『サンユッタ・ニカーヤ』22-53(PTS Text,V.pp.53-54) 近づいていくこと 1-2 サーヴァッティーでのことである。そこで、尊師は、次のように語りました。 3 「比丘たちよ、近づいていくことは、解脱しないことであり、近づいていかないことが、解脱することです。 4 比丘たちよ、色に近づいていくと、識が起ち上がってきてそこに留まるでしょう。色を対象として、色にしっかりと存立して、喜びを追い求め、生育し成長し大きく広がっていくでしょう。 受に近づいていくと、受を対象として、受にしっかりと存立して、喜びを追い求め、生育し成長し大きく広がっていくでしょう。 想に近づいていくと、想を対象として、想にしっかりと存立して、喜びを追い求め、生育し成長し大きく広がっていくでしょう。 行に近づいていくと、識が起ち上がってきてそこに留まるでしょう。行を対象として、行にしっかりと存立し、喜びを追い求め、生育し成長し大きく広がっていくでしょう。 5 比丘たちよ、或る人が、「わたしは、色を除外して、受を除外して、想を除外して、行を除外して、識が、去ることや来ること、あるいは、没することや・生ずること、あるいは、生育・成長・大きく広がっていくことを説明するだろう」と、このように言うならば、このことは道理のないことです。 6-10 比丘たちよ、もし、色の要素に対して、比丘の貪りが捨てられているならば、貪りが捨てられるから、対象とは分断され、識がしっかりと存立することはありません。 比丘たちよ、もし、受の要素に対して、比丘の貪りが捨てられているならば、貪りが捨てられるから、対象とは分断され、識がしっかりと存立することはありません。 比丘たちよ、もし、想の要素に対して、比丘の貪りが捨てられているならば、貪りが捨てられるから、対象とは分断され、識がしっかりと存立することはありません。 比丘たちよ、もし、行の要素に対して、比丘の貪りが捨てられているならば、貪りが捨てられるから、対象とは分断され、識がしっかりと存立することはありません。 比丘たちよ、もし、識の要素に対して、比丘の貪りが捨てられているならば、貪りが捨てられるから、対象とは分断され、識がしっかりと存立することはありません。 11 しっかりと存立することがないこの識は、生育することなく、成長することなく、大きく広がることがなく、現に作用することなく、解脱したものとなります。みずから解脱したので、立っています。みずから立っているので、満足しています。みずから満足しているので、恐れることがありません。恐れることがないものは、みずから完全に涅槃に入っています。「尽きたのは生まれることである。なし遂げられたのは清浄行である。為したのは為すべきことであって、またふたたびこの(輪廻の)ような状態にいくことはない」と知るのです。 |