心にしみる原始仏典


『サンユッタ・ニカーヤ』22-79 (PTS Text,V.pp.86-91)

食いつかれるもの


1-2 サーヴァッティーでのことである。その時、尊師は次のように言いました。

【五取蘊】
3 「比丘たちよ、沙門であれ、バラモンであれ、誰であっても、種々の過去世を追っていきつつ、追って気づいていくならば、かれらはみな、五つの取著のあつまりを、あるいは、それらのうちのいずれかを追って念い出しているのです。(五つとは何でしょうか。)

4 比丘たちよ、『過去世に、(わたしは)このような色(いろかたち)であった』というのは、色だけを追っていきつつ、追って念い出しているのです。
比丘たちよ、『過去世に、(わたしは)このような受(感受)であった』というのは、受だけを追っていきつつ、追って念い出しているのです。
比丘たちよ、『過去世に、(わたしは)このような想(表象)であった』というのは、想だけを追っていきつつ、追って念い出しているのです。
比丘たちよ、『過去世に、(わたしは)このような行(意志)であった』というのは、行だけを追っていきつつ、追って念い出しているのです。
比丘たちよ、『過去世に、(わたしは)このような識(識別)であった』というのは、識だけを追っていきつつ、追って念い出しているのです。

5 比丘たちよ、それでは、どのようなものを色と語るとよいのでしょうか。
比丘たちよ、『損なわれる(ルッパティ)』ので、それ故、色(ルーパ)といわれるのです。どのように損なわれるのか、といえば、寒さによっても損なわれ、暑さによっても損なわれ、飢餓によっても損なわれ、渇きによっても損なわれ、虻や蚊や風熱や蛇のたぐいとの接触によっても損なわれるのです。比丘たちよ、『損なわれる』ので、それ故に、色といわれます。

6 比丘たちよ、では、どのようなものを受と語るとよいのでしょうか。
比丘たちよ、『感受する(ヴェーディヤティ)』ので、それ故、受(ヴェーダナー)といわれるのです。どんなものと感受するのか、といえば、楽とも感受し、苦とも感受し、苦でもなく楽でもないとも感受します。比丘たちよ、『感受する』ので、それ故に、受といわれます。

7 比丘たちよ、では、どのようなものを想と語るとよいのでしょうか。
比丘たちよ、『想う(サンジャーナ―ティ)』ので、それ故、想(サンニャー)といわれます。どのように想うのか、といえば、青とも想い、黄色とも想い、赤とも想い、白いとも想います。比丘たちよ、『想う』ので、それ故に、想といわれます。

8 比丘たちよ、では、どのようなものを諸行と語るとよいのでしょうか。
比丘たちよ、『為されたことを現に行う(サンカタン アビサンカローンティ)』ので、それ故に、諸行(サンカーラー)といわれるのです。どのように為されたことを現に行うか、といえば、色たるものとして為された色を現に行い、受たるものとして為された受を現に行い、想たるものとして為された想を現に行い、行たるものとして為された行を現に行い、識たるものとして為された識を現に行います。比丘たちよ、『為されたものを現に行う』ので、それ故に、諸行といわれます。

9 比丘たちよ、では、どのようなものを識と語るとよいのでしょうか。
比丘たちよ、『識別する(ヴィジャーナ―ティ)』ので、それ故に、識(ヴィンニャーナ)といわれるのです。どのように識別するのか、といえば、酸っぱいとも識別し、苦いとも識別し、辛いとも識別し、甘いとも識別し、えぐいとも識別し、えぐくはないとも識別し、塩辛いとも識別し、塩辛くないとも識別します。比丘たちよ、『識別する』ので、それ故に、識といわれます。

