最近、自分は認知症かな、って思うことがある。どんどん新しくなって、世間についていけない自分がいます。
世の中のことが掴みにくくて仕方ない。そう思っていたのだけど、先日、気づいた。起こっていることはそんなに前と変わっていないな、って。
「日の下になべて新しきことなし」というのは本当なんだと思ったら、スッと了解して現実にもどってきました。
人の営みは変わらない。生き物の営みは変わらない。ジャータカにこんな話がある。
あるとき、年長者を敬うべしと言うので、象と猿とえぞ雀が話し合いました。誰がどんな過去のことを憶えているかを確かめ合ったのです。
えぞ雀が象に聞きました。「あなたは過去のことでどんなことを憶えていますか」
ピッパラ樹の大木を見ながら、象はこう言いました。
「わたしが幼いときこの木の側にいくとこの木はわたしの腹の下でした」
えぞ雀と象は猿に聞きました。「あなたは過去のことでどんなことを憶えていますか」
猿はこう言いました。
「わたしが小さいとき、地面に坐って、この木の頭を捉えて地面にすりつけたことを憶えています」
猿はえぞ雀に聞きました。「あなたは過去のことでどんなことを憶えていますか」
えぞ雀はこう言いました。
「向こうに大きいピッパラ樹があります。わたしはその果実を食べて、ここに糞を落としました。そこからこの木が生えてきて、このように大きくなりました」
象は猿を敬い、猿はえぞ雀を敬い、えぞ雀は他のえぞ雀のために法を説きました。
たぶんこのお話は、経験の「量」のお話だろう。多くを見て聞いて知っているものは、過去をもとでにして現在や未来を推し量っていくのだろう。そうすることで、智慧のある者と言われるかもしれない。
生死が輪廻するなら、思想も輪廻する。
ひとつの思想がかたちを変えて蘇ってくる。
過去を知らないと、「なんて新しい感覚なのか」と思い、知っている者は、「これは新しくはない、昔にもあった」と思う。「新しい」と「新しくない」とは、こうして経巡るのだけれど、そこで、特に時間が意識されるとき、「縁起」ということが浮かび上がってくるのです。
だから、輪廻するところであるからこそ、智慧ある者たちは生まれてくる。。とも言えるのです。
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