『サンユッタ・ニカーヤ』12-32.(PTS Text,U.pp.50-55) 32.(2)カラーラ 1.尊師はサーヴァッティに滞在していた。 2.さて、カラーラカッティヤ比丘は、尊者サーリプッタのところに近づいた。近づいて、尊者サーリプッタと互いに挨拶を交わした。喜ばしく親密な会話を交わし、一方の端に座った。 3.一方に座ったカラーラカッティヤ比丘は、尊者サーリプッタにこのように言った。 (カラーラカッティヤ比丘)「モーリアパッグナは、友サーリプッタ比丘よ、学を誹謗し、還俗してしまいました」 (サーリプッタ比丘)「かの尊者は、確かに、この法と戒とにおいて、安心を得てはいませんでした」 4.「それでは、尊者サーリプッタは、この法と律とにおいて、安心を得ているのですね」 「友よ、わたしは、まったく疑っていません」 5.「では、友よ、将来においても、そうなのですか」 「友よ。わたしには、まったく疑うところはありません」 6.さて、カラーラカッティヤ比丘は、座より立ち上がって、尊師のところに赴いた。赴いて尊師に敬礼して、一方の隅に座った。 7.一隅に座った、カラーラカッティヤ比丘は、尊師にこのように言った。 「尊師よ、サーリプッタ尊者は、完全智を語りました、すなわち『尽きたのは生である。完成したのは清浄行である。なし終えたものは為すべきことである。もはやこの(輪廻)の状態に至らないとわたしは知る』と」 8.さて、尊師は、別の比丘に呼びかけた。 「来なさい。比丘よ、おまえは、サーリプッタに、わたしの言葉を告げなさい。『友、サーリプッタよ、師があなたを呼んでいます』と」 9.「尊師よ、そうします」と、その比丘は、尊師に答えて、サーリプッタ尊者に近づいた。近づいて、尊者サーリプッタにこのように言った。「友、サーリプッタよ、師があなたを呼んでいます」と。 10.「仰せのとおりにそうします、友よ」と、尊者サーリプッタは、その比丘に答えて、尊師のところに趣いた。趣いて、尊師に敬礼し、一方に座った。 11.一方に座った尊者サーリプッタに、尊師はこのように言った。 「サーリプッタよ、『尽きたのは生である。完成したのは清浄行である。なし終えたものは為すべきことである。もはやこの(輪廻)の状態に至らないとわたしは知る』と、おまえが完全智を語った、というのは、真実なのか?」 「尊師よ、これらの語句やこれらの字句によって言われるようなことがらは、ありません」 12.「サーリプッタよ、良家の子は、何らかの方法によって完全智を明らかにするものだ。では、説かれたことを説かれたとおりに見ることにしよう」 13.「じっさい、わたしはこのように述べています。『尊師よ、これらの語句やこれらの字句によって言われたようなことがらはありません』と」 14.「そうなら、サーリプッタよ、このようなことがおまえに問われねばならない: 『尽きたのは生である。完成したのは清浄行である。なし終えたものは為すべきことである。もはやこの(輪廻)の状態に至らないとわたしは知る』と、完全智は語られるのだが、そのことは、友、サーリプッタよ、どのようにして知られたのか、あるいは、どのようにして見られたのか、と。 このようにたずねられたなら、おまえは、サーリプッタよ、なんと解答するのだろうか」 15.「『尽きたのは生である。完成したのは清浄行である。なし終えたものは為すべきことである。もはやこの(輪廻)の状態に至らないとわたしは知る』と、完全智が語られるのだが、そのことは、友、サーリプッタよ、どのようにして知られたのか、あるいは、どのようにして見られたのか、と、わたしにたずねられるのであれば、尊師よ、このようにたずねられたわたしは、このように答えるでしょう。 16.友よ、何らかの因縁によっているのが、生であるが、その縁生を滅尽することによって、滅尽したものにおいて、滅尽があると知られた。滅尽したものにおいて、滅尽があると知って、尽きたのは生である。完成したのは清浄行である。なし終えたものは為すべきことである。もはやこの(輪廻)の状態に至らないとわたしは知るのだ、と。 このようにたずねられたなら、尊師よ、わたしは、このように答えるでしょう」 17.「では、また、サーリプッタよ、このようにおまえにたずねよう: 友、サーリプッタよ、生は、どのような因縁があり、どのような集起の因があり、どのようなものから生ずるのか、どのようなものから発生するのか、と。 このようにたずねられたら、おまえは、サーリプッタよ、なんと答えるだろう」 18.「もし、尊師よ、わたしにこのようなことがたずねられるとします:友、サーリプッタよ、生はどのようなものを因縁とし、どのようなものを集起の因とし、どのようなものから生まれ、どのようなものから発生するのか、と。 このようにたずねられたら、尊師よ、わたしはこのように答えるでしょう。生は、友よ、生存を因縁とし、生存を集起因とし、生存から生じ、生存から発生する、と。 このようにたずねられたなら、尊師よ、このようにわたしは答えるでしょう」 19.