『スッタニパータ』(『クッダカ・ニカーヤ』)(PTS Text,pp.55-56) 第2章 小なる章 8 船経 316 人が、誰かから法を聞いて知るならば、 神がインドラ神を敬うように、その人を敬うべきである。 博学(多聞)のその人は、敬われると、 きよらかな心をもって法を顕わにする。 317 かしこい者が、注意深く、これを(自分の)目的として、 法にしたがって法を実践していきながら、 このような人に親しんで怠ることがないならば、 智慧のある、分別のある、卓越した者となる。 318 小心者で愚かな者、さらには意義の理解に至らぬ者で、 妬む者につかえるならば、 実にこの世においては法を明らかにすることなく、 疑いを超えることなく死に至る。 319 例えば、人が、満々と水をたたえた激しい流れの河に入って、 水に運ばれ、流れにそってただ行くだけならば、 どうして、その人が他を渡らせることができるだろうか。 320 同じように、法を明らかにすることなく、 博学(多聞)の人々の説いている意味に耳を傾けることなく、 みずからも識ることなく、疑いを超え出ることがないならば、 どうして、その人が他を確信させることができるだろうか。 321 たとえば、頑丈な船に乗って、(その船が)櫂と舵をそなえていて、 その人が(操船の)やり方を知る熟達した思慮深い者であるならば、 その場合、それでもって多くの他の人々を渡すだろう。 322 同じように、ヴェーダ(=知識・明智)に通じ、 みずから修習する者であれば、悟りを得つつ、 (話しに)耳を傾けて喩えを解する他の人々を確信させるだろう。 323 それ故に、智慧のある、博識(多聞)の者で、善き人に親しみなさい。 ものごとを知って、実践していくならば、 法を識ったものとなって、安楽に到達するだろう。 |