【食いつかれる】
10 そこで、比丘たちよ、(教えを)よく聞いている聖なる仏弟子は、(次のように)考察します。

11 『わたしは、今、色に食いつかれている。今現在色によって食われているように、過去世においても、同じように色によって食われたことがあっただろう。それならば、わたしは、未来においても色を喜ぶことがあるかもしれない。今現在、わたしが色によって食われているように、まったく同じように、未来世においても、わたしが色によって食われることはあるかもしれない』
彼は、このように省察して、過去の色に関係することがないのです。彼は、未来の色を喜ぶこともありません。かれは、現在の色から厭い離れ、離欲し、滅することをめざしていくのです。

12 『わたしは、今、受に食いつかれている。今現在受によって食われているように、過去世においても、同じように受によって食われたことがあっただろう。それならば、わたしは、未来においても受を喜ぶことがあるかもしれない。今現在、わたしが受によって食われているように、まったく同じように、未来世においても、わたしが受によって食われることはあるかもしれない』
彼は、このように省察して、過去の受に関係することがないのです。彼は、未来の受を喜ぶこともありません。かれは、現在の受から厭い離れ、離欲し、滅することをめざしていくのです。

13 『わたしは、今、想に食いつかれている。今現在想によって食われているように、過去世においても、同じように想によって食われたことがあっただろう。それならば、わたしは、未来においても想を喜ぶことがあるかもしれない。今現在、わたしが想によって食われているように、まったく同じように、未来世においても、わたしが想によって食われることはあるかもしれない』
彼は、このように省察して、過去の想に関係することがないのです。彼は、未来の想を喜ぶこともありません。かれは、現在の想から厭い離れ、離欲し、滅することをめざしていくのです。

14 『わたしは、今、行に食いつかれている。今現在行によって食われているように、過去世においても、同じように行によって食われたことがあっただろう。それならば、わたしは、未来においても行を喜ぶことがあるかもしれない。今現在、わたしが行によって食われているように、まったく同じように、未来世においても、わたしが行によって食われることはあるかもしれない』
彼は、このように省察して、過去の行に関係することがないのです。彼は、未来の行を喜ぶこともありません。かれは、現在の行から厭い離れ、離欲し、滅することをめざしていくのです。

15 『わたしは、今、識に食いつかれている。今現在識によって食われているように、過去世においても、同じように識によって食われたことがあっただろう。それならば、わたしは、未来においても識を喜ぶことがあるかもしれない。今現在、わたしが識によって食われているように、まったく同じように、未来世においても、わたしが識によって食われることはあるかもしれない』
彼は、このように省察して、過去の識に関係することがないのです。彼は、未来の識を喜ぶこともありません。かれは、現在の識から厭い離れ、離欲し、滅することをめざしていくのです。

【省察:無常・苦・無我】
16 比丘たちよ、おまえたちは、これをどう思うだろうか、色は常住だろうか、無常だろうか?」
「無常です、尊師よ」
「では、無常であるものは、苦であろうか、楽であろうか?」
「苦です、尊師よ」
「では、無常であり、苦であり、変異する性質であるものを見て、『これはわたしのものである、これはわたしである、これはわたしの本質(アッタン)である』とするのは適当だろうか?」
「いいえ、そうではありません、尊師よ」

17 「比丘たちよ、おまえたちは、これをどう思うだろうか、受は常住だろうか、無常だろうか?」
「無常です、尊師よ」
「では、無常であるものは、苦であろうか、楽であろうか?」
「苦です、尊師よ」
「では、無常であり、苦であり、変異する性質であるものを見て、『これはわたしのものである、これはわたしである、これはわたしの本質(アッタン)である』とするのは適当だろうか?」
「いいえ、そうではありません、尊師よ」

18 「比丘たちよ、おまえたちは、これをどう思うだろうか、想は常住だろうか、無常だろうか?」
「無常です、尊師よ」
「では、無常であるものは、苦であろうか、楽であろうか?」
「苦です、尊師よ」
「では、無常であり、苦であり、変異する性質であるものを見て、『これはわたしのものである、これはわたしである、これはわたしの本質(アッタン)である』とするのは適当だろうか?」
「いいえ、そうではありません、尊師よ」

