心にしみる原始仏典


『ウダーナ』1.10(PTS Text,pp.6-9.)
菩提品第一

10 バーヒヤ


わたしは、このように聞きました。(わたしによって、このように聞かれました。)

あるとき、尊師は、サーヴァッティのジェータ太子の林にある、給孤独長者の園林に滞在していました。

そのとき、バーヒヤという樹皮をまとった行者は、スッパーラカの海岸に住んでいました。尊敬され、尊重され、敬われ、供養され、崇拝され、衣と托鉢の食べ物と臥坐具と病者に資する医薬品とを得ていました。

さて、バーヒヤという樹皮をまとった行者の心に、このような考えが浮かびました。
「実に、この世において、阿羅漢や阿羅漢道に到達した者が誰であれ、わたしは、それらのものたちを了知する」と。

そのとき、バーヒヤという樹皮をまとった行者の古い縁者である神は、憐憫をもって、義理を求めて、バーヒヤという樹皮をまとった行者の心によって、心に思うことを知って、バーヒヤという樹皮をまとった行者のところに近づきました。

 バーヒヤという樹皮をまとった行者に近づいて、このように言いいました。
「バーヒヤよ、あなたは、阿羅漢でもなければ、阿羅漢道に到達してもいない。あなたが阿羅漢になったり、阿羅漢道に到達するような方法(道)は、ないでしょう」

「それでは、神とともなる世界において、いったい誰が阿羅漢であり、阿羅漢道に到達しているのですか」

「バーヒヤよ、北の地方にサーヴァッティという都があります。そこでは、今、阿羅漢にして正等覺者である尊敬すべき人が滞在しています。バーヒヤよ、かの、尊敬すべき人は、まさしく阿羅漢たるものとして、法を説いています」

さて、バーヒヤという樹皮をまとった行者は、かの神により畏怖させられて、ただちに、スッパーラカを出発しました。すべての行程を一夜で通して、尊敬すべき人が滞在するサーヴァッティのジェータ太子の林である給孤独長者の園林に近づきました。

そのとき、多くの比丘たちが、屋外で散歩をしていました。

さて、バーヒヤという樹皮をまとった行者は、これらの比丘たちに近づいていきました。近づいて、かれら比丘たちに、このように言いました。

「尊者よ、阿羅漢で、正等覺者である尊敬すべき人は、今、どこにおられるのか、私どもは、かの阿羅漢で正等覺者である尊き人に、お目にかかりたいのです」

「バーヒヤよ、尊師は、托鉢のために家々(町)の中に入られた」

そこで、バーヒヤという樹皮をまとった行者は、急いでジェータ太子の林から出て、サーヴァッティに入っていって、尊師を見ました。尊師は、サーヴァッティで托鉢のために行じているところでした。清らかで美しく、感覚器官はすぐれ、心は寂静で、最高に調御して止息し、到達し、訓練され、守られたすばらしい感覚器官をもったナーガ(龍)であるのを見て、尊師に近づきました。近づいて、尊師の足に頭をつけて、尊師にこう言いました。

「尊師よ、どうぞ、尊師はわたしに法をご教示ください。善逝(善く行けるもの)は、長夜にわたりわたしの利益と幸福のためになるような法をご教示ください」

こう言われて、尊師は、バーヒヤにこう言いました。
「よい時ではない。バーヒヤよ、すでに托鉢のために(町に)入ってしまった」

ふたたび、バーヒヤという樹皮をまとった行者は、尊師に、こう言いました。
「尊師よ、尊師の命の障害とわたしたちの命の障害について、法をご教示ください。善逝は、長夜にわたりわたしの利益と幸福のためになるような法をご教示ください」

二度目も、尊師は、バーヒヤという樹皮をまとった行者にこう言いました。
「よい時ではない。バーヒヤよ、すでに托鉢のために(町に)入ってしまった」

三度、バーヒヤという樹皮をまとった行者は、尊師にこう言いました。
「「尊師よ、尊師の命の障害とわたしたちの命の障害について、法をご教示ください。善逝は、長夜にわたりわたしの利益と幸福のためになるような法をご教示ください」

「それならば、バーヒヤよ、この世において、次のようなことが学ばれねばならない。見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。

実に、バーヒヤよ。おまえはこのように学ばなければならない。見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。
 バーヒヤよ、それ故に、おまえはそこにいない、なぜなら、バーヒヤよ、おまえは、まさにここにいないのだから。
それだから、バーヒヤよ、おまえは、この世にも、他の世にも、両者の中間にもいないのだから、これこそ、苦の終わりである」

バーヒヤという樹皮をまとった行者は、このように、尊師が簡略に法を説くやいなや、執着がなくなり、煩悩から心が解脱しました。

さて、尊師は、樹皮行者のバーヒヤにこの簡略な教誡によって教えて、去っていった。ところで、尊師が去って間もない頃、樹皮をまとった行者バーヒヤに、牝牛と仔牛がぶつかって、命を奪い去りました。

そのとき、尊師は托鉢のために行じて、食後に乞食より戻って、多くの比丘たちとともに町から出て、樹皮をまとった行者であるバーヒヤが亡くなったのに出会いました。これを見て比丘たちに、話しかけました。

「比丘たちよ、樹皮をまとった行者バーヒヤの身体を取り上げて、寝台に乗せて外に出し、火をつけなさい。そして、かれの塔を作りなさい。比丘たちよ、おまえたちと共に清浄行をしていた者が亡くなったのだ。」

「尊師よ、その通りにします」と比丘たちは答えて、樹皮をまとった行者バーヒヤの身体を取りあげて、寝台に乗せて外に出し、火をつけて、かれの塔を作ったあと、尊師のところに赴きました。

尊師のところに赴いて、挨拶をした後、一方の端に座りました。一方の端に座った比丘たちは尊師にこのように述べました。 「尊師よ、樹皮行者バーヒヤの身体は荼毘に付され、かれの塔が建てられました。かれの赴く先はどこでしょうか。未来の運命はどうなのでしょうか」

「比丘たちよ、賢者である樹皮をまとった行者のバーヒヤは、法に関して随法行を行い、わたしを、法の課題で悩ませることはなかった。比丘たちよ、樹皮をまとった行者バーヒヤは、般涅槃したのである。
 そこで、尊師は、この意味を知って、そのときに、このウダーナ(感興のことば)を発しました。


水も、地も、火も、風も、堅固に存在することのないところ、そこでは、星もまたたくことがなく、太陽も輝かない。
そこでは、月も現れることがなく、そこでは、闇も存在しない。
バラモンである聖者が、自己の寂黙によって知ったとき、かれは、形あるものからも形のないものからも、苦楽から解脱する。






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