「もし、また、サーリプッタよ、おまえにこのようなことをたずねよう:生存は、友、サーリプッタよ、どのようなものを因縁とし、どのようなものを集起因とし、どのようなものから生まれ、どのようなものから発生するのか、と。このようにたずねられたなら、おまえは、サーリプッタよ、なんと答えるだろう」 20.「もし、尊師よ、わたしにこのようなことがたずねられるとします:友、サーリプッタよ、生存はどのようなものを因縁とし、どのようなものを集起因とし、どのようなものから生まれ、どのようなものから発生するのか、と。 このようにたずねられたら、尊師よ、わたしはこのように答えるでしょう。生存は、友よ、執着を因縁とし、執着を集起因とし、執着から生じ、執着から発生する、と。 このようにたずねられたなら、尊師よ、このようにわたしは答えるでしょう」 21.「もし、また、サーリプッタよ、おまえにこのようなことをたずねよう:執着は、友サーリプッタよ、どのようなものを因縁とし、どのようなものを集起因とし、どのようなものから生まれ、どのようなものから発生するのか、と。このようにたずねられたなら、おまえは、サーリプッタよ、なんと答えるだろう」 22.……… 23.「もし、また、サーリプッタよ、おまえにこのようなことをたずねよう:渇愛は、友サーリプッタよ、どのようなものを因縁とし、どのようなものを集起因とし、どのようなものから生まれ、どのようなものから発生するのか、と。このようにたずねられたなら、おまえは、サーリプッタよ、なんと答えるだろう」 24.「尊師よ、もし、わたしにこのようなことがたずねられるとします:渇愛は、友サーリプッタよ、渇愛は、どのようなものを因縁とし、どのようなものを集起因とし、どのようなものから生まれ、どのようなものから発生するのか、と。 このようにたずねられたら、尊師よ、このように答えるでしょう。友よ、渇愛は、感受を因縁とし、感受を集起の因とし、感受から生じ、感受から発生する。 このようにたずねられたら、尊師よ、わたしはこのように答えるでしょう」 25.「もし、また、サーリプッタよ、おまえにこのようなことをたずねよう:どのように知り、どのように見るならば、感受をきわめて喜ぶということが起こらないのであろうか、と。このようにたずねられたら、サーリプッタよ、おまえはなんと答えるだろうか」 26.「尊師よ、もし、わたしにこのようなことがたずねられるとします:どのように知り、どのように見るならば、感受をきわめて喜ぶということが起こらないのであろうか、と。このようにたずねられたら、尊師よ、わたしはこのように答えるでしょう。 27.友よ、これら三つが、感受である。何が三つなのか。楽なる感受、苦なる感受、楽でも苦でもない感受である。友よ、これら三つの感受は、無常である。無常であるものは、苦であると知るとき、感受をきわめて喜ぶということは起こらないだろう、と。 このようにたずねられたら、尊師よ、わたしはこのように答えるでしょう」 28.「よろしい、よろしい。サーリプッタよ、これは、感受されたどんなものも苦に陥るということを簡潔に記すための法門である」 29.「もし、また、サーリプッタよ、おまえにこのようなことをたずねるとしよう:すなわち、 友、サーリプッタよ、『尽きたのは生である。完成したのは清浄行である。なし終えたものは為すべきことである。もはやこの(輪廻)の状態に至らないとわたしは知る。』と、完全智は語られるのだが、これは、どのような解脱によるのだろうか、と。このように問われたとき、サーリプッタよ、おまえはどのように答えるだろうか」 30.「尊師よ、もし、わたしにこのようなことがたずねられるとします:すなわち、友、サーリプッタよ、『尽きたのは生である。完成したのは清浄行である。なし終えたものは為すべきことである。もはやこの(輪廻)の状態に至らないとわたしは知る。』と、完全智は語られるのだが、これは、どのような解脱によるのだろうか、と。このようにたずねられたら、尊師よ、わたしはこのように答えるでしょう。 31.内なるものの解脱により、わたしは、友よ、一切の執着を滅尽して、このような気づきをもって住している。このように住しているものには、煩悩は、存在しない、わたしは、自己を軽蔑しない、と。 このように問われたとき、尊師よ、わたしはこのように答えるでしょう」 32.「よろしい、よろしい、サーリプッタよ。これは、次のようなことがらについて簡潔に答えるための法門である。つまり、沙門によって述べられた煩悩において、わたしは疑いがないし、わたしには、それらが捨てられたということについて疑いはない、と(いうことがらについてである)」 33.こう言って、尊師は坐より立ち上がって、精舎に入った。 34.そこで、尊者サーリプッタは、尊師がさって間もないとき、比丘たちに呼びかけた。 35.「かつて、わたしがまだわずかしか知っていない頃、友よ、尊師は、最初の質問をしましたが、そのことについては、わたしは、愚鈍でした。 友よ、尊師は、最初の質問をわたしにして(その答を)喜んでくださったが、そのことについて、わたしには、このような思いがありました。 36.