
服の上に雪虫がくっつく。写真に撮ってみたら、この雪虫、カメムシっぽくない?こんなのもいるのか、知らなかった。羽のついたふわふわ飛ぶ雪虫ばかりだと思ってました。何でも撮ってみなくちゃわからんですね。
最初は、雪虫の写真を撮ろうと思って、飛びかっているところにレンズを向けてパチッとやったら、こんなん撮れました。なんにも写ってないだろ、ですって!

よく見て,よく見て。右上の隅の白いのは、きっと雪虫じゃないだろうか。中央下目にも雪虫っぽい白いものがある。お尻に白い綿毛がついていて、頼りなげに飛んでいる。というか、風に吹き飛ばされている。
こうなったら、心眼でご覧ください!

外に行けない人は、こんな紅葉をご覧あれ。

美しいですね。柳は緑だわ。他が色づいているから、ま、いいですか。
では、地面も見てみましょう。適当に撮ったので、枯れ葉が無造作っぽいです。


遠くの山も、雪をいただいて白くなっています。やがて、平地にも雪が降ってきますね。
公園には散策する人がちらりほらり、買い物帰りにあせあせ写真を撮っているのが約一名。。
さ、写真も撮ったし、早く帰ろ。。あせあせ。

タイトルのまんま、です。おわります。
コメント
先生、お邪魔します。
雪虫。私は見たことないのですが、服にくっつくのは困りますね。
風に飛ばされてと書かれているので雪虫のせいではないのだけど(;’∀’)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E8%99%AB
リンク反映されるかな、カメムシ目とあります。
それで似てるのもいるのかなぁ。
紅葉も綺麗♪
勉強になる記事があり、近況を知れる記事もあり、楽しみに拝見しています。
先日の宮沢賢治の物語の記事には、私の名前が書かれていたのでちょっとドキドキしちゃいました(;^_^A
赤い実さま おはようございます。
雪虫はご覧になったことがないのですね。やっぱり北海道のものかなあ。
いつもは、そんなにたくさんではないのでかわいいものですが、今回は、大量発生して、お天気が良くても傘まで差している人がいました。
カメムシの系統なのか、勉強になります。。
さて、家の前のオンコの木の根元にスズランが生えていて、赤い実をつけているのです。かわいいでしょう?
赤い実さまを思いながら書きましたよ、「智慧の実」というところで、「きまったな!」って(笑)
今年は紅葉が長く楽しめますね。
北海道で雪虫大発生の記事を見ましたが、
これ、どういう条件があったんでしょうね。
少子化対策もこういう所から見るといいかも、とか思いました。( ´艸`)
空という言葉には、この、条件という言葉はいいんではないか?
とか思っています。
えび天サンバさま こんばんは。
> 北海道で雪虫大発生の記事を見ましたが、
> これ、どういう条件があったんでしょうね。
ほんとにねえ。。秋の比較的暖かい日に、一斉にとどまつからヤチダモの木に移るんだそうで、その時大発生となったらしいですが、とどまつもヤチダモもないんだけどなあと思って見ています。
ちらちら見る程度ですと、そろそろ雪がふるんだなあという合図のように考えていましたが、これだけいると「もういいです」となりますね。
少子化対策!思いつかなかった!
大発生したら、どないなことになるん?
> 空という言葉には、この、条件という言葉はいいんではないか?
とか思っています。
「条件」を介して、「空」と「縁起」がつながりますね。。良いアイディア!
考えてみます!
エム先生、こんにちは。
>大発生したら、どないなことになるん?
第三次ベビーブームが起きれば、あらゆる面でよいことが起きるんじゃないでしょうか。しかしその条件はというと、まず消費税の撤廃、子供一人産めば所得税市県民税免除、二人目はそれに加えて100万円支給、三人目以下同じ。事実婚による出産の場合は母親に対して所得税市県民税免除、以下同じ、それから、高校までの学費医療費無償化。ま、これ位は最低条件でしょうか。しかし大発生にはまだ程遠いかも、ですね。
えび天サンバさま こんばんは
> まず消費税の撤廃、子供一人産めば所得税市県民税免除、二人目はそれに加えて100万円支給、三人目以下同じ。事実婚による出産の場合は母親に対して所得税市県民税免除、以下同じ、それから、高校までの学費医療費無償化。
おお、手厚いですねぇ。このくらいしないと、人口は増えないか。
子供をのびのび育てられる環境が整備されるけど、財源はどこからと考えちゃう?
元気なご隠居さん、働かないと、ね。ブッダみたいに。
エム先生、おはようございます。
>子供をのびのび育てられる環境が整備されるけど、財源はどこからと考えちゃう?
財源は増税とかは必要なくて、国債です。そもそも税金は財源を作るためにあるという考え方は財務省の言い分なので。税金にはインフレのコントロールと国民所得の再配分という機能がありますが、政府が資本主義に乗っ取られている場合には、国民のことは考えられません。資本主義といっても、中身は複雑だと思うけど。
