『スッタ・ニパータ』(『クッダカ・ニカーヤ』)(PTS Text,PP.16-18.) 第1章 蛇の章 5 チュンダ経 83 「広く智慧ある聖者、目覚めたもの(ブッダ)、真理の主、渇愛を離れた人、 人間の中の最高のもの、調御者の中の最高のものに対して、お尋ねします。 世の中には、どれだけの沙門がいるのですか、さあ、どうぞ説いてください」と、鍛冶工の子チュンダが述べました。 84 「四種類の沙門がおり、第五のものはいません、チュンダよ」と尊師は答えました。 「正面切って問われたのだから、それらを、あなたに明かしましょう。 ――道に打ち勝った者、道を教える者、道に生きる者、道を汚す者(の四種)です。」 85 「諸々のブッダは、誰を、道に打ち勝った者と説くのですか。道の禅定者はどうして肩を並べるものがないのですか。 お尋ねしますので、道に生きる、ということをわたしに語ってください。 また、道を汚す者というのを、わたしに明らかにしてください」と鍛冶工の子チュンダは言いました。 86 「疑惑を超えたもの、煩悩を離れ、涅槃を大いに喜び、貪欲がなく、神とともなる世界の指導者、 このようなものを、道に打ち勝った者と、諸仏は説くのです。」 87 この世で最高を最高であると知って、この世で法を説いて分析するもの、疑惑を断った不動の聖者、 かれを、比丘たちの中で、第二の道を説くものといいます。 88 法のことばであってよく説かれたものである「道」において、生きていて、みずからを制御し、 気づきがあって、罪過(つみとが)のないことばに親しんでいるもの、 かれを、比丘たちの中の第三のものである、道に生きるもの、と呼びます。 89 善き行いをするように見せかけて、厚かましく、家を汚すものであって、傲慢なもの、 人をたぶらかし、自省することなく、無駄話に興じ、行じているふりをするもの、かれが道を汚すものであります。 90 これらをよく理解した在家の信者で、聖なる仏弟子で智慧あるものは、 このように聞いて、かれらすべてについて『この通りである』と知り、『この通りである』と見ても、 かれの信はなくなることはありません。 ――悪しきものと悪いところのないものと、清らかなものと清らかでないものとを、 どうして、同じとすることができるでしょうか。」 |