19 「比丘たちよ、おまえたちは、これをどう思うだろうか、行は常住だろうか、無常だろうか?」
「無常です、尊師よ」
「では、無常であるものは、苦であろうか、楽であろうか?」
「苦です、尊師よ」
「では、無常であり、苦であり、変異する性質であるものを見て、『これはわたしのものである、これはわたしである、これはわたしの本質(アッタン)である』とするのは適当だろうか?」
「いいえ、そうではありません、尊師よ」

20 「比丘たちよ、おまえたちは、これをどう思うだろうか、識は常住だろうか、無常だろうか?」
「無常です、尊師よ」
「では、無常であるものは、苦であろうか、楽であろうか?」
「苦です、尊師よ」
「では、無常であり、苦であり、変異する性質であるものを見て、『これはわたしのものである、これはわたしである、これはわたしの本質(アッタン)である』とするのは適当だろうか?」
「いいえ、適当ではありません、尊師よ」

21 「それ故、比丘たちよ、ここにおいて、いかなる色であっても、それが、過去であれ未来であれ現在であれ、あるいは、内であれ外であれ、あるいは、粗大なものであれ微細なものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、また、遠くであれ近くであれ、一切の色について、『これはわたしのものではない、これはわたしではない、これはわたしの本質ではない』と、このように、あるがままに、正しい智慧によって見るべきです。

22 いかなる受であっても、それが、それが、過去であれ未来であれ現在であれ、あるいは、内であれ外であれ、あるいは、粗大なものであれ微細なものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、また、遠くであれ近くであれ、一切の受について、『これはわたしのものではない、これはわたしではない、これはわたしの本質ではない』と、このように、あるがままに、正しい智慧によって見るべきです。

23 いかなる想であっても、それが、それが、過去であれ未来であれ現在であれ、あるいは、内であれ外であれ、あるいは、粗大なものであれ微細なものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、また、遠くであれ近くであれ、一切の想について、『これはわたしのものではない、これはわたしではない、これはわたしの本質ではない』と、このように、あるがままに、正しい智慧によって見るべきです。

24 いかなる行であっても、それが、それが、過去であれ未来であれ現在であれ、あるいは、内であれ外であれ、あるいは、粗大なものであれ微細なものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、また、遠くであれ近くであれ、一切の行について、『これはわたしのものではない、これはわたしではない、これはわたしの本質ではない』と、このように、あるがままに、正しい智慧によって見るべきです。

25 いかなる識であっても、それが、過去であれ未来であれ現在であれ、あるいは、内であれ外であれ、あるいは、粗大なものであれ微細なものであれ、劣ったものであれ優れたものであれ、また、遠くであれ近くであれ、一切の識について、『これはわたしのものではない、これはわたしではない、これはわたしの本質ではない』と、このように、あるがままに、正しい智慧によって見るべきです。

【省察:中道へ】
26 比丘たちよ、かの聖なる仏弟子(声聞)は、こう言われています。かれは、減じているのであって、積みあげているのではありません。捨てているのであって、取っているのではありません。退いているのであって、近づいているのではありません。いぶす香りから離れているのであって、香りをたきこめているのではありません。

27 何を減じているのであって、積みあげているのではないのだろうか?
色を減じているのであって、積みあげているのではありません。
受を減じているのであって、積みあげているのではありません。
想を減じているのであって、積みあげているのではありません。
行を減じているのであって、積みあげているのではありません。
識を減じているのであって、積みあげているのではありません。

28 何を捨てているのであって、取っているのではないのだろうか?
色を捨てているのであって、取っているのではありません。
受を捨てているのであって、取っているのではありません。
想を捨てているのであって、取っているのではありません。
行を捨てているのであって、取っているのではありません。
識を捨てているのであって、取っているのではありません。

29 何から退いているのであって、(何に)近づいているのではないのだろうか。
色から退いているのであって、(色に)近づいているのではありません。
受から退いているのであって、(受に)近づいているのではありません。
想から退いているのであって、(想に)近づいているのではありません。
行から退いているのであって、(行に)近づいているのではありません。
識から退いているのであって、(識に)近づいているのではありません。

