「ヴァッカリ」『サンユッタ・ニカーヤ』22.87(PTS Text,SN.Vol.3,pp.119-124.) 漢訳:雑阿含経(一二六五)(『大正蔵』二、三四六中〜三四七中)。 【訂正】2021.09.10 番号13の文章について、若干訂正しました。 1 このように、わたしによって聞かれた。(このように、わたしは聞いた。) ある時、尊師は、王舎城にある竹林の栗鼠(りす)飼養所に滞在していた。 2 しかるに、その時、尊者ヴァッカリは、陶工の家に滞在していたが、病にかかり、苦しんでいて、重病であった。 3 さて、尊者ヴァッカリは、侍者の者たちに呼びかけた。 「友よ、あなた方は、出かけて、尊師のところに行ってください。尊師のところに行って、わたしのことばとともに、尊師の足下に頭をつけて礼拝してください。 『尊師よ、比丘ヴァッカリは、病にかかり、苦しんでいて、重病です。かれは、尊師の足下に頭をつけて礼拝します』 そして、このように言ってください。 『どうか、尊師よ、憐れみをもって、比丘ヴァッカリのもとに、おいでください』と」 4 「友よ、そのようにします」と、彼ら比丘たちは、ヴァッカリに答えて、尊師のところに赴いた。尊師のところに行って、挨拶をして、一方の端に坐った。 5 さて、一方の端に坐ったかの比丘たちは、尊師に、次のように述べた。 「尊師よ、比丘ヴァッカリは、病にかかり、苦しんでいて、重病です。かれは、尊師の足下に頭をつけて礼拝いたします。そして、このように述べております。 『どうか、尊師よ、憐れみをもって、比丘ヴァッカリのところにおいでください』と」 尊師は、沈黙によって承認した。 6 さて、尊師は、内衣をまとって、鉢と衣をとって、ヴァッカリのところに赴いた。 7 ときに、尊者ヴァッカリは、尊師が遠くからやってくるのを見た。尊師を見て、かれは、ベッドの上で、起き上がろうと身もだえした。 8 さて、その時、尊師は、尊者ヴァッカリに、このように言った。 「もうよい、ヴァッカリよ、お前は、ベッドの上に起き上がろうとしてはいけないよ。ここに、用意された座席がある。わたしは、そこに坐ろう」 尊師は、用意された座席に座った。 9 坐って、尊師は、尊者ヴァッカリに、このように言った。 「ヴァッカリよ、お前は耐えられるかね、元気がでてきたかね。さまざまな苦しみの感受も減ってきたかね。増していないだろうね。すっかりなくなって、増していないように見えるが」 「いいえ、尊師よ、わたしには耐えられません。元気もありません。わたしには、苦しみの感受が甚だしく増して、減ることはありません。増すばかりで、減ることがないようです」 10 「ヴァッカリよ、お前には気がかりはないかね。後悔することはないかね」 「尊師よ、たしかに、気がかりは多く、後悔も多くございます」 11 「ヴァッカリよ、みずから、戒についてとがめるところがないだろうね」 「いいえ、尊師よ、みずから、戒についてとがめるところはありません。」 12 「ヴァッカリよ、たしかに、みずから、戒についてとがめるところがないのだね。では、なんの気がかりがあろう、後悔があろうか」 「尊師よ、わたしは、長い間、尊師にお目にかかるために出かけたいと思っていました。が、わたしの身体には、尊師にお目にかかるために出かけるだけの体力はありません」 13 「もう十分だよ、ヴァッカリよ、お前が、この腐敗した身体を見ても、何になるだろうか。ヴァッカリよ、法を見る者は、わたしを見るのだよ。わたしを見る者は、法を見るのだ。というのは、ヴァッカリよ、法を見ている者は、わたしを見るのであり、わたしを見ている者は、法を見るのだから」 14 「お前は、どう思うか、ヴァッカリよ、物質(色)※は、恒常か、無常か、どちらだろうか」 「無常です、尊師よ」 「感受(受)は、恒常か、無常か、どちらだろうか。表象(想)は、恒常か、無常か、どちらだろうか。意志(行)は、恒常か、無常か、どちらだろうか。意識(識)は、恒常か、無常か、どちらだろうか」 「無常です、尊師よ」 ※ 物質(色): 色や形のあるもの。狭い意味では「身体」広い意味では「現象世界」 感受(受): 目などの五感が色などをとらえる心の作用。感受作用。 