もし、尊師が、一日中、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、一日中でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 37.もし、尊師が、一晩中、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、一晩中でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 38.もし、尊師が、一昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、一昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 39.もし、尊師が、二昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、二昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 40.もし、尊師が、三昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、三昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 41.もし、尊師が、四昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、四昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 42.もし、尊師が、五昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、五昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 43.もし、尊師が、六昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、六昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 44.もし、尊師が、七昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、七昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう」 45.そこで、カラーラカッティヤ比丘は、坐より立ち上がって、尊師のところに赴いた。赴いて、尊師に敬礼して、一方の端に座った。 46.一方の端に座ったカラーラカッティヤ比丘は、尊師にこのように言った。 「尊師よ、サーリプッタ尊者は、獅子吼して言いました。『かつて、わたしがまだわずかしか知っていない頃、友よ、尊師は、最初の質問をしましたが、そのことについては、わたしは、愚鈍でした。 友よ、尊師は、最初の質問をわたしにして(その答を)喜んでくださったが、そのことについて、わたしには、このような思いがありました。 もし、尊師が、一日中、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、一日中でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう。 もし、尊師が、一晩中、……… もし、尊師が、一昼夜、……… もし、尊師が、二昼夜、……… もし、尊師が、三昼夜、……… もし、尊師が、四昼夜、……… もし、尊師が、五昼夜、……… もし、尊師が、六昼夜、……… もし、尊師が、七昼夜、わたしにこのことについて、さまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとするならば、七昼夜でも、わたしは、尊師にこのことを、さまざまなことばでさまざまな方法で解答するでしょう』、と。」 47.「比丘よ、サーリプッタは、法の要素(法界)に通達したのだよ。法の要素に通達したから、一日中、わたしが、サーリプッタにこのことをさまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとすれば、一日中、わたしに、サーリプッタは、このことをさまざまなことばで、さまざまな方法で答えるだろう。 一晩中、わたしが、サーリプッタにこのことをさまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとすれば、一晩中、わたしに、サーリプッタは、このことを答えるだろう。 一昼夜、わたしが、サーリプッタにこのことを尋ねるとすれば、……… 二昼夜、……… 三昼夜、……… 四昼夜、……… 五昼夜、……… 六昼夜、……… 七昼夜、わたしが、サーリプッタにこのことをさまざまなことばで、さまざまな方法で尋ねるとすれば、七昼夜、わたしに、サーリプッタは、このことをさまざまなことばで、さまざまな方法で答えるだろう」 第二番目の話しである。 |