『スッタ・ニパータ』(『クッダカ・ニカーヤ』)(PTS Text,PP.25-26.) 第1章 蛇の章 8 慈経 (cf.「小誦経(クッダカ・パータ)」第9章にも、この「慈経」がそのまま出てくる。) 143. 寂静なる道(パダ)を現観したのち、有能であって、正しく直くあり、善いことばを語り、柔軟で、奢りのないものであろうとすること、これが、ためになる善いこととして、なされねばならない。 144. 足るを知り、養いやすく、なすべき仕事も少なく、簡素に生活し、感覚器官が静まっており、賢明であって、謙虚であり、家々で貪ることがない。 145. どんな小さなことであれ、他の識者たちが非難するようなことをしないようにしよう。 一切の生きとし生けるものが、幸せであるように。安穏であるように。快適であるように。 (サッベー サッター バヴァントゥ スキタッター) 146. 生き物として生まれたものは何であれ、ふるえ動くものであれ動かないものであれ、あるいは、全体であれ、長くても、中くらいでも、短くても、微細でも粗大でも、 147. 見えるものでも,見えないものでも、遠くに住んでいようと,近くに住んでいようと、生じたものであれ、生ずることを求めているものであれ、一切の生きとし生けるものが、快適であるように。 148. 人は他を欺いてはならない。どこにあっても、どんな人をも軽んじてはならない。 怒りをもって、怒りの想いによって、相手に苦しみが及ぶように望んではいけない。 149. 母親が、我が子を、命をかけてひとり子として守るように、同じように、一切の生類において、無量の心を起こしなさい。 150. さらに、一切の世界に、無量の慈しみの心を起こしなさい。 上にも下にも横にも、さまたげなく、恨みなく、敵意なく(ありなさい。) 151. 立っているときも、歩いているときも、坐っているときも、横たわっているときも、その限りにおいて、眠気をはらっていなさい。 このような気づきをしっかり保ちなさい。これを、この世では、梵住(ブラフマンの住処)という。 152. 見解に近づかず、戒をたもち、見ることをそなえて、もろもろの欲において貪る心を抑えているならば、その人は、決して、再び母胎に入ることはない。 |