心にしみる原始仏典


『サンユッタ・ニカーヤ』22-56.(PTS Text,V.pp.58-61)

取著の転回


1-2 サーヴァッティーでのことである。そこで、尊師は、次のように語りました。

3 比丘たちよ、五つの取著の集まりがあります。何が五つなのでしょうか?
色(いろかたち)の取著の集まり、受(感受)の取著の集まり、想(表象)の取著の集まり、行(意志)の取著の集まり、識(識別)の取著の集まりというようなものです。

4 比丘たちよ、わたしは、これらの五つの取著の集まりについて四通りの転回を、あるがままに証知しないあいだは、比丘たちよ、わたしは、神とともなる・悪魔とともなる・梵天とともなる世界において、沙門・バラモンの人々の中において、神や人に対して、無上の正等覚を覚ったとは、公言しませんでした。

5 比丘たちよ、わたしは、これらの五つの取著の集まりにおいて、四通りの転回をあるがままに証知してから、比丘たちよ、わたしは、神とともなる・悪魔とともなる・梵天とともなる世界において、沙門・バラモンの人々の中において、神や人に対して、無上の正等覚を覚ったと公言したのです。

6 では、どのようなものが四通りの転回なのでしょうか。
色(いろかたち)を証知しました。色の集起を証知しました。色の滅を証知しました。色の滅に向かう道を証知しました。
受(感受)を証知しました。受の集起を証知しました。受の滅を証知しました。受の滅に向かう道を証知しました。
想(表象)を証知しました。想の集起を証知しました。想の滅を証知しました。想の滅に向かう道を証知しました。
行(意志)を証知しました。行の集起を証知しました。行の滅を証知しました。行の滅に向かう道を証知しました。
識(識別)を証知しました。識の集起を証知しました。識の滅を証知しました。識の滅に向かう道を証知しました。

【色】
7 比丘たちよ、では、どのようなものが、色(いろかたち)なのでしょうか。
四つの元素(地水火風)と四つの元素に取著した色(=四つの元素によって造られた色)、これが、比丘たちよ、色と言われるのです。食べもの(アーハーラ)※の集起により、色の集起があります。食べものの滅から、色の滅があります。この聖なる八支の道が、色の滅に向かう道(方法)です。すなわち、正見、正思、…、正定であります。
※ 食べものには四つあるとされる。かたい食べ物・柔らかい食べもの、接触、意思(マノーサンチェータナ―)、識(識別)である。

8 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように色(いろかたち)を証知して、このように色の集起を証知して、このように色の滅を証知して、このように色の滅に向かう道を証知して、色を厭離し、離欲し、滅するように歩んでいくなら、かれらは、よく行う者たちです。よく行う者たちであるならば、この法と律において確固として立つのです。

9 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように色を証知して、このように色の集起を証知して、このように色の滅を証知して、このように色の滅に向かう道を証知して、色を厭離し※、離欲し、滅し、取著なく、解脱するならば、よく解脱しているのです。よく解脱している者たちであるならば、独存しています。独存している者であるならば、かれらに、仮設するための転回(輪廻)はありません。
※nibbidaAya,virAgAya,nirodhAyaのyaを取って読む。

【受】
10 比丘たちよ、では、どのようなものが、受(感受)なのでしょうか。
比丘たちよ、これら六つの感受にかんするあつまり(カーヤ)のことです。眼との接触から生ずる感受、耳との接触から生ずる感受、鼻との接触から生ずる感受、舌との接触から生ずる感受、身体との接触から生ずる感受、心との接触から生ずる感受、比丘たちよ、これが感受であると言われます。接触の集起によって、感受の集起があります。接触の滅から、感受の滅があります。この聖なる八支の道が、感受の滅に向かう道(方法)です。すなわち、正見、正思、…、正定であります。

11 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように感受を証知して、このように感受の集起を証知して、このように感受の滅を証知して、このように感受の滅に向かう道を証知して、感受を厭離し、離欲し、滅するように歩んでいくなら、かれらは、よく行う者たちです。よく行う者たちであるならば、この法と律において確固として立つのです。

12 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように感受を証知して、このように感受の集起を証知して、このように感受の滅を証知して、このように感受の滅に向かう道を証知して、感受を厭離し、離欲し、滅し、取著なく、解脱するならば、よく解脱しているのです。よく解脱している者たちであるならば、独存しています。独存している者であるならば、かれらに、仮設するための転回(輪廻)はありません。

【想】
13-15 比丘たちよ、では、どのようなものが、想(表象)なのでしょうか。
比丘たちよ、これら六つの想(表象)にかんするあつまり(カーヤ)のことです。色(いろかたち)の想(表象)、音声の想、香りの想、味の想、触れられるものの想、法(思われたもの)の想、これが想と言われます。接触の集起によって、想の集起があります。接触の滅から、想の滅があります。この聖なる八支の道が、想の滅に向かう道(方法)です。すなわち、正見、正思、…、正定であります。
……… 独存している者であるならば、かれらに、仮設するための転回(輪廻)はありません。

【行】
16 比丘たちよ、では、どのようなものが、行(意志)なのでしょうか。
比丘たちよ、これら六つの意思(チェータナー)にかんするあつまり(カーヤ)のことです。色(いろかたち)についての意思、音声についての意思、香りについての意思、味についての意思、触れられるものについての意思、法(思われたもの)についての意思、比丘たちよ、これが行(意志)であると言われます。接触の集起によって、行の集起があります。接触の滅から、行の滅があります。この聖なる八支の道が、行の滅に向かう道(方法)です。すなわち、正見、正思、…、正定であります。

17 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように行を証知して、このように行の集起を証知して、このように行の滅を証知して、このように行の滅に向かう道を証知して、行を厭離し、離欲し、滅するように歩んでいくなら、かれらは、よく行う者たちです。よく行う者たちであるならば、この法と律において確固として立つのです。

18 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように行を証知して、このように行の集起を証知して、このように行の滅を証知して、このように行の滅に向かう道を証知して、行を厭離し、離欲し、滅し、取著なく、解脱するならば、よく解脱しているのです。よく解脱している者たちであるならば、独存しています。独存している者であるならば、かれらに、仮設するための転回(輪廻)はありません。

【識】
19 比丘たちよ、では、どのようなものが、識(識別)なのでしょうか。
比丘たちよ、これら六つの識別にかんするあつまり(カーヤ)のことです。
色(いろかたち)についての識別、音声についての識別、香りについての識別、味についての識別、触れられるものについての識別、意(心)についての識別、比丘たちよ、これが識(識別)であると言われます。
名色の集起によって、識の集起があります。
名色の滅から、識の滅があります。この聖なる八支の道が、識の滅に向かう道(方法)です。すなわち、正見、正思、…、正定であります

20 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように識を証知して、このように識の集起を証知して、このように識の滅を証知して、このように識の滅に向かう道を証知して、識を厭離し、離欲し、滅するように歩んでいくなら、かれらは、よく行う者たちです。よく行う者たちであるならば、この法と律において確固として立つのです。

21 比丘たちよ、いかなる沙門であれ、バラモンであれ、このように識を証知して、このように識の集起を証知して、このように識の滅を証知して、このように識の滅に向かう道を証知して、識を厭離し、離欲し、滅し、取著なく、解脱するならば、よく解脱しているのです。よく解脱している者たちであるならば、独存しています。独存している者であるならば、かれらに、仮設するための転回(輪廻)はありません。





心にしみる原始仏典
マニカナ・ホームページ