心にしみる原始仏典


『サンユッタ・ニカーヤ』47.14(PTS Text,Vol.5, pp.163-165)

14.チェーラー



1. あるとき、それはサーリプッタとモッガラーナの二人が般涅槃して間もない頃でしたが、世尊は、大きな比丘の集団と一緒に、ヴァッジの国、ウッカチェーラーというところでガンジス川の岸辺に滞在していました。

2.そのとき、世尊は、比丘の集団に囲まれて露地に座っていました
さて、世尊は、じっと黙ったまま比丘集団を眺めていましたが、比丘たちに呼びかけました。

3.「比丘たちよ、わたしにとっては、この集会は、まるで空っぽのように見えます。比丘たちよ、サーリプッタとモッガラーナが般涅槃して、わたしには、集会はからっぽです。サーリプッタとモッガラーナの住していた方角にはなんの期待もありません。

4 .比丘たちよ、過去時において、阿羅漢で正等覺者である者たちがいました。
比丘たちよ、かれら尊師たちにも、このようにすぐれた一対の弟子たちがいました。―― あたかも、わたしに、サーリプッタとモッガラーナがいるように。
比丘たちよ、未来時においても、阿羅漢で正等覺者であるものたちはいるでしょう。かれら尊師たちにも、このようにすぐれた一対の弟子たちがいるでしょう。―― あたかも、わたしに、サーリプッタとモッガラーナがいるように。

5.比丘たちよ、弟子たちにとって稀有なことはこれです、比丘たちよ、弟子たちにとって未曾有なことはこれです、すなわち、師の教えを実行することでしょう。それに対して師の教誡があるでしょう。四つの会衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)に愛されるでしょう。好まれるでしょう。尊敬されるでしょう。
比丘たちよ、如来にとって稀有なことはこれです!比丘たちよ、如来にとって未曾有なことは、これです。このような一対の弟子たちが般涅槃したとしても、如来には、憂いや悲しみはないのです。
このことを、今ここで、どうすることができましょうか。比丘たちよ、生まれたもの、存在しているもの、作られたもの、壊れるもの、このようなものに、実に、破滅してはならない、といっても、そうなる道理はないのです。

6.比丘たちよ、たとえば、大きな樹木がしっかりと立っているとしましょう。だが、その樹木の、大きな幹が折れることもあるでしょう。同じように、アーナンダよ、大きな比丘の僧団はしっかりと存続しているのですが、サーリプッタとモッガラーナは、般涅槃したのです。このことを、今ここで、どうすることができましょう。生まれたもの、存在しているもの、作られたもの、壊れるもの、このようなものに、実に、破滅してはならない―― といっても、そうなる道理はありません。

7.それだから、比丘たちよ、自己を中洲として住みなさい、自己を帰依所として、他を帰依所とすることなく。法を中洲として、法を帰依所として、他を帰依所とすることなく。

8.比丘たちよ、ここで、比丘は身体において身体を観察して住みます。熱心に正知して気づきをもち、世間にある貪りや憂いを調伏するでしょう。感受において、…、心において、…、法において法を観察して住し、熱心に正知して気づきをもって世間における貪りや憂いを調伏するでしょう。
このように、比丘たちよ、比丘は、自己を中洲として住します、自己を帰依所として、他を帰依所とすることなく、法を中洲として、法を帰依所として、他を帰依所とすることなく。

9.比丘たちよ、だれであれ、現在も、わたしの死後も、自己を中洲として住し、自己を帰依所として他を帰依所とすることなく、法を中洲として法を帰依所として他を帰依所とすることないものであれば、だれであれ、学習したいと望む者たちは最高処にいるでしょう。





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