ヴィシュヌ・ファミリーの図です。アナンタシェーシャという巨大な蛇に横たわるヴィシュヌ神。足下には妻の女神ラクシュミーが坐っていて、ヴィシュヌのおへそのあたりから、碧い茎が伸びてその先に小さなブラフマーが蓮の花の上に乗っています。でも、このお話とは別に、ブラフマー神は4面の顔をもつ神としても描かれています。
隣の、色浅黒い神は、シヴァ神。行者スタイルでヴィシュヌを拝んでいます。世界を維持する神とされるヴィシュヌ神ですが、実際にはヴィシュヌ派では、世界の創造・維持・破壊はヴィシュヌ神が行っているとされます。
わたしは、インドはすごい国だと思っているのです。神々が共に集うからではありません。
「争わない」という思想をもつ国だからです。
実際は、争いごとや何かは起きているにしても、そういう思想をもつ国独特の生き方・死に方があるのです。
その意味で、世界中のどこにもこんな国はない!と思っています。
インドには何でもあります。どんな思想も排斥されずに残ります。人の考えたことなら、一時的に忘れられることはあっても、完全に消えて無くなることはありません。
ブラフマニズムもタントリズムも、ヴィシュヌ派、シヴァ派、シャクティ派、諸宗教がみなそろっている国。ブッダもいるし、ジナ(勝者)もいる。バガヴァット(尊崇すべき者、神)もいる。『バガヴァッド・ギーター』の世界には、クリシュナがいる。また、『ラーマーヤナ』のラーマ王子もいる。アルジュナがいて、ユディシュティラがいて、ビーシュマが威厳を放つ『マハーバーラタ』の世界。
神々の国ではあっても、人間が主役をはれる国。絶対者が、肩身が狭そうにいる国(笑)、地獄もあって、天界もある国。
インドは何でもある国です。
それは、寂滅の思想をもつからなのです。それは、思想が輪廻する国※、と言えるのかも。そこが分かってきているわたしです。
※だから、後に説かれる思想は先にあることになるのです。言ってる意味がわかる?
どんな思想も忘れちゃいけない、ってことなんだ。
コメント
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> インドは何でもある国です。
インドは 何 (処に) でも ある 国です
心を インドに馳せれば そこは インド です
> それは、寂滅の思想をもつからなのです。
何 (処に) でも 見出す者 には ミイダスモノ なる
確固たることとして( 確固 を否定する ) 寂滅 が ある
> それは、思想が輪廻する国※、と言えるのかも。そこが分かってきているわたしです。
> ※だから、後に説かれる思想は先にあることになるのです。言ってる意味がわかる?
説かれた 思想 は “ 廻り回って ( 「 輪廻 」 ? )”
先に回り 後ととなる位置 を ギャクトク(「 獲得 」 ) する
廻る様子が “ 目に見えますか ” ( わかるかな ? )
言ってる意味 は(を) 回してみることができるかな ?
このようなこと は 思想(考え方)である とも 言える
>どんな思想も忘れちゃいけない、ってことなんだ。
ソウナンダ ( 沿う ・ 相 難 だ 感 だ ・ 艱難辛苦 )
七難八苦 七転八倒 再度 おきるを得る ( 廻る思想 )
巡るめく めくるめく 綺羅びやかなる インド
( 糞掃衣 の ジャーティー )
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エム先生、お久しぶりです。
過日はご迷惑をお掛けしました😞
自分は、最近はエム先生と宮元先生の「マニカナ」和訳本から新ニヤーヤ学派に興味が移り、そっち方面を勉強しています。
興味も仏教というよりダルシャナや「マハーバーラタ」にあります。
最近の私の推しはインドラとドゥルヨーダナです🙏
oさまや桂先生やおちゃらけ様は元気かなあ。
私は日々道端のお地蔵さんに礼拝しつつ生きています。
先生には大変礼を失したことを謝罪致します。
エム先生が息災でありますように。でわでわ。
pocketさま、おひさしぶりです。
>興味も仏教というよりダルシャナや「マハーバーラタ」にあります。
あらま、そうですか。
わたしは、仏教もダルシャナもどちらも興味深いです。
インドラとドゥルヨーダナね。。pocketさまらしいといえば、らしいかな。。
何かおもしろいことが見つかったら教えてくださいね。
pokectさま、
今日、インドから戻りました。
お言葉が読めて嬉しいです。
本物の業者にたくさんお会いでき、感無量随喜随喜、とともに自分のダメさを反省しつつ、あるがままで精進していきたいと思ったり、師の教えがいかに本質的だったか実感しているところです。
oさまお久しぶりです。過分なお言葉ありがとうございます。
ボン教でもゲルクでも上座部でも、真面目な行者さんはやはりビルマやインド、ネパール、ブータンに修行に行かれますね。頭が下がります。
自分はどうも行の才がないので、慈と悲の無量心の修習以上は手ごたえがでません。ちゃんと師匠についた方がよいのでしょう。
どうしても弟子の慢というか、師匠への疑念が消えないのは自分の業かなと思いますが、しかし、教典の読みに関しては、ビルマのアッガマハーパンディタ位を有する高僧が書かれた『アビダンマッタサンガハ』の和訳1冊にいかに多くの知識が詰め込まれているか驚嘆するばかりです。
oさまの修行が円滑に進み、成就に至りますように。
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> 教典の読みに関しては、ビルマのアッガマハーパンディタ位を有する高僧が書かれた『アビダンマッタサンガハ』の和訳1冊にいかに多くの知識が詰め込まれているか驚嘆するばかりです。
何に 驚嘆しているのか 知りたい
多くの知識ではなくとも その一端 を 披露 できますか
金太郎飴 でも 一つに切り口 に 金太郎の顔がみ取れる
顔 とは 分かろうと それは ブッダ の 智慧の顔
ブッダの顔 だから 有難がる のにも 一理 は ある
けれど アヴィダルマ とは 文字化されている 智慧
文字の意味から 「 楽 」 を 得ることが 大事
楽ではない 得ること → 「 苦 」 であって 善いはずがない
驚嘆 ということは 誰にでも、どのような階梯であろうと
おこしうる 誰のどのような 対象となる智慧 か ?
「 智慧 」 とは 文字 ではあるけれど
すべて 「 寂滅 」 に派す 「 安 楽 」 の道の歩みかた
再度 廻って 三度廻って 問います
アヴィダンマ の 何に 驚嘆しているのですか ?
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