表象(想): 感受したものを心に思い浮かべること。イメージ作用。 意志(行): 何かを求め志向する心。意欲・意志。想起。 意識(識): 何かを区別・識別する心。判断。 色受想行識の五つは、身体と心を指しており、五蘊(ごうん)(五つの集まり)という。 15-16 「それ故に、このように見る聖なる弟子は、物質からも厭離する。感受からも厭離する。表象からも厭離する。意志からも厭離する。意識からも厭離する。厭離した者は、欲を離れる。欲を離れた者は、解脱する。解脱したとき、解脱したという知識がある。 『滅尽したのは、生(生まれること)であり、成し遂げられたのは、清浄行である。為したことは、為すべきことであって、さらに、この(輪廻)の状態に至ることはない』と知るのである」 17 そこで、尊師は、尊者ヴァッカリに、このような教誡を授けて、坐より立ち上がって、霊鷲山(ギッジャクータ山)へと向かった。 18 さて、尊者ヴァッカリは、尊師が去って間もなく、侍者の比丘たちに呼びかけた。 「友よ、どうか、わたしを寝台に載せて、イシギリ・パッサ・カーラシラー(仙人山山腹の黒石窟)のところへ向かってください。わたしのような者が、どうして、家の中で死ぬことを考えるべきでしょうか」 19 「そのとおりにしましょう、友よ」と、かれら比丘たちは、尊者ヴァッカリに同意して、尊者ヴァッカリを寝台に載せて、イシギリ・パッサ・カーラシラーに向かった。 ============================= 20 ところで、尊師は、その日の残りとその日の夜とを、霊鷲山で過ごした。 21 そのとき、二人の神が、夜も更けたころ、すばらしき容色をもって、霊鷲山全体を照らし出して、尊師のところに近づいた。近づいて、尊師に挨拶をして、一方の端に立った。 22 一方の端に立って、一人の神が尊師にこのように言った。 「尊師よ、ヴァッカリ比丘は、解脱に向けて思念しています」 23 もう一人の神が尊師にこのように言った。 「尊師よ、かれは、たしかに、善く解脱した者となって解脱するでしょう」 24 このように述べた二人の神であった。このように語ると、尊師に挨拶をして、右回りにまわって、その場から姿を消した。 ============================= 25 さて、尊師は、その夜が過ぎてから、比丘たちに呼びかけた。 「比丘たちよ、お前たちは、ヴァッカリ比丘のところに行きなさい。行って、ヴァッカリ比丘にこのように言いなさい。 『友、ヴァッカリよ、尊師のことばと二人の神のことばを聞きなさい。友よ、この夜(昨夜)、夜更けになって、二人の神が、すばらしき容色をもって、霊鷲山全体を照らし出して、尊師のところに近づいた。近づいて、尊師に挨拶をして、一方の端に立った。近づいて、尊師に挨拶をして、一方の端に立った。一方の端に立って、一人の神が尊師にこのように言った。 <尊師よ、ヴァッカリ比丘は、解脱に向けて思念しています> もう一人の神が尊師にこのように言った。 <尊師よ、かれは、たしかに、善く解脱した者となって解脱するでしょう> さらに、友ヴァッカリよ、尊師はこのように述べた。 <畏れるな、ヴァッカリよ、畏れるな、ヴァッカリよ。お前の死は、汚れないものとなるだろう。汚れなきものとなって死ぬだろう>』」 26 「おっしゃるとおりにいたします、尊師よ」と、比丘たちは、尊師に同意して、尊者ヴァッカリのもとに近づいた。近づいて、尊者ヴァッカリにこのように言った。 「友、ヴァッカリよ、尊師のことばと二人の神のことばを聞きなさい」 27 そのとき、尊者ヴァッカリは、侍者の比丘たちに呼びかけた。 「友よ、わたしを寝台からおろしてください。どうして、わたしのような者が、高い寝台に坐って、かの尊師の教えを聞いてよいなどと、考えられるでしょうか」 28 「そのとおりにしましょう、友よ」と、かれら比丘たちは、尊者ヴァッカリに同意して、尊者ヴァッカリを寝台からおろした。 29 「友よ、この夜(昨夜)、夜更けになって、二人の神が、すばらしき容色をもって、霊鷲山全体を照らし出して、尊師のところに近づいた。近づいて、尊師に挨拶をして、一方の端に立った。近づいて、尊師に挨拶をして、一方の端に立った。