30 何をいぶす香りから離れているのであって、(何の)香りをたきこめているのではないのだろうか。
色をいぶす香りから離れているのであって、(色の)香りをたきこめているのではありません。
受をいぶす香りから離れているのであって、(受の)香りをたきこめているのではありません。
想をいぶす香りから離れているのであって、(想の)香りをたきこめているのではありません。
行をいぶす香りから離れているのであって、(行の)香りをたきこめているのではありません。
識をいぶす香りから離れているのであって、(識の)香りをたきこめているのではありません。

【省察:中道】
31 比丘たちよ、このように見ている、(教えを)よく聞いている聖なる弟子(声聞)は、また、色を厭い離れます。受も、又厭い離れます。想も、又厭い離れます。行も、又厭い離れます。識も、又厭い離れます。
厭い離れたものを、離欲します。離欲したものから解脱します。解脱したものにおいて、『解脱した』という知識があります。
『尽きたのは生まれることである。なし遂げられたのは清浄行である。為しとげたのは為すべきことであって、またふたたびこの(輪廻の)ような状態にいくことはない』と知るのです。

【省察:中道】
32 比丘たちよ、かの比丘は、積みあげることもなく減ずることもないと、言われます。
減じたあと存立しているものは、捨てることもなく取ることもありません。
捨てたあと存立しているものは、退くこともなく近づくこともありません。
退いたあと存立しているものは、いぶす香りから離れていることもなく、香りをたきこめているのでもありません。

33 いぶす香りから離れたあと存立しているものは、何を積みあげることなく減ずることがないのだろうか。
減じたあと存立しているものは、色を積みあげることも減ずることもありません。
減じたあと存立しているものは、受を積みあげることも減ずることもありません。
減じたあと存立しているものは、想を積みあげることも減ずることもありません。
減じたあと存立しているものは、行を積みあげることも減ずることもありません。
減じたあと存立しているものは、識を積みあげることも減ずることもありません。

34 減じたあと存立しているものは、何を捨てることもなく取ることもないのだろうか。
捨てたあと存立しているものは、色を捨てることも取ることもありません。
捨てたあと存立しているものは、受を捨てることも取ることもありません。
捨てたあと存立しているものは、想を捨てることも取ることもありません。
捨てたあと存立しているものは、行を捨てることも取ることもありません。
捨てたあと存立しているものは、識を捨てることも取ることもありません。

35 捨てたあと存立しているものは、何から退くこともなくそれに近づくこともないのだろうか。
退いたあと存立しているものは、色から退くこともそれに近づくこともありません。
退いたあと存立しているものは、受から退くこともそれに近づくこともありません。
退いたあと存立しているものは、想から退くこともそれに近づくこともありません。
退いたあと存立しているものは、行から退くこともそれに近づくこともありません。
退いたあと存立しているものは、識から退くこともそれに近づくこともありません。

36 退いたあと存立しているものは、何をいぶす香りから離れていることもなくたきこめているのではないのだろうか。
退いたあと存立しているものは、色をいぶす香りから離れていることもなくたきこめていることもありません。
退いたあと存立しているものは、受をいぶす香りから離れていることもなくたきこめていることもありません。
退いたあと存立しているものは、想をいぶす香りから離れていることもなくたきこめていることもありません。
退いたあと存立しているものは、行をいぶす香りから離れていることもなくたきこめていることもありません。
退いたあと存立しているものは、識をいぶす香りから離れていることもなくたきこめていることもありません。

【帰命】
37 かれは、いぶす香りから離れたあと存立しています。比丘たちよ、このように、心解脱した比丘を、帝釈天を含む神々や梵天を含む神々や生主天を含む神々は、はるか遠くから礼拝するのです。

38 あなたに帰命いたします、人の中の高貴なるものよ。
  あなたに帰命いたします、人の中の最高のものよ
  どんなものに対しても、あなたが深く思慮する同じその
  よりどころによって、わたしたちは証知します。





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