
スズランがかわいい赤い実をつけました。赤い実さまを思い出しますね 😊
宮沢賢治の「貝の火」の中にも出てくるスズランの実です。
むぐらはびくびくして尋ねました。
「へいどんなことでございますか」
ホモイがいきなり、
「鈴蘭の実を集めておくれ」と言いました。
むぐらは土の中で冷汗をたらして頭をかきながら、
「さあまことに恐れ入りますが私は明るい所の仕事はいっこう無調法でございます」と言いました。
この場面は、増長してきたホモイがむぐら(もぐら)に鈴蘭の赤い実を集めさせようと命じるシーンです。
話しの発端は、ここから。川に落ちた雲雀の子を助けた子兎ホモイ。「貝の火」という、鳥の王の贈り物、宝珠をもらいます。
宝珠ですよ、宝珠!
ホモイは玉を取りあげて見ました。玉は赤や黄の焔をあげて、せわしくせわしく燃えているように見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでいるのです。目にあてて空にすかして見ると、もう焔はなく、天の川が奇麗にすきとおっています。目からはなすと、またちらりちらり美しい火が燃えだします。
宝珠に惑わされていくホモイ親子。。しらずに、どんどん煩悩を育てていくのです。
宝珠は、その姿を美しく変えていきます。
貝の火が今日ぐらい美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、またいなずまがひらめいたり、光の血が流れたり、そうかと思うと水色の焔が玉の全体をパッと占領して、今度はひなげしの花や、黄色のチュウリップ、薔薇やほたるかずらなどが、一面風にゆらいだりしているように見えるのです。
「戦争」「地雷火」など怖いことばも混じってきてるけど、「薔薇」や「チューリップ」などのことばに紛れてしまう。目を奪われていると気づかない。
兎のホモイ親子は、わたしたちなのです。小さな汚点はみるみる広がって、ただの鉛のタマのようになってしまう宝珠。
タマは割れて、割れたかけらがホモイの目に入って、目が見えなくなってしまうホモイ。
お父さんのことばが印象的です。
「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」
スズランの実が出てくるお話は、宮沢賢治のこのお話しか知りません。
ルビーのように輝く美しい鈴蘭の赤い実には毒を含んでいるとも言われます。
人間の煩悩を’美しく’描いた宮沢賢治。美しいものに惹かれていく人間。何か、美しくもあり毒でもあるようなものに、わたしたちは、惹かれるようにできているのですね。
このように知って、人間は、毒を薬に変え、智慧によって生きて来たのです。
龍樹は言っています。
「たとえば、毒であっても毒を除くことがある、と医師によっていわれているように、たとえ苦であってもそれをもって害悪を除くことがある、と説いて、何の矛盾がありましょうか」(瓜生津隆真訳『宝行王正論』4.72)
智慧を育てていきたいですね。
赤い実は智慧の実とも言われる。
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