一方の端に立って、一人の神が尊師にこのように言った。 <尊師よ、ヴァッカリ比丘は、解脱に向けて思念しています> もう一人の神が尊師にこのように言った。 <尊師よ、かれは、たしかに、善く解脱した者となって解脱するでしょう> さらに、友ヴァッカリよ、尊師はこのように述べた。 <畏れるな、ヴァッカリよ、畏れるな、ヴァッカリよ。お前の死は、汚れないものとなるだろう。汚れなきものとなって死ぬだろう>」 30 「友よ、次のようなわたしのことばとともに、尊師の足下に頭をつけて礼拝してください。 『尊師よ、ヴァッカリ比丘は、病にかかり、苦しんでいて、重病です。かれは、尊師の足下に頭をつけて礼拝し、このように述べます。 <尊師よ、物質(色)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、感受(受)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、表象(想)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、意志(行)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、意識(識)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません>』」 31 「そのとおりにしましょう、友よ」と、かれら比丘たちは、尊者ヴァッカリに同意して、出かけていった。 32 そのとき、尊者ヴァッカリは、かの比丘たちが去ると間もなく、刀を取り出した。 ========================== 33 さて、かれら比丘たちは、尊師のところに近づいた。近づいて、一方の端に坐った。一方の端に坐って、かの比丘たちは、尊師に、このように言った。 「尊師よ、ヴァッカリ比丘は、病にかかり、苦しんでいて、重病です。かれは、尊師の足下に頭をつけて礼拝し、このように述べます。 『尊師よ、物質(色)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、感受(受)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、表象(想)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、意志(行)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません。 尊師よ、意識(識)が無常であることを、わたしは疑いません。無常なるものが苦であることを、わたしは、疑うことはありません。無常であり、苦である転変する法について、わたしには、欲や貪りや愛着のないということを、わたしは、疑うことはありません』」 34 そのとき、尊師は、比丘たちに呼びかけた。 「比丘たちよ、イシギリ・パッサ・カーラシラーに向かって、出かけよう。そこでは、善男子ヴァッカリが、刀を持ちだした」 「おっしゃるとおりにしましょう、尊師よ」と、かの比丘たちは、尊師に同意した。 35 そこで、尊師は、たくさんの比丘たちとともに、イシギリ・パッサ・カーラシラーに赴いた。 36 尊師は、遠くから、尊者ヴァッカリが寝台の上に、還滅した蘊(=死んだ身体)を横たえているのを見た。 37 ちょうどそのとき、煙のように立ちこめた黒雲が、東に走り、西に走り、北に走り、南に走り、上に走り、下に走り、四維に走るのであった。 38 そこで、尊師は、比丘たちに呼びかけた。 「比丘たちよ、お前たちは、この煙のように立ちこめた黒雲が、東に走り、東に走り、西に走り、北に走り、南に走り、上に走り、下に走り、四維に走るのを見ているかどうか」 「はい、見ています、尊師よ」 39 「比丘たちよ、悪魔パーピマン(波旬)が、善男子ヴァッカリの意識(識)はどこに住しているのかと、かれの意識を探し求めているのである。 40 比丘たちよ、善男子ヴァッカリは、かれの意識は住することなく、完全な涅槃に入ったのである」 マニカナ・ホームページ |