昔、秋の暮れに咲く薄紫の菊が、どうにもわびしく好きになれませんでした。列車で走ると、窓外に寂しげに咲く薄紫の菊が一瞬目に入るのです。線路脇に色あせたように咲いていて、いかにも寒さが厳しいことを思わせます。雪が降る前の風物詩でした。
思わず写真に撮ってしまったけど、この菊は濃い紫で、暖かな日差しの中で穏やかに咲いています。そもそもこの気温は、北海道では11月の気温ではありません。暖かい小春日和です。
霜が降りても咲いている薄紫の菊とは何と違うことだろうか。
地球は異変を起こしているのかしら。それとも、このくらいの気候変動はふつうのことなの?
植物は気候の変化に素早く反応します。以前に、急に寒い風がふいてきて雪になったことがあったっけ。それまではぬくぬくと暖かい日よりで、天気予報でいうように、もうすぐ雪が降るとは信じられなかったのです。
ところが、突然に寒気がやってきて、雪が舞い始め、お日様を隠しました。まるで秋が終わったかのような状態で、それまで緑色をしていた葉の上に雪が舞い落ちはじめました。どうなることかと思って見ていると、何と木は、その葉を落としはじめたのです。茎の節のところからばさばさと音を立てて葉が落ちていきます。二時間くらい経ったら、木はすっかり葉を落として枯れ木になってました。
何という木だったのか、わかりません。家の前にある広葉樹だったけど。
こうして冬は一気にやって来るのがふつうです。
「雪」
太郞を眠らせ太郞の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ次郎の屋根に雪降り積む(三好達治)
次は、雪の写真を載せたいけど、都合よく降ってくれるかどうかわからんです。思い出話でした。口では「雪はいやですね」と言いながら実は雪と共に生きてきました。思ったほどいやでもないのです。
マンモスの今も生きてる凍土かな
コメント
*
> 北海道では11月の気温ではありません。暖かい小春日和です。・・・
小春 に 一言 ( 豆知識 )
小春日和 ・ インディアンサマー
小春 (陰暦)10月( 新暦10月末から11月 ・ 晩秋 )
の 暖かく穏やな 日和
『徒然草』
155段 「 十月は小春の天気、草も青くなり梅もつぼみぬ 」
米国 ( 英米 )
インディアンサマー
ニューイングランド地方 ( で 言われ始めた )
11月末から12月 の 日和
【インディアン・サマー】
…毎年きまって出現するわけではないが
北アメリカでは10月ないし11月初旬,
ヨーロッパでは9月下旬に起こる傾向がある。
ドイツ語では〈老婦人の夏Altweibersommer〉,
ロシア語では〈婦人の夏bab’e leto〉と呼ぶ。なお聖ルカ祭(10月18日)のころの秋晴れを〈聖ルカの夏St.Luke’s summer〉,万聖節(11月1日)のころの秋晴れを〈万聖節の夏All Saints’ summer〉,聖マルティヌス祭(11月11日)のころの秋晴れを〈聖マルティヌスの夏St.Martin’s summer〉と呼ぶ
老婦人の夏
中部ヨーロッパで、9月下旬から10月初めのころ現れる顕著な夏の戻りの現象。霞(かすみ)や霧がかかり、温暖な晴天が続く。
ドイツ語ではAltweibersommer、英語ではold wives’ summerという。「老婦人の夏」の語源として、小春日和(こはるびより)にクモの糸が日差しに輝いて老婦人Altweiberの白髪のように見えるからという説もある。
老婦人の夏は顕著な特異日現象で、9月28日から10月2日までの5日間にもっともよく現れる。
このとき中部ヨーロッパは、東欧に中心をもった高気圧から吹き出す南東の気流下に入る。
アメリカでは秋の中ごろや晩秋に霜の降りるような寒さの後に現れる
小春日和の天気をインディアン・サマーとよんでいる。
同じような現象ではあるが、
老婦人の夏のほうが1か月以上早い
*
> 植物は気候の変化に素早く反応します。以前に、急に寒い風がふいてきて雪になったことがあったっけ。それまではぬくぬくと暖かい日よりで、天気予報でいうように、もうすぐ雪が降るとは信じられなかったのです。
植物はいくども経験する気候の( 僅かな )変動に対処します
温暖化 ではなく 地球気候 の 揺れ
あるいは
寒冷化現象 の 一つ
< 参考 >
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%AF%92%E5%86%B7%E5%8C%96
*
> 植物は気候の変化に素早く反応します。以前に、急に寒い風がふいてきて雪になったことがあったっけ。それまではぬくぬくと暖かい日よりで、天気予報でいうように、もうすぐ雪が降るとは信じられなかったのです。
植物はいくども経験する気候の( 僅かな )変動に対処します
温暖化 ではなく 地球気候 の 揺れ
あるいは
寒冷化現象 の 一つ とも言えます
< 参考 >
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%AF%92%E5%86%B7%E5%8C%96
温暖化 と 二酸化炭素 と
それに伴う
経済的利益 を ねらう 構造
( 例えば ) 国際的 CO2の排出権取引
https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/20e080.html
CO2の排出削減 の為の 設備・設備使用
その為の
設備 ・ 設備使用 ・ 製品制作 における CO2の排出
( 蓄電池 製作上の 排出 ・ 廃棄する為 の 排出 )
これら の 事柄に関連して( 正しく 計算できれば )
原発 の 廃棄に 係る費 用 は
温暖化対策 に 決して 貢献しない
これら 事柄( 幾つも )の ( 隠蔽されている ) 事実 を
正しく( 論理的に ) 見すえる のが 「 論理 」
そのためには、 起こっていること を 通して
核となる 「 論理 」 を 見出さなければならない
“ 核となる 「 論理 」 ” は すべてに通じている
*
先生、こんにちは!
