『サンユッタ・ニカーヤ』47-13(PTS Text,V.pp.161-163) 13. チュンダ 1. あるとき、尊師は、サーヴァッティの、ジェータ太子の林である給孤独長者の園林に滞在していました。 2. そのとき、尊者サーリプッタは、マガダ国のナーラ村にいました。かれは、病にかかり、苦しんでいて、重病でした。チュンダ沙弥は、尊者サーリプッタに仕える者でした。 3. さて、尊者サーリプッタは、病によって、般涅槃しました。 4. そこで、チュンダ沙弥は、尊者サーリプッタの鉢と衣をもって、サーヴァッティのジェータ太子の林である給孤独長者の園林にいる尊者アーナンダのところにいきました。近づいて、尊者アーナンダに礼拝して、一方の隅に座りました。一方の隅に座ったチュンダ沙弥は、尊者アーナンダに、このように言いました。 「尊者よ、尊者サーリプッタは般涅槃いたしました。これが、かれの鉢と衣です」 5. 「友チュンダよ、これは、尊師に知らせるために、もっていくべき話しです。友チュンダよ、わたしたちは、尊師のところに出かけましょう。出かけていって、尊師にこの出来事をお知らせしましょう」 「そうしましょう、尊師よ」と、チュンダ沙弥は、尊者アーナンダに同意しました。 6. そこで、尊者アーナンダとチュンダ沙弥とは、尊師のところに行きました。行って、尊師に礼拝して、一方の隅に座りました。 一方の隅に座った尊者アーナンダは、尊師にこのように言いました。 「尊師よ、このもの、チュンダ沙弥は、このように言いました。『尊者よ、尊者サーリプッタは、般涅槃いたしました。これが、かれの鉢と衣です』と。尊師よ、わたしの身体は、酒に酔ったようになってしまいました。尊者サーリプッタが般涅槃したと聞いて、わたしには、方角もわからなくなり、諸々の法もわからなくなりました」 7. 「アーナンダよ、サーリプッタは、おまえの戒の集まりを取って、般涅槃したのですか、それとも、三昧の集まりを取って、般涅槃したのですか、それとも、智慧の集まりを取って、般涅槃したのですか、それとも、解脱の集まりを取って、般涅槃したのですか、それとも、解脱知見の集まりを取って、般涅槃したのですか」 「尊師よ、尊者サーリプッタは、わたしの戒の集まりを取って般涅槃したのではありません。三昧の集まりを取って般涅槃したのでもありません。また、智慧の集まりを取って般涅槃したのでもありません。解脱の集まりを取って、般涅槃したのでもありません。解脱知見の集まりを取って、般涅槃したのでもありません。 そうではなく、尊師よ、尊者サーリプッタは、わたしにとっては、教えさとしてくれる者であり、よく乗り越えた者であり、教授してくれる者であって、開き示してくれる者であり、励ましてくれる者であり、鼓舞してくれる者であり、喜んでくれる者であって、法を説いて疲れることがなく、共に清浄行を行う者を支えてくれました。 わたしたちは、尊者サーリプッタによる法の力を、法の楽しみを、法の利益を、思い出すのです」 8. 「アーナンダよ、わたしは、前々から、こういうことを語ってきたでしょう。『一切の愛しく好ましいものから、分かれ、離れて、異なっていく』ということを。 アーナンダよ、このことを、今ここで、どうすることができるでしょうか。 生まれたもの、存在しているもの、作られたものは、壊れる性質であるのに、このようなものに、実に、壊れてはならない、といっても、そうなる道理はないのです。 9. アーナンダよ、たとえば、大きな樹木がしっかりと立っているとしましょう。だが、その樹木の、大きな幹が折れることもあるでしょう。 同じように、アーナンダよ、大きな比丘の僧団はしっかりと存続しているのだけれど、サーリプッタは、般涅槃したのです。このことを、今ここで、どうすることができるでしょうか。 生まれたもの、存在しているもの、作られたもの、壊れるもの、このようなものに、実に、破滅してはならない、といっても、そうなる道理はないのです。 10. それだから、アーナンダよ、 自己を中洲として、自己をよりどころとして、他をよりどころとすることなく、法を中洲とし、法をよりどころとして、他をよりどころとすることなく、住みなさい。 アーナンダよ、比丘が自己を中洲として住み、自己をよりどころとして、他をよりどころとすることなく、法を中洲として、法をよりどころとして、他をよりどころとすることがない、というのは、どういうことでしょうか。 11. アーナンダよ、今ここに比丘がいて、身体において、身体を観察して住しています。熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしています。 諸々の感受において、感受を観察して住しています。熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしています。 心において、心を観察して住しています。熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしています。 諸々の法において、法を観察して住しています。熱心に、気をつけて、気づきをそなえ、世間の貪欲や憂いを調伏して、そうしています。 このように、アーナンダよ、比丘は、自己を中洲として住み、自己をよりどころとして、他をよりどころとすることなく、法を中洲として、法をよりどころとして、他をよりどころとすることがないのです。 12. アーナンダよ、今も、あるいは、わたしの死んだ後も、自己を中洲として、自己をよりどころとして、他をよりどころにせず、法を中洲として、法をよりどころとして、他をよりどころとせずに住むようであれば、学ぼうと望む比丘たちは誰であれ、最高処にいるでしょう。 |