>元気なご隠居さん、働かないと、ね。ブッダみたいに。
生涯現役で、という。(笑)結構きついですね、でも、高福祉というのにも落とし穴はあるので、多分あっているのでしょう。
えび天サンバさま おはようございます。
財源考えなくて良いのはうれしいわ。これも基本空でないと、我々のためにならないかな。もっと考えなくちゃならないことはあるとは思いますが、わたしは、龍樹で手一杯なので、えび天サンバさまに考えてもらおう(笑)。
> 生涯現役で、
わたしはだいたいこの考え方です。
寿命の行(ジーヴィタ・サンカーラ、生きんとする意志)があるので、それに従うのかな、って思ってます。
ブッダの場合、死んでも(?)働いてるよね。
働いている
そのこと を
生きている という
おお! ブッダは 生きている。。
命 を
五蘊 に 閉じ込めない
ということ
命 は
五蘊の外に起きている
ということ を 知ること が
「 智慧 」 です
エム先生、こんばんは。
>財源考えなくて良いのはうれしいわ。これも基本空でないと、我々のためにならないかな。
これ、一番刺さりますね。少子化とか書いたのは私なので、改めて考えると、目に見える人間関係以上のことは手に負えませんね。それだって大変なのに。💦
だから国家権力を再構成するとかの政党政治の話はこれでおしまいにします。
えび天サンバさま こんばんは。
「みんなのため」と考えるところは、空であるようにするとたいていうまくいくような気がします。
ところで『中論頌』って、難しいですね。今さら、だけど、論理だけで追えるかどうかやっています。
ぜったい!追えるはずなんだけど、智慧が足りない、す。
エム先生、おはようございます、になってしまいました。(笑)
>>だから国家権力を再構成するとかの政党政治の話はこれでおしまいにします。
>「みんなのため」と考えるところは、空であるようにするとたいていうまくいくような気がします。
エム先生の渡し船に乗って、今日まで考えていたことを書いてみます。
政治制度、特に選挙制度について、よく批判されている小選挙区制についてです。
この制度の立役者小沢一郎氏は最近、堀茂樹氏(慶応大学名誉教授)と対談して、この制度がどういうものかを説明していますが(youtube小沢一郎×堀茂樹【小沢一郎にとって「政治」とは何か】)、彼は基本的にはイギリスの議会政治を範として考えています。
有権者数10万人に国会議員が1人の割合で、元衆議院議員の安藤裕氏がこの動画をみて換算したところによれば(あんちゃん(安藤裕)のなんでも言いたい放題⁉【議員の小粒化と小選挙区制の弊害】)、イギリスの有権者数4700万人で国会議員定数650、日本では1億で465。以下ふたつの動画を総合すれば、中選挙区制では与党は何人も候補を立てられるのに対して野党はその力がないので、政権交代は不可能、小選挙区制でいつも棄権している有権者が20%投票すれば政権交代が可能。政権を交代できる枠組みでなければ、与党と議員の既得権益化は避けられないということです。
しかし安藤氏によれば、もしイギリスのような小選挙区制を考えるならば、議員定数は今の倍は必要になるとのこと、つまり930。日本の国会議員削減という話は、議員の既得権益化を推し進め強化するだけ、ということになります。
国家と癒着して既得権益化した与党が、今の制度を悪用して権力(既得権)を温存している、ということになるかもしれません。大いに頷ける話ではありますが。。
>ぜったい!追えるはずなんだけど、智慧が足りない、す。
ぜったい追えるはずです。エム先生なら、と発破かけてみます。( ´艸`)
> いつも棄権している有権者が20%投票すれば
これだよなぁ、っていつも思う。選挙にいく人が増えれば、もう少しは、政治家は国のことを考えるようになるんじゃないか、って思う。
> ぜったい追えるはずです。エム先生なら、と発破かけてみます。( ´艸`)
最後の笑い顔が気になるわ。
でも、今も昔も、生きる姿は変わらない。みんな、暮らし向きが良くなるようにと願ってます。
追えるはず、というえび天さまのことばを信じてみるかな。。かな
エム先生、こんばんは。
>選挙にいく人が増えれば、もう少しは、政治家は国のことを考えるようになるんじゃないか、って思う。
これは選挙に行っても、無記名だったら意味もないんで、やはり根本を理解して投票するのが、空につながるかもしれない、などと牽強付会を行ってみます。
政治家が国のことを考えるようにするために一番よいのは、競争です。
期間限定で権力を預かることができる議員には、全力で取り組むしかない政治課題しかありません。それを宣誓して政治家になるのならば、それこそ国家の為に身を粉にして働かなければなりません。国家というのは、国民のことなんですけれども。
>みんな、暮らし向きが良くなるようにと願ってます。
大きく言うと二つあります。国家権力を使うのと(選挙とか政党活動とかの国家権力再構成の為の運動)、近場の人間関係を使うのと(あげたりもらったりのお金を介さない友達関係=アソシエーション運動)。
