ローズマリー救出

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5日ばかり前のこと、夜になって明日は雪が降るかもしれないという予報が流れていたとき、突然思い出したわたし。

そうだっ!ローズマリーは寒さに弱いんだった。救出しないと。。

暗闇の中、不審者のごとくに、何とかローズマリーを掘り起こし台所に入れてやりました。

わ!で、でかい!こんなに大きかったっけ!育ちましたわ。。立派すぎる。

おい!サムちゃん、おじゃまむし。

ローズマリーと言えば、前にも育てていましたが、おばあちゃんの介護で忙しくて、或る年冬にそのまま放置したら、枯れてしまいました。一年に数回料理に(むりやり)使いますが、後は雑草と化しています。

冬に小さい花が咲くんですよ。はじめ、ゴミがついているのかと思いました(ごめんよ)。危機的な状況だと花が咲くらしいです。そうなのか。。けなげですね。

戦争地域の赤ちゃんたち、けなげに生きてよ。

そう言えば、インドのモディ首相、雑穀の歌を歌手の人とともに歌って人気が高まっているそうな。インド14億を支える雑穀。。

食べられて食べる。。

食べられて、食べるものは、また、万物を(食べる)。これゆえに、食べ物と、このようにいわれる。(『タイッティリーヤ ウパニシャッド』2.2)

ウパニシャッドの思想は、食物連鎖の輪廻が説かれている。ブッダの前に、長い伝統の思惟が横たわっている。それは、どこまでも、’自分たちの手で’考えていこう、という自主性だと思っている。

自分がそうなることによって、思惟の正しさを証明しようという態度です。

如来所説経(https://manikana.net/canon/tathagata.html)は、

こうして出来上がった経典です。だから、ブッダの真実を伝えている。

そして、それを信じた人々がいることも、ある種の奇蹟です。

こうして仏教は宗教となったのです。

信じる人が信ずるもの。。それが宗教ということになるのかな。

とりとめなく、思惟の赴くままに遊ばせてみました。

コメント

  1. 春間 則廣 より:

    >  ブッダの真実を伝えている。

         われわれ  “ 有情 ” の 真実 を そこに聞く

    >  そして、それを信じた人々がいることも、ある種の奇蹟です。

        その 「 真実 」  を 真実とする人 が いる
        有情  一人々(ひとりひとり) に (その) 真実が 存在している
        そして、   誰であろうと !
             その 「 真実 」  を 味わうことが 適う
                 ( 真実 とは 甘露 である )

    >  こうして仏教は宗教となったのです。

        「 仏教 」 が 「 宗教 」 である
           ということ は
        どのように “ 真実を味わいたいか ” に かかっている

          美味 ではない こと  を   美味 としたい 
          美味なること  が 普通 にあり ( 普遍 )
          すべての存在 は 美味 である

        すべて 美味( と 認識上に ) あれば 、、、、

            美味なること  は  存在しない

         苦楽 が  「 縁起 」 に ある  故に  美味がある

            生きること は  「 苦 」 で あろうか

           「 仏教 」 は 宗教 ではなく  「 真理 」 

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