心にしみる原始仏典


『ウダーナ』1.1-1.3(PTS Text, pp.1-3.)

第1章 悟りの章

(1.1)
このように、わたしは聞きました。あるとき、尊師は、ウルヴェーラーにあるネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元に居て、現等覚を得ていました。
そのとき、尊師は、七日間一つの結跏趺坐して、解脱の楽を受けていました。
さて、尊師は、七日を過ぎて、その三昧から出定して、夜の最初の区分において、縁って起こること(縁起)を、順に、よく思い起こしました。

<これ>があるとき<これ>がある、<これ>が生ずるから<これ>が生ずる。

すなわち、無明に縁って行(志向作用)がある、行に縁って識(識別作用)がある、識に縁って名色(名称と形体)がある、名色に縁って六入(六つのよりどころ)がある、六入に縁って触(接触)がある、触に縁って受(感受)がある、受に縁って愛(渇愛)がある、愛に縁って取(執着)がある、取に縁って有(生存)がある、有に縁って生(生まれること)がある、生に縁って老死(老いること・死ぬこと)があり、愁(愁い)・悲(悲しみ)・苦(苦しみ)・憂(憂い)・悩(悩み)が集まり起こる。このように、この苦しみの集まりの集起がある。

さて、尊師は、このことがら(意味するところ)を知って、そのときに、このウダーナ(感興のことば)を発しました。

実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、かれには、疑いがことごとく消え去る、なぜなら、原因をもつ法を了知するからである。 //1.1//


(1.2)
このように、わたしは聞きました。あるとき、尊師は、ウルヴェーラーにあるネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元に居て、現等覚を得ていました。
そのとき、尊師は、七日間一つの結跏趺坐して、解脱の楽を受けていました。

さて、尊師は、七日を過ぎて、その三昧から出定して、夜の中間の区分において、縁って起こること(縁起)を、逆に、よく思い起こしました。

<これ>がないとき<これ>がない、<これ>が滅するから<これ>が滅する。

すなわち、無明の滅により行(志向作用)が滅する、行の滅により識(識別作用)が滅する、識の滅により名色(名称と形体)が滅する、名色の滅により六入(六つのよりどころ)が滅する、六入の滅により触(接触)が滅する、触の滅により受(感受)が滅する、受の滅により愛(渇愛)が滅する、愛の滅により取(執着)が滅する、取の滅により有(生存)が滅する、有の滅により生(生まれること)が滅する、生の滅により老死(老いること・死ぬこと)が滅し、愁(愁い)・悲(悲しみ)・苦(苦しみ)・憂(憂い)・悩(悩み)が滅する。このように、この苦しみの集まりの滅がある。

さて、尊師は、このことがらを知って、そのときに、このウダーナ(感興のことば)を発しました。

実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、かれには、疑いがことごとく消え去る、なぜなら、諸々の縁(原因)の滅尽を知ったからである。 //1.2//


(1.3)
このように、わたしは聞きました。あるとき、尊師は、ウルヴェーラーにあるネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元に居て、現等覚を得ていました。
そのとき、尊師は、七日間一つの結跏趺坐して、解脱の楽を受けていました。

さて、尊師は、七日を過ぎて、その三昧から出定して、夜の最後の区分において、縁って起こること(縁起)を、順と逆に、よく思い起こしました。
<これ>があるとき<これ>がある、<これ>が生ずるから<これ>が生ずる。
<これ>がないとき<これ>がない、<これ>が滅するから<これ>が滅する。

すなわち、無明に縁って行(志向作用)がある、行に縁って識(識別作用)がある、識に縁って名色(名称と色形)がある、名色に縁って六入(六つのよりどころ)がある、六処に縁って触(接触)がある、触に縁って受(感受)がある、受に縁って愛(渇愛)がある、愛によって取(執着)がある、取に縁って有(生存)がある、有に縁って生(生まれること)がある、生に縁って老死(老いること死ぬこと)があり、愁(愁い)・悲(悲しみ)・苦(苦しみ)・憂(憂い)・悩(悩み)が起こる。このように、この苦しみの集まりの集起がある。
すなわち、無明の滅により行(志向作用)が滅する、行の滅により識(識別作用)が滅する、識の滅により名色(名称と形体)がめっする、名色の滅により六入(六つのよりどころ)がある、六処の滅により触(接触)が滅する、触の滅により受(感受)が滅する、受の滅により愛(渇愛)が滅する、愛の滅により取(執着)が滅する、取の滅により有(生存)が滅する、有の滅により生(生まれること)のが滅する、生の滅により老死(老いること死ぬこと)が滅し、愁(愁い)・悲(悲しみ)・苦(苦しみ)・憂(憂い)・悩(悩み)が滅する。このように、この苦しみの集まりの滅がある。
さて、尊師は、このことがらを知って、そのときに、このウダーナ(感興のことば)を発しました。

実に、熱心に禅定しているバラモンに、諸々の法が明らかになるとき、悪魔の軍勢を破壊しつつ、かれは住立する。あたかも、太陽が空中で輝くように。 //1.3//





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