今日はスマホからコメントしてます。
雪とともに暮らしてきたのでそんなに雪が嫌ではない、というお話に、そうかぁそうなんだなぁ、となぜか感銘を受けました。
私のところはめったに降らないので、少しの積雪でも道路が渋滞して混乱します(^o^;
今日ちょうどこれから冬タイヤに交換予約してるので余計雪に反応したのかも。
まだ早いでしょうけど、雪かきの際にはお気をつけて(^^)/
赤い実さま おはようございます。
子どもの頃は雪が降ると風景が一変するのでワクワクしたものです。
めったに雪が降らないところでも、タイヤを替えたりしなくちゃいけないので、たいへんですね。雪道の運転は気をつけてくださいね。
なかなか更新できなくて困難を感じることも多いですけど、みなさま、お元気そうでなによりです。ときどき近況報告を兼ねて書き込んでくださいね。
思い出し付け加えです。
直接にやりとりはしなくても、先生のこちらのブログでのコメントでみなさまお元気なのを拝見すると、なにかぽかぽかします。
先生とみなさま、私もずっと元気でいられるといいな~(^^)
菊の写真に刺激を受け、我が家の菊も撮って一句。
満ちる菊 仏に添えて 好き日かな
散文的な凡人の句で赤ら顔になるが、素直になるのも悪くはない。
カーポートの前に造った、幅50㎝長さ4mほどの花壇に植えた菊が
満開になっている。明るい黄色とエレガントな薄紫の菊を仏花用に
と植えたものだが、初冬の庭を明るくしてくれている。
家のあちこちにもディスプレイされていて家の中も明るくなっている。
もちろん仏壇に添える。仏壇に花を添えることは仏教的には「忍辱波
羅蜜」という意味付けがある。花を添えることは仏や故人と対話する
こことでもあるから、「仏やご先祖さんも見ている」からと忍辱を促す
こともありそうだ。
しかし、そんな意味付けは後からついて来るものである。習慣的に
ただ添えることで、明るく優しい気持ちになれることは確かである。
仏壇に花を添える風習をを大切にしたいものである。
*
先のコメント に於いては
> 地球は異変を起こしているのかしら。それとも、このくらいの気候変動はふつうのことなの?
ということについて 投稿
今回は
> 昔、秋の暮れに咲く薄紫の菊が、どうにもわびしく好きになれませんでした。列車で走ると、窓外に寂しげに咲く薄紫の菊が一瞬目に入るのです。線路脇に色あせたように咲いていて、いかにも寒さが厳しいことを思わせます。雪が降る前の風物詩でした。
なぜ 色あせたように 見えるのであろうか
> 思わず写真に撮ってしまったけど、この菊は濃い紫で、暖かな日差しの中で穏やかに咲いています。そもそもこの気温は、北海道では11月の気温ではありません。
> 暖かい小春日和です。
> 霜が降りても咲いている薄紫の菊とは何と違うことだろうか。
何と 違うことに 見えるのだろうか
( なんと 違う → いかほど 違う ・ 随分と多く違う )
どちらの理由に おいて でも
( 当然 )、その理由 は 、 前に付け加えられている
> 霜が降りても 咲いている
> 暖かい小春日和
冷たい 霜の降りる その日々
その中に ふと( 不図・仏陀 ) 見出す
暖かい 小春日和
( けふもつづく あたたかさをしりぬるこころ )
あっという間に 家の前の木 は、 枯れ木の様相を具えてしまった
そのように 、 冷たい冬 ・ 寒さを感じる 気持ち は
一気呵成 に 心に居座る
このように読むけれど
そこに 何を感じるのかは 読む・見方 次第
管理人エム 様 は ( 絵にも 文にも )
“ 詩心 ” に あふれる ・ シジン である
( わたしは その こころ を あじわう )
・
> その中に ふと( 不図・仏陀 ) 見出す
ふと見出す その「ふと」は「浮図」や「浮屠」。
中国で初期に漢訳されたブッダの音写語。
色あせたところにも、小春日和のところにも、ふとがいる、ふとがある。
*
佛陀
非 佗 ( ピッ タ → フィ タ → フ ト・仏図・浮屠・浮図 → “ 不図 ” )
ブツ → 仏 ・ 佛
「 仏 」
人 と △
自らを囲い込んで 自らの領域を確立する
△ 状態で 安定して( ずっと続けて ) 坐する人( 坐禅 )
「 佛 」
人 と 弗
人であって、状態が変わった( 過去分子的状態 )
< 例 > “沸” 騰
諸橋・中村 などは、 それを “ 人であって、人でない ” と 解字
“ 不図 ”
はからずも → 図るに あらぬ “ 存在 ”
ふとした ところにも 存在している
( 理由 ではあるが、 はかり ・ 図 る ・ 量る ことなき )
存在でありつつ 、 存在 しているのではない
「 理 」 を ↓ “ しる ”
( 智慧を得て 、 はじめて 「 識 」 とは何か を しり
“存在” = 「 色 」 とは 「 空 」 である と しる )
↓
「 発菩提 」
「 空 」 に ふれて 始まる 、
「 空 」 の “ 領域 ・ 量 意 気 ”
*
わたしを見るものは法を見る、法を見るものはわたしを見る。
> 存在でありつつ 、 存在 しているのではない
> 「 理 」 を ↓ “ しる ”
「存在でありつつ」というところは、凡夫人の思惟、「存在しているのではない」というところは、△座仏。
「存在でありつつ 存在しているのではない」は、空。。それは、一切。
Hello,
Violet chrysanthemums symbolize a wish to get well.