前を変えて新しくなっていくものはたくさんあります。最近は、インターネットで新しい情報が出まわるので、古いものには価値がないように想ったりするかもしれません。
昔、本と言われていたものは、ネットの時代には紙媒体などと言われます。調べたいことはネット検索で簡単・手軽に読むことができます。
でも、簡単に手に入るものは簡単に忘れて行きます。
わたしの文献利用法は、手軽にネット検索して用いているものも多いけど、いざとなったら紙の本に頼ることが圧倒的に多いのです。キンドルももってるし、スマホやネットの利用も多いけど、紙の本ももってます。紙は「失われない」という善さがあります。
実際は失われていくけど、ネットの情報よりは長持ちです。
ネットの情報は、新しい情報はすぐ手に入って便利だけど、ちょっと古くなるとすぐに消えて行くのは不便です。
人の心は変わらないのに、情報だけが更新されていくと、めまぐるしく世の中に翻弄されてしまいます。
一見するとどんどん変わっているように見えて、その実、何も変わってはいないということになるのです。
このようにして、「わたしたちは進化の過程にある」と信じながら、ただ輪廻して行くのかもしれません。
ここから本題です。
最近、この「インド思想の歴史(インド思想史)」という固定観念に新しい考え「輪廻」が入り込んで混乱しています。
今まで疑ったことはなかったのです。インド研究は思想史研究なのだというアイディアを。昔は昔で、今は今。時の流れは過ぎていくのです。
ところが、輪廻に巻き込まれているとするなら、ウパニシャッド・仏教は古い思想で、20世紀や21世紀の現代科学は新しい思想だとするのは「根拠がない」のです。
もし、思想家たちがどれかの思想を「これがもっとも重要だ」とするなら、その思想は根本に置かれ、それ以外の時代やそれ以外の思想は、その重要な思想への道筋であったりヴァリエーションであったりするだけなのです。あるいは、未熟な、思想未満であったり、するのです。
古いものから新しいものに並んでいる、という順序は認められないのです。ただ「縁起」を認めると、前の思想と後の変化は、因果として分けられることにはなりますが、ただ、それだけなのです。
今、この考えにとりつかれていていろいろ混乱しています。
時間は矢のように過ぎるのか、それとも、時間は四季の変化のように循環するのか?
コメント
エム先生、こんばんは。
>時間は矢のように過ぎるのか、それとも、時間は四季の変化のように循環するのか?
このエム先生の観念には根拠がありますね。変わらざるもの、そうではないもの、それとそのどちらでもないもの。我々はブッダの掌で転がされているような気になってしまいますね。
えび天サンバさま おはようございます。
ほんとにブッダの掌で転がされてますよね。孫悟空のこのお話しは何度も読みました。
この話を聞いても、誰も否定しないよね。
どんなに優れているといわれる人も否定しません。。
わたしは、智慧者と言われる人が黙ってうなずくのを見るのが好きです。。かなり変人です。
動いているものは、
一直線のように見えて(1次元)
円環のように見えて(2次元)
螺旋階段のように見えて(3次元)
動いていないもの
寂静(0次元)
から動いているものを見るとどう見えるのだろうか?
*
> 動いていないもの
> 寂静(0次元)
> から動いているものを見るとどう見えるのだろうか?
太陽が地球の周りをまわっている と みる
・
・
> 寂静(0次元)
> から動いているものを見るとどう見えるのだろうか?
みんな苦しんでるなあ、って見えるかな?
息子は熱を出して熱冷ましを入れたとこ。暑いですね。
保冷剤で冷やしまくってます。
むむむ、熱は良くないですね。
中道になりますように。
ヤバい。マニカナ先生の活動がない。
マーニプッタ大丈夫かー!
何とか生きてます、息子もわたしも。
正直、かなりヤバかったです。意識不明状態が続いて、酸素を入れたりした後、徐々に復活してきました。
意識が戻ってみると、ふつうに
「トイレ」と空中で書いて車いすでトイレに行ってます。
翻弄されまくりです!
*
見る・見えない は
動きのあるところ( 「 色 」 ) に起きる
認識 ( 「 識 」 )
動いている者 は 動かないモノ を 見ることはできない
動かないモノ は 寂滅に “横たわる”
動く モノ は 「 輪廻 」 から 抜け出てはいない
寂静( 寂滅 ) とは “ (0次元) ” ではないが
次元 で 捉えるのは 次元に住む者の 勝手(自由気儘)
次元にトラワレテイル 者 は 認識にトラワレテイル
( ゼロ・0 という 概念を生み出した
インド哲学・数学 を 知りなさい )
知っている事 で 知らないこと を 推し量る
( I から Ⅸ で X を 知る ようなこと )
地球の上で 地団駄 を 踏もうと
宇宙 は “ その概念を生む世界 ” では
微動だにしない
暑いとき には
暑いなり に 熱さまし( 保冷剤 ) を 使う
( そのような なり・形・色 を 否定しているわけではない )
“わたし” も 暑いときには 団扇を仰ぐ ・・・・
「 風 性常住 無処不周 」
あらゆる 「 性 」 は 常住 に 起きる
( 冷・暑 苦・楽 ) 常住 とは 住する者に起きるローカ
「 中道 」 とは 辺に起きる “無処不周” なる 「 識 」
「 和尚 甚麼と為て 却えって扇を使う 」
風( 「 空 」 気 ) の “ 無処 ” を 知ると誤る
免ずるところ( 有処 ) に 謝り あり
「 御免なさい 」
・
> 太陽が地球の周りをまわっている と みる
それでも 地球は回っている
( 馬鹿な頭 は “ まわらない ” )
・
マニカナ先生、おはようございます。
今は竜宮城で経典を授かってるところですからね。
楽しみです♪
> 今は竜宮城で経典を授かってるところですからね。
カエルさまはやさしいなあ。でも、龍宮城に長居してるよね。
輪廻を超えようとがんばってますが、なかなか。
人生を達観しているがのごとき息子がうらやましいです。
あの意識不明状態は何だったんだ、って感じです。
そう言えば、大手術が終わった後しばらくして、
主治医の先生が「いつでも退院していいよ」といったら、
「では、帰ります」とそのまま退院した息子。。。