願うというのは、努力をするということで、この二つの領域で努力を重ねることは、案外、安心立命の生活防衛につながるのではないかと思います。
えび天サンバさま
> これは選挙に行っても、無記名だったら意味もないんで
そうでもないかも。白票が山ほど出る、というのは、ある意味、とてつもないメッセージになりそうです。
当選した人も、いつも言われる。。「白票より少ない投票数で当選した人だ」、って。
有権者は怒ってるんだぞ、というメッセージにもなりそうだし、与党も野党もしっかりせんか、って受けとめられるかも。
また、有権者自体も、しっかりせんか、っていう結果になってるかも。制度はよいけど、有権者なら自分の国や生活のことを考えろ、って、読むかもしれない。
( ↑ は できれば 消してください )
> 「みんなのため」と考えるところは、空であるようにすると
たいていうまく いくような気がします。
“ 気がする ” というところ に “ 惑う ” ・ いく
> ぜったい!追えるはずなんだけど、智慧が足りない、す。
( 知恵 を用いて ) 「 智慧 」 を 追う
それは “ 知恵 ” の 範疇
“ 「 平等 」 を 知る ” ということ が 「 智慧 」 です
追っているモノ に オワレテイル ( 背 負われている )
( 追っているつもり ) ( 追われている → 脅迫概念 )
「 智慧 」 が あなたを 支えているのに
あなた が 「 智慧 」 を 支えようとしている
“ 全て等しく 同じ ” という 「 平等 」
→ 「 涅槃 寂滅 」
“ 悉有 仏 性 ” なる “ 平等 性 ”
→ 「 自他 不二 」
↓
龍樹 は 帰敬偈 で 大地にひれ伏し ( 同一となり )
( 礼拝 ・ 放下著 ・ 五体投地 )
自らの 「 仏性 」 に 帰敬 している
帰敬 している 帰敬 されるべき( あるはずのない ) 自己
( あるはずが ない “ 故 ” に ある )
「 空 」 そこ に 帰敬 している
何もない ゆえ に ある( 何にでも起きている )「 空 」
追えば 逃げる 追われて 逃げ・惑う 「 自己 」
ないところ に 放下して 只管 打坐( 「放下著」 )
すべて 手放し ( 手放なした という 境涯 を も ) 離れる
そこに 「 智慧 」 が 起き
そこに 「 智慧 」 が 働きを なす( 〇○○〇、す 。 )
足りていて そこに 初めて( 始まる ) 「 智慧 」 の 道筋
おもてみせ うらみ( 怨み ) せ 廻る いてふ の 「 色 」
だいにち に むく おもて みせ
大地 に むく ウラ みせる
魔葉美酒 ニ 酔ふ ( 荷 負う ・ 爾 用 )
ようて かえる か 寄せては帰る
そこはかとなき 波の音
・
エム先生、こんにちは。
>そうでもないかも。白票が山ほど出る、というのは、ある意味、とてつもないメッセージになりそうです。
これは実は私も時々やるので、確かに全然意味がないかといえば、批判票という意味はありますね。大日如来、とか、山本リンダ、とか書いたりして。(笑)
>また、有権者自体も、しっかりせんか、っていう結果になってるかも。制度はよいけど、有権者なら自分の国や生活のことを考えろ、って、読むかもしれない。
熱燗飲みながらしみじみ読んでいますが、上記、さすがは空と論理学の先生ならでは、味わい深いことこの上ないですね。こんなこと書くと、また誰かに太鼓持ちとか言われそうだけど。
ところで、太鼓といえば奉納太鼓とかが有名ですが、これは密教的な瞑想としても使われます。団扇太鼓みたいなのは木魚と一緒ですが、両手にバチを握って真言を唱えながら太鼓をたたく行法もあります。この場合、音の構造を時間の経過にひたすら重ねるというやり方をしますが、そうすると必然的に、音(声)と呼吸と観想(脳内言語)を一体とした瞑想法に至ります。これが密教的な瞑想法、三密行といわれるものです。
えび天サンバさま おはようございます。
> 太鼓持ち
このことばは、このことばに合わせた思想があって、このことばを使う人の世界を指していますね。「太鼓持ち」のいる世界は、本気でものを考えない、相手を軽んずる考えが横行する世界の住人ですね。誰もが太鼓もちたり得ると、そう思っているんだなあ。
> 音(声)と呼吸と観想(脳内言語)を一体とした瞑想法に至ります。
まだ最初の説法をしていない段階で、ブッダがであった外道のウパカに「無知の闇に沈む世界で不死の太鼓をうちならすだろう」と語ったのは、音を用いて説法しますよ、ということ、つまり、密教をも見据えた教えを意味していたのかもしれませんね。
マジでそう思っています。時代が経つとタントリズムと結びついて、仏教は広がっていきますが、音の世界と結び着く要素があるなと思っています。視覚的に聴覚的に思想世界は広がっていきますね。うまく言えないけど、やがて密教まで